「街乙女と麦わら帽子」
ある夏の日の昼下がり。少年は、自転車で街を走っていました。
家から然程遠くない、けれども通ったことのない道を走る。
そういう小さな冒険が、少年は大好きでした。
今日、自転車が少年を運んだ先は、大きな病院でした。
病院脇の、車道と歩道を隔てるポールの列。
その中に、彼女はいました。
彼女は他の皆と違って、赤いリボンのついた麦わら帽子を被っていました。
彼女の横顔を見た時、少年の胸が一つ大きく鳴りました。
「こんにちわ」
少年は勇気を出してポールの乙女に話しかけます。
けれど乙女の返事はありません。乙女は麦わら帽子を斜めに被って、少年の方を見ようとしません。
「ぼく、知らない道を走るのが好きなんだ」
めげずに少年が話しかけますが、乙女はそっぽを向いたままです。
それから何度も話しかけたけど、乙女は一度も少年に返事をしませんでした。
「もう、帰らなくちゃ。バイバイ」
落ち込んだ様子の少年は、乙女の元を去ろうとします。
一つ、大きな風が吹きました。
少年が振り返ると、乙女は小さな黄色い花を持っていました。
「これ、ぼくに?」
乙女の返事はありません。けれど、少年はとっても嬉しくなりました。
「ありがとう!」少年は、とても嬉しそうに笑いました。
それから少年は、足繁く乙女の元へ通うようになりました。
こないだ見つけたワクワクする十字路のこと
仲のいい学校の友達のこと
仲の悪い家族のこと
野良猫を毒で殺したこと
友達が事故でかき混ぜられたこと
たくさんたくさん、乙女にお話しをしました。
ある日、雨が降りました。とても強い雨でした。
この天気では自転車に乗れないからと、少年は乙女の元へ行くのを諦めました。
そして心のなかで約束しました。あしたはゼッタイ行くからねと。
次の日の朝、少年はまた乙女の元を訪れました。
彼女の帽子は、まだ濡れていました。
「大丈夫?」
少年が心配そうに声を掛けます。少年は帽子を取って、ハンカチで拭いてあげました。
今までずっと外に置かれていたせいか、帽子は随分傷んでいて、所々に穴が空いていました。
帽子を直せば、きっと君はもっと綺麗になるのにな。と、少年は思いました。
だから少年は、乙女に言いました。
「ねえ、僕が君を、もっと綺麗にしてあげる」
帽子をかぶり直した乙女は、やっぱりそっぽを向いたまま、返事をしませんでした。
それから少年は、裁縫道具と布切れをカバンに詰めて、乙女の元へ通うようになりました。
他愛もないお話をしながら、慣れない手つきで帽子の穴を塞いでいきます。
少年が使う布切れは、赤や黄色の、カラフルでキレイなものばかりでした。
乙女をもっと綺麗にしたい。
その思いだけが、少年を突き動かしていました。
帽子の手入れを始めてから、乙女は少しづつ、少年に表情を見せてくれるようになりました。
青い時は、悲しい。
赤い時は、怒ってる。
黄色い時は、楽しい。
乙女の表情が増える度に、少年はますます乙女が好きになっていきました。
ある日、少年はいつもの様に、乙女の元を訪れました。
けれど、そこにはもう、乙女の姿はありませんでした。
少年は、どこかで迷ってしまったのかもしれないと、あたりをずっと探しました。
太陽がアタマの上を通り過ぎて、空が青くなくなっても、探し続けました。
少年は、寂しくなりました。
彼女の顔が、仕草が、表情がもう見れないかもしれないと思うと、自然と涙が出てきました。
「ねえ、もしかして貴方が、帽子を直してくれたの?」
聞きなれない、女の子の声でした。
振り返るとソコには、随分見慣れた帽子を被った、可愛らしい乙女が立っていました。
「この帽子、とってもお気に入りなの、綺麗にしてくれて、ありがとう!」
それは
少年と乙女が出会ってから
初めて乙女が少年に見せた
とてもとてもキレイな笑顔でした。