テンションコード
つ、疲れた……。
堅物少女に言われたことなんて無視するつもりだった。ゴミ拾いなんか善人ぶっているようでカッコ悪いからだ。しかし、何処にいてもゴミばかりが目についてしまう。仕方なく一つ拾い、二つ拾い、気がつけばゴミ袋1袋分にまでなっていた。
拾っていて気付いたが、少女以外の生徒会役員はゴミ拾いをやっているようには見えない。当番制なのか、サボりなのか、もしくは少女が自発的にやっていることなのかは分からないけれど、あまりいい思いは抱けなかった。かといって俺にはどうすることもできないし少女もそれを望んでいないだろう。
一区切りがついたので先程の駐輪場へ顔を出してみたが、誰もいなかった。少女がいた場所はキチンと清掃され、黒いショルダーバックが畳んで置いてあったが詳細は不明。実際に触れたわけではないので詳しくは言えないが、子供程度なら入れるくらいの大きさで細長いような気がした。ゴミには見えないし誰かが意図的に置いたものかもしれないのでその場を後にする。
代わりに向かったのはゴミ捨て場。ゴミ袋を置きついでに飲みほしたジュースのカップも捨てた。
「よし」
適当に手を洗い、ついでに顔を洗うと決心がついた。
家に帰ろう。
もうギターのことはどうでもよくなっていた。本当に帰りたい。だって俺にはこの文化祭に参加する資格がないからだ。一昨日の出来事が頭をよぎり、気分が悪くなる。こんな気分になるのもここにいるせいだ。さっさと帰ろう。
目指すは玄関。そこで靴を履き替えアーチをくぐる。単純なことだ。
それなのにどういうわけか、ため息がとまらない。
「はぁ……」
諦めきれない自分がいる。けれどどうしようもない。今さら出来ることはないと、自分が一番知っているじゃないか。なぁ、そうだろ?
ようやく玄関付近までたどり着いた時、汗が滝のように流れていた。暑さのせいだけではない。いつの間にか走っていたようだ。どこをどう走ったのか、何故走ったのか、自分でもわからない。もう何もわからなくなっている自分がいた。
それでいい。いっそ自分を見失ってしまえば楽になるのだから。
歩くペースを落として玄関へ向かう。あと少しだ。俺は家に帰り、部屋に籠る。
部屋の中なら「えーん」しばらくすればきっと「ママぁー!」そう「うえーん!」俺はもう「うわーん!」…………嫌な予感しかしない。
泣き声がこだまする玄関にいたのは、幼い少年とピンク色のうさぎだった。子供は推定5才。俺の予想が正しければ、迷子だ。
その隣で狼狽しているのがうさぎの着ぐるみを着た生徒。風船の束を背負い、首からは「ヤキソバ300円」のプラカードを下げている。これも予想だがあの生徒は宣伝途中に迷子を発見したのだろう。文化祭中にはよくある出来事だ。
せいぜい頑張れよ、とでも言いたいところだが、二人がいる場所はちょうど俺の下駄箱の前。忍でもないかぎり、二人に気付かれることなく靴だけ回収することは不可能だろう。
できれば関わりたくないのだがどうしたものか。
着ぐるみを着た生徒は困ったように迷子の頭を撫で、キョロキョロとあたりを見回す。
そして、俺を見つけた。
ダッと生徒が駆け寄ってくる。無表情のうさぎの着ぐるみが無言で迫ってくるシュールな光景。その俊敏かつ必死な動きは、俺の心に生涯忘れることのできない恐怖を刻んでくれた。
無言のまま俺の手を掴み顔を近づけて、助けを強く訴えてくる。
よくよく見るとこのうさぎ、俺よりもでかい。人間の首が隠しきれていないし、汗がにじんだ手の馬鹿力といい、まず間違いなく男子生徒だ。何かのスポーツでもやっているのか、掴まれた腕を振りほどくことができない。俺の視界全てが無表情のうさぎでうめられている。これは今夜夢に出てきそうだ。
子供が泣きやまない理由がよくわかった。怖すぎるのだ。このうさぎ男は。
「あの……なんか、しゃべってくださいよ?」
うさぎ男――うさ男は、ぶんぶんと首を横に振る。そういえば着ぐるみは直接しゃべってはいけないというルールがあった気がした。しかし、こんな状況で律義に守られても困る。
「この子はさ、迷子なんだよな?」
首肯。俺の予想は的中。まあ、誰だってそう思うのだろうけど。
とにもかくにも俺は迷子とうさ男に巻き込まれてしまった。
こうなれば仕方ない。さっさと終わらせてしまおう。うさ男に協力する旨を伝え、腕を離してもらった。強く掴まれたせいで、白くなっている。まだ少し痛いし……うさぎの癖にゴリラみたいな握力だ。
さて、まずは子供を宥めなくては。子供目線に合わせ、その場に片膝をつく。
「君、名前は?」
「…………きむら、しょうた」
意外にもすんなりと返事がきた。年齢、誰と来たのか、どこではぐれたのか、という質問にも淀みなく答えていく。やはりというべきか、泣いていたのはうさ男が怖かっただけのようだ。俺ですらビビるくらいだし無理もないだろう。
泣きやんだしょうたを連れて、校内を歩く。
「えー、きむらしょうた君のお母様はいらっしゃいませんかー?」
恥ずかしくてやりたくないが仕方ない。いまは目立つことが重要だからだ。
幸い、うさ男は周りの目を引きやすくパフォーマンス精神にも長けているので、便利な存在だ。愛想良く手を振ったり飛んだり跳ねたりと、喋らない分を補うように振る舞っている。喋った方が早い気もするけれど。
「なぁ。人が集まりそうな所ってどこだろ?」
広い校内をやみくもに歩くわけにも行かない。うさ男に意見を求めるだけ無駄かもしれないが話をふってみる。
うさ男はすぐさま首から下げたプラカードを大袈裟に振った。揺れるヤキソバ300円の文字。
「宣伝はあとにしてくれ」
やはり無駄だったか。仕方なく声かけに専念することにしたが、うさ男はなおもプラカードを見せつけてくる。
「ヤキソバ300円なのは、もうわかったから!」
邪険に扱うとプラカードで殴られた。普通に痛い。
「なにすんだよ!」
抗議の声を上げたと同時に、プラカードを眼前に突きつけられる。
うさ男が指しているのはプラカードの端。そこには四角い朱印が押されており「生徒会」の文字が刻まれていた。この印が押されていないポスターなどは校内に貼ることができず、生徒会役員の手によって処分されてしまうのだ。
ようやくうさ男の言いたい事が分かった。
「生徒会本部ってことか?」
うさ男は大袈裟に頭を振って首肯し、ボスボスと拍手を送ってくれた。
生徒会本部は会場の案内や落し物の管理をやっているので、迷子の対応もやっているかもしれない。
うさ男の意見に賛同し本部へ向かうと、しょうたの母親がいた。
こうもあっさり見つかると拍子抜けするものだが、さっさと解決してくれて助かる。何度もお礼を言われ謙遜を返すと、しょうたと母親は手を繋いで帰っていった。
それを見送りおえると、今度はうさ男が俺に頭を下げる。手で頭を押さえているので、素顔を晒すつもりはないようだ。それでもうさ男のジェスチャーからは気持ちが伝わってくる。
「別に俺、大したことしてないからさ。顔あげてくれよ」
うさ男は首を振り奇妙なジェスチャーを繰り返し始めた。正直何を言いたいのかわからず、何度かその動きを観察する。おそらく一つの動作で一単語だ。頭を下げ俺と自身を交互に指差しぐるぐると腕を回す。
うさ男のジェスチャーがうまいのか、俺が妙な能力を覚醒したのか定かではないが、言いたい事はなんとなく伝わった。
「礼とか恩返しとかいらねぇって」
「――! ――!」
「しゃべってくれよ。……まあいいや。頑張ってヤキソバ売ってくれ」
俺は人ごみに紛れてうさ男と別れた。だんだんと速度を上げ、全力疾走になっていく。
うさ男が全力で追ってくる光景を想像し思わず身震いしたからだ。脳内で恐怖がフラッシュバックしている。本能が恐怖を叫びまくっているせいで、どんどん玄関から遠ざかっている気がした。今はあそこには戻れない。
息も絶え絶えに後ろを振り返る。
幸い、うさ男の姿はなかった。