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耕太が家に帰りついたとき、母は台所で昼ご飯の用意をしていた。
食卓には予想通り、大根の煮物が置いてある。出汁が染みてトロトロで、一口食べたら崩れる触感なのだ。よく作ってくれるから、わかる。母の得意料理だ。
耕太は予定を変更した。昼飯を食べてから千夏の家に行くことにする。彼女からメールは来ていない。
「ほら、早く食べちゃいなさいよ。あ、成績表も見せなさいよね」
母が急須と湯飲み茶わんをテーブルに置いて、向かいの席に着いた。
「うまくできたから食べて食べて」
「――日野の爺さんにもそう言って渡してんの?」
なんだか面白くなかった。母が近所の人と手料理の交換をしているのは知っていたし、嫌だと思ったことはないのだが、日野の爺さんにまで差し入れしているのは、どうも気に食わなかった。まだ自分は、日野家を杉崎村の村民として受け入れていないのかもしれない。
「ああ……知ってたの? まあ、あそこの家は料理を作れる人がいないから。うちだけじゃないのよ。千夏ちゃんの家と月舘さんちも、差し入れしてるみたい」
助け合い助け合い、と母がカラカラ笑った。飴の音が耳障りだ。
「お金もらってるんだろ」
「まあ、材料費ぐらいはね」
母の笑顔に、ぎこちなさが混じる。
「耕太、ごはん食べたら留守番してくれない?」
「え? やだよ。あとで千夏の家に――」
「お母さん、畑に行かないといけないのよ。お父さんだけじゃ大変だから」
耕太に喋らせたくないみたいに、母が強い声で話し続ける。
「もうすぐ松田クリーンが来るのよ。食べてからでいいから部屋の窓ぜんぶ閉めてね。立ち合いもお願い。タバコとコーヒー、玄関に置いておくから。よろしくね?」
母は椅子から腰を上げ、逃げるように玄関に向かってしまう。
――なんなんだよ、クソ。
ガタガタピシャン、と玄関のドアが閉まる音がする。
汲み取り作業の立ち合いをバックレるわけにはいかない。今日、溜まりにたまった糞尿を吸い上げてもらわないと、便所がひどいことになる。
耕太はご飯とみそ汁をかきこむようにして食べ、一階と二階のすべての窓を閉めた。これをしないと、バキュームカーが来たときに家の中にクソのに臭いが入り込んでしまうのだ。
――やってらんねえよ。いつまで続くんだ、こんなこと。
舌打ちをして、耕太は二階から一階に降り、タバコ二箱、缶コーヒー二本が入ったビニール袋を手に持ち、玄関の外に出た。
五分ほど待つと、バキュームカーが荒い運転でこっちに向かってくるのが見えた。いつも、玄関から見て北西――笠石家、日野家、熊田家の方向から車はやってくる。耕太の家が終わったら、北東にある相坂家、秋村家、月舘家の順に巡回する。日野家は浄化槽が設置されているので、年に一二回で良いらしい。多くて半年に一回なんて、羨ましい。耕太の家に浄化槽はないので、週に一回、汲み取りにきてもらっている。
家の前で、メタリックブルーのバキュームカーが停車した。すぐに車から、作業服を着た若い男と年配の男が二人降りてきて、玄関前にやってきた。彼らは公衆便所のにおいがした。というか、辺り一面、その臭いが充満している。目にまで臭いが染みそうだ。
耕太は若い作業員に二人分のタバコとコーヒーを手渡した。
「あーどうも」
感謝の気持ちなんて全然こもっていない。汚い軍手で受け取って、車内に放り込んだ。彼らはすぐにマンホールの蓋がある場所(便所の外壁のすぐ横)にホースを伸ばし、吸い上げ作業を行った。
臭くてたまらない。
耕太は玄関の前に留まったまま、太陽光を反射する青いタンクをひたすら眺めていた。タンクは横から見ると凸型だ。でかいドラム缶と、冬眠用カプセルがドッキングしたような、面白い形をしている。もし、この車がいま転倒したら、大惨事だろうなあと、ちょっと妄想した。
――早く終わんねえかな。
立ち合いが終われば自由の身だ。
「終わりましたぁ」
一人の作業員は、水でマンホールの中を洗い流している。もう一人が軍手を脱ぎ、耕太にペンを渡してくる。
「サインしてね」
「ありがとうございました」
作業確認書にサインをして、耕太はぺこりとお辞儀した。
「そうやって表向きはへこへこしてるけどよ、俺らが来ると玄関も窓も締め切ってんだよな。お前んちは。まあ臭いけどさあ」
二十代ぐらいの男は、そういって不愉快そうに顔をゆがめた。
「こら、お客さんに向かってそんな口の聞き方するなよ」
年配の男が仕上げ作業を終え、若い男に注意した。
「ごめんなあ、あんちゃん」
手早く道具を片付け、作業員たちはさっさと車に乗り込んだ。発車する直前、若い作業員が、窓を少し開けて耕太に向かって叫んだ。
「リフォームできなくて残念だったなぁ」
意地の悪い声だった。