第二十話
すっ、と。
妹が、手を差しのべてくる。
「……」
僕は黙ったまま、その手をぎゅっと握って、妹に手を取られながら立ち上がる。
情けない、とは思うけれど、二度も首を絞められたせいで、まともに立ち上がれなかった。
きゅ、と、妹が指を絡めてくるけど、それに何かを言う気力も、僕には残っていなかった。
「兄様」
妹が言う。
「疲れているところ悪いけど、もうここにはいられない」
「…」
僕は無言で頷く。
確かに、こんなに大きな爆発音を響かせたのだ、直にそれに気づいた他の連中が、ここに来るだろう…
そうだ…
この…
この、『戦争』は…
まだ…
まだ…
終わっては、いないんだ…
僕はそのまま、妹に手を引かれながら、工場の裏手、ここに来た時に車を停めた方へ向かう。
工場が、すでに全壊しているにも関わらず、この裏手部分には、何事も無かったように被害がなく、生い茂った草や樹が傾いているだけだった。
僕達が乗って来た車も、樹の陰に普通に止まっていた、爆風で飛んできた木の葉や土埃を被ってしまったのだろう、茶色く変色していたけれど、とりあえずは走行には問題無さそうだ。
「……兄様」
そんな事を考えながら、車の方を見ながら歩いていた僕の胸元に、すっ、と、妹の右手が差し出される。
僕も、その理由は妹に聞くまでも無く解った。
「……」
車の下。
ぼうぼうと伸びた草が、まるで台風に煽られた様に倒れていた。
そのせいで、車の周りがよく見える……
そして。
その車体の下。
そこに……
何かが……
否。
誰かが、いる。
「……」
僕は、身構えた。
妹も、僕の横で銃を構える、あの駅前広場で持っていた大きな鞄に入っていた銃火器は、多分この工場を吹き飛ばしたあの爆弾と共に吹き飛んでしまったのだろう。だから今は、あの『蜘蛛』から盗んだ銃一挺だけが、妹のたった一つの武器だ。
車体の下から覘く足は、すらりと細く、華奢だ。年若い……多分女性だろう、恐らく僕とそれほど変わらない年齢の、女性、というよりは、少女、という年齢の脚。
膝の上までの丈のスカートは、何処かで見たような気がする……あれは……
「……そうだ」
僕は、小さく呟く。
あれは……この街でもかなり高い偏差値を誇るお嬢様学校の制服だ。
そして彼女は……
車の下に潜り込んで、何かをしている。
否。
何かを、仕掛けているんだ。
僕が、そう理解した瞬間だった。
ぱあんっ!!
乾いた銃声が、僕のすぐ横で響いた。
「っ!!」
思わずばっ、と両耳を塞ぐ。妹の撃った銃弾が、ぢゅんっ、と女の脚のすぐ横の地面で弾ける。びくっ、と、女の身体が震えるのが見えた。
「動くな」
妹が、告げる。
朗々とした声で。
「次はその脚に当てる、それが嫌ならば、ゆっくりそこから出てこい、少しでも妙な真似をしたり、私達に攻撃したりするような行動をとったら、その瞬間に撃つ」
「……」
相手の少女は、動かない。
どうするべきか悩んでいる、そんな感じだった。
妹が、すぐに銃の撃鉄を起こす。
「あと五秒待ってやる、それまでに決めろ、出てこなければ容赦無く……」
「……」
その言葉に、さすがに恐れを抱いたのだろう。
女の脚が曲がり、そのまま……
そのまま、もぞもぞと、車体の下から人が……
一人の少女が、這い出して来る。
僕は、じっと。
じっと、そいつの顔を見ていた。
妹は、銃を油断無く構えたまま、その少女に近づいて行く。
僕は黙って、ゆっくりとその少女に視線を向けた。
「……」
距離があるせいで、あまり良く顔は見えない。とにかく、やはり僕とそれほど変わらない年齢の、妹よりは年上らしい少女に見える。
僕が見ている事に気づいたのだろう、少女もゆっくりとこちらに顔を向ける。
少女と目が合う。
僕は……
僕は何も言わずに、少女の顔を見ていた。やはり……
やはり、距離があるせいで、あまり良く顔が見えないけど……でも……
でも……彼女は……
彼女の顔や……雰囲気は……
何処かで……
何処かで、見たような?
だがその事を、少女に確かめるよりも早く……
「兄様っ!!」
少女の脇を通り抜け、それでも銃だけを油断無く彼女に向けながら、車体の下を調べていた妹が、声を張り上げて立ち上がった。
そのまま、だっ、とこちらに向けて走って来る。
「……っ」
僕は咄嗟に、妹の方を見ていた、その瞬間に、少女の事は頭から消し飛んでいた。
妹が、そのままこちらに向けて走って来る。
「逃げろ、爆弾だ!! 車の下に仕掛けてあった!! 爆発まで一分も無い!!」
「……ば……」
「爆弾!?」
僕が口に出すよりも早く、例の少女の声が響いた。
「……っ」
僕は、そちらの方を見る。
少女は、驚愕に目を見開いて、妹がついさっきまで調べていた車……即ち、僕達がここに来るのに利用していた、あの車と、こちらに向かって走って来る妹とを交互に見る。その顔色は青ざめている。
「……」
それを見て、僕は……
僕は、察した。
彼女は……
彼女は……自分が、あの車に仕掛けていた『もの』が、『爆弾』である、とは知らなかったのだろう。仕掛けたのも、きっと彼女の意志では無く、何者かに……
何者かに、命じられたのだ、としたら?
あの『蜘蛛』だろうか? それとも……
それとも、また別の……
解らない。
だけど……
だけど、一つだけ、確かな事がある。
彼女は……
彼女は、僕達を殺そうとするつもりは無かったのに違い無い。
少なくとも、アレが爆弾だとは知らずに仕掛けたのだから、まだ……
まだ、話し合う余地があるかも知れない。
「っ」
そう思った途端に、僕は……
僕は、弾かれた様に走り出していた。
「に 兄様っ!?」
妹が声をあげる。
僕はそれを無視し、車の側へ……まだ、呆然と、這い出して来た位置に立ったままの少女に駆け寄る。
「兄様、こらっ!! 一体何を……!?」
妹が言うけれど、僕は無視し、少女の前に立ち、ばっ、と手を差し出した。
「来るんだ!!」
「えっ!?」
少女が、驚いた様に言う。
「良いから、来るんだ!!」
そのまま返事を待たずに、少女の手を引いて逆方向に向かって、妹がいる方に向かって走る。
「ああもう!!」
妹が悪態をつく。
「兄様はお人好しだ!!」
怒鳴り声を耳にしながらも、妹はそのまま僕と彼女の前を走り、前方にある大きな瓦礫を指差す、どうやらそれは、爆発で壊滅した工場の壁の一部らしかった。
妹が、するり、とその瓦礫の後ろに滑り込む。
僕も、少女の手を引いて、その陰へと潜り込む。
そして。
身を屈めた直後……
さっき、工場が吹き飛んだ時よりは、幾分小さい。
だけど……
それでも……
耳をつんざく轟音が、背後で響いた。