第二話
「やーっと気づいてくれたな、兄様?」
にこにこ、と――
喜色満面――その言葉が相応しい、とても愛らしい笑顔を浮かべながら、少女が言う。
「……」
街で見かければ、十人中十人が振り返るであろうその愛らしい笑顔。
だけど僕は、その笑顔を、そしてその少女を見るなり、途端に仏頂面になった。
「いつも言っているじゃないか、兄様――」
にこにこしたまま、少女が言う。
「私は兄様に無視されると、それだけでもう自殺したいくらいに心が痛むのだ、と」
「だったら……」
まだ微かにキンキンする耳を押さえながら、僕は無愛想に言う。
「もうずっと無視していてやるから、そのままとっとと自殺しろ、って、僕もいつも言ってるじゃないか?」
僕の嫌味にも、目の前の少女は微笑みを絶やさない。
「うむ、では兄様が私を殺してくれ、腹上死で――」
「だ 誰がそんな事するかっ!!」
腹上死、という単語に、さすがに頬が赤らむのを感じながら、僕は怒鳴りつけた。
「ったく、お前、一体何しに来たんだよ? っていうか――」
僕はそこで、ふと嫌な予感がし、少女にじとーっ、とした視線を向けた。
「……お前、どうやってこの部屋に入ったんだ?」
部屋の扉には鍵をかけておいたはずだ、もちろん、この少女が入って来るのを防ぐ為に。
少女は僕のその問いかけに、にこやかな笑みを崩すこと無く、ズボンのポケットから何かを取り出し、僕の顔の高さに掲げて見せた。
鍵、だ――
僕と、この目の前の少女が、本物の恋人同士のように穏やかに笑い合いながら腕を組んで寄り添って立っている、悪趣味極まりない合成写真がプリントされたキーホルダーがついた、小さい鍵――
「夫の部屋の合鍵を持つのは妻の義務だからな? ちゃあんと造っておいたぞ?」
「変態および犯罪的な発言をドヤ顔でするんじゃ無い!! あと誰が夫で誰が妻だ!?」
「それはもちろん、私と――」
少女は照れた様に頬に片手を当て、しなを作りながら、その白い指を僕の方に向けようとする――
が、それよりも早く、僕はその指を掴んで明後日の方向に向けさせた。
「あのな――」
僕はわなわなと震えながら言う。
「忘れている様だから教えてやる――」
「んん? 何をだ兄様?」
少女が可愛らしく首を傾げる。
「僕とお前は血を分けた実の兄妹、リアル兄とリアル妹だ、そして兄妹は結婚出来ない、というか僕はお前の事を妹としか思っていない、何度も何度も、そう説明したはずだよな?」
言いながら僕は少女の指から手を離し、些か乱暴に少女の身体を突き飛ばす。
「理解出来たなら、お前もいい加減にそういう言動は控えろ、ってか、そもそもお前の年齢なら、歳の近い兄貴なんか嫌いになるもんだろ?」
「そう言う人間も世の中にはいるみたいだな? 私には理解できない事だが――」
むしろそう言う人間の方が多いだろうが――僕は言いかけた。
が、どうせこの少女には何を言っても無駄なのだ――こいつは何を言っても止める気配は無い、おかげでこんなやりとりは、ほぼ毎日の様に繰り返されている。
「はあ……」
ため息と共に、僕はベッドに腰を下ろした。
「兄様、ため息をつくと幸せが逃げるぞ?」
少女が言いながら、僕の隣に腰を下ろし、当然の様にぴったりと寄り添ってくる。
僕はその少女を軽く睨み付ける。
「誰のせいだと思ってるんだよ? お前は――」
だが少女は微笑みを崩さない。僕はまたため息をつきながら、少女に問いかけた。
「それで? 結局お前は何をしに来たんだよ?」
改めて、少女に向き直る。
「玲奈」
堂本雅志。
それが僕の名だ。
今年で十七歳。高校二年生。
成績も、運動神経も、どちらも平均よりかなり下の方に位置する、悔しいが『劣等生』という部類に入るだろう。
かといって――音楽だとか、芸術だとか、そういう方面に突出した才能があるという訳でも無い。
地味で平凡な顔立ち、親譲りの色白の肌は、他人には不健康な印象しか与えず、体つきも細く痩せ型、加えて同年代の誰と比べても背が低く、腕力も無い。
お世辞にも社交的とは言えない性格もあり、この年齢になるまで、恋人は勿論、友達と呼べる存在だって一人もいたことが無い。きっと僕が通っていた小学校、中学校、そして今通っている高校でも、卒業後に僕の事を思い出す人間なんか一人もいないだろう。
そんな、地味で平凡な人生を歩んで来た、誰からも相手にされない人間。
それがこの僕、堂本雅志という人間だ――
そして……
ちらりと、視線を横に走らせる。
僕の肩に頬ずりをして甘えてくる一人の少女。
堂本玲奈。
僕より二つ年下の十五歳。中学三年生の妹。
僕も卒業した地元の中学で、毎年学年トップの成績を修め、運動神経もトップ。
音楽にも、芸術にも優れた才能を発揮し、妹の歌声を聞いたどこかの芸能プロダクションが、妹をスカウトしたとか、妹の描いた絵が、どこかのコンクールで入賞したとか、そういう話には事欠かない。
おまけに――
腰まで伸ばした長く、艶やかな黒髪。
僕と同じく、親からの遺伝である白い肌はきめ細やかで美しく、身長もすらりと高く手足は細くしなやかで、無駄な肉は一切ついていない。
その割に胸元の膨らみは、年齢の割に大きく、兄である僕でさえどきり、とさせられる事があるくらいだ――
切れ長の瞳に真っ赤な唇の、どこか日本人形を思わせる顔立ちは、年齢とは不釣り合いな妖艶さを醸し出しているけれど、だからといってとっつきにくい訳じゃ無く、明るく、社交的な性格で、校内には学年を問わず、友人や知人が多いと聞く。
そんな、僕とは外見も性格も、成績や運動神経も、様々な才能まで何もかもが正反対の、非常に優秀で、完璧な女子。
それが、僕の妹、堂本玲奈という人間だ。
そんなこの妹にも、たったの一つ――
たったの一つだけ、残念な点がある。
それは……
「……」
僕はもう一度、妹を見る。相変わらず僕にべったりとひっついていて、離れようとしない。僕は、妹に気づかれない様に、もう一度軽く息を吐いた。
勉強も、スポーツも、性格も外見も、とにかく完璧なこの妹。
そんな妹に、好意を寄せる男子生徒は数知れず、告白された回数は、もう数えられない程、時には女子にまで想いを打ち明けられた事があるのだという。
しかし妹は、その全てを断っている。
その理由は、いつも同じ。
曰く、『私にはもう既に、一生を共にしたいと思えるくらいに好きな人がいる』。
『一生を共にしたいと思えるくらいに好きな人』。
この完璧な妹に、そこまで言わしめる人物とは、一体何処の誰なのか――妹の通う中学では、様々な憶測が飛び交っているらしい。中には妹に直接聞いた人間もいるそうだが、はぐらかされて教えては貰えなかったという――
だけど……
僕は――知っている。
『一生を共にしたいと思えるくらいに好きな人』というのは誰なのか?
それを聞かれた時、妹が、一体、誰の名前を口にしているのか――
そしてそれが、決して嘘をついているわけでも、はぐらかしている訳でも無いのだという事を、僕は――
僕だけは、知っている。
妹の好きな人――
それは誰でも無い――血の繋がった実の兄であるこの僕だ。
いつから、そう思うようになったのか。
どうして、そう思うようになったのか。
残念ながら、僕は知らない。聞けば教えてくれるのかも知れないけど、恐くて聞く気になれない。
とにかく、気がつけばいつの間にか、妹は僕に対してそういう感情を抱くようになっていて、時には可愛らしく、時には純情に、そして時にはエッチに、毎日毎日様々な方法で、僕にアプローチをかけてくる様になっていた。
僕も最初のうちは、戸惑いながらも兄妹である事や、僕自身にはそういう気持ち無い事などを話して諦めさせようとしたけれど、ここ最近では、何だかもう面倒になって、適当にあしらうようになっていた。
しかしながら、それでも妹は諦める気配は無く――こういうやりとりは、もうすっかり日常と化していた。
このままではいけないな、という感情は、もちろんある――
だからいずれは、妹と向き合い、きちんとさせるべきなのだろう、何をどうすれば良いのか、生憎とよく解らないけど。
僕は、そう思うようになっていた。
こんにちは。
カインです。
skryth(酸化酸素)様から素敵な画像を頂いたので、そちらを挿入させて頂きました。
この場を借りてskryth(酸化酸素)様には御礼申し上げます!!
誠にありがとうございましたm(_ _)m