第十五話
工場の外。
先刻通って来たあの正面広場には、沢山の人が集まっていた。
恐らくは、二十人程度……
年若い男性もいれば、中年の男の姿もある、僕とそれほど変わらない年齢の男女もいる、一番後ろの方に立っている杖をついた老人は、あの駅前広場でも見た老人だ。
妹は、そんな彼らの前に、仁王立ちで立ちはだかる。
「おい、お嬢ちゃん」
一人の男が、のっそりと進み出た。ハンチング帽に安っぽいトレーナーという中年の男だった。でっぷりと膨らんだ腹に、浅黒く日焼けした肌、土建屋か何かで働いている様なタイプの中年だ。
そいつが野太い声で、妹に向かって言う。
「そこ、退いてくれねえかな?」
その言葉に、妹は何も言わない。
「おいおい、お嬢ちゃん」
男が、呆れた様に頭を掻いて言う。
「気持ちは解るよ、お嬢ちゃん、あの坊やにかけられた賞金はとんでもない金額だ、だから味方のフリして上手く近づいて、あいつを油断させて、殺してぶんどろうって言うんだろ?」
男の言葉に、妹は、口の端を微かに釣り上げ、小馬鹿にした様な笑みを浮かべた。
それに気づいたのだろう、男が一瞬、ムッとした表情になるけれど、ひとまずは怒りを抑える事にしたらしい、男は下手くそな笑顔と共に続ける。
「だがよお、その為にあんな大勢の人を殺すのは良くねえな? おかげで俺ら、みんなビビっちまってよ、これだけの数揃えるのも苦労したんだ……」
男が言う。
妹は、まだ何も言わずに黙ったままだ。
「だがよ、お嬢ちゃん……」
男が口を開く。
「今なら、まだ俺らもお嬢ちゃんのした事を、『金を独り占めしたかった奴の、ちょっとした勇み足』で済ましてやれるんだ」
その言葉に、妹はまだ何も言わない。
「もしも金が欲しかったら、俺らに協力してくれよ? そしたらあのガキを殺した後、賞金をあんたにちょっと分けてやるよ、何なら少し多めにしてやっても良い」
つまりは、金で妹を『寝返らせる』つもりらしい。
「だから、な? そこ、退いてくれよお嬢ちゃん、お前がいくら強い武器持ってても、この人数を相手にどうにか出来る訳が……」
ぱあんっ!!
男の言葉は……
乾いた銃声で、遮られた。
ばあっ、と。
男の右の額から血がしぶく。
その身体が、どさり、と地面に倒れる、さっきまで被っていたハンチング帽が、ぱさり、と、その身体の脇に落ちた。
「生憎だが……」
まだ、先端から微かに黒い煙を噴き上げる銃を構えながら、妹が冷ややかに言う。
「いくらの額の金であれ、私の愛する人の命と比べれば、そんなものは何の価値も無いゴミ同然だ」
そして……
妹は、居並ぶ人々に向き直る。
「私は、いくら言われてもお前達の仲間になどならないし、『裏切る』事もしない」
その言葉に……並んでいた人達の何人かが、びくっ、と肩を震わせた。
「どうしても、金が欲しいというのなら、私を殺して行け」
言いながら妹は、銃を並んだ人達に向ける。
先頭の列にいた数名が、その銃口を見て、ひっ、と息を呑んだ。
だけど……
「……な 何が……」
ぎりり、と歯ぎしりしながら、一人の男が進み出てくる。
二十代の若者だ、あの駅前広場で見た大学生より、少し年上だろう。
「私を殺して行け、だ……この……」
ぱちん、と音がする。
青年の手に、折りたたみ式のナイフが握られていた。
それに勇気づけられたのだろう、後ろにいる人達も、次々にそれぞれの武器を構える、金属バットもあれば、工事現場で使う様なハンマー、何処の家にもありそうな包丁やらノコギリや金槌、今の青年と同じ様なナイフを持っている奴も、何人か見受けられる。
「この、ガキがあっ!!」
そして……
最初にナイフを構えた青年の怒声を合図としたかのように、わっ、と大勢の人が走り出した。
最初に妹に肉迫したのは、やはりあのナイフを持った青年。
ぶんっ、とナイフを振りかぶり、妹に突きたてようとする。
だが……
妹は眉一つ動かす事無く、その青年の顔面に銃口を向けると、引き金を引いた。
ぱあんっ!! と、さっきと同じ様な銃声が轟き、青年の頭が果物の様に爆ぜ割れる。
「ひぃっ!?」
それを見て、背後で誰かが悲鳴を上げた。だが妹は躊躇う様子も無く、更に後ろから迫って来る影に向けて銃を構える。
ふっくらとした体型の、中年の女だ。手には包丁、いきなり銃を向けられたことで、一瞬表情を引きつらせる。だけど妹は、躊躇いも無く銃を撃った。
狙いは、喉元。妹は、そのままぐらり、と倒れかけたその女性の両肩を掴んで、ぐるっ、と身体を反転させ、ちょうど自分に向けて突っ込んで来る連中に、顔がはっきりと見える様にして、背中をどんっ、と蹴飛ばした。
ぐらり、と、撃ち抜かれた喉元から血を吹き出しながら、その女性が背後から迫る二人に向けて倒れ込んでいく。
高校生くらいの男女だった。
「い いやっ……!!」
女の子の方が悲鳴を上げ、手に持っていたカッターナイフを取り落としてその場に尻餅をつく、彼氏らしい男子が、慌ててその子に倒れ込んでくる女性の亡骸の肩を掴んで、横の方へと押しのけた。
そうこうしている間に、妹にはまた別な奴が迫っていた。
ホスト風の金髪の男が、ぶんっ、とナイフを振り上げて妹に迫る。
妹は躊躇いも見せず、その男性の胸元を撃ち抜いた。
血がしぶき、そいつが仰向けに倒れる……だけど……
その口元に、微かに……
微かに、笑みが浮かんでいた。
その倒れた男の背後から、ばっ、と誰かが飛び出して来た。
背の低い、中学生くらいの少年だ。手にはこちらも包丁を握りしめ、今にも妹を刺そうという勢いで突進して行く。あのホスト風の青年は、要するに囮だった、という事だ。
妹は、軽く身体を捻ってその一撃を回避する、少年が慌てて妹に向き直った時、既に妹は銃を構えていた。
再び銃声が轟き、少年の頭が『消失』する。
そのままその身体が、どう、と力無く倒れる。
その直後。
「っああああああああああああああーっ!!」
叫び声が響く。
さっきも見た、カップルらしい高校生くらいの男女の、男子の方だ。
金属バットをぶんっ、と大きく振り上げながら、ヤケクソのような勢いで妹に向けて突っ込んで行く。
妹は、さっきの少年のナイフを避けた時と同じく、軽く身体を捻って回避した。
ぶんっ、と振り下ろされたバットが、地面を叩いて、がんっ、と大きな音をたてる。
その男子は、慌てて妹に向けて再びそのバットを振り上げようとしたけれど、それよりも早く、妹が上から、そのバットの先端を踏みつけた。
「あっ……」
男子高校生の口から呻く様な声が漏れる、慌ててバットを、妹の足の下から引っ張り出そうとするけれど、びくともしない。
「くっ、この……退けよ!!」
男子高校生が言いながら、妹を押しのけようとする。
だけど……
それよりも早く。
妹の手にした銃が、その男子高校生の額に、ぐっ、と押し当てられていた。
そのまま、引き金が引かれる。
赤黒い血がしぶく……その男子高校生の身体が、糸の切れた人形みたいにぐらり、と傾いて地面に倒れる。その手はまだ、バットを握りしめたままだ。
「……あ……」
呻く様な声。
彼女らしい女子高生だ。さっき彼氏が押しのけた遺体から離れた位置にしゃがみ込んでいた。けれど……
恋人の、惨たらしい死に、思わず声が出てしまったらしい……
「……っ」
その表情が……
一瞬にして、まるで……
まるで般若のように、歪む。
「……くっ……うう……」
カッターナイフをしっかりと握りしめる、さっきまでのような、形ばかりに持っていた時とは、明らかに雰囲気が変わっていた。
ゆらりっ、と、そのまま立ち上がり、少女は妹に向けて突進する。
妹は……
倒れたままの、あの少年の遺体の手から、しっかり握られたままだったバットをもぎ取ると、そのまま少女に向き直る。
彼氏が愛用していた物に触れられている事が気に入らないのだろう、少女の顔がますます怒りに歪んだ。そのまま少女はカッターを突き出すけれど、妹は、その少女の手首に向けて、手にした銃のグリップ部分を叩きつけた。
ばしっ、と音がして、少女の手からカッターが転がり落ちる。
「うっ……」
少女の口から呻き声が漏れる。突き出した姿勢で、いきなり手を殴りつけられ、その身体がバランスを崩し、その場にどさっ、と膝をついた。
「……くっ……この……」
手首を押さえつけながらも、少女が立ち上がろうとする。
だけど……
その時既に、妹は……
さっき拾い上げた少年のバットを、ぶんっ、と振り上げていた。
「っ!?」
それに気づいたのだろう、少女がぎょっとした様子で顔を上げて、妹の頭上に振り上げられたバットを見る。
だが、もう……
もう、遅い。
バットが、ぶんっ、と振り下ろされる音。
骨が砕けるような音。
そして……
少女の額から、噴水の様に吹き出す血。
そのままどう、と倒れる少女に、妹はもう目もくれない。
「さあ――」
先端から血が滴る金属バットを、まるでホームラン予告の様なポーズで、正面に並ぶ人々に向け、妹が言う。
「次は、誰だ?」
「……」
それを見ながら、僕は……
僕は、その場にへなへなと腰を下ろしていた。
これは、もう……
もう、『戦争』とも呼べない。
妹の……
一方的な、『虐殺』だ。
あのまま妹は、残った全ての人々を殺してしまうだろう。そして……ここに戻って来るのに違い無い。いつも通りの……あの満面の笑みを浮かべて。
それを……
どんな風に出迎えれば良いのか……
僕には、解らない。
僕はとにかく、これ以上、妹の『虐殺』を見ていたくなかった。
ごぎんっ、と、バットで骨を砕くような音がまた外から響く。また誰かが犠牲になったのだろう。あの正面に集まっていた人の誰か、あの杖をついた老人かも知れない、あんな年寄りも、僕を殺そうとしているのか……? そして……妹に殺された。
僕は項垂れた。あそこには他に、あの駅前広場から僕を追いかけてきた人もいたけれど、その人達もみんな……
みんな……
「……?」
そこでふと、僕は違和感を覚えた。
駅前広場にいた人達……
最初に、僕を襲ってきたグループの中にいた人達、あの年若い青年や、赤ん坊を連れた主婦、二人組の女子高生、OLやサラリーマン、それに……あの杖をついた老人。
その後……
その後、僕達を追いかけて来た一団。
そいつらの先頭に立って、彼らを……まるでリーダーの様に誘導していた人物。
そうだ。
「警察官……」
僕は、ぽつりと呟いた。
顔を上げ、少し開かれた扉から外の様子を見る。
まだ、妹が数人を相手にバットを振り回している。バットで頭を殴られて倒れる若い女性の手に握られていた包丁を、妹がもぎ取った。
その包丁で、近くにいる太ったオタクスタイルの青年の首を、妹が刺す。
それらの人々の一番後ろに、あの杖をついた老人がいる。
妹の『虐殺』を見ながら……まるで……
まるで、何も感じていない様に、ただ……
ただ、黙って立っている。
その手には、杖以外には何も握られていない。
そして……
「……あの警察官が、いない」
僕は、ぽつりと呟いた。
あの時。
あの駅前広場から、妹の運転する車で逃げる時、僕達を追って来た一団を率いていた警察官がいない。妹に殺され、倒れている人達の顔を見るけど、そこにもあの警察官はいない。ならば……
「何処に……?」
小さく呟く。
そして。
「っ」
僕は、息を呑む。
「……まさか……」
あの連中は……
僕は周囲を見回す。誰の姿も無いけれど……今……
今、僕は……この工場内に一人だ。つまり……
僕を殺そうと思う者が、今……
今、この工場内に潜んでいたら……?
つまり……
「彼らは……囮?」
僕と妹を、引き離すための……?
僕は、視線を正面に向ける。正面に集まった人々は、もう後三人、そのうちの一人は、あの杖をついた老人だった。既に妹は、あの金属バットすら手放し、二本の包丁を握りしめながら、立ち並ぶ二人を見ている、妹は一人だけれど、立っている二人の二十歳くらいの青年は、どちらも完全に怯えきった顔で妹を見ていた。
だけど……
あの老人だけは、微動だにしないで妹を見ていた。彼は……
彼は、何をしている……?
そして……
もしも、彼らが……
彼らが、囮なのだとしたら……?
既に……
敵は……
この工場内に……?
妹を、呼び戻すべきか……?
それとも……?
その、思案をしていた、まさにその瞬間だった。
びしっ!! と、まるで……
まるで、鞭が叩きつけられる様な音が、すぐ近く……僕の首の辺りで響いた。
その次の瞬間。
何かが、首に絡みつく感覚。
次いで……
「ぐっ……」
首を絞められる感覚に襲われ、僕は呻いた。
そして……
「さすがに、もうあの連中が囮だって事に気づいたか?」
男の声が、背後から響く。
「……」
僕は、目だけを動かし、どうにかそちらを見た。
「ま、あの怖い妹ちゃんとお前さんを引き離せたし、とりあえず作戦は成功ってところだな?」
にやにやと……
下卑た笑顔と共に……
右手を前に突き出した、妙な体勢で……
あの駅前広場で見た、制服姿の警官が、闇の中に佇んでいるのが見えた。