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十年ぶりの裏野ドリームランドは古びてあちこちが朽ちたり、ツタに絡まれたりしていたが、それ以外は全て記憶のままだった。
電車とバスを乗り継いでドリームランドのある山の麓まで行き、後は車一台通らない山道を歩いてようやくここにたどり着いた時にはもう夕闇が迫りつつあり、遊園地のシンボルであったドリームキャッスルや観覧車が薄暗い空に黒々とそびえ立っていた。
思わずあの日の帰路の出来事を思い出しかけた僕は、頭を強く振って忌まわしい記憶を追い出して入場口から園内に入った。かつての改札口には侵入者を防ぐためのバリケードが施されていた様だが、何者かによって破壊されていたので(恐らくは肝試しやあの漫画を描いたライター等の“取材”によって)、難なく園内に入り込む事が出来た。
荒れ果てた園内は蘇った幼い記憶とほぼ変わりなかったが、約十年に渡って放置されていた為に老朽化が酷く、それよりも僕の目を引いたのは、園内の至る所に施されたスプレーによる落書きだった。
どうやら肝試しで訪れる者の中にはかなりタチの悪い手合いが含まれる様で、お化け屋敷の壁に施された落書きがまだ色褪せていないのを見る限り、その連中は今もここを訪れているみたいだった。
彼らは、“白いワンピースの幽霊”……希美に会ったりはしなかったのだろうか?
そんな事を考えながら園内を散策する内に次第に日が暮れて行き、周囲が暗くなっていったので僕はこの山に入る前に、あらかじめ買っておいた懐中電灯をメッセンジャーバッグの中から取り出した。
自分は今、ものすごくバカな事をしているのではないか?
脳内の常識を司るであろう部分が、そんな問いを投げて寄こす。それはそうだろう。たまたまコンビニで見かけた安い怪談雑誌の胡乱な漫画と、ネットの真偽も定かでない書き込みを根拠に、単身こんな山奥の廃園を一人で彷徨っている。
仮に件の幽霊が希美だったとして、その幽霊に会った自分は希美にどの様に接したらいいのか……いや、あれは事故で重傷を負った際に見た単なる悪夢にすぎない。
……本当に?
決まってる。あれは全て悪夢に決まってる。希美は父さんや母さんを殺してもいないし、僕を殺そうともしていない。ましてあんな恐ろしい姿や死に方もしていないし、ここで幽霊にもなってなんかいない。
この不安はくだらない漫画と自分の妄想の産物に過ぎない。そうに決まってる。もう忘れ無くっちゃ。さあ、はやく東京に戻って日常に帰ろう。そう思って踵を返した。
その視線の先に、希美が立っていた。
黒髪のお下げに白のワンピース、そして赤いサンダル……あの日と全く同じ姿で。
唯一記憶と異なるのはその表情だった。目の前にいる希美は、あの変貌を遂げる前の満面の笑みでも無く、変貌を遂げた後の邪悪な笑みでも無く、最初に僕の顔をみて驚いた顔をして、それから今にも泣き出しそうな悲しげな表情に変わった。
「……希美?」
僕が呆然となりながらそれでも希美に呼びかけた瞬間、希美は逃げるように僕と反対方向に向けて走り出した。僕は慌ててその後を追う。
あり得ない、現実とは思えない。でも、僕から逃げるみたいに必死で駆けているあの娘は間違いなく希美だ。
「希美! 待って!!」
僕は大声で希美を呼び止めるが、希美はその足を止めない。見失えば、今度こそ希美に会えなくなるかもしれない……そんな根拠の無い思いに駆り立てられながら、僕は必死で希美の名を呼びながらその後ろ姿を追い続けた。
観覧車の下を駆け抜け、メリーゴーラウンドやジェットコースター等のアトラクションを横目に走り抜け、ウオーターワールドの手前を折れて、もう少しでドリームキャッスルにたどり着こうかという時に……
不意に目の前に、ミラーハウスの廃墟が現れた。
あの日の記憶が更に蘇り、思わず足が止まった。希美は、やはり泣きそうな顔でミラーハウスの入り口に立っていたが、僕に何かを呟くとミラーハウスの中に入っていった。
“こないで、お兄ちゃん……”
そう言った様に思えた。だが、希美を見失いたく無かった僕は懐中電灯を点けると、迷いなくミラーハウスの中に入って行った。
ハウスの内部は外部よりも荒れておらず、鏡に至っては一枚も割れどころかヒビ一つ入っていなかった。僕は希美の名を呼びながら懐中電灯で周囲を照らして進んだ。
だが周囲は真っ暗な上に、懐中電灯の明かりが鏡に反射しまくって思うように周囲が見えない。希美の姿は相変わらず見えなくて、僕はあの日ここで希美とはぐれた事を思い出してまた不安に駆られてひと際大きな声で希美を呼んだ。
「うるせーぞオニイチャン、キミちゃんならここに居るよ」
不意に男の声が響いて僕は驚いて声のした方に振り返った。そこにはやはり鏡があるだけだったが、そこに映った僕の鏡像の背後に見たことのない痩せぎすの中年男とその男と手を繋いでる希美の姿があった。驚いて更に振り返ったがやはりそこには誰もおらず、鏡に僕と希美と男が映っているだけだった。
「どっちを向いても無駄だよ。俺とキミちゃんは鏡の中に居るんだよ」
僕は呆然として鏡に映る二人を見つめた。希美はうつむいたまま、何もしゃべらず僕と眼も合わせようとしない。一方の男は愉快で堪らないといった風で饒舌にしゃべりだした。
「俺はこのミラーハウスに棲んでる、まぁ悪霊ってところかな?」
「悪……霊? なんでそれが希美を?」
「しょうがねぇだろ、俺だって特になりたくて悪霊になったワケじゃねぇし。たまたまここで死んだら、その跡にこのミラーハウスが建ったんだからよ」
男の言葉で、僕はコンビニで読んだ漫画に描かれていたドリームランドの因縁話の一つを思い出した。
“ドリームランドのある地元の町には悪質な変質者が住んでいて、小さい子供を誘拐してはまだ開発も始まって無かった山中の森の中で、悪戯をした挙句に事件の発覚を恐れて殺害していた。やがて事件は警察の知るところとなり、山中に逃れたが山狩りで追い詰められた男は森の中で首を切って自殺したと言う。事件の暗いイメージを嫌った市は、山中に大きな遊園地を建ててイメージの払拭を図ったと言われていて……”
「そんな……」
「でも、本当の話さ。俺はここで死んだが、悪霊になって甦った。“ここのヤツラ”の好意でね。そんで波長の合ったガキの人格を鏡の中に攫って、更に少しの間だけ抜け殻になったガキの体に乗り移れる力も手に入ったのさ」
「じゃあ……希美は……」
「希美? ああ、このガキか。コイツ今までの餌食のなかじゃあ最高の体の持ち主だったぜ。なんせそれまでは精々放火か猫を殺すのが精いっぱいだったけど、久しぶりの殺しが楽しめたからねぇ……あんときゃ楽しかったなオニイチャン」
そう言って男はケタケタと笑う。中年の声にも関わらず、その笑い方はあの時の希美と全く同じだった。あの惨劇が脳裏に蘇り、思わず全身が震えだした。それでも希美を助けたい一心で震えを止め、何か希美を救い出す手立てを考える時間を稼ぐために、鏡の男に質問をぶつけた。
「……どうしてその希美が幽霊になって遊園地にいるんだ?」
「まぁ、見ての通り遊園地は潰れちまったんでね、お客が来なくなりゃガキを攫ったり入れ替わったりなんて出来やしねぇ。あんまり退屈なんで一つ“芸風”を変えてみたんだ。」
「……芸風?」
「コイツをエサに肝試しやら廃墟マニアやらをここまでおびき寄せて、ゆっくりと料理する。好みのガキは手に入らなくなったが、贅沢は言えないわな。で、閉園してからも“他のヤツラ”と違って人を殺し続けてる俺はむしろ前よりも強くなってな、入れ替わり以外にも色々力が使えるようになったのさ……こんなふうにな」
え? と思った次の瞬間、足に冷たい感触が走った。次いで激痛が走って僕は立っていられなくなり、床に倒れこんだ。何が起こったのか足元を見ると、足首に深々と鏡の破片が突き刺さっていた。
苦痛に呻く僕を見て、鏡のなかで希美が大きな悲鳴をあげた。
「驚いたろ? ミラーハウスの中なら入れ替わりとか無しでここまで出来るんだ。」
「逃げて! 早く逃げてお兄ちゃん!!」
「うるせぇ! ペットが勝手に喋るんじゃねぇ!!」
男はいきなり激高して希美を殴り倒した。僕は止めろと叫んで懐中電灯を鏡の男の顔目掛けて投げつけたが、懐中電灯は鏡を割るどころかヒビ一つ入れられず、まるでゴムの壁に当たったみたいに跳ね返って床に落ちた。男は愉快で堪らないと言った様子で余裕たっぷりに宣告する。
「残念でした、今の俺は超常の存在てヤツだ。だから只の人間のお前には俺や俺の身体に傷一つ付けられない。俺の方が上の存在だ。だから、お前は俺に指一本触れられないが、俺はお前を好きに料理できるんだ」
「そんな……そんな事が」
「まだ信じられねぇか? いいよ、信じなくて。どの道お前はココで死ぬんだからよ。十年前は殺し損ねたけど、今度こそ念入りに殺してやるよオニイチャァン!!」
「だめぇ! 逃げて!逃げてお兄ちゃん!!」
床に倒れたまま背中を男に踏みつけにされた希美が必死で叫ぶ。僕はどうにか立ち上がると、それでも希美を助けようと鏡の男を睨みつけ……男の後ろ、いや自分の後ろにいつの間にか別の人影が立っているのに気がついた。
「な!?」
その人影に向き直るよりも早く、後頭部に強い衝撃を受けた僕は再び床に倒れ伏した。
鏡の男はまた大声で笑い、希美は再び長い悲鳴を上げた。