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ヤマボウシの見える庭

作者: 勇純

目を醒ますと、もう十時を過ぎていた。カーテンの隙間から、数十本の矢のような陽射しが、ベッドに突き刺さっている。

 のそのそと起き上り、顔を洗い、歯を磨く。目の前の鏡には、五十歳の疲れた顔が映っている。年相応なのか、それとも二年半の単身赴任で老けてしまったのか、自分ではわからないが、しげしげと自分の顔を見ることなど、今までには無かったような気がする。髪には白いものが目立ち始め、あごに生えた無精髭は、半分以上が白くなっている。

 パジャマのままキッチンに行き、冷蔵庫から冷えた牛乳を取り出し、コップに注ぐ。食卓に置いてある新聞を広げ、牛乳を一息で飲み、タバコに火をつけ、あっ、と小さく声を出す。娘が生まれた時から、家の中ではタバコを吸わないことになっていた。慌ててサッシを開け、庭に向けて煙を吐く。よく晴れてまぶしいばかりの太陽の光が、庭の隅っこにあるヤマボウシの真緑の葉に反射している。

 ヤマボウシには忘れられない思い出がある。

 高校時代、親の転勤で三重県の津市に住んだことがある。わずか一年半のことだったけれど、人生の中で最も大きな影響を受けた街だ。ずっと京都の中心地で暮らしてきた人間が田舎街には馴染めなかった。言葉も服装も、そして感性も。そんな時、父親が支援している施設でボランティアをやってみないかと言われ、気分転換くらいの気持ちで行ってみた。

 津市のはずれの山の中にある、教会が運営している貧しい福祉施設だった。クリスチャンでもない父が、なぜこの施設に対して経済的な支援をしていたのかは、今でもわからないままになっている。

 親に産み捨てられた子供や、見放された子供たちが、力を合わせて暮らしていた。まったく暗くなかった。みんな明るかった。

 子供たちが、中学の卒業に近づくと、神父やシスターは、それぞれの子供たちの性格を考慮して、彼らを受け入れてくれる里親探しに必死だった。この小さな貧乏施設では、義務教育以上の教育を受けさせるだけの財源はなかった。養子縁組ができなかったり、就職さえもうまくいかない子供たちは、施設に残り、施設の仕事を手伝いながら、大検のための勉強をしていた。住み込みの就職が決まった子供たちも、みんな月に一度は顔を出し、少ない給料の中から、寄付をしていった。

 それを見てるうちに、自分もこの子達と一緒に頑張ってみたい、と思うようになった。

 子供たちからは、『純ちゃん』と呼ばれ、それなりに慕われた。

 塀を作ったり、小さな畑を耕したり、勉強を教えたりと。

 そこで、彰子という少女に出会った。4歳のとき、両親を亡くし、親戚の家をたらいまわしにされ、8歳の時、この施設にやってきた。僕が施設に出入りした時と、ほぼ同じ時期にやってきたこともあり、よく話した。

 ある日、彰子が「ヤマボウシを見たい」と言い出した。

 この時期にはヤマボウシが一番きれいで、彰子が両親と一緒に住んでいた伊豆の家の庭に咲いていて、白い花を見るのがすごく好きだった、という。

 彰子のことは、シスターからも聞いていた。

 家族が住んでいた家や土地、すべての財産を、彰子の面倒を見るという約束のもと、親戚の一人が親権をとったものの、彰子はすべての相続すべき財産を取られ、身体一つで追い出されてしまったという。神父も哀れに想い、弁護士を雇い、財産を返すようにと裁判を起こしていると聞いた。

 比較してはいけないのかもしれないが、彰子はきちんとした家庭で育てられたことを十分にうかがわせる、礼儀正しく、言葉使いも丁寧で、箸がきちんと持てるのは、彰子だけだった。他の子供たちとは異なる感じがあった。

 「ヤマボウシは緑の海に浮かぶ白いヨット」

 彰子のそんな言葉に、なんとか、ヤマボウシを持ってきて、施設の隅でいいから植えてやりたいと思ったのは、僕だけではなかった。父も協力してくれた。父と相談し、彰子が住んでいた伊豆の家までバイクを走らせた。父は先に行き、植木職人を雇い、根っこからヤマボウシを抜き、宅配で施設に送った。

 それを施設の隅っこに植えてやった。

 「ヤマボウシは緑の海に浮かぶ白いヨット」

 僕がヤマボウシを見たのは、その時が初めてだったが、六月のヤマボウシの花は、まさに白いヨットだった。彰子は涙を流して喜んでくれた。ぼろぼろ涙を流しながら、僕にしがみついた。彰子なりの感謝の表現だったのだろう。

 僕は高校卒業とともに、京都の大学に進み、彰子とはそれ以来会っていない。ただ、シスターから手紙があり、中学校の教師の家に養女に入ったと知らされた。

 年に何度かは施設を訪れたが、彰子の消息は聞かないようにした。幸せになっていてほしいと思うだけだ。僕の淡い恋心だったのかもしれない。

 それ以来、僕の住むところには、必ずヤマボウシを植えた。

 僕と彰子をつなぐ唯一の思い出が、このヤマボウシだ。

本当に久々の休日だ。

家族が誰もいない、自由な休日だ。

18歳の娘が日曜日にいないのは、いつものことだが、女房の祥子がいないのは珍しい。

9時頃だったか、10時前だったか、眠っている僕の顔を覗き込むようにして、

 「今日は、知世とデパートに行ってきますからね」と言っていた。やたら、香水の香りが強く感じたのと、赤いネックレスが印象的だった。久しぶりに女房のオシャレを見たような気がした。

 「お昼は店屋物でも取ってください。インスタントラーメンなら冷蔵庫の横の棚にありますし、玉子とネギは冷蔵庫に入ってます。夕食までには帰りますからね」

 そう言ってドアを閉めて出ていった。

 それにしても静かだ。

 単身赴任の時は一人でいるのが妙に手持無沙汰で、コンペに参加したり、用事もないのに会社に出たりしていた。

 だからというわけではないが、一人っきりで過ごす休日にすごく憧れていたはずだ。しかし、それが現実のものになると、何をしていいのかさえ解らないでいる。

 自分のためだけの休日を、自分一人だけで、自分の思うように過ごしたいと切望していたはずなのに。

 店屋物など、近くの定食屋で食べていた単身赴任の時と変わらないじゃないか。ましてや、インスタントラーメンごときを、自宅で食べなくてはならないなんて、なんと情けないことか。せっかく我が家にいるのだから、もっときちんとした食事をしたい。

 よし、自分でおいしいものを作ろう。

 そう思い立つと、何となくワクワクしてきた。昔から、料理なんてものはほとんどやったことはないけれど、大学時代には仲間を集めてバーベキューもしたし、高校時代には、施設の子供たちとキャンプに行ってカレーライスを作ったりしたものだ。

 そうだ、お好み焼きだ。施設でも子供たちに好評だった。彰子は僕のお好み焼が大好きだった。また作って、とよくせがまれた。

 僕のお好み焼は、生地に生クリームと重曹を少し入れ、ふわふわに仕上げるのが自慢だった。具はこんにゃくとキャベツ。エビフライを乗っけるのが特徴で、ソースとマスタードを塗り、タルタルソースをかけて食べる。エビフライのパリパリ感とタルタルソースが妙にマッチして、神父さんやシスターたちにも喜ばれた。それを作ってみよう。

 僕は新聞のスポーツ欄をさっと見て、阪神タイガースの勝利を確認すると、冷たい牛乳をもう一杯飲みほし、行動に移した。

 ホットプレートを見つけるのも大変だったが、食材も冷蔵庫の中には僕の欲しいものはほとんどなかった。既製品のタルタルソースと玉子くらいしか発見できなかった。小麦粉の保管場所さえ見つけることができなかった。もちろん、エビフライを作るための油も発見できなかった。キャベツさえ、なかった。最近の家庭では、キャベツよりも、サニーレタスやサラダ用の水菜のほうが好まれるのかもしれない。僕はキャベツのサクサク感が好きなのだが、そういえば、最近はお店でも、トンカツくらいにしか添えられていないのかもしれない。もう、キャベツは時代遅れの食べ物になってしまったのだろうか?

 僕はジーンズと赤いポロシャツを身に着けて、近くのスーパーマーケットに向かった。実は僕はスーパーに行った記憶はほとんどない。施設の子供たちと買出しに行った時くらいだと思う。学生の頃は、買出し役は決まっていたし、単身の時は全てと言っていいくらい、コンビニを利用していた。だいたい、一人の時に自分のために買出しをして料理をするなんてことは全くなかった。後片付けを想像しただけで嫌気がさしてしまう。それでも、今僕はワクワクしている。俄然やる気が出てきた。あの美味しいお好み焼きの味覚が口の中によみがえる。

 スーパーは空いていた。日曜日の昼前という時間帯のせいなのだろう。それでも母子連れの姿がちらほら見られる。小学生の女の子を見ると、彰子かもしれないという気がしたが、もう30年以上も昔のことだ。彰子も40歳を過ぎているはずだと気が付くと、口元が少し緩むのがわかる。

 スーパーは僕の想像していたものとまったく異なっていて、商品のアイテムの多さに驚いてしまう。チーズにしても、牛乳にしても、これほどの種類があるのかと思うほど、豊富だ。みんなは、いったい何を基準に選んでいるのだろう。

 一番の驚愕は、冷凍食品の豊富さだ。揚げ物くらいは予想できるのだが、野菜や肉類、パンや、和菓子やケーキ。煮物、煮魚、焼き魚、ありとあらゆる冷凍食品が並んでいる。酢豚や八宝菜。筑前煮や、オムレツ、たこ焼きやたい焼き、ピッツァ。冷凍の弁当まであるのには愕然とした。女房もこういうものを、何食わぬ顔をして食卓に並べているのかもしれないと思うと、侘しくなってしまう。知らぬは亭主ばかりなり、というのは現実なのだ。

 それでも気を取り直して、こんにゃく、生クリーム、小麦粉、ベーキングパウダー、キャベツ、お好み焼き用のソース、チューブの粒マスタードを次々に買い物かごに入れていく。エビフライは総菜コーナーで出来上がったものを選んだ。

 缶ビールを二本かごに入れ、つまみにはジャーキーとポテトサラダ。

 レジに向かう時、チョコレートが並ぶ棚の中に、懐かしいパッケージを見つけた。ガーナチョコレートだ。子供のころ、チョコレートは結構高級品で、小学生の子供には手が出せず、母親の買い物についていくときに、ねだって買ってもらったことを覚えている。その一か所だけが、昔のままだった。うれしくなって、それもかごに入れた。そして、もうひとつ目についたものがある。マーブルチョコレートだ。円柱型のケースの中に、赤や黄色などの色とりどりの球形のチョコレートが入っている。大学時代にしばらく付き合った恋人が、いつも持っていた。これは少し後ろめたいような気分でかごに入れた。

 家に戻ると、ちょっと疲れてしまって、食卓の椅子に腰かけて、タバコに火をつけた。一本くらいわからないだろう。

 この家は、娘の知世が中学に入ったとき新築した。もう6年余りが過ぎたことになる。しかし、単身赴任期間が合計四年半、海外研修期間が約一年あった。だからこの家のことは、わかっているようで何にも知らなかったりする。

 まぁ、のんびりやろう。僕はビールを開け、一口飲んでからお好み焼き作りにかかり始めた。

 サッシから見える庭のヤマボウシが、施設を思い出させてくれる。

 ホットプレートのスイッチを入れ、熱くなる間にこんにゃくを細かく切る。次に、キャベツを千切りにする。小麦粉を冷水で溶き、ベーキングパウダーと生クリームを混ぜる。油を引いて、生地を薄く、そして丸く伸ばす。その上にキャベツをたっぷり置き、こんにゃくを散らし、玉子を二個割って上に乗せ、生地を上からかける。

 ここで豚肉を買うのを忘れたことに気が付く。冷蔵庫の中を探し、発見した時は、やった、と思った。

 豚肉をのせ、お好み焼きをひっくり返す。うまくいった。裏になった生地を、ポンポンと叩き、しばらく様子を見る。

 火が通ったころに、また裏返しにして、お好み焼き用のソースをたっぷりかけ、マスタードも多い目に上に塗る。こてこての表面に、エビフライをのせ、生地をかけ、また裏返しにする。こんな作業の間にも、ビールは一缶無くなってしまい、ジャーキーも半分以上がなくなってしまっていた。

 また裏返しにして、スイッチを切り、タルタルソースをかける。

 よし食うぞ。

僕は二本目のビールを開け、ホットプレートの前に座った。

 お好み焼きにヘラで切れ目を入れる。ジューッという音と湯気が立ち上る。そしてソースの焼ける匂い。

 これだ、これだ。

 ビールと一緒にひとかけを口に入れる。昔の思い出が口の中で広がるようだ。懐かしさがよみがえる。この味は絶対、女房も娘も知らない。京都から三重県に転校し、寂しくてつまらない気分を吹き飛ばしてくれたお好み焼きだ。彰子の笑顔や、子供たちのうれしそうな表情に、僕は満たされた。考えると、僕は子供たちのために施設に行っていたのではなかったのかもしれない。僕自身が元気をもらいに行っていたのだろう。

 ひと口、またひと口。施設の子供たちの笑い声が聞こえてくる気がする。

 今度施設に行くときには、これを作ってやろう。女房は、僕が施設に行くことを好んでいない。施設の出身者だと思われるから、やめておいたほうがいい、と力説する。小さい頃は、僕と一緒に行くことを喜んでいた知世も、いつの間にか女房と同じことを言うようになった。いまでも、月に一度は行くようにしている。僕にはあの施設が、心休まる場所なのかもしれない。

 家を建て、6年間のうち、5年も住んでいない家に帰っても、落ち着かないことが多いような気がする。施設には、僕を待っていてくれる人たちがいるような気がするのだ。

 今度施設に行ったとき、彰子の住所を聞いてもいいのだろうか? もし、彰子が施設出身ということをご主人に言ってなかったら、なんて考えると、やはり知らないほうがいいのかもしれないと考え直す。

 またひと口お好み焼きを含むと、彰子にも食べさせたいような気もする。

 お好み焼きを食べながら、庭のヤマボウシを見てみる。つい口元が緩む。

 「もう一枚食べよう」

 独り言を言いながら、二枚目の生地を薄く伸ばした時だった。

 玄関があき、女房と娘の話声。

 「なに、この煙。あなた、もう何やってるのよ。臭いがこもってしまうわ」

 最悪だった。

 慌てて窓を開ける女房を黙って見つめる。蛇に睨まれた蛙のようなものだ。

 「気に入った物は買えたのか?」

 娘の知世は、それに答えず冷蔵庫をのぞいている。

 「マーブルチョコ食べてもいい?」

 「ああ、いいよ。懐かしかったので、ガーナチョコも買っちゃったんだ。それも食べてもいいよ」

僕の心とは裏腹の言葉が出てきてしまっていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 男って、昔にあこがれながら生きてるってこと。 俺だって・・・・。
[一言] 男ってのは、昔のロマンに固執してるのかな? 僕も同じだけれど。
[一言] 男の人って辛いですね。 理屈ではわかってても、女は勝手だから・・・。
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