Are you ready?
少年を追いかけ飛び込んだ先は体育館。今はバンド会場になっている。
中にいた全員が俺に注目した。当然かもしれないが、少年の姿はどこにもなかった。
「あ、やっと来たねー春葵くん」
「おっそーい!」
灯歌と円歌がマイクを握りしめ、手を振っている。
「はーい。みなさん申し訳ありませーん。今やっと、ボーカルの春葵くんが来てくれました」
「準備のため5分ほどお待ちくださーい」
「ちょ、ちょっと待て……」
俺しかいないんだ。いくらバンドをやりたい気持ちがあっても現実は変わらない。俺は一人だ。
「やっと来たのか。春葵が遅刻なんて珍しいな」
駆け寄ってきた風雅が笑いながら背中を叩く。その力強さに返事が遅れ、次の質問をぶつけられてしまった。
「で、他の奴らは?」
「あ……その……」
――俺は風雅の笑顔をこの手で壊さなきゃいけないんだ。
泣きたくなったその時、背後から勢いよく扉を叩く音がした。ざわざわと周囲が騒ぎ、皆、俺の後ろを見つめている。
寒気を感じつつ振りかえると、そこには腕を組んで仁王立ちするうさ男がいた。
「うさぎ!?」
さすがの風雅も驚いたように後ずさる。たしかにそれが正常な反応だろう。
うさ男は腕をぐるぐると回しながら、俺の前に立つ。それから歌うような仕草をし、首をひねった。あまりのオーバーアクションに背中に背負った風船の束が破裂しないかと肝を冷やしたくらいだ。
ジェスチャーからうさ男の言いたい事を連想する。
「俺のやる、バンドの、曲名?」
首肯するので曲名を言うと、うさ男はステージに向かって走り出した。
きゃーきゃーと観客が叫び、海が割れるような勢いでうさ男の通る道ができる。
うさ男はドラムに駆け寄り、置きっぱなしのスティックを握った。ガシャーンとハイハットが鳴り響いたかと思うとズドドドドドドと目にも止まらぬ速さでリズムを刻み始める。たしかに俺の演奏する曲に似ていた。正確に言うと元の曲にうさ男のアレンジが加わったもので、練習中に聞いていたドラムより何倍もうまい。
「叩ける、のか?」
俺のつぶやきに、まかせろ言わんばかりの強いシャウトが返ってきた。着ぐるみを着てドラムを叩くとかどんな超人だよ。
「すげぇな……お前んとこのメンバー」
風雅は呆けた顔でうさ男のパフォーマンスに見惚れている。しかしまだ足りないのだ
ベースがいない。
ウォーミングアップしているうさ男にかける言葉を探す。
下手な事を言ってがっかりさせたくないが、やめさせないと――。
「――やっぱり、ここにいたのか」
俺の隣に少女が立っていた。駐輪場で出会ったあの堅物少女だ。今はどこかに置いてきたのか刀はなく、代わりに黒のショルダーバックを背負っている。
「あ、えっと……よ、よぉ」
この場合なんと言えばいいのか悩む。少女が小さすぎて、いつの間に隣に立たれたのか分からない。そんなことを正直に言ったら、視線だけで殺されるだろう。
「おかしいと思ったんだ」
少女が俺を睨みつけながら話し始めた。その目つきはうさ男とはまた違った怖さで、思わず後ずさる。風雅を盾にしたいくらいだ。
少女は犯人を追いつめる警察のように、淡々と語る。
「人の来ないような場所にいて、ラフな服装――。お前がどこかのバンドのメンバーだと、大抵の人間は気付くよな」
「あ? あぁ、まぁな」
俺が適当な返事すると少女の目つきが一層きつくなった。その鋭い双眸がわずかに潤んでいるようにみえる。
汗? いや、目から汗は出ない。目から出るのは涙だ。涙くらいしか思い当たらない。
ということは……泣いている? まさか。
俺が動揺していると、少女が人差し指を突きつけて叫ぶ。
「お前はバンドのボーカル! あの駐輪場で発声練習をしようと思って来たんだろ」
「は?」
凄まじい勘違い。いや、間違ってはいないのだが何故泣く? ひょっとして思い込みの激しいタイプだろうか。
「いや、俺は!」
「いいんだ! 最後まで言わないでくれ。私のせいなのだろう。バンドがあるって言えば、ゴミ拾いなんて手伝わせなかったのに!」
「俺が好きでやったことだろ? 気にするなよ」
「でも……そのせいでバンドできないんだろ!?」
確かにバンドはできるような状態ではないが、それは少女のせいではない。
「いくら馬鹿な私でもこの状況を見れば分かる。ここにベースがいない。私が手伝わせたからお前は遅刻して、そのせいでベースは帰ってしまったのだろう?」
勘違いにもほどがある。どこから説明すればいいのだろうか。
俯いてわなわなと唇を震わせる少女。下手な事を言えば本格的に泣きだしてしまいそうだ。
「じゃあさ」
口を挟んできたのは風雅である。
「蘭ちゃんがベースやっちゃえばいいじゃん」
「へ?」
予想もしない言葉につい間抜けな声がもれる。風雅がこの少女の名前を知っているのは同じ生徒会役員として当然だろうが、問題なのはその後の台詞だ。
風雅は呆れたように笑った。
「お前ら知り合いかと思っていたんだが、自己紹介もしてなかったのか? この子、生徒会役員の蘭ちゃん。剣とベースの腕前は一流以上だぜ。こっちは春葵。俺と一緒にいるのみたことあるよな」
確かに剣術においてはプロと言っても差し支えがない腕前だが……。
俺は俯く少女、蘭におそるおそる尋ねる。
「ベース、弾けるのか?」
蘭はようやく顔を上げ、再び俺を睨む。その時ようやく気付いたが、彼女は別に睨んでいるわけではないようだ。いつでも本気なだけ。だからこそ俺はその目が怖かったのだ。
蘭は真剣に俺をみつめ、早口にまくしたてる。
「私に楽譜をよこせ! 2分で暗譜及び、パーフェクトに演奏してやる!」
暗譜とは楽譜を暗記することだ。楽譜は何度も練習していくうちに覚えてしまうものだが、たった2分で覚えることはそう簡単なことではない。それにすでに暗譜してしまっている俺には楽譜を持っていなかった。
「スコアって、そんなものすぐには……」
「はいはーい。ここにありますよー!」
灯歌と円歌がスコアを片手に飛び込んできた。
「発表する曲のスコアは本部に提出するように言ったでしょ?」
「そうだったのか?」
おそらく前のバンドメンバーの誰かが申込時に提出していたようだ。俺は安心して蘭に楽譜を手渡す。
「この曲は!」
蘭が楽譜のタイトルを見て驚いている。
さきほどまでの泣きそうな顔が嘘のようだ。
「知っているのか?」
「愚問だ。ベース好きの人間がベースソロのある流行曲を知らない訳ないだろ?」
黒のショルダーバックから真っ赤なベースが出てきた。左利き用のベース。楽器屋に行ったことはないので実物をみるのは初めてだ。
「これが私のもう一本の魂だ」
誇らしげな彼女の言葉にハッとする。二刀流とはこういう意味だったのか。魂と呼ぶほどのものなら腕は信用できる。
けれど信用できるからこそ、心配なことが一つあった。
「あのさ、蘭さん」
「蘭でいい」
「じゃあ俺も春葵って呼び捨てでいい」
「分かった。なんだ、春葵」
「俺、ギター始めたのがつい最近で正直下手なんだ。だから俺めっちゃ足引っ張ると思う」
前のバンドメンバーに言われたことがこだまする。
『言いたくないけど、下手』
『ギターしょぼいバンドとかカッコ悪いしマジで無理』
はっきり言ってうさ男のドラムに釣り合うとは思えないし、熟練者の蘭の足元にも及ばないだろう。昨日楽器置き場にギターを置いてきたのは、ギターから距離を置きたかったせいかもしれない。
俺はギター初心者であることがコンプレックスになっていた。
「だから、なんだ?」
蘭が心底つまらなそうに返事をし、楽譜に目を戻してしまう。一昨日の二人の顔が重なって見えた。
下手。その一言が頭と心かき回していた。
渇いた口を開け、どうにか言葉を絞り出す。
「なんていうか、下手な演奏になると思うから悪いって思って」
「なんで悪いんだ?」
ベースのチューニングをしながら蘭が坦々と返した。それから言葉に詰まっている俺を睨む。睨んだ訳じゃないのだろうけど。
「ここは何処だ? 学校の体育館だろ? 金を取る本格的な場所でもない。プロの録音現場でもない。誰かと技術を争う場所でもない。」
ジャーンとベースが和音を歌う。文句なしで綺麗な音に調整されている。この短時間で出来てしまうあたり、蘭の腕の良さがうかがえた。
「楽しんだものが一番だ! くだらない弱音を吐いて私のテンションまで下げるな」
言い方は厳しいが口元がわずかに緩んでいる。
本当に演奏するのが楽しみなのだろう。蘭の言葉に安心した。俺の不安なんて、ちっぽけなものだったのだ。心が軽くなった。今ならギターを持つのも怖くない。
「さっさとギターの準備をしろ。私は暗譜に忙しいんだ」
「分かった。ありがとな、蘭」
素直に礼を述べると何故か蘭の顔が赤くなる。
「蘭?」
「う、うるさい! 話しかけるな! 今忙しいと言っただろうが!」
なんなんだこいつは。訳が分からない。
とりあえず俺もギターを準備することにしよう。たしかまだ体育館横の楽器置き場にあるハズだ。
「おい、春葵」
風雅が俺の肩を叩く。ちょいちょいっと、俺の背後を指差す。
首を傾げながらふりむくと琴音が立っていた。その手に、俺が借りたギターを持っている。
「琴音……」
思わず目をふせる。なんていうか気まずい。
絶対にバレた。俺のバンドが壊滅状態だってこと。
「音、あわせておいたよ」
琴音は静かにそう言った。いつも通りの穏やかな口調だ。
全てを知った上で琴音は優しくしてくれているのだろうか。こんな情けない俺に、どうしてこんなに優しいんだよ。
「……悪いな」
「ううん。全然」
ギターを受け取り弦を弾く。演奏にさしつかえることはなさそうだ。
俺は情けない。それに対して琴音は信じられないほど優しい。
さっきまでの俺ならそのことを気にして、惨めだと嘆いてばかりだっただろう。けれど今は違う、心の底からその優しさを受け止めたい。
顔をあげると、当然のことだが琴音の顔があった。
「かっこよくね」
そのはじける笑顔をみた時、俺はあることに気付いた。
「琴音、おまえ――っ!」
「春葵くーん時間だよー!」
「はやくステージあがってー!」
双子の声とうさ男のドラムに遮られる。なんとなくタイミングを逃してしまい、行ってくると言って背を向けた。
この演奏が終わったら琴音に話さなければいけないことができたな。