第十六話
「よう、坊や」
警察官が、朗らかな口調で言う。
「……っ……っ……っ」
僕は、声にならない声で呻きながら、その男を見ていた。
首筋に手を当てる、だけど……
「……っ」
何も……無い。
首の表面の皮膚に手を触れる。けど……そこには何も無いのだ、首を圧迫される感覚は確かにあるのに……まるで見えない手で絞めつけられているみたいに、首を絞めている『もの』に触れる事が出来ない。
「……っ」
だけど……
それでも、首を絞められる感覚は、はっきりとある。
苦しい……
息が……
息が、出来ない。
僕は声にならない声で呻く。
警察官が、にやついているのが、暗い中にいてもはっきりと見える。
「これで、賞金は俺が頂けるなあ」
警察官の男が言う。
僕は、ぶるぶる震える手を伸ばし、首を絞めている『何か』を掴もうとするけれど、やはり何にも触れられない。
「無駄だよ」
そんな僕の動きを見て、警察官が小馬鹿にした様に言う。
「俺から逃れられた奴は、誰もいないのさ」
男の言葉に、僕は……
僕は……何も言えない……
「君みたいな、線の細い男の子は、結構嫌いじゃねえんだが……生憎だが、俺の趣味は若い女でねえ」
ひひっ、と男が下品な声で笑う。
「みんな単純だよなあ? 警察官の格好だけしてれば、夜、街中で声かけても誰も警戒しねえんだよ、それで人気の無いところまで連れ込んでさ、きゅっ、と、な?」
警察官。
否。
警察官の格好だけをしている男が、そう言ってまた品の無い声で笑う。
「結構楽しかったんだけど、残念ながらちょっとばっかり『殺り過ぎ』ちまってなあ、ヤバくなったんで、国外へでも逃げようと思ったんだが、生憎と金が無くてよお」
男がにやにやして言う。
「そんな時に、ふと思い出したのさ……この国の『法律』を、ね」
「……」
その男の言葉に、僕は思い出す。
数ヶ月ほど前まで、テレビやネットのニュースを賑わせていた、連続殺人犯。
被害者は全員、若い女性、職業にも、容姿にも、全く共通点は無い、とにかく若い女性であれば、無差別に狙って殺しているという話だった。
凶器は、細長い紐状の『もの』、残念ながらそれが具体的にどんな物なのかは、警察の捜査でもまだ不明のまま。
そして無論……犯人に繋がるような証拠も見つかっておらず、しばらくの間、若い女性達は恐怖に怯えていた。僕も妹に、帰りは注意するように、と言った事がある。
しかしここ最近、事件はぴたりと収まっていた、犯人はまだ捕まってはいないけれど、女性達の警戒は大分緩んでいた。
つまり……
つまりは、こいつこそがその犯人、という事だ。
そして殺しすぎて、ニュースなどで大々的に取り上げられるようになり、女性達が警戒し、夜出歩かなくなった事で犯行を控えた。
そして今、国外へと逃亡する資金を稼ぐため、僕を殺して得られる『賞金』に目を付けた、という訳だ。
あの狂った『殺人法』では、『賞金』のかけられた相手を殺した人間に関しては、経歴や職業は一切問わない、ホームレスだって公務員だって構わないし、本物の『殺人犯』でも良いのだ。
「……っ」
つくづく、あの狂った『法律』が腹立たしくて仕方無い。
だけど……
その怒りを口に出す事も……
今の僕には……出来ない。
意識が……遠のいて行く。
もともと真っ暗だった周囲が……さらに……
さらに、暗くなっていく……
見えない『紐』を掴もうとしていた手が、力無くだらん、と垂れ下がる……
「さて」
男の声が、闇の中に響く。
「あの外にいる奴らの中によお、杖ついた爺さんがいただろう?」
「……っ」
その言葉に、僕は思い出す。
確かに……あの駅前広場に、そして外に集まった人々の中に、そんな老人がいた。
「あの爺さんは可哀想な人でよお?」
男が下卑た声で笑いながら言う。
「何でも奥様が、何やら難しい名前の病気に罹っちまったらしいぜ? 手術にはとんでもない金額の金が必要だそうだ」
朦朧とする意識の中でも、男の声は、はっきりと聞こえる。
「爺さんの年金じゃあ、どうすることも出来ない金額だ、それで目を付けたのが、あの『殺人法』さ、だけどあんな爺さんに、お前みたいな若い男を殺すのは難しい、しかもお前さんには、あんな怖え妹ちゃんがボディーガードについてるしなあ?」
「……っ」
妹、という言葉を聞いた時。
遠のきそうになっていた意識が、覚醒する。
「だから俺がよお、ちょっとアドバイスしてやったのさ、俺があの怖え妹ちゃんを引き離すから……お前さんは、あの妹ちゃんを殺してくれってな」
僕は……
目を開けて、男を見る。
男の手に、いつの間にか何か……
何か、小さい物が握られていた。
それは……ボタンの付いたリモコンの様な小さい機械。
「で、俺がお前を殺す、そうして得られた『賞金』は、あんたの奥様に少しだけ分けてやるってよ、それを信じた爺さんは、俺が渡した『もの』を、何の躊躇いも無く身体に巻き付けてくれたぜ?」
「……っ」
僕は、息を呑む。
あのリモコン。
そして……
こいつがあの老人に渡した『もの』。
それが何なのか理解出来たからだ。
僕は……
ぶるぶる震えながらも……それでも手を伸ばして、そのリモコンを奪い取ろうとした、無論、届くわけが無い、それは解っている。
それでも……
それでも僕は、手を伸ばした。
「ほう?」
男の目が細められる。
「気づいたか? あの妹ちゃんに守られるだけの、しょうも無いガキかと思ってたら、意外と頭良いんだな? だけど……」
男がにやついて言う。
「もう遅いぜ、ひひっ……」
男がせせら笑う。
あのリモコンは……
ややあって……
男が、手にしたリモコンのボタンを……
押す。
かちり……
小さい音が響く。
そして……
次の瞬間……
轟音と爆発音が……
工場全体を激しく揺らした。