第十九話
どれくらいの時間、そうして倒れていたのだろう?
僕は……ゆっくりと目を開けた。
熱風と轟音、それに振動は、いつの間にか止まっていた……
僕は、恐る恐る顔を上げ、そっと背後を振り返る。
「……っ」
さっきまで、そこにあったはずの『工場』は……
今や、完全に……
完全に、『消滅』していた。
黒い煙が、建物全体を覆い尽くし、そこにもはや何があったのかさえも解らない。
ドドドドド……と、地鳴りの様な音が鳴り響き、建物が崩れ落ちるのが、その煙の中でもはっきりと見えた。
妹も、あの男も、一体どうなってしまったのか、この黒煙の中ではちっとも解らない。
「……玲奈……」
僕は呼びかける。
だけど、その小さい声は、鳴り響く轟音にかき消されてしまって、下手をすれば僕自身にすらはっきりと聞こえない。
「玲奈……」
もう一度、呼びかける。
だけど……やはり煙の中から動くものの気配は感じない。
僕は、ぎゅっ、と拳を握りしめた。
「玲奈っ!!」
大きな声で、呼びかける。
ゆらり……と、黒煙の中で、何かが微かに動いた、ように見えた。
「玲奈!?」
僕はもう一度、妹の名前を呼んだ。
そして……
その直後。
ばっ、と。
黒煙の中から、何かが……
否。
誰かが、飛び出して来る。
僕は、目を見開いてそいつの顔を見、そして……
次の瞬間。
どっ、と。
体当たりをされ、僕は……
僕はその場に、押し倒されていた。
「ぐっ……」
呻き声が、口から漏れる。
飛び出して来たのは、あの男だった。身体のあちこちに火傷を負い、着ている警察官の服はあちこちがボロボロになっていたけれど、それでも……
それでも、男は……まだ。
まだ、生きていた。
「……くそ……ガキがぁ……!!」
男が、絞り出すような声で言う。
そのまま、ぎりり、と僕の首に手をかけ、太い腕で締め付ける。
「うっ……」
僕は呻いた。だが男の手は全く緩まない。またしても首の圧迫感に襲われ、僕はぎりっ、と歯ぎしりした。
「死ね、死ね、死ね……!!」
男が言う。口の端から蟹みたいに泡を吹きながら、呻く様な声で……
眼球は血走り、身体中が震えているその姿に、さっきまでの余裕は全く無い、もしかしたら爆発で、何処かに痛手を受けているのかも知れない。
「死ね、死ね、死ね、死ね 死ね……!!」
更に強い力で、男が僕の首を絞める。
「……うう……」
僕は呻いて、何とかその手を引き剥がそうとするけれど、巌のようなその手は全く動かない。
意識が……徐々に遠のいて行くのが解る。
「……くっ……」
このままでは……
僕は、歯ぎしりした。
このままでは……
その時だ。
「あの爆発を生き延びたのは、見事だったけれど……」
声が、響く。
酷く、不快感に満ちた声。
「ただ糸を吐き出すばかりの『蜘蛛』が……」
その言葉が終わるや否や……
かちゃ……と。
微かな金属音が響く。
あの駅前で一度聞いて以来、もうすっかり耳に馴染んでしまったその音。
銃の撃鉄を起こす音だ。
「私の愛する人に、汚い手で触れるな」
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死……」
男の耳に、どうやらその言葉は届いていないらしい、相変わらず、念仏のようにその言葉を繰り返しながら、僕の首を更に強い力で締め上げた。
それを見て、声の主も、微かに呆れた様に笑った。
「既に、目の前にいる私の事も解らないか、まあ、腰から銃を抜かれても反応しないんだ、錯乱してしまっているらしいな、とは思っていたがね」
くすくす……
くすくす……と。
そいつが笑う。
僕はそれを聞きながら、この男があの駅前で、大勢の人を率いてきた時に、僕達の乗る車に銃を撃って来た事を思い出した、あの銃も、もしかしたらあの爆弾と同じ様に、誰かから『買った』ものなのだろうか?
そして……
妹の持っていた、あの銃……
僕は、思い出す。
妹は、自分の身体の中に爆弾は仕込んでいない、と言った。
ならば、あの爆弾は……
多分……
駅前で、大量の銃を仕込んでいたあの鞄。
きっと、あの中にあったのだろう。
あの鞄の中に入っていたあの銃、妹は……
妹は、あんな物を、一体……
一体、何処から……?
僕が、それらのことを考えている間に……
「さて」
声が、響く。
「そろそろ、死んで貰おう」
その言葉が終わると同時に……
ぱぁんっ!!
乾いた銃声。
顔の上に、ぽた、ぽた、と、赤黒い血が数滴、滴り落ちる。
首の圧迫感が、スイッチでも切った様にふっ、と消えた。
そして……
ぐらり……
さっきまで、僕の身体にのし掛かっていた男の身体が、こちらに傾いて倒れ込んでくる。
だけど、その身体が倒れるよりも早く。
その背後に立っていた誰かが、服の襟首を掴んでぐいっ、と男の身体を引っ張り、横の方に引きずり倒した。
「……うっ……ゴホっ」
さっきと同じ様に咳き込みながらも、それでも顔を上げた僕の目に映ったのは……
にっこりと微笑む、一人の少女。
「もう、大丈夫だぞ、兄様」
その少女。
即ち。
僕の妹。
堂本玲奈は、その顔に、いつもと全く変わらない笑顔を浮かべながら。
いつもと全く変わらない口調で言う。
「みんな……」
さすがに、あの爆発から無傷で脱出は出来なかったのだろう、妹の頬には煤の様なものがこびりついていたし、右肩から出血しているらしかった。
それでも。
妹は、いつも通りの笑顔、いつも通りの口調で告げた。
「殺してやったからな」