S氏の復讐
A~Zまで悪人を並べ立てようとしててやろうと思っています。
自分の中の悪を並べ立てれば、書いている本人の私は毒が抜けきって真っ当になれるかも知れません。
そう願を掛けながら、意外と悪が出てこないことに焦りながら、Sです。
精神疾患に罹った時の悔しさというのか、やるせなさというのか、敗北感というのか、かなりきついものがありました。では、その怒りはどこにぶつければ良いのでしょうか。抱え込む?どこにもぶつけない?そんないい人の振りをするから、精神疾患にかかるのですよ。
ベランダの手すりに手をかける。鉢植えに脚をかけ、ゆっくりと手すりに登る。
15階建てのマンションからの眺めが、一段と開けて見える。遠くまで見えるものだと、僅かに感心する。
足下を見てみる。遠くに犬の散歩をしている小学生が見える。遠すぎて現実感が湧かない。まるで、飛行機に乗ったようだ。地上が、余りにも遠い。
私は手すりの上で両手をまっすぐに広げてみる。体が風を受ける面積が増えて、少しの風で体がぐらぐら揺らぐように感じる。
手すりの上には、両足だけが付いている。手すりの上面は少し丸みを帯びており、私の体と建物を結びつけているのは、その両足の二つの接点だけだ。
自由だ。
少しバランスを崩せば、私は地上に向けて落下するだろう。だが、それがどうしたと言うのだろう。
以前の私なら、手すりから身を乗り出すのも怖がった。下を見るなんてとんでもないことだった。腰から下が抜けるように怖がったものだ。
自宅を最上階の15階にしたのは、それまで住んでいたマンションで上からの音に散々嫌な思いをしてきたからだ。ただ、住んでみて思ったのは、まるで空中に浮かんでいるようだと言うことだった。高所恐怖症の私には、居心地は少し悪かった。
バカバカしい。ちょっとおかしいと思って、笑えてきた。一体、おかしいと思って笑おうなんて思ったのは、笑いかけたのは、何ヶ月ぶりだろうか。いや、一年以上笑ってはいないかも知れない。
結局、笑うところまではいかなかった。
ただ、こうやって世間を見渡してみると、気分がスーッとするものだ。高いところの、何が怖いというのだろう。
翼が生えて飛んでいくなんて思わない。ただ、ほんの少しの微妙なバランスで、私は生と死の間で生に傾いている。
きっと、少しの気分の変化で、それは死に置き換わる。死に置き換わると、永遠にそれは死のままで、状態に変化は起こらない。
だから、それがどうしたと言うのだろうか。死ぬことは自然であり、人間に限らず生命を持つものの致死率は100%だ。それが、このバランスの上に微妙に生に傾いていると言うだけだ。
私は死ぬことに何の違和感も感じず、ただ遠くを見ていた。
そして、ややゆっくりと、部屋の中に戻った。
ガランと広い部屋の中で、私はその隅に三角座りで座った。誰もいない。西に傾いた太陽の光は、西日嫌いの私の部屋に差し込まない。ぼんやりとした明るさの中、私は自分の膝を抱きしめる。
さめざめと涙が流れてくる。部屋の中には、向こうの壁には子供の絵が掛かっている。
あれは、娘が年長の時に書いたレッサーパンダだ。どう見ても、カメレオンにしか見えないが、動物園で見たレッサーパンダだと本人は主張している。
そう、愛しいレッサーパンダ。命が、活き活きと描かれている。画面いっぱいにその姿が描かれ、大きな目がこっちを見ている。波打ってはいても、太く意志を感じる筆遣い。上の子達も笑ったその絵を、私は大事に思っている。あれは、命が描かれているのだ。
そのレッサーパンダの絵は、保育園からコンクールに応募して頂いたが入賞しなかった。私が審査員なら、間違いなく金賞なのに、見る目のない審査員達だ。
そのレッサーパンダは、まだ力強く私を見つめている。
どうしてこうなってしまったのだろうか。何が原因だったのだろうか。
あの絵を持って帰ってきた時のあの子の笑顔を覚えている。妻の笑顔を覚えている。上の子の笑顔を覚えている。私も笑っていたのだ。
何もかも失ったのか、なにもかも、そもそも持っていなかったのか。
今の自分の姿が素の自分なのか、それとも狂っているのか。私は誰もいない部屋の片隅で、たださめざめと涙を流す。ただ、それだけの存在。
自分の膝の少し向こう側には、テーブルがある。後数時間もすれば、小学校に上がった娘達が帰ってくるだろう。そしてその後で妻が帰ってくるだろう。部屋は言葉のるつぼになり、記号が、まるで絵として見えるように部屋の中を駆け巡る。私は、その輪の中には、入れない。
私はどうしようも無い寂寞感と、無力感と、不安の中を漂っている。何が不安なの?どうしたいの?どうしてもらったら安心なの?どうしたら良いの?
妻の声。分からないよ。ただ、精神安定剤を飲んで、眠りに落ちる一瞬前だけが、安心できる瞬間だ。夢を見たり、目が覚めかかったりすると、不安で心が押し潰されそうだ。
たくさんの言葉を聞いた。元気だせよ、らしくないよ。喧嘩営業はどこへ行った。
分かりません、課長。どこへ行ったのか、隠れているのか、死んだのか。私は、どんな人間でしたか?その人間のふりをしたら、会社にいられますか?
頑張ってね、お父さん。前の面白いお父さんに戻って下さい。
上の娘の声。前のお父さんは、本当のお父さんでしたか?
頬を流れる涙。あの日、工場の建屋の側に咲いている桜を見て流した涙と同じ温かみがある。あの日、遂に事務所にじっとしていられなくなって、私は工場の中をウロウロと歩き回った。
営業の私が工場を歩く。まるでビルの群れのような工場の敷地内を、ただただ目的もなく歩いた。ただ、その場にいることが怖くて仕方なかった。どこへ行けば良いのかなんて分からない。ただ、どこかへ行かなければ、自分が自分でなくなってしまう。発狂してしまう。それが怖かった。
作業員がスーツ姿の私を訝しい目で見る。ヘルメットも被っていなければ、お客様を連れているわけでもない。それでも、私は歩いていた。おかしいと思われていることはとても怖かったが、それでも歩いた。
自分が発狂してしまうことが怖かった。今でもそれが怖い。おかしくなってしまいそうなのだ。大声を上げて、声が枯れるまで叫んで、頭の中が真っ白になるまで息を吐き出したら、どうなるのだろうか。生きている証になるのだろうか。いや、証が手に入らなくて、手に入らないことが明確になってしまう。それを私は恐怖するのだ。それが証明されたら、私は発狂する。だから私は叫ばない。叫べない。自分が明確に生きていると言うことを、確認できないことを確認したくない。
生きているって、何なんだ?他の生き物の生命を奪って、美味しいと言って食べて。そして、あの臭い便を垂れ流す。それが生きると言うことなのか?
命を奪うのだ。鰯からすれば、人間の顎はきっと人間にとってのホオジロザメ以上に大きいのだろう。その顎で、ばりばりと他の生命を殺してから食べる。何と残酷なことか。何と残酷なことをしないと生きていけないことか。私の生命に、他の生き物の生命を奪ってまで長らえる価値があるのだろうか。
そしてあの臭い大便をするのだ。大便はものを食べた瞬間から製造が始まり、自分の体の中で溜まっているのだ。臭くて、気持ち悪くて、じっと見ていると吐き気を催すあの大便。それが、ものを食べれば自分の体の中でどんどん大きくなっていく。大便が自分の中にあると思っただけで、はらわたを掻き出したくなる。気持ち悪い。
子供達が帰ってくれば、妻が帰ってくれば、食事になる。私は食べたくない。食べたくない。食べなくても良い。ゼリー飲料だけで良い。だが、目の前で妻や娘達が肉を食べる。米を食べる。魚を食べる。野菜を食べる。命が、殺された命の抜け殻が、醤油や塩にまみれて口に運ばれる。焼かれ、炊かれ、切り刻まれ。お前達は何のために生まれてきたのだ?私は、何のために?あるいは、私も何かの生き物の食料になるために生きているのだろうか。それが、自然なのだろうか。
おかしいと思い始めたのは、三年くらい前だったか。
T字カミソリで、髭を剃っていた時だ。当然のことだが、私は鏡を見ていた。私は、鏡の中の自分の目に吸い込まれた。私は自分の目から、自分の目を反らすことができなくなったのだ。
その内に、鏡に映っている自分が本当の自分で、今ここに意識を持ち鏡を見ているはずの自分が実は鏡の中の自分ではないかと思い始めた。どれくらいそうしていたのか、気が付けば、顎から血が流れていた。安全カミソリでどうやって自分の肌を切りつけたのか。ダラダラと腕を流れる血のぬるさに、私は自分を一瞬取り戻した。
傷は余りに深く、近所の外科で縫って貰うことになった。それ以来、私は鏡を見ることが出来なくなった。ガラスに映る自分の姿も、金属板に浮かぶ不鮮明な自分も、見たくない。目を反らせるようになった。いつも、自分が自分ではなく、実は他の誰かの代わりに存在していて、自分の意識だと思っているものは、実は他の生き物が操っているのだ。
原子というものを、突き詰めてみていけば、原子核の周りを電子がグルグルと回っている。つまり、これは恒星と惑星の関係と同じだ。恒星系がたくさん集まって銀河となり、その銀河も同じように中央に大きな構成の星々の塊があって、そこを中心に渦を巻いている。これも原子核と電子の構成と同じだ。だから、きっと私達が宇宙だと思っているこの空間も、もっと大きな存在から見たら、精々が複雑な分子程度なのだ。きっと、もっと大きな存在が、顕微鏡で我々を見ている。ビッグバンで始まったこの宇宙も、ただの小さな分子でしかないのだ。
だから、いつか鏡の中の自分がその本来いるべき処に帰ってくる。私は、鏡の中に、入れられる。だから、私はエレベータには乗れなくなった。鏡が付いているから。風呂には俯いて入るようになった。鏡が付いているから。電車でも俯いて乗るようになった。窓ガラスに自分が映るから。この自分の顔は、どうしてこう言う顔なのだろうか。口の中にはいくつもの歯が生え、ベランとした舌が鎮座している。気味が悪い。
おかしいと思って、医者に通った。まだ、何とかしようという気持ちがあったのだ。医師は私の話をゆっくりと聞いてくれた。それこそ、二時間でも三時間でも。そして、薬物による治療をしようと言うことになった。
薬は最初は少量だったが、やがて種類が増えていった。それに伴って、どんどん気分は滅入っていった。まず、夕暮れが怖くなり始めた。
日が落ちる。暗くなる。そう思っただけで、息がつまった。暗くなる以外、何がどうと言うこともないはずなのに、私はパニックになった。まるで、空が落ちてくるように思ったのだ。私は夜中に着替え、外に飛び出し、地下街を探しては潜り込んだ。
ガンガンと波打つ心臓に手を当て、浅い息を繰り返す。浅い息は肺に充分空気を送らない。だから、ますます気持ちが焦ってくる。ますます呼吸は速くなり、浅くなる。私は何度も倒れ、救急車で運ばれた。
その度に妻が呼ばれ、私はドルミカムと書かれた点滴をぼんやりと見上げていた。
どこかの原子力発電所の事故が新聞に載っていた。私はそれを見て、核ミサイルが飛んでくるとパニックになった。
自分の体が蒸発してしまう。私はオロオロとし始め、ついには頭を抱えて泣き喚いた。妻は涙を流しながら私の背中をさすり、まともになってよと言った。
まとも。まともって、何だ?今の私はまともでは無いのか?原子炉が、壊れたら、私も君も、汚染されるというのに、それを君はなぜなにも感じないのだ?
更に薬が増えると、もう何もする気が無くなった。ただ、朝起きて、薬を飲んで、会社に行って何とか最低限のことをやり、帰ってからは夕食をとれば直ぐに寝る。
妻とも、子供達とも、同僚ともほぼ口を利かず、大便をする時だけ嗚咽を漏らし、自分の汚らしさを呪った。頭の中に、言葉という記号が浮かんでこない。浮かべようとも思わない。ただ、これが言葉を持たないと言うことかと思った。言葉という記号が無くても、人間生きていけるようだ。
『心が風邪を引いたのだから、少し休まれた方が良いでしょう。』産業医からのアドバイスだった。私はお客様からの電話対応もできなくなっていた。
取り上げた受話器に向かって話すことができず、私の名前が受話器から聞こえてくる。私はそれを涙を流しながら眺め、何も言わずに電話機に戻すのだ。
何度も工場内を彷徨った。小さな花を見付けては、花が咲いていると思った。
もう、どこにも居場所が無い。いっそ、どこか小さな箱の中に入ってしまいたい。
これが風邪だなんて、全くものを知らないとしか言いようが無い。
会社はしばらく休むことになった。
朝、家族が出て行く。私は一人、ポツンと取り残される。テレビを見る気にもならない。本やマンガを手にする気にもならない。夢中になった映画の世界にも、もう戻れない。入り込めない。
時間が過ぎれば楽なりますから、ゆっくりとしたいことでもして、体も心もリフレッシュしましょう。
やりたいことなんて無い。会社にも、来ないで良いと言われてしまった。一体、私は何なのだろうか。生きていて、良いのだろうか。
子供達は学校へ行く。妻は仕事に行く。私は何もしないのに、部屋にいる。
妻は仕事から帰ってくると、夕食の用意から子供達の宿題のチェック、学校の用意の確認と忙しい。子供達に時には声を荒げ、時には嘆き、時には励ましている。私は、何の役にも立たず、ただ布団の中でじっとしている。ただ、時間が過ぎていけば良いなと思いながら。
朝、誰もいなくなると、軽くパニックになる。息が浅く激しくなり、酸素が体に入ってこない。呼吸法とかも習ってはいたが、パニックを起こしている時に悠長に呼吸法なぞ、思い出せるものか。五分もすると、収まってくる。収まるのは分かっているのに、パニックを起こすのが怖い。自分が自分で無くなる。自分が、壊れていく。だから、いつも家族が出る前に安定剤を飲む。すると、家族が出て行く頃には眠っている。
家族が帰ってくる時にも、軽くパニックになる。子供達の遠慮の無い声や、バタバタとした足音が私を追い詰める。
私は、トイレにこもって体が慣れるのを待つ。やがて、のろのろと出て行く。
何も変わらない。何の変化も起こらない。せめて、飲んだ薬の種類と量とを記録し始めた。やがて、自分の心の状況をメモし始めた。妻は喜んでくれた。子供達の宿題以上にしっかりと目を通してくれて、声をかけてくれたが、私がそれに応えたことは無い。
布団の中で、何も考えずに、ただ暗闇だけを見つめていた。それがどれだけ続いたのか、いくつ季節が過ぎていったのか、どれだけ会社の中で自分が忘れられた存在になっていっているのかを知ることも無く、私は閉じこもっていた。
ただ、死ぬという選択は、いつでもできることだから後回しにしよう、それだけが生きている理由だった。ひょっとしたら、何か明るいものがこの先にあるかもしれない。笑う日が来るかも知れない。そんな淡い期待を抱いていた。不安で不安で、その理由も自分でも明確では無くて、誰からも理解されない、自分でさえも理解できない状態で、楽天的と言えば楽天的だったのだろうか。
どれだけ布団の中で生活していたのかは分からない。いつからそこにいたのか。ただ、筋力が落ちていることに愕然とした。胸板の筋肉も、腹筋も無くなり、全ては腹周りの贅肉に取って代わった。あれだけスポーツジムに通い、水泳で鍛え上げた無駄な贅肉の無い体は、どこから見ても醜い中年の不細工な体になっていた。それでも、何も感じなかった。ああ、そうなったのかと思っただけだ。もう一度鍛えなくてはとか、もったいないとかも思わなかった。
ベランダの手すりの上に立って、私の中で何かが変わったのだろうか。
死のうか死ぬまいか。生きている状態を続けようか終わらせようか、私はそれを考えていた。そして、のろのろと戻ってきた。やはり、死ぬのはいつでも良いと思ったからだ。
子供が帰ってきた。私はそれを、ぼんやりと見ていた。底抜けに明るい笑顔を見せ、学童クラブから二人が帰ってきた。私のことは、いつも通り姿を認めはしても、声もかけない。
どう扱って良いか、分からずに困っているのが感じられる。上の娘が妹に、明日の学校の用意をするように言っている。その姿は、まるで母親の小型版のようだ。立場が変わると、人は変わる。愚図で何度言っても言うことを聞かなかった上の子は、今ではしっかり者のお姉さんになっている。自分の手も動かしながら、妹の手もしっかりと見ている。大きく成長したものだ。自分がこんな病気になったのも、そんなに悪くは無いのかも知れないと思った。
私は、口を動かした。
「今日は、何をした?」
たったそれだけ。自分の声が随分と懐かしく、遠くに聞こえた。ぎこちなく、舌の筋肉から、頬の筋肉まで、一々頭から指示を出さないと動かない。ギシギシと、錆び付いた自転車が転がるようだ。
娘達が目を見開いた。それから、お互いに顔を見合わせると、堰を切ったように話しをし始めた。
長くは話を聞いてはいられなかった。だが、娘達は私の目を見て、楽しそうに必死に話をした。途中で苦しくなって、布団の中に戻った。
人の目に見つめられていると、魂を抜かれるような気になるのだ。人の言葉に体も心も支配され、黒い目に何かも吸い込まれ、体が抜け殻になりそうに思うのだ。そう、私は人の目も見られなくなっていた。自分に声をかけられるのも、苦痛に感じていた。
「お父さんが喋ったよ。直ぐお布団入っちゃったけど。」
母親が帰ってくると、大自慢で下の子が報告する。妻は声をつまらせた。私はそれを、布団の暗闇の中で聞いていた。
その夜は、私は布団の中でテレビの音を聞いていた。いつもは聞かないように心の中でシャッターを閉じていたのに。ぼんやりと、お笑い芸人の言うことを聞いていた。何がおかしいのか、娘達はコロコロと笑っている。
明るい日差しというものが、差してくることがあると言うことを、私は光の中に包まれて感じた。光は、温かみも無く、ただ白く包み込む。光の中を、ただ一人歩いて行く。恐怖も無く、絶望も無く、ただ光の中を。
少し良くなってきている。時間が、自分の中を変化させた。ようやく薬が効いてきた。
色々な思いが頭の中を駆け巡った。あのベランダの手すりの上に立った日から、私は言葉数が多くなり、私は心の底からホッとした。
状況は上向き。この苦しさから、不安から、絶望から、孤独から、恐怖から、解放されつつあるのだ。私は鈍った感覚の中でも驚喜していた。
自分の発する言葉の一つ一つが、心という卵の殻を割っていくようだった。いつか、自分は殻を通してしか見ていなかった世界の光を、自分の目で、直接見るのだ。母の体内から外を見ているような今の状況が終わり、自分はもう一度羽化するのだ。そう考えた。
一度母の体内から生まれ出てきたにもかかわらず、もう一度殻の中に閉じ込められたという現実には激しい怒りと、やるせなさが突き上げてきた。何故、自分だけがこんな目に遭う。何故、自分なのか。仕事に真摯に向き合い、出来の悪い部下達の尻ぬぐいもし、馬鹿な上司の機嫌をとりその上手柄まで献上してやったというのに、今や奴らが会社で高笑いしているのかと思うと、世の中には神も仏も無いと言うことをいやと言うほど思い知らされる。
世の中は、不条理と、その隙間に存在する多少の条理とで成り立っている。高校の生徒会や部活で、大学のサークル活動で、会社に入ってからも、いやと言うほど味わってきたこの不快感。その不快感に、自分の存在がかき消されそうな程に苛立っている。誰かにぶつけて良い問題でも無い。自分が絶対権力でも手に入れない限り、解決しない大きな問題。ただ、何故自分だけが貧乏くじを引かなければならないのか。
私は頭をかきむしり、壁にぶつけ、問うた。誰に?分からない。存在するとすれば神にだろうか、いや自分にだろうか。何故、何故自分だけがこんな目に遭う。何故自分だけが損をする。何故、不条理がまかり通って大きな顔をする。
屈辱と苛立ちで頭がおかしくなりそうだった。
躁状態と鬱状態は交互にやって来るようになってきた。躁状態の時は、この上なく機嫌が良かった。子供達と遊び、妻を笑わせ、もう社会復帰しても何の問題も無いのでは無いかと思った。鬱状態の時は、殻に引きこもって閉じこもり、世の中と不条理を呪い、他人という他人全てを忌み嫌った。そして、布団の中で呪文のように呪いを吐いていたことを、何となく覚えている。
この頃だった。妻が医師にこう言われていたのを私は聞いてしまった。
「もう一息ですね。ご主人、もう一息で良くなられます。
でもね。ここ、一番危険なんです。
こう考えて下さい。今までのご主人は、自殺するほどの元気も無かったのです。ご主人は今、自分を取り戻しつつあります。元気になりつつあります。ですから、何かの弾みに勢い付いてしまって自殺してしまう可能性があります。
実際、この病気で一番自死が起こるのが、実はこの過程なのです。
どうか充分にご主人のこと気にかけていただいて、乗り切りましょう。もう少しですよ。」
私はそれを聞いて、ああなるほどと腑に落ちた。
だから、あんなにイライラするのかと。なんだか肩の力が抜けてしまった。そして、鬱状態は少しずつ、現れる頻度が少なくなっていった。
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「課長。XX君ですが、奥様から電話が。」
職場に復帰すると、しばらくして昇進試験に合格した。私はよりストレスのかかる管理職となった。
初めの内は、また病気が出て来たらどうしようかと恐れていたが、杞憂に終わった。
長らく世話になっていた薬とも、ようやく先日縁が切れた。社会復帰して三年、薬を飲まなくても良い日常が帰ってきた。精神が不安定になってから、六年が経っていた。今では仕事が面白くってたまらない。あの六年を、是非返して欲しいと思いつつ、必死に毎日を過ごしている。少しでも、損した六年間を取り戻したいのだ。
結果を追い、成果を求め、社会に認められる。これが社会人というものだろう。
考えてみれば、自分の考えは少し甘かった。不条理だの何だのは、甘ったれたものの考えが生み出す妄想だ。
自分の正義を信じ、自分の信念を貫き通すためには遮二無二に突進することが求められる。それを腰の引けた人間が不条理だのと言うのだ。私はその事は真摯に甘かったと認めている。今は不条理を呪ったりしない。私は自分の正義を信じている。
私は部下の回してきた電話を取った。別の部下の妻からだった。
「XXが、実は昨日の夜に自殺しまして。」
私は絶句した。彼は、私が軽々と乗り越えた、あの場面を乗り越えられなかったというのか。私でも乗り越えられたのに、彼は乗り越えられなかったと?
「もう少しで社会復帰というところだったのですが。鬱状態からようやく抜け出してくれて、気分が大きく振れることは良くあったのですが、私達は良くなっていると信じていたのですが、彼には耐えられなかったようで。」
部下は、妻の目の前でベランダの手すりを乗り越え、墜落した。妻がエレベータで下に降りた時、彼はまだ息があったそうだ。最後の言葉が、
コレデ、オシマイ
だったと。
私はお悔やみを言った。半分頭が真っ白になっていた。もうすぐ戻ってくるものとばかり思っていた。自分には、簡単にクリアできたものでも、他人には難しいこともあるのだろう。何をどう言ったかは覚えていないが、彼の妻が丁寧に感謝の意を述べてくれた。
私は庶務担当の女性課員にお悔やみの電報等の指示を出した。
「課長。」
目の前に電話を取り次いでくれた部下が立っている。
「XX、自殺したんでしょう?これって、課長がきついノルマ課したからじゃ無いんですか?
XXは真面目な奴だったから、ノルマをこなすのに毎日遅くまで会社に残っていましたよ。
彼の出退簿は課長、見ているんでしょう?だったら、かなり無理していたことくらい、分かったんじゃ無いんですか?
部下の健康状態の管理も、管理職の仕事なんじゃ無いんですか?」
部下達の冷たい視線が集まってくる。部下の喪失という衝撃から、一瞬反応が遅れた。目の前に立っている部下はたたみかけてくる。
「みんな、ギリギリなんですよ。成果、目標、ノルマ、そんな言葉ばっかりですよ、頭の中。そりゃおかしくもなりますって。
課長自身、そうだったんじゃ無いんですか?課長も体調崩されましたよね?あれって、脳みそ系だったんでしょう?XXと同じじゃ無いんですか?
体調崩された方だから、部下にも痛みは押しつけないって、僕ら信じてましたよ。でも、結局他の人と一緒じゃないですか、いやもっと酷い。XXは課長が殺したようなものなんじゃ無いんですか。」
バカバカしい。こんな子供じみた説教を何故こんな奴にされなければならない。
「体調管理は自分の責任だよ。私は君じゃ無いのだから、君の体調なんて分かるわけ無いだろう。どこの世界に他人に体調管理まで押しつけて良いなんてことがある?
ノルマのことだが、部から降りてきたノルマをみんなに分担して貰っているだけだ。
ノルマを公平に分担するというのが、君達の総意だったね?私は能力に応じてそれ相応に分担するのが良いと思ったが、不公平だと言ったのは君達だ。同じ賃金しか支払われないのに、不公平だと言ったのは君達だよ。まあそれも一理あるが、公平という言葉は実は公平じゃ無いのはよく分かっているだろう。質を公平にするのか、量を公平にするのか。ノルマってのは、結局は量だからね。どれだけの契約を取れたのか、維持できたのか。だったら量を公平にするしかないだろう。
それに、XX君のノルマ不達の際、君はXX君のサポートをしたのか?自分の仕事が終わったらサッサと帰っていたのでは無いかね?そのサポートは、管理職たる私がやっていた。
要するに、みんなそう言っているとか、そう考えているとか、総意だと言っては自分に都合の良いように君達は主張していたに過ぎないんだよ。
特に、君だ。
で、君は君の体調管理まで私にしろというのか?じゃあ、君の全ての情報を私に渡して貰う必要があるな。プライベートとか、プライバシーとか、そういう観点は全て捨てて、私に管理を任せると言うんだね?してあげないことは無いが、君達にとっては苦痛だと思うがね?
はっきり言わせてもらえば、君達のその責任逃れの思考回路そのものが、XX君を犠牲にしたと思うがね。違うかい?」
「顔色とか見たら、分かるでしょう?調子よくないってことくらい。それに、XXのサポートなんて、私の仕事じゃありませんよ。」
「そうかい?で、君は彼の顔色を見て、何か言ってあげたのかい?それと、君の仕事って、なんだい?」
「営業です。」
「ザックリ過ぎるね。ブレイクダウンすると、どういうこと?」
「自分の提案を基に顧客に満足を提供し、自分のノルマをこなすことです。」
「それだけかい?」
部下は答えない。
「じゃあ、私に文句を言うのは仕事には含まれないわけだ。では、君の言うことに聞く耳を持つ必要は無いな。改善の提言とでも言いたいのか?でも、それは君の仕事じゃないんだろう?」
ウンザリしながら続けた。
「言われた通りの仕事をしなさい。それが君の仕事なんだろう。」
バサッとファイルを部下の目の前に投げつける。
「君のノルマだ。」
部下が目を白黒させている。
「ノルマをこなすことだけが君の仕事なんだろう?たったそれだけしか仕事をしていない君は、もっとノルマをこなさないと評価はできないな。後でもう少し与えるから、取りに来なさい。」
私に向けられていた非難がましい視線はいつしか消え、誰もが黙々と書類やパソコンの画面に向き合っている。
無関心、無気力、他力本願。ほどほどであればまだしも、度が過ぎれば毒にしかならない。
さて、次の患者は決まった。精々私と同じ苦しみを味わうが良い。理不尽を受けた人間は、その理不尽を誰かにたっぷり味あわせてやらない限り、その溜飲は下がらないものなのだ。そして、そもそもの理不尽の正体は、君だと言うことだ。無事復帰できると良いな。流石に死なれると、後味が悪い。
お時間を頂き読んで下さった方、有り難う御座います。
時間無駄にしたと思われなかったら、幸いです。
もしよろしかったら、コメントを書き込んでいただけると嬉しいです。
Sは悪い奴だなあと思っています。
悪い奴を書きたいのでこうなっていますが、実際には他の人には全く体験して欲しくないです。