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波紋  作者: 叶 こうえ
19/20

19

 一月一日。午前九時。

 千夏と母親を除く村民全員が、日野の爺さんの家に集合した。

 もちつき大会が決行されるのだ。

 玄関先の広いスペースに、赤いパンチカーペットが敷かれ、その上に臼と杵、取っ手のついたタライが置かれている。

 玄関前のコンクリートの地面には、かまどとせいろのセットが設置され、そこで耕太の母と月舘のおばさんが、もち米の焚け具合をチェックしている。秋元家の夫婦は簡易テーブルの周りに折り畳み椅子を並べ、相坂家の夫婦はテーブルに紙の皿と割りばしをセッティングしている。耕太の父親、月舘のおじさん、千夏の父親は、深刻な表情を浮かべて立ち話をしている。

 熊田村長は、折り畳み椅子に座って頭を上下に揺らしている。寝ているようだ。

 耕太はというと、手持無沙汰で立ったままphsをいじっていた。が、実は緊張していた。

 ――今日はチャンスなんだ。

 村民のほとんどが集まって、日野の爺さんと対峙するのだ。

 耕太は今朝、父から「今日、日野の悪事を皆で言及する」と告げられていた。

 ――うまくいけば良いんだけど。

 父たちが考えたシナリオはこうだ。日野の爺さんに、詐欺の被害を受けたとして、訴える意志を伝える。それを聞いて慌てた爺さんが、工務店を交えての話し合いの席を設けてくれる。工務店から返金してもらう。爺さんには、借金の帳消し、もしくは減額を承諾させる。

 ――そう簡単にいかないよなあ。

 杉崎村の村民たちは考えが甘い。平和ボケしている。

 ――うまくいかなかったら、俺が切り札を出す。

 耕太は決意していた。絶対に、詐欺にあったまま泣き寝入りなんてしない。日野の爺さんの悪事を暴き、この村から追い出してやろうと。

「あーみんな集まったみたいだねえ。ご苦労さん」

 玄関のドアから、日野の爺さんが登場した。彼はワニのマークがついたセーターにジーンズ、首にマフラーという、ちょっと洒落た格好をしていた。

「ええと皆さん、今日は私が開催した餅つき大会に集まってくれてありがとう」

 ハキハキと大きい声で爺さんが喋る。

「今日は皆さんに発表があります」

 その言葉で回りはざわついた。

 熊田さん、と日野の爺さんが小声で呼ぶ。と、こっくりしていた熊田村長がゆっくり立ち上がった。

「おお皆。寒い所ご苦労さん。わしは今日で村長を辞めることにする」

 皆は驚かなかった。耕太も驚かない。前から熊田が「村長辞めたい」とよく言っていたからだ。八十過ぎた老体に村長は辛かろう。辞めて正解だ。

 熊田元村長が椅子に座った。すぐに鼾をかきだす。

「で、ですね、俺が村長をやろうと思ってます。いいよなあ? みんな!」

 日野の爺さんが歯を見せて笑う。金歯が何本も見えた。

 ――なんだよこの展開。

 村民を陥れておいて、よくそんなことが言える。村長に一番ふさわしくない人物だ。

 苛立ちを覚えたとたん、全身に熱が迸った。耕太は腹を両手で抑えた。

 ――駄目だ。ここで怒ったら、まずい。

 もしかしたら、三日前に覚醒していたのかもしれない。それでも、村民が集まったここで力は出したくない。覚醒したことを知られたくなかった。

 耕太は目を瞑り、一、二、三、と数を数える。脳裏には千夏の顔を浮かべて。彼女とのキスも思い出す。

「ちょっとそれはないよ、日野さん。あんたが俺たちを騙してたのは分かってるんだよ」

 月舘がドスの利いた声を出す。早くも臨戦態勢に入ったようだ。多分当初は、突きたての餅を食しながら、冷静に爺さんと話し合う算段だったはずだ。

「んん? 何のことだい?」

 日野の爺さんは、ニヤニヤしながら首を傾げた。

「あんたがやったことは、皆知ってるのよ! あの工務店と組んでたんでしょっ!」

 耕太の母が金切り声で爺さんを糾弾した。そうだそうだ、と他の村民も声をあげた。千夏の父親が「被害者の会を作って、あなたたちを訴えます」と冷静に告げた。

「ふぅん。やればいいじゃん。でも、工務店から金を返してもらうのは大変だろうねえ。金が残ってないんだから」

「あんたが返せよ! キックバックしてもらってんだろ!」

 月舘のおじさんが、爺さんに顔を近づけメンチを切った。

「俺は皆に工務店を紹介しただけだしなあ。本当に良い会社だと思ってたんだよ。ほら、この家だってその工務店にやってもらったんだ。おしゃれで良いだろう?」

日野の爺さんが後ろを向き、家全体を指さす。

「なあ? 良かれと思ってリフォームを勧めたんだよ。悪意はなかったんだから訴えても無理だと思うよ?」

「なんだとてめぇ」

 月舘のおじさんがなおも睨みを利かせるが、日野の爺さんはどこ吹く風だ。

「あのなあ、みんな。俺をこうやって責め立てて後でどうなるか分かってるのかなあ? こっちには借用書があるんだよ。三上さん、笠石さん、秋元さん、相坂さん――この四家族はわしに五百万以上の借金がある!」

 日野の爺さんが誇らしげに言う。

 あたりが一気に静まり返った。

 ――五百万も借金してるのか。

 耕太は頭を抱えたくなった。思っていたよりずっと多かった。

「まあそういうことだから。借金を減らしたいなら、わしに奉仕することだな。ここから駅まで車で送迎、昼飯と夕飯の提供、家の掃除――いろいろあるよ。地道に借金を減らせばいいじゃないか」

 愉快そうに爺さんが笑う。

 ――これが狙いだったのか? 村民に奉仕させるために。他人に借金までさせて? 

「さーさ、餅つき大会の始まり始まり。ほら、用意して。俺にやらせるなよ」

 爺さんの目が、一瞬だけ鋭く光った。無感情な目だ。

 ――こいつは正気じゃない。狂ってる。

 耕太は瞠目した。怒りを抑えられなくなっている。無意識に拳を握っていた。

 こうなったら切り札を出すしかない。

「鳥海拓朗さん」

 赤いマットを踏もうとした爺さんに、耕太は呼びかけた。

 彼は片足を浮かせたまま停止した。

 ――やった。手ごたえがある。

「あんたは鳥海さんだろ? 日野さんの振りをして、東京から隣の町に戻ってきた」


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