パーフェクトファイブ
『狐鬼祭』とかかれた手作りのアーチを抜けると、そこは別世界だった。楽しそうに行き交う人々。話し声は絶えることなく溢れんばかりの笑顔から発せられる。威勢のよい呼びこみやスピーカーから轟く音楽。屋台からはソースの焦げるにおいや甘いにおいが立ちこめ、鼻孔をくすぐる。玄関前の広場でさえこの活気のよさだ。俺はその空気に圧倒され、しばらくその場に立ち尽くす。
どれもこれも一昨日までは無かった物ばかり。自分が休んだ昨日のうちに全く別の学校になっていた。感心せざるを得ないが、このもやもやとした気持ちはなんだろう。分からない。いや、分かりたくない。
頭をふり嫌な考えを追い払う。その代わりに琴音からのメールに返信していないことを思い出した。たしかこの時間、彼女はクラスの当番で3-5にいるハズだ。
玄関で校内用のサンダルに履き替え、自分の教室に向かう。広場と同じく賑やかな階段を上り、最上階を目指した。窓はどこも開いているが、人々の熱気と気温のせいか額に汗が浮かぶ。不快だ。
教室に着くやいなや琴音にでくわした。琴音が教室の前に並ぶ客の整理をしていたからだ。俺が近付くと、すぐに向こうも気付く。
「春葵。よかった、来てくれたんだね」
駆け寄ってきた琴音は、髪を二つに分けて縛りクラスで統一したシャツを着ていた。俺たちのクラスはお化け屋敷をやっており、琴音は白い狐のお面を頭につけている。なかなか雰囲気がでているじゃないか。左目下の星のワンポイントも洒落ている。
ちらりと客の列を見て、感服した。
「客、意外と多いな」
「そうなの。今年は全体的にお客さんの数が多いみたい。平日なのにね。おかげで大盛況だよ」
「そうか」
「あ、春葵の当番は三時からだからね。一般公開終了時間に近いから、そんなに忙しくないと思うよ」
「あぁ、サンキュー」
クラスの当番表を作ったのは琴音だ。俺が我儘を言って困らせた当番表も無意味なものになってしまった。
「そうだ。当番のときは、このお面を貸してあげるね。けっこう評判いいんだ」
白狐のお面は木でできていて、琴音が美術の授業で作ったものだ。お面の制作時期とクラスの出し物が決まったのは、同じ頃。クラスの為にわざわざお化け屋敷に似合うものを作ったのだろう。琴音はそういう心遣いができるいい奴だ。
俺が黙ったままでいると琴音は心配そうな顔になる。
「……まだ、具合悪い? 昨日、一日休んだだけなんだから、無茶しない方がいいよ。それにお化け屋敷の当番は他の人にも頼めるからね」
いつだって優しく気遣ってくれる。すごく嬉しい。感謝しきれない。
「悪いな。いつも」
「ううん。春葵のバンド楽しみだもん。絶対見に行くから!」
無邪気で明るい笑みに優しい言葉。申し訳ない思いが募り、思わず顔をそむける。目を合わせているのが辛かった。
ごめん、琴音。
その一言がどうしても言えない。
「俺、バンドの正確な時間を確認してなかった」
考えとは別の言葉が飛び出す。俺はこんなに嘘をつくような人間じゃなかったのに。
「え? もう、しっかりしてよ。私だって時間知らないから春葵をアテにしてたのにー。分かったらメールしてね」
頷くことすらできず「頑張れよ」と言ってその場を去った。本当のことは何一つ言えないまま、逃げたように……。
ように、ではない。俺は間違いなく逃げたんだ。