狐と鬼のセブンス・コード
演奏が終わり、司会の灯歌と円歌がステージ上に出てきた時、観客の誰かが叫んだ。
「「アンコール!!」」
その一声がみるみる重なり始め、俺は茫然とした。
観客全員が鼓膜を破るかの勢いでアンコールを求めている。嬉しさに心を打たれる反面、一曲しか演奏できない事実に焦っていた。
助けを求めるようにステージ袖にいる灯歌と円歌にアイコンタクトを送る。
二人は息ぴったりにこちらに向かって親指を突き出す。
「春葵くんのバンドは、もともと3曲の予定だったでしょ?」
「時間はまだあるから全然かまわないよー」
そうじゃない! ありがたい話ではあるが、同じ曲を演奏するのもきまりが悪いし上手くこの場をおさめてほしかったのだ。
「どうする?」
さすがの蘭も困ったような表情で尋ねてくる。彼女なら楽譜を渡せば問題ないのだろうけれど俺が大問題だ。この一曲を弾きこなすのに精一杯で、他に出来る曲はない。
なおも会場のアンコールは続く。やばい。超幸せなんだろうけど、やばい。
「うさ男は何かいい案あるか!?」
藁にもすがる思いでうさ男のいるステージ奥へ振りかえる。
うさ男は全力でプラカードを振っていた。宣伝をしているのだろうか。しかし首から下げる程度の小さなプラカードでは、観客に文字は見えないため無駄にしか思えない。
「……あ!」
ピンと来た。やはりうさ男のジェスチャーを読み取る能力が身についてしまったようだ。
すぐさま蘭に耳打ちする。
「ヤキソバってどこのクラスだ? あと場所教えてくれ」
「3年2組だ。南校舎の外にある屋台通り、玄関に一番近い場所だ」
さすが生徒会役員。全ての企画を把握しているようだ。
「ちなみに蘭のクラスは?」
「3年6組は射的だ。場所は3年2組の向かい」
「よし、じゃあうさ男と適当に演奏してくれ」
うさ男に軽く手を振ると、勢いよくシンバルが叩かれた。
地響きのような歓声が湧きあがり、蘭のベースもそこに加わる。
正面から見て一番右にあるスネアドラムから、左のフロアタムまで高速移動を二回繰り返すと、シンプルかつ疾走感のある2ビートを刻み始めた。
「皆、アンコールありがとぉおお!!」
マイクに向かって叫ぶと、それ以上の雄たけびが返される。あまりの大音量で本当に鼓膜が破れるんじゃないかと思った。
「けど悪い! 俺たちはあの曲しか弾けないんだ!」
会場がどっと沸き、はやし立てるような指笛の音まで聞こえてくる。
だが、その程度で挫けるわけにはいかない。
「曲の代わりに宣伝してやるぜ! まずはベース担当、蘭! 3年6組は南校舎の外、屋台通り入り口で射的をやっている! 1回200円で5発撃てるぞ! 蘭みたいな目つきのスナイパーになりたいならそこで実力を発揮しろ!」
「私の目つきの何処が悪い!」
抗議の声を上げる蘭に、その目つきだよと笑ってやった。観客もつられて笑うと、蘭は怒った様子でベースの音量を引き上げる。
そして、フッと息を吐くと目にもとまらぬ速さで指を動かし、ベースの音階を駆けのぼっていく。ピアノで言えば黒と白の鍵盤を下から上に向かって弾いているだけだが、弦楽器は違う。ドの音を押さえて弦を弾き、レの音を押さえて弦を弾いてをくり返すため、両手のタイミングを確実に合わせなければいけないのだ。それを正確かつ高速で披露すると、どうだと言わんばかりの顔で右手を頭上に突き上げた。
観客は一様に口をぽかんと開き、しばらく放心していた。うさ男がシンバルを叩いてやると、ようやく我にかえり先程以上の拍手喝采が轟かせる。
「ちなみにゴミを捨てると俺たちがブチ切れるから絶対に捨てるなよ!」
「「おぉお!!」」
力強い返事に思わず口元がほころぶ。これで蘭の仕事も減りそうだ。
「次! ドラム担当、うさ男! 3年2組は6組の向かいでヤキソバを売っているぞ! 一つ300円! ソースと塩の二種類の味があるから両方買ってくれ!」
うさ男が渾身の力を込めて、左右のシンバルを同時に何度も叩く。その大音量に負けないよう、俺も叫んだ。
「うさ男のヤキソバ買う奴は返事しろぉおおお!!」
「「うぉおおおおお!!」」
その怒号にも似た叫びにうさ男は満足したようで、元の2ビートを刻み始めた。
「最後に! 俺、ギター&ボーカルの春葵! 3年5組は北校舎三階でお化け屋敷をやってるぞ! 子供からお年寄りまで楽しめるわくわくモードと、大の男でも絶叫させる本気モードの二種類だ! 俺が全員、恐怖のどん底に突き落としてやる! 本気モードにかかってこいやぁ!」
「「やってやらぁああ!!」」
「以上だ! 最後まで聞いてくれて本当にありがとう!!」
ギターの弦が切れるような勢いで掻きまわし、うさ男が終止符代わりにクラッシュシンバルを叩くと、演奏が終わった。
「ありがとうございましたー!」
灯歌がハイテンションでステージに登場し、その後ろから登場してきた円歌の誘導を受け、ステージから退散する。まだ身体が火照っていた。
観客はおろか、俺たちも興奮冷めやらぬ状態だ。全身が心臓になったかのような感覚に戸惑う。とにかく今は柔道部のカチワリが飲みたい。金はないけど風雅に頼んでツケてもらおう。ついでに宣伝しておけばタダで飲めたかもしれないと思うと、ちょっと後悔した。
ギターをステージ袖に置き、見失わないうちに蘭とうさ男を呼びとめる。大きく息を吐いて、俺は二人に頭を下げた。
蘭は早口で、お前の為じゃないとか、風雅が言いだしたことだからとか、ちぐはぐな返事をまくしたてた後、
「お前らとだったら、また演奏してやってもいい!」
という捨て台詞のようなものを吐いてステージ袖へと消えた。
蘭はバンドグループ交代時の尺稼ぎの為に、ベースソロを披露する役割があるそうだ。どのバンドにも所属しておらず、今回のようなことは異例だと風雅が驚いていた。蘭にバンドをやれって言った本人が驚くのだから、本当に珍しいことだったようだ。
うさ男は着ぐるみごしでも分かるほど汗ばんだ手で握手を交わし去っていった。その後ろを老若男女問わず、大勢のファンが尊敬の目を向けながらついていく。うさ男の宣伝したヤキソバはこの後飛ぶように売れ、屋台の中でも一番最初に完売したそうだ。
結局最後まで会話することなく、誰なのかも分からず仕舞いだった。
二人が去った後、俺はすぐさま琴音に声をかける。
「琴音!」
俺の声に気付いた琴音は、にこりとほほ笑むと両手を胸の前で握りしめた。琴音が心から感激している時のポーズだ。
「春葵、お疲れ様! すごい演奏だったね。かっこよかったよ」
労いと称賛の言葉が耳に入らない。それほど俺は琴音を凝視していた。
「なぁ……」
「ん?」
なんと言っていいのか分からず沈黙してしまう。それでも聞かない訳にはいかない。
意を決し、琴音の頭を指差す。
「そのお面……どうしたんだ?」
琴音のつけていたお面が、白い狐ではなく赤い鬼の面だったのだ。
教室で見たときは白い狐。俺が最初に見た少年は赤い鬼。
もう一度出会った少年は白い狐。そして、今目の前にいる琴音は赤い鬼の面をつけている。
俺にはそれが意味することを、なんとなくしか分からなかった。
琴音はいつも通りの口調で、笑みを浮かべたままだ。
「このお面のこと? 春葵が美術の授業で作ったやつでしょ」
「あ、あぁ……」
言われてみればその通りだった。琴音がお化け屋敷に似合うものを作ろうとしていたので俺も便乗したのだ。どうして今まで忘れていたのだろう?
「私のお面より、こっちの方が怖くてお化け屋敷っぽいかなーって思って借りちゃった。無許可でごめんね」
「別に。その、それはいいけどそのお面って……」
言いかけて、やめた。握りしめた琴音の手にギュッと力が籠っていることに気付いてしまったのだ。俺は琴音の今まで隠していたところに触れようとしている。触れなければならない事なのか? そんな疑問が頭をよぎった。
琴音が自分から言わないということは、何か言えない理由がある。だから今俺がすることはたった一つだ。
「琴音」
「なぁに?」
面と向かって言うのは恥ずかしいけれど言わなきゃいけない。
「ありがとう」
琴音はしっかりと頷き、それからステージに視線を向ける。それにつられる様にステージを見た。
「あっ」
ステージの上で白狐の面をつけた鬼が俺のギターを構えていた。
もちろん指先は、Cの音から始まるセブンス・コード。
ステージ上にいる灯歌と円歌、そしてステージに注目している観客でさえも鬼に気付いていない。
鬼は床を蹴って跳躍し、着地の勢いでギターをかき鳴らす。
ジャーンと和音が鳴り響き、その音と共に鬼は消えた。
「下っ手くそなギター」
俺は思わず笑い飛ばした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
活動報告にてあとがきの様なものを書きます。
オニオン@秋音のツイッターにて、この物語の原点となった頃音さんのイラストと頃音さんの描き下ろしイラストを公開します。ぜひご覧ください。