19
一月一日。午前九時。
千夏と母親を除く村民全員が、日野の爺さんの家に集合した。
もちつき大会が決行されるのだ。
玄関先の広いスペースに、赤いパンチカーペットが敷かれ、その上に臼と杵、取っ手のついたタライが置かれている。
玄関前のコンクリートの地面には、竈とせいろのセットが設置され、そこで耕太の母と月舘のおばさんが、もち米の焚け具合をチェックしている。秋元家の夫婦は簡易テーブルの周りに折り畳み椅子を並べ、相坂家の夫婦はテーブルに紙の皿と割りばしをセッティングしている。耕太の父親、月舘のおじさん、千夏の父親は、深刻な表情を浮かべて立ち話をしている。
熊田村長は、折り畳み椅子に座って頭を上下に揺らしている。寝ているようだ。
耕太はというと、手持無沙汰で立ったままphsをいじっていた。が、実は緊張していた。
――今日はチャンスなんだ。
村民のほとんどが集まって、日野の爺さんと対峙するのだ。
耕太は今朝、父から「今日、日野の悪事を皆で言及する」と告げられていた。
――うまくいけば良いんだけど。
父たちが考えたシナリオはこうだ。日野の爺さんに、詐欺の被害を受けたとして、訴える意志を伝える。それを聞いて慌てた爺さんが、工務店を交えての話し合いの席を設けてくれる。工務店から返金してもらう。爺さんには、借金の帳消し、もしくは減額を承諾させる。
――そう簡単にいかないよなあ。
杉崎村の村民たちは考えが甘い。平和ボケしている。
――うまくいかなかったら、俺が切り札を出す。
耕太は決意していた。絶対に、詐欺にあったまま泣き寝入りなんてしない。日野の爺さんの悪事を暴き、この村から追い出してやろうと。
「あーみんな集まったみたいだねえ。ご苦労さん」
玄関のドアから、日野の爺さんが登場した。彼はワニのマークがついたセーターにジーンズ、首にマフラーという、ちょっと洒落た格好をしていた。
「ええと皆さん、今日は私が開催した餅つき大会に集まってくれてありがとう」
ハキハキと大きい声で爺さんが喋る。
「今日は皆さんに発表があります」
その言葉で回りはざわついた。
熊田さん、と日野の爺さんが小声で呼ぶ。と、こっくりしていた熊田村長がゆっくり立ち上がった。
「おお皆。寒い所ご苦労さん。わしは今日で村長を辞めることにする」
皆は驚かなかった。耕太も驚かない。前から熊田が「村長辞めたい」とよく言っていたからだ。八十過ぎた老体に村長は辛かろう。辞めて正解だ。
熊田元村長が椅子に座った。すぐに鼾をかきだす。
「で、ですね、俺が村長をやろうと思ってます。いいよなあ? みんな!」
日野の爺さんが歯を見せて笑う。金歯が何本も見えた。
――なんだよこの展開。
村民を陥れておいて、よくそんなことが言える。村長に一番ふさわしくない人物だ。
苛立ちを覚えたとたん、全身に熱が迸った。耕太は腹を両手で抑えた。
――駄目だ。ここで怒ったら、まずい。
もしかしたら、三日前に覚醒していたのかもしれない。それでも、村民が集まったここで力は出したくない。覚醒したことを知られたくなかった。
耕太は目を瞑り、一、二、三、と数を数える。脳裏には千夏の顔を浮かべて。彼女とのキスも思い出す。
「ちょっとそれはないよ、日野さん。あんたが俺たちを騙してたのは分かってるんだよ」
月舘がドスの利いた声を出す。早くも臨戦態勢に入ったようだ。多分当初は、突きたての餅を食しながら、冷静に爺さんと話し合う算段だったはずだ。
「んん? 何のことだい?」
日野の爺さんは、ニヤニヤしながら首を傾げた。
「あんたがやったことは、皆知ってるのよ! あの工務店と組んでたんでしょっ!」
耕太の母が金切り声で爺さんを糾弾した。そうだそうだ、と他の村民も声をあげた。千夏の父親が「被害者の会を作って、あなたたちを訴えます」と冷静に告げた。
「ふぅん。やればいいじゃん。でも、工務店から金を返してもらうのは大変だろうねえ。金が残ってないんだから」
「あんたが返せよ! キックバックしてもらってんだろ!」
月舘のおじさんが、爺さんに顔を近づけメンチを切った。
「俺は皆に工務店を紹介しただけだしなあ。本当に良い会社だと思ってたんだよ。ほら、この家だってその工務店にやってもらったんだ。おしゃれで良いだろう?」
日野の爺さんが後ろを向き、家全体を指さす。
「なあ? 良かれと思ってリフォームを勧めたんだよ。悪意はなかったんだから訴えても無理だと思うよ?」
「なんだとてめぇ」
月舘のおじさんがなおも睨みを利かせるが、日野の爺さんはどこ吹く風だ。
「あのなあ、みんな。俺をこうやって責め立てて後でどうなるか分かってるのかなあ? こっちには借用書があるんだよ。三上さん、笠石さん、秋元さん、相坂さん――この四家族はわしに五百万以上の借金がある!」
日野の爺さんが誇らしげに言う。
あたりが一気に静まり返った。
――五百万も借金してるのか。
耕太は頭を抱えたくなった。思っていたよりずっと多かった。
「まあそういうことだから。借金を減らしたいなら、わしに奉仕することだな。ここから駅まで車で送迎、昼飯と夕飯の提供、家の掃除――いろいろあるよ。地道に借金を減らせばいいじゃないか」
愉快そうに爺さんが笑う。
――これが狙いだったのか? 村民に奉仕させるために。他人に借金までさせて?
「さーさ、餅つき大会の始まり始まり。ほら、用意して。俺にやらせるなよ」
爺さんの目が、一瞬だけ鋭く光った。無感情な目だ。
――こいつは正気じゃない。狂ってる。
耕太は瞠目した。怒りを抑えられなくなっている。無意識に拳を握っていた。
こうなったら切り札を出すしかない。
「鳥海拓朗さん」
赤いマットを踏もうとした爺さんに、耕太は呼びかけた。
彼は片足を浮かせたまま停止した。
――やった。手ごたえがある。
「あんたは鳥海さんだろ? 日野さんの振りをして、東京から隣の町に戻ってきた」




