1
子供の頃、一度だけ閉園前の裏野ドリームランドに行った事がある。 十年前の夏休みの話だ。
あの頃には既に地元では“子供が消える”って噂が立っていたらしいけど、隣の県に住んでた家族は僕を含めてそんな噂は聞いた事も無かったし、聞いてたとしても本気にはしていなかっただろう。
とにかく、僕たちの一家はその年にドリームランドが閉園すると言う話を聞いて、記念に遊びに行くことにしたんだ。
僕は久しぶりに一家四人で出かけられるのが嬉しかったし、妹の希美も前から行きたがってたドリームランドに行けると言うので前日から大はしゃぎだったのをよく覚えてる。
ドリームランドは最後の年の夏休みだと言うのに混雑も無く、どちらかと言えば少し閑散としていた。 父さんはアクセスが不便だからあまり人が来れず、それが潰れる原因になったんだろうと言っていたが、後から考えるに地元の住人は噂を恐れて寄り付かず、訪れたのは僕たちみたいな他所から来た観光客だけだったのだろう。
それでもドリームランドは僻地の遊園地にしては設備が豪華で、人気が少ないこともあって殆どのアトラクションは並ぶ事もなく利用できたので、僕たちは半日かけて遊園地を心行くまで満喫することが出来た。
夕方も近くなり、そろそろ帰ろうかと母さんが言ったけど、まだ遊びたかった僕と希美はこれで最後だからとまだ入ってなかったミラーハウスに行く事にしたんだ。……母さんの言う通りに帰ってれば良かった、と何もかもが手遅れとなった今になって後悔している。
両親は疲れていたので(共働きでやっと取れた休暇だったのだから無理もない)、僕と希美だけでミラーハウスに入った。 もう閉園時間も近かったせいか中には僕たち以外には誰もおらず、走ってはいけないと言う案内を無視して希美と鏡の迷路で鬼ごっこをして遊んだ。
今度は希美が鬼になって僕が迷路を駆け回ってる内に、合わせ鏡の迷路に無限に映り続けている人影は僕だけになり、いつの間にか希美の声がしないことに気がついた。
「希美? どこ?」
呼んでも返事が無い。不安と焦りで僕は大声で希美の名を呼びながら鏡の迷路をさ迷った。
僕と五つ下の妹の希美はいつも一緒だった。共働きで帰りも遅い両親に代わって僕がずっと希美の面倒を見ていた。それだけじゃ無く、引っ込み思案で友達がいなかった僕にとっても希美は大切な存在だったんだ。
その希美がいつまで経っても見つからず不安で泣き出しそうになった時、いきなり背後から何かに抱きつかれて驚いた僕は思わず悲鳴をあげて振り返った。
「あはははっ、びっくりした? お兄ちゃん」
希美がいつもの明るい満面の笑みで笑いかけた。ほっとした僕は思わず悲鳴を上げた事をごまかす為に、少し強い口調で妹をたしなめた。
「こら、脅かすな。 これは鬼ごっこでかくれんぼじゃなかっただろ?」
「あはっ、ごめんねお兄ちゃん。 さ、パパとママが待ってるから早く行こ」
そう言うと希美は僕の手を引いて歩き始めた。 そしてまるで順路を知ってるかの様に迷いの無い足取りで難なく出口までたどり着いてみせた。
「隠れてる時に出口を見つけたの。すごいでしょ」
と得意げに笑う妹の顔に僕は何かを感じた。後になってそれは“違和感”と言う言葉だと知ったが、その時の僕にはその違和感と言う言葉も、その違和感の正体も知りようが無かった……いや、正体についてはすぐに知る事になったんだっけ。
両親は僕たちがミラーハウスから出るのが遅くて心配で出口で待っていてくれていた。希美には何も感じなかったみたいで、安心したように僕たちを迎えてくれて、そろそろ暗くなり始めたので今度こそ家に帰ることになった。
「お兄ちゃん……」
僕を呼ぶ希美の声が僕の“背後から”聞こえた気がしたので、思わず振り返ったがそこには誰も居ないミラーハウスの出口が黒々とした口を開けていただけだった。
「お兄ちゃーん、何してるのー?」
今度は両親と一緒にいる希美が僕に向かって手を振りながら呼びかけてくる。 空耳だな、と僕は納得して皆の方に駈け出した。
昼間はあんなに晴れていたのに空には暗い雲がみるみる湧き始め、ドリームランドから市内に降りる山道は夕方と言う事もあって一層暗くなりはじめた。
父さんは眠気をこらえながら運転してるようで、時々あくびをしていた。母さんも疲れてて助手席で言葉少なにしていた。僕もさすがに疲れが出て後部座席で大人しくしていたが、一人希美だけがずっと元気なままで僕の隣ではしゃいでいた。
「希美、お父さん疲れてるから少し静かにしてあげて」
さすがにたまりかねた母さんが希美に注意したが、座席の上で飛び跳ねながらケラケラと笑いだし
「いやだよー」
と言った。いつもの希美なら母さんに口答えなんかはしなかったし、こんなにお行儀だって悪くなんかない。 僕は“違和感”をますます強くして希美の膝を押さえて言った。
「希美、言うこと聞くんだ。 今日は楽しかったのはわかるけど、車の中で暴れると危ないから」
「楽しかった? 違うよオニイチャン。楽しいのはこれから、だよ?」
え? と思った次の瞬間、僕はお腹に冷たいモノが入ってきたのを感じた。そして次の瞬間、そこから何か熱いモノが噴き出した。
希美が何かで僕の脇腹を刺して、そこから血が噴き出してる……という事が中々理解できずに、僕はただ呆然として自分の脇からドクドクと湧いてくる血を見つめていた。次いでようやく激痛が襲って来たので僕は大きな悲鳴を上げた。
「どうした!?」
父さんが慌てて振り返ろうとしたが、それよりも早く希美は運転席の背後に飛びついて僕を刺した何か尖ったモノを父さんの首に突き立てた。
「ぎゃあぁぁぁっ!?」
「きゃあぁぁぁっ!?」
父さんの苦痛の悲鳴と、母さんの恐怖の悲鳴が同時に車内に響いた。父さんの首筋から勢いよく血が噴き出して、フロントガラスと助手席の母さんの顔を赤黒く染めた。母さんはまた長い悲鳴をあげたけど、父さんはゴボゴボと咳き込むだけだった。
次いで車を強い衝撃が襲った。どうやら車が暴走して何かに衝突したみたいだった。 衝撃で車のドアが開いて、シートベルトをしてなかった僕はそこから外に投げだされた。 全身を殴られる痛みを覚えて、僕は生れて初めての気絶を経験した。
……強い雨の音と全身に雨の当たる感触で僕はゆっくりと意識を取り戻した。辺りは暗くなっていて、夕立に負けずに炎上する車の赤い炎が周りを照らしていた。
「父さん……母さん? ……希美?」
痛みで全く体が動かせなかった僕は、首だけをどうにか曲げて木に衝突したまま燃える車を見た。
……家族は全員そこにいた。
父さんは運転席にシートベルトに縛り付けられたまま車と一緒に燃えていた。もうピクリとも動かない。
母さんは車の外であおむけに倒れて、やっぱりピクリともしない。 そして希美だけがケタケタと笑いながら母さんの顔に何かを繰り返し突き立てていた。
「あ、起きたの? オニイチャン」
僕の視線に気がついたのか希美が笑顔で僕の方に振り返った。 ゆっくりと立ち上がって僕の方に近づいてくる。 さっきまで母さんの顔に突き立てていた尖った何かが炎に照らされてキラキラと光った。
鏡の破片だ……と僕は直感した。
「生きてたんだね、オニイチャン。パパとママは呆気なく死んじゃったから退屈だったんだよね」
そう言いながら希美は僕に何かを放り投げた。それはコロコロと転がって僕の目の前で止まった。
「はい、ママの目玉。生きてる内にえぐり出したから綺麗でしょ。オニイチャンと仲良く半分こだね」
希美はポケットからもう片方の目玉を取り出すと、それをペロリと飲み込んでまたケタケタと笑いだす。 そして鏡の破片を僕によく見えるようにかざしながら、ゆっくりと近づいてきた。
「それにしても、最高に波長が合うねこの体は。今まではチンケな悪戯しか出来なかったけど、ここまで自由に出来たのは初めてだよ。こんな事なら、もっと大事に扱えば良かったよオニイチャン」
不意に雷が鳴り、訳の分からない事を言う希美の姿を照らし出した。 可愛かった顔の半分が焼けただれ、髪の毛も半分が焦げてしまってる。 そして何よりもそのお腹に太い木の枝が突き刺さっていた。
「もうこの体は使えないね。でも閉園前に思いっきり遊べてワタシも楽しかったよオニイチャン。最後の思い出作りにオニイチャンは思いっきりいたぶってあげるよ、オニイチャァァァン!!」
僕のそばまで来た妹はそう言いながら鏡の破片を振り上げた。 その時遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
「……良い所だったのに。仲間も帰って来いって言ってるから、もう帰るわ。じゃ~ね、オニイチャン、楽しかったよ」
そう言うと希美は自分の喉に鏡の破片を押しつけて……一気に横に引いた。 僕の顔に雨粒と一緒に冷たい希美の血が降りかかった。
希美が血の泡を噴きながらケタケタゴボゴボと笑う声を耳にしながら、僕の意識はゆっくりと遠ざかって行った……。