第十一話
妹が運転する車は、駅前を離れ、この街のメインストリートへと出た。
「……」
僕は、窓の外からじっと通りを見た。
いつもならば、大勢の人が行き交う大通り、建ち並ぶ店は全部シャッターを下ろしており、誰の姿も見当たらない。
一体……
一体、この街に……
そして……
僕に、何が……
何が、起きているのだろう?
「玲奈」
僕は、妹に向き直る。
「ん?」
妹が問いかける。だがその顔は、正面に向けられたままだ。
「教えてくれ」
僕は、妹に言う。
「んん?」
妹は、まだ正面を向いたまま、こちらを振り向かない。
「何をだ兄様? 今日の私の下着の色ならば、何も直接聞かずとも、兄様の溢れる情欲の赴くがままに、私のスカートを捲り上げて……」
「玲奈」
僕は、もう一度妹に言う。
僕が聞きたいのは、そんな事じゃ無い。
こいつにも、それは理解出来ているだろう。だからそんな事を言って誤魔化そうとしているのだ。
だけど……
だけど、もう……
「解ったよ、兄様」
妹が、ため息と共に言う。
「ちゃんと話す」
妹が頷いて言う。
「だけどせめて……その、もう少し後ではダメか? 安全な場所に到着してから……」
「……玲奈」
僕は、妹の顔を見る。
「……悪いけれど、もう誤魔化しは沢山だ」
僕は、きっぱりと告げた。
その言葉に、妹は……ゆっくりと……
ゆっくりと、息を吐く。
ややあって、妹は……
妹は、制服のスカートのポケットに手を突っ込み、中から何かを取りだして僕に手渡した。
携帯電話だ。僕はディスプレイをじっと覗き込む。
どうやら、何処かのサイトが表示されている様だ。
「……っ」
僕は……
僕は……
そのサイトを見て……
思わず……
息を、呑んでいた。
「それが……」
妹が、言う。
「兄様が、狙われる理由だ」
僕はそれに何も言わず、黙って……
黙って、携帯電話のディスプレイを見ていた。
画面の中からは……多分、学生証の写真でも不正に利用したのだろう。
生真面目な……僕自身の顔が、画面の中からこちらを見返していた。
「……これって……」
僕は呟く。
妹は何も言わない。
僕は黙ったまま、画面を見ていた。
「『殺人法』……」
僕の呟きは……
さっき、妹がこの車の持ち主を射殺した時に、フロントガラスに穿たれた穴から、ごうごうと入り込む風の音にかき消され、隣にいる妹には、きっと聞こえなかっただろう。
だけど……
それでも……
僕は……はっきりと……
はっきりと、呟いた。
二〇XX年。
この国に、とある狂った法律が制定された。
『殺人法』。
正式な名称は、もちろんあるのだが、今ではこちらの呼び名の方が一般的になってしまっていて、誰もが皆、この名前で呼んでいる。
概要は、至ってシンプル。
『この国で増えすぎた、殺人、強盗などの『凶悪犯罪』を抑制するため、国が運営するサイトに、『犯罪者』の名前を書き込み、国が許可を出せば、警察権の無い一般市民にも、その『犯罪者』を逮捕する権限を与える』というもの。
早い話が、名前を書かれた『犯罪者』を、誰でも裁いて構わない、という法律だ。
それだけならば、特に騒ぎにもならなかったろう。
だけど……
その次に書かれた文言が、この国の人々を狂気に駆り立てた。
『サイトに名前の書かれた『犯罪者』を逮捕する人間の身分や氏素性は一切問わず、また、彼らの生死も問わない、そして見事に、『犯罪者』を捕らえた人間には、国の治安維持に協力した報酬として、賞金を支払う』
つまり、『犯罪者』を捕まえる人間に関しては、誰であろうと構わない。
また、見事に彼らを捕らえた人間に対しては、国から賞金が支払われる。という事だ。
そして、その金額は……
僕は、じっと画面を見る。
僕の写真と名前、住所に至るまで、事細かに記載されたプロフィールの後に、僕を殺害、或いは逮捕して、遺体の一部であっても、役所などに提出し、確かに僕である事が判明した場合などに支払われる賞金が、そこに書かれていた。
その金額は、自分でも信じられない程の高額だった。普通のサラリーマンが、定年までずっと働いたとしても、とても手に出来る金額では無いだろう。サイトには他の人間の名前も顔写真も載っていたけど、僕の首にかけられた賞金は、その中でもトップの金額だ。
「……これ、が?」
僕は、妹の顔を見ながら問いかける。
「そうだ」
妹が頷く。
「……それが、兄様が狙われる理由だ」
「……」
僕は、何も言わない。
こんな……
こんな事で……僕が……
「……僕が、狙われてるっていうのか……?」
僕は呟いた。
「そうだ」
妹が頷く。
「それが、兄様が狙われる理由だ、さっきの奴らは……兄様の首にかかった賞金を目当てに、兄様を殺そうとしていたんだ」
「……」
僕は言葉を失う。
全身から、力が抜ける。
へなへなと、助手席のシートに身体を預けていた。
沈黙だけが、車内に下りた。
「……ごめんなさい」
ややあって。
妹が、小さい声で言う。
「……なんで、お前が謝るんだよ?」
僕は、シートに背中を預けたままで言う。
「本当は……こんな事になる前に、書き込んだ奴を見つけて、取り下げさせるつもりだったんだ」
「……」
僕は何も言わない。そんな事が出来た、という話は聞いたことが無いけど、出来るのだろうか?
「だけど……一体誰が、どうやって書き込んだのか、いくら調べても解らなかった、兄様の市民IDを利用したらしい事は解っているんだけど、そこから先をどうしても辿れないんだ、もしかしたら、私と兄様が留守の間に家に忍び込んで、兄様のPCを勝手に利用して書き込みしたのかも知れない……」
妹は、苦々しげに言う。
僕は、まだ黙っていた。
そして……
妹は、ゆっくりと……
ゆっくりと、こちらを見る。
「だから、私は……」
僕の目を、妹が真っ直ぐに見据える。
「私は、決めたんだ、兄様」
「……決めた、って……」
僕は呟く。
「何をだよ?」
「兄様を、守る、と」
はっきりと。
強い口調で、妹が言う。
「……守る……」
それはつまり……あの駅前広場でやった様な事を、また……
また、やる、という事か?
口には出さなかったけど、表情から、何を言おうとしているのか察したのだろう、妹は、軽く首を横に振る。
「あんなのは、まだ序の口だぞ、兄様」
妹が、少しだけ笑いながら言う。
「この先、もっともっと大勢の人間が、様々な方法で兄様を殺そうと狙って来る、賞金を獲得するためにな」
「……」
僕は、押し黙った。確かに、それはそうだろう。
「だから、私が兄様を守る」
妹が、はっきりと告げた。
僕は、もう何も言わなかった。
「私が、兄様を守る」
妹が、もう一度。
はっきりとした口調で告げる。
「この先、何十人、何百人、何千人、何万人が、兄様を殺そうと襲って来るだろう、けれど、私が兄様を守る、誰であろうと、絶対に兄様を傷つけさせたり、殺させたりなどしない、そんな奴らは全て……」
妹はそこで言葉を切り、息を吐きながら、ゆっくりと告げる。
「全て、私が殺してやる」
「……こ 殺すって……」
僕は呟いた。
だけど……妹はそれ以上何も言わず、顔を再び正面に戻した。
僕も、黙ったままで、顔を再び正面に向ける。
相変わらずの無人の……
けれど、小さい頃からずっと見慣れているはずの街の大通りが、そこに広がっていた。
だけど……
この見慣れた通りに……
僕を殺そうとしている人間が、潜んでいるかも知れないのだ。
僕は、黙って通りを見ていた。
「……『戦争』だ」
妹が、小さい声で言う。
「……」
僕は、何も言わない。
妹と、全く同じ事を、僕も思っていたからだ。
そう。
これは……
『戦争』だ。
命を狙われる僕。
それを、守ろうとする妹。
そして……
僕を、殺そうとする人間達。
そいつらと、僕達兄妹の……
生き残りをかけた……
『戦争』。