表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
波紋  作者: 叶 こうえ
2/20

2

 耕太が通う高校は、木在町きさらちょう――通称街――の、駅、商店街、住宅街を抜けて更に一キロ南下した場所にある。杉崎村から街まで、勾配のある山道を上り下りすること三十五分。街を完走するのに十分。そして街の出口から高校まで十五分、自転車を漕ぎ続けなければならない。十六歳の若い体でも、自転車がロードバイクでも、ふつうに疲労する道のりだ。

 始業のチャイムが鳴り終わると同時に、耕太は教室の中に駆け込んだ。

「相変わらずギリギリだなあ、三上」

 教卓に立っている担任が揶揄するように声をかけてくる。

 耕太は一番廊下側の三列目の席に座った。息切れを起こしながら、「チャリで、一時間かけて、来てるんだから、大目に見てよ」と、タメ語で返す。耕太に限らず、同じクラスの生徒は皆、教師に対して砕けた物言いをする。田舎の公立ののんびりとした校風のせいだろう。

「今日は一段とぼっとん臭いなあ」

 一番窓際の最後尾に座っているわたるが、にやにや笑いながら言う。

 いつもの意地悪だ。耕太は気にしないようにしている。

「うるせえよ」

 あきれた表情を作って答えると、航が「臭うんだよなあ」と鼻をスンスンと鳴らした。カッと腹が熱くなった。毎度のことだが、言い返さないと気が済まない。

「お前の腋臭じゃねえの?」

 我ながら良い切り替えしができた。

「なんだと?!」

 航がお約束通りに怒りだした。大きな音を立てて席を立つ。が、耕太の席へと向かおうとしたところで、担任が航に声をかけて制した。

「日野も三上もいい加減にしろよ。杉崎村の住民同士、仲良くしたらどうだ?」

「それは無理だわ先生。こいつと俺とじゃ貧富の差が激しいし」

 くくくと航が笑った。

「まあ、笠石さんとなら仲良くしてもいいけど?」

 矛先が、中央の一番前に座っている千夏に向いた。耕太は航を睨みつけた。何か言い返そうと口を開きかけたとき、先に千夏が対処した。

「こっちがお断りだっての」

 彼女は航に向かって舌を突き出し、シッシとばかりに手をひらひらさせた。

 教室のあちこちから笑い声が起きた。

 ――さすが千夏だ。はっきり言う。

 自然と笑みが浮かんだ。千夏の顔を見ると、彼女も耕太を見ていた。にこっと笑いかけられ、顔の筋肉が緩んでいくのを止められない。

 チッと、面白くなさそうな航の舌打ちが聞こえてくる。が、それ以上、耕太と千夏に絡んでくることはなかった。

 内心、耕太は安堵した。できるだけ航とは小競り合いを起こしたくなかった。なぜなら彼は、日野の爺さんの孫だからだ。


 日野の爺さんとその孫、航が隣町の薄幸町はっこうちょうから杉崎村にやってきたのは五か月前――夏休みが始まる直前のころだ。今思うと、あの爺さんは引っ越しの挨拶から大盤振る舞いだった。お近づきの印に、と金一封(壱萬円)と、今治のタオルセット、魚沼産の手延べ蕎麦を渡してきたのだ。初めの頃こそ、両親は恐縮しながらそれら受け取っていたが、慣れとは恐ろしい――今では日野の爺さんから小遣い(三上家にとってはそのほとんどが大金)を貰いたいが為に、彼からの頼み事を二つ返事で引き受け、媚を売っている。それは耕太の家に限ったことではない。笠石家(千夏の家)も、熊田家も、相坂家も、秋村家も、月舘家も、日野家には逆らえなくなっている。日野の爺さんは、金を村の住人にばら撒いて杉崎村に馴染んだのだ。もしそれをしなかったら、日野の爺さんは村八分に合っていたかもしれない。それぐらい、昔から住む杉崎村の住民たちは結束が強

かった。

 金の力は本当に強いものなのだ、と耕太は痛感している。だって今では、三十年以上長を務めてきた熊田村長よりも、村民になって五か月の日野の爺さんのほうに発言力があるし、村民に一目置かれているのだ。

 そんなわけで、極力、日野の爺さん、ひいては、その孫の航の機嫌を損ねないようにしなければならなかった。


 試験休み開けの今日は短縮日課だった。三時間授業で下校となり、耕太は千夏とともに学校を後にした。

 田んぼとハウス栽培の農家に囲まれた道をひた走る。たまに後ろを振り返って、千夏がちゃんとついてきているか確認する。すると、大丈夫だってば! というように、千夏が立ち漕ぎして、スピードを速めて見せる。

 校舎を出たときは冷たい空気に鳥肌が立ったが、街に突入するころには耕太の体は温まり、額と首筋に汗が流れるほどだった。

 人が行きかう街中を走るのはやっぱり楽しい。古くからある店ばかりで代り映えはしないが、レンガ造りの映画館や、ファストフード店、携帯ショップを流し見するだけで、なんだかワクワクした。自分が文明から取り残されたわけじゃない、と実感できるからかもしれない。住んでいる杉崎村は、時間が止まった村だから。

「ね、どっか寄ってく?」

 後ろから大きな声が聞こえた。

「今日はいいや。金ないし」

 耕太が答えると、「あ、私も金ない!」と千夏が笑った。彼女のこぼれる白い歯と、サラサラ揺れるショートカットの髪に、不覚にもドキっとした。

 街を出たあとは退屈だ。荒廃しきった風景が延々と視界を埋め尽くす。伸び放題の草木に、崩れかけた木やトタンの民家。罅割れたアスファルトの道。

「ちょっと休憩しよ」

 千夏が声をかけてくる。そして地面をこする車輪の音が響く。

 耕太もブレーキをかける。いつもここで休憩する。廃業して何十年も経った、錆びだらけになったシャッターの元駄菓子屋の前で自転車を止める。ふたりは葉っぱだらけの木のベンチに腰を下ろした。

「私さ、来年の夏休みはバイトしようと思ってるんだ」

「バイトかあ」

 そうだ、俺もしないと、と耕太は思った。両親の稼ぎなんてたかが知れている。高校を卒業したら大学に行きたいし、自分の学費は自分で貯めなければ。どうしても足りない分は、奨学金を借りるかもしれないが。

「千夏はどこの大学に行きたい?」

「具体的には決めてないけど、東京の大学が良い」

「俺も」

 こんな何もない村に住んでいるから、どうせここから出るなら、なんでもある場所に住んでみたかった。数泊の旅行ではなく、年単位で住んでみたいのだ。

「一緒に東京行こうよ」

 自分が言いたかった科白をさっさと千夏に先に言われる。耕太はうれしいような、悔しいような、複雑な気分になった。だから素直に「うん」と言えなかった。

「一人で行くのが心細いんだろ。都会は怖い所だもんな」

 ひねくれたことをつい言ってしまう。千夏は瞬間的に頬をぷうっと膨らませた。が、気分を害した風でもなく、「それも一理ある」と頷いた。

「休憩終わり。帰ろ。おなかすいたし」

 千夏が伸びをして、ベンチから立ち上がる。

「あ、あのさ、元旦の初詣の予定、決めておかない?」

 もう少し話がしたくて、とっさに思いついた話題がそれだった。

「明日話そうよ。学校の帰りに」

 あっさりと千夏に返される。

 ――そうだな。明日でも、別に。

「じゃあ明日に」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web拍手 by FC2
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ