第十二話
僕と妹が乗る車は、そのまま街のメインストリートを進み、街外れへと向かう。
この辺りまで来れば、店や民家は徐々に少なくなって来る。
代わりに周囲に目立ち始めたのは、工場だ。
ついこの前建てられたばかり、という様な小綺麗な工場もあれば、もう何十年も前からある様な薄汚れた工場もある。出入り口が完全に塞がれている工場もあるし、中には入れそうな工場もあった。
だが……その全てが、今はぴったりと閉じられ、多分中に誰もいないであろう事は明白だった、考えてみれば、今日は休日だった。そして何よりも……
何よりも今、この街の人達は全員……
全員……今頃……
「……」
僕は、顔を俯かせた。
妹は、そんな僕を気にした様子も無く、どんどんと車を進めていく。
さらに奥まで進めば、いよいよ民家も店も完全に姿を消し、辺りには様々な工場が目立ち始める、この辺りは昔から、この街でも屈指の工業地帯として栄えていたエリアだ。
もっとも、ここ数年の不況のあおりを受け、ほとんどの工場が封鎖され、現在稼働しているのは、ほんの僅か、しかもその大半が昼間にしか動いていない為、この区画は夜になると、あまり質の良くない連中が根城にしているらしい。
だから、この区画にはあまり近づかない様に、特に夜は、絶対に行ってはならない。
というのが、この街で生まれ育った子供達が、一番最初に大人達から教わる事だ、僕自身も、小学校に入ったばかりの頃、担任の教師にそんな事を言われた事がある。
「……」
小学校、か……
僕はふと、昨日までの日常を思い出していた、小学校、中学校、そして高校……
教室で、退屈な授業を、とにかく眠らない様にしながら聞いていたのが、まるで嘘みたいだ。
一体……
一体どうして……
こんな……
こんな、『戦争』なんかが……
僕は、またしても項垂れた。
やがて、妹の運転する車がどんどんと減速してくる。
「……」
どうやら、目的地に着いたらしい。僕はゆっくりと顔を上げた。
「……ここって……」
僕は、小さく呟いた。
到着したのは、この工業地帯の一番奥。
まるでこの辺り一帯の主の様な、一番大きな工場の敷地の中だった。
確か、この区画がまだ出来たばかりの頃に建設された工場だ、何の工場なのかは知らないが、かなりの大企業の運営する工場だった。
しかし、数年前に親会社の経営が悪化、封鎖されてしまったという。
取り壊しの話も出たらしいが、予算が無いせいで計画は頓挫、そのまま現在に至るまで、ここで野ざらし状態になっているという。
妹は、何の躊躇いも無く、開いた正面ゲートから中に入り、そのままどんどん、工場の正面を走り抜けて行く。
「……」
僕は、ちらりと窓の外に視線を走らせた。
敷地内に入る為の扉は開け放たれていたけれど、さすがに出入り口のゲート、恐らくは大型の重機が工場内に入る為の出入り口なのだろう、そこの扉はぴったりと閉じられていた、長い年月、この工場が放置されていた事を物語る様に、その扉も錆だらけだった。
恐らくは駐車スペースになっているのだろう、正面口の右側は、アスファルトの地面になっていたけど、今ではぼうぼうと伸びた草が、アスファルトを突き破っている。
逆側、正面の左側を見れば、多分、職員達のリラクゼーションのつもりだったのだろう、芝生のある庭の様なスペースになっていた、もっとも、そこも今では伸び放題に伸びた草に覆われてしまっていた、庭の真ん中辺りにある小さいくぼみは、多分池か何かだったのだろうが、そこも今では倒れた草に覆われていた。
妹は、その駐車スペースを横切り、工場の裏手へと車を進めていく。
工場の裏手は、入り口とは比較にもならないほどの草木が生い茂っていた、伸び放題に伸びた草が、敷地内と外を区切る柵に蔓を絡めてしまっているほどだ。
妹は、その工場裏手のさらに一番奥、伸びた草が、完全に膝の上にまで届きそうな一帯にまで車を進めた。
ここにも、リラクゼーションのつもりか、一本の樹が生えていた。だがその樹も、長年手入れをされていないのだろう、伸びてしまった枝葉の重みで、頭が垂れ下がってしまっている。
妹は、ちょうどその樹の根元で、車を止めた。
「さて」
エンジンを切った妹が、僕の方を振り返る。
「着いたぞ、兄様、下りよう」
そのまま妹が、がちゃり、とドアを開ける。
「……」
僕も黙ったまま、それに習う。
そのまま車から降り、地面に足を下ろす。
「……」
草いきれと、工場の中から漂って来ているのだろう、機械油の嫌な臭いが、一瞬鼻をついた。
しかしそれでも、あの駅前で嗅いだ血の臭いと比べれば、大分ましだ。僕はゆっくりと息を吸い込んで、そのままゆっくりと吐き出した、まだ微かに、身体の中に残っていた血の臭いが、一気に吐き出されていく気がした。
「さあ」
妹が言う。
「中に入ろう、兄様」
「……中に入るって、勝手に入って良いのか?」
僕は妹に問いかける。
「……それに……」
僕は、工場をじっと見る。この建物は、かなり広いみたいだけれど……もし、出入り口を塞がれたら……
「大丈夫さ、追跡は確認していた、誰も私達がここに入る所は見ていない」
妹が、はっきりと言う。
「まあ、あの通りを走って行く私達の車は、多分見られただろうから、この区画に逃げ込んだ事くらいは気づかれたかも知れないが、ここには他にも、誰もいない工場がいくつもある」
「……なるほど」
それで僕は納得がいった。この区画には確かに、身を隠せそうな工場は沢山ある、僕達がこの区画に来た事までは解っても、どの工場に逃げ込んだのかまでは、よほど近くで追跡していないと解らないはずだ、となれば、僕達を探す為には、この辺りの建物を虱潰しに探すしか無い。だが……
同じ様な工場がいくつもあるこのエリア全ての建物を調べるのには、相当な時間がかかる、というわけだ、確かにここならば、しばらくは安心して隠れていられるだろう、車を裏手の、こんな奥に停めたのも、敷地の外から車を見つけられない様にする為、というわけだ。
そのまま妹は、何も言わずに工場の裏口の扉を開ける。鍵はかかっていないのか、それともひょっとしたら、妹が予め外しておいたのかも知れない、鉄の扉は、実に呆気なく開いた。
妹はそのまま、滑り込む様に中に入る。
僕も黙ったまま、その後を追いかけた。