ディスぺラート
三年生という立場になってから最後という言葉がついてまわるようになった。
俺は部活をやっているわけでもないし、これといって頑張ってきたものはない。
だから漠然と何かをしてみたかった。バンドの誘いにのったのもそんな理由だ。最後の文化祭を飾るには最適に思えた。とにかく盛り上がればそれでいい。皆で楽しむことが一番いいに決まっている。俺ならそれができると信じていた。
楽器はロクに触ったこともないが歌うことくらいなら。全員で曲を決め、練習に明け暮れた。歌いなれないうちは喉が嗄れ、呼吸することさえ喉が痛みを訴えてきたものだ。他の奴らもそれぞれの壁にぶつかり、皆で乗り越えた。結成したてのバンドとは思えないほど俺たちの絆は強い。少なくとも俺はそう確信していたんだ。
ようやく演奏と呼べるレベルになってきた頃、突然ギターの奴が辞める言いだした。理由は覚えていない。彼女ができたとか、音楽性の違いだとか、それくらい適当な理由だった。
当然俺たちは怒り、そして悲しみながら説得する。引きとめて、引きとめて、それでもダメで……そいつは去っていった。ベースとドラムはバンドそのものまで諦めたのか、肩をすくめるばかりだ。
でも俺は諦めきれなかった。せっかく練習したものをこのまま無駄にするのは忍びないと思ったのだ。
知り合いをはしごし、ギターができる奴を探しまわった。しかし、バンドの募集が終わったばかりの時期で皆手があいておらず、諦めざるを得ない状況に陥る。当然の結果だ。
それでもバンドをやりたかった。何がそこまで俺をかき立てるのか分からないが、その次の日には友人からギターと予備の弦を借りていた。
ギターを構えたのはその時が初めてだ。予定していた3曲のうち1曲に絞り、一人で練習をはじめた。指の皮が何度も剥けて血がにじんだことも一度や二度じゃない。腕が疲れ、ギターを持っているのが辛いときもあった。弦一つ張り替えることすら難しくて、投げ出したい気持ちに何度負けそうになっただろうか。
そんな辛いことがありつつも、どうにか弾けるようになった。全て元通りとは言えないがバンドはできる。バンドに残されたベースとドラム担当の笑顔までイメージできるほどだ。指先に刻まれた弦の跡が、俺に自信と勇気をくれた。これが名誉の負傷というべきこのか……いいや、俺の青春をそのものだ。
そして一昨日、その二人を呼んで俺のギターを聞かせた。下手なのは百も承知で演奏して歌いきる。全力を出しきったせいか、汗まみれで弦が滑りそうになったくらいだ。
「この演奏でよければ俺たちバンドできるぜ!」
俺は自信満々に言った。
しかしあいつらはお互いに顔を見合わると、へらっと笑ったのだ。
それから、きまりが悪そうに言いだす。
「あのさ。言いたくないけど下手」
最初にそう言ったのはドラムの方だった。
次にベースのやつが楽譜を見て顔をしかめる。
「しかもこの曲、間奏部分がベースソロじゃん? 俺が弾けないわけじゃないけど正直面倒」
たしかにその通りだった。けれど下手なギターソロを聞かせるより、経験者のベースがキメてくれた方がいいと思ったのだ。それにベースソロがあると言って喜んだのは、他ならぬベース担当だった。
「お前かっこつけてるけど自分が一番ラクできる曲で、おいしいとこ取りする気だろ?」
「説得するくらいならギターソロ見せつけてくれよ」
なおもぶつけられる不満にさすがの俺も弁解を始める。ちゃんと話せば分かってくれると思ったからだ。
「俺はそんなつもりでこの曲にしたわけじゃないって。俺よりも上手いお前らに目立ってほしくてこの曲に――」
「結局人任せかよ。お前、ギターの奴より性質悪いな」
「ギターしょぼいバンドとかカッコ悪いしマジで無理」
なんで……そんなこと言うんだよ。お前らバンドやりたいんじゃねぇの?
「ほら、今更出場辞退とかできねぇしさ、お前らだってこのまま終わるのは嫌だろ?」
「お前こそ今更すぎるだろ。なんで前々日なわけ?」
「驚かせたかったんだよ。つーかお前らが俺に隠れて練習していることくらい知ってんだぜ!?」
俺が頑張れたのは一番の理由はそこかもしれない。ベース担当は隠していたつもりだろうが、学校にベースを持ってきている時点でばればれだった。ドラム担当が昼休みに楽譜を見ていたのだって知っている。二人が頑張っている姿を見たからこそ、俺はここまで頑張れたんだ。
ベース担当が、気まずそうに目をそらした。
ややあって、ベース担当が告げる。
「俺さ、正直このメンツに未練はねぇよ。だから、他の奴とバンド組んだ」
「……は?」
それにつられる様に、ドラム担当も打ち明かす。
「このバンド終わったと思ってたから、クラスの企画に専念しているんだ。悪いけど忙しい。ドラムは趣味だから、文化祭でやれなくてもいいし」
なんだよ、それ。
つまり俺だけだったのか? このバンドに固執していたのは俺一人? 嘘だろ。違うって言ってくれよ。なぁ。
「一曲やるだけだし他にバンドやってようが、クラスで何かやっていようが何とかなるって。俺たち最後の文化祭だろ!? 色々やっておいて損はないんだってば!」
二人は困ったようにため息をつく。それから、こんなことは言いたくないけどと前置きし俺に向かってとどめを刺した。
「「何あつくなってるの?」」
積み上げてきたものが全て崩壊した。
そこから先は覚えていない。みるみる目の前が暗くなり、気がついたら次の日、つまり昨日になっていた。ギターは楽器置き場に置いてどうにか帰ってきたらしいが、夢の中の出来事のように感じている。
その日は茫然としていた。心にぽっかりと穴があき何か考えることができなかったのだ。
布団の中で一日中過ごした。まともな思考はできないけれど、それでも自分に問いかけ続ける。
どうしてこんなことになったのだろう。
俺が何か悪いことをしたのだろうか。
俺はなんのために練習していたのだろう。
この手の痛みは達成感が拭ってくれたというのに、また痛みだした。痛い。手だけじゃない。心まで血がにじんでいる気がする。吐き気を押さえるため、頭を殴って無理矢理寝込んだ。
夕方頃に目が覚めて、今度は罪悪感に苛まれる。
琴音と風雅に申し訳なかった。
琴音にクラスの当番の時間を無理やり調節させた。琴音は笑いながら了承してくれたが、後でクラスメイトに頭を下げている琴音を見てしまった。俺はその時謝ったが琴音は首を振ってまた笑う。
「私が春葵のバンド見たいから無理言っちゃっただけだよ。私の我がままなの」
その笑顔に何度救われただろうか。バンドは狐鬼祭の花形イベントで、クラス当番の押し付け合いが勃発するのも珍しくなかった。
俺はそこまでしてくれる琴音を喜ばせたい一心で、すっげー曲を聞かせてやるよなんて自信満々に言ったのだ。まだバンドが崩壊していなかった時のことである。
風雅にはめちゃくちゃ宣伝しまくった。風雅はクラス活動も部活も生徒会の仕事もある。クラスの方はなんとかなるにしろ、柔道部部長として働かなければいけないし、生徒会の仕事も決して簡単なものではない。それなのに絶対に行くって約束してくれた。申し訳なさそうに断られるか、いけたらいくと言われると思っていた俺は逆に心配する。
「風雅、優先順位はちゃんとつけろよな?」
「あったりまえだろ。春葵が一番だ! 他のことなんて、どうとでもなる」
こいつが友人で本当によかった。心の底から感謝し、最高の演奏見せると約束する。
けれど俺は二人を裏切ったのだ。
ギターの奴のせいだとか、他のバンドのメンバーが悪いせいだとか、言い訳はいくらでも思いつく。けれど事実は変わらない。いくら優しい二人でも物語に出てくるような聖人君子ではないのだ。怒ることもある。傷つくこともある。俺は二人の気持ちを踏みにじるようなことをしてしまったのだ。
そのくせ今日になってノコノコと登校して、あろうことか嫉妬した。本当に最低だ。申し訳ないと思ってるくせに楽しそうにしてる皆が羨ましくて、妬ましかった。
悔しかったんだ。バンドができないことが。
「帰りたいわけないだろ……」
必死に走る。前を行く少年の背中に向かって叫んだ。
「俺は、バンドやりたいんだよ!!」