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波紋  作者: 叶 こうえ
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  耕太は熊田村長の家の前で自転車を止めた。熊田家の家屋は、村で一番古い。玄関先には井戸まであった。三十年以上、使われていないようだが。

 玄関のドアはやっぱりガラスの引き戸だ。ノックしようとして、気がとがめた。衝動に任せてここまで来てしまったが、時刻は深夜三時過ぎ。ふつうなら寝ている時間だ。それも熊田は八十歳の老人だ。

 ――どうしよう。迷惑すぎるよな。

 寝たいから、耕太の家の会合に来なかったのだろうし。

 ――でも、何もしないで引き返すのは。

 不本意だった。

 耕太が玄関前で突っ立っていると、戸がガラっと開かれる。突然目の前に、皺で埋もれたゴボウのような老人が現れる。上下パジャマだ。胸元にはワニのマーク。ラコステなんて、高いじゃないか。 

「ああ耕太、待っていたぞ」

「え?」

 待っていたとは? アポなんて取っていないのに。

「見えていたからな。お前の姿が。抜き足差し足で部屋から抜け出てきただろう?」

 たまにシューシューと空気の抜ける音がする。けっこう歯が抜けているせいだろう。

 熊田村長に促され、耕太は玄関を通って、布団が敷いてある畳部屋に入った。灯油ファンヒーターが稼働していて温かい。冷えて縮こまっていた血管が開く感覚。少なからずあった緊張感が解けていく。

 耕太が日焼けした畳に座ると、熊田は布団に仰向けに寝た。

「お前が聞きたいことは分かっているよ」

「本当ですか」

 非常に疑わしい。さっきから不可解なことを言っているし、信用できない。

 老人がいきなり起き上がった。その弾みで、目の端に溜まっていた目ヤニがころっと布団に落ちた。

「これを読みながら聞きなさいよ」

 熊田が一冊のノートを手渡してくる。だいぶ年季の入ったノートだ。茶ばんでいるし、端っこが破れている。表紙にはサインペンで『杉崎村住人登録帳』と書かれていた。

 ページをめくる。ざっと見る。日付と名前が縦書きで表記されていた。

「これは?」

「タイトルの通りだよ。住人の記録。お前の名前もあるよ。二〇〇二年度の付箋を開けてみなさい」

 二〇〇二年度の付箋をつまみ、そのページを開くと、すぐに三上家の欄を見つけられた。

「世代交代したら書き直すようにしている」

「そうですか」

 つまり、祖父から父に世代交代したのが二〇〇二年ということだ。耕太が生まれた年でもある。

『三上 正人 念力 覚醒日 一九九二年八月五日』

『三上 裕子』

『三上 耕太』

 合わせて三行。達筆で書かれている。

 気になる行がある。

「なんですか、父さんのこれ。かく……?」

「かくせい日だよ。漢字苦手だな?」

「はあ」

 ちょっと恥ずかしくなって、耕太は頭を掻いた。

「覚醒日とは、目覚めた日、ということだ」

 目覚めた日。普通に謎だ。

「念力っていうのは」

「洋風に言うとサイコキネシスだな。聞いたことあるだろう? 手を使わずに、念で物を動かす」

 じゃあ、自分の父は一九九二年八月五日に念力の力に目覚めたってことか?

「……はは」

 耕太は笑うしかなかった。この爺さん、とうとう頭の病気になったのか。

「信じていないな」

「いえ」

「この爺さん、頭がおかしくなったって思ったんだろ?」

 言い当てられて、耕太はあわてて手を横に振った。バカにした気持ちが、顔に出ていたらしい。耕太は全面的に村長の話を信じていなかった。――が、三上家の次に書かれている笠石家の欄を見て、耕太はゴクリと唾を飲んだ。

『笠石 香苗 念力発火能力 覚醒日 一九九二年五月一日』

『笠石 良助」

『笠石 千夏 念力発火能力 覚醒日 二〇一八年 十二月二十二日』

 文中の、「発火」という文字に、目がひきつけられる。

 ――火。

 耕太の頭の中で、バラバラに散らばっていたキーワードが符合していく。

 千夏、航、火傷、ポニーテール、焼ける、ボヤ、千夏の母親――。

「嘘だろ……」

「嘘じゃないよ、真実だ。千夏は一昨日、覚醒した。いまお前と会えないのは、力のコントロールができないからだ」

「練習中って」

「そうだ。感情の起伏で力が表出しないように、心の持って行き方を香苗から伝授されている。瞬間的に生じる負の感情を散らすやり方もな。香苗も下手だけどな、それが」

「小学生のころ、千夏に危害を加えてた。千夏の髪を焼いて」

「ああ……そんなこともあったなあ。香苗はすごくショックを受けていた。自分の子供を傷つけたんだから当たり前だな」

 親が子供を火で攻撃するなんて、どうかしている。

「そう怒るな。いくら親でも、子供に怒りを一切感じないことなんてあり得ない。憎しみだって瞬間的になら芽生えることもある」

「俺の父親は――全然そんな力、持ってない」

 父親の欄は誤表記だと思いたかった。実際、父親が念力を使ったシーンなんて見たことがない。

「正人は覚醒して二年ぐらいで、力の制御を完璧に習得したからな。それでも力を使うのを恐れて、この村から出なかった」

「この村は」

 耕太はランダムにページをめくった。相坂家と秋村家も書かれていた。相坂家は夫の欄に、秋村家は妻の欄に、念力の覚醒日が表記されている。そして、違うページにも――。

『月舘加奈子 念力 覚醒日 一九八二年 七月』

『月舘 康』

 今朝会った、ふたりの笑顔が目の奥でちらついた。

 ――お前の代わりにいつでも怒ってやるよ。

 得意気に言ったおじさんに、おばさんは感謝をしているように見えた。

「怒ると力を使っちゃうから、怒れない?」

「そうだ。強い怒りと憎しみで、能力が覚醒する。だから日頃から心穏やかに暮らさなくちゃいけない。この村の掟はそれだよ。相手を怒らせない、思いやりを持って接する、仲間外れしない――そうやって、村民同士の絆を深めてきた」

 それは違う――耕太は心の中で反発した。本当に村民たちに絆があるのなら、なんでこんなに隠し事が多い? 自分はたった今まで、何も知らされてなかった。杉崎村が能力者の住む村だということも、父親がサイコキネシスであることも。

「全然絆なんてない。仲が良いのは見かけだけだ」

「そんなことはないよ」

 穏やかな声で熊田村長が言う。耕太を見るまなざしは優しかった。

「お前に能力のことを言わなかったのは、皆、お前に覚醒してほしくなかったからだ。言えばお前のことだ。好奇心に駆られて、一度ぐらい力を試したくなるだろう? わざと感情を爆発させて覚醒してしまうかもしれない。だったら伝えない方が妥当だ。この能力は十八歳までに覚醒しなければ、一生開花しないことが多い。だが、一度覚醒したら、力をコントロールするのが大変だし、ふつうの生活が儘ならなくなる。それに、力を使うと寿命が縮まるんだ。だからお前の祖父さんも祖母さんも六十手前で死んだ。千夏の祖父母もそうさな」

「寿命も縮む……」

「そうだ。みんな、お前と千夏に長生きしてほしいし、ふつうの人生を送ってほしいと思って、今までやってきた。思い返してみい。村民の態度で不愉快になったことがあるか? 意地悪されたことがあるか?」

 耕太は首を横に振った。いつも村の人たちは優しくておおらかで。村は安全地帯だった。

「お前も千夏も、村民みんなに愛されて育った。そこは否定するな」

「はい」

 耕太は素直に答えた。

 ――そうだ。俺は村の皆に見守られて育ってきた。それは確かだ。

「でも、なんで母さんは体裁とか気にするんだろう。周りに心を許していたら、詐欺にひっかかったことだってもっと早く打ち明けて助けを求められたはずだ」

 誰にも言わずに、何も解決できずにいたのだ。どうしてもモヤモヤする。

「あのなあ、隠し事をするってことは、必ずしも負の気持ちからくるものじゃないんだよ。相手に心を許していても、言えないことはある。好きな相手に幻滅されたりバカにされたりするのは嫌だろう? 対等でいたいから同情されそうなことは言いたくない、とかな」

 なるほど、と耕太は頷いた。腑に落ちた。

「珍しくたくさん喋ったな。疲れたよ。もうわしは寝る」

 熊田村長がまた布団に仰向けになって寝た。

「あ、まってください。もっと教えてほしいことがあるんだ。血を薄めるってどういうことですか。あと、日野の爺さんが昔ここに住んでたって言ってたんですけど」

「血のことは千夏に聞きなさい。この後会いに行くんだろ? 日野のことはノートで調べろ」

 熊田村長が鼾をかき始めた。

 耕太はノートを開いた。

 日野はずーっと昔と言っていた。彼の幼少期から少年期ぐらいまでに範囲が絞られる。となると、一九五〇年あたりから見ていけば良い。耕太はその年代あたりからページを読み進めた。短い期間しか住んでいない。これもヒントだ。

 だが、一九五〇年から一九七〇年まで読んでも「日野」という苗字は見つからなかった。苗字が今と違うのか? と考え、この二十年間に短期で退村した人間を探す。

 一九六四年に一件あった。

『鳥海 栄子 入村して三か月で退村』

『鳥海 拓朗 入村して三か月で退村』

 とりあえず、この二人のデータをphsのメモ機能で打ち込み、保存する。

 と、隣のページに村長の名前があった。一九六五年だ。

『熊田 一郎 千里眼 覚醒日 一九五四年 三月』

 一行だけ。

 ――千里眼って透視とか? だったら日野の爺さんが引っ越してきたときに、「こいつ詐欺師だ」ってわからなかったのか?

「興味のない人は覗かんのよ」

 熊田村長がいきなりそう言って、また鼾をかき始めた。

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