9・栄光の果てに(前編)
完全とは時として、虚無に他ならないことがあるものだ。
築かれた万里長城も敗れる時があるように、今、完全に思われていたEPTの策略が崩されようとしている。油断をするのは一種の自惚れからくるといっても過言ではないだろう。政府の頂点に立つというティン・リー、──ドクター・Tという通称で呼ばれている彼は、いわば自惚れの塊である。
ティン・リーがいつ、何処で生まれ、どのように育ったのか、知る者はいない。親しくしていたディック・エマードでさえ、彼の素性は知らないのだ。分かっているのは彼が中国人(正確には、中華系)だということだけなのである。
その昔、「地球大改造計画」を提示し実行に及んだEPT(地球計画班)の狂科学者たちの意志を継ぐリー。ニューヨーク・シェルターのメインコンピュータで倒れた男と同じように、彼もまた、濁った瞳の色をしている。
ES要塞司令室──。
地球を冒涜した罪深きEPTを倒すべく集った勇者たち。全ての準備は整った、さあ、作戦開始だ!! 全員が各々の配置に付く。
そして、地球標準時午前九時を回ったとき、それは起こったのだ。
ドド──ン、ドド──ン、地球のあちこちで爆音が鳴る。火山が噴火したかのようにも思えるその昔は、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジア、オーストラリア、南北アメリカ、地球上の全てのドーム上空で聞こえた。
人々は恐れ戦き空を見上げる。何が起こっているのか。EPTの警備隊がヘリを飛ばしてドームの天井を調べに行く。しかしそれは天井近くで弾け飛んだ。粉々になったヘリが街に降り注ぐ。地鳴りがして、人々は怯え、地に伏せて止むのを待った。「大変だ、ドームに穴が開いている」、と言う声。空を見上げると、そこには青い空が覗いている。ドームの外は死の世界だ、猛毒の大気が充満していると信じていた人間達は、死を覚悟した。それなのに実際、何の変化もない。俺達は生きているじゃないか、あんな大きな穴があいたってのに!!
EPT本部ビルでは多くの科学者や役人達がこの突然の出来事の対策をどうすべきか、頭を悩ませていた。
ESの仕業に違いないということだけは分かっているものの、こうなってしまっては、もうどうしようもない。今までのESといえば、ちょろちょろ逃げまわる鼠かゴキブリのような、手でちょいと摘んだり叩いたりするだけで停止してしまう貧弱な行動ばかりだった。
今回このような動きに出たのは、何か完全なる勝算があるからに違いない。例えばこう……、政府を倒せるほどの……。十年前に逃亡したディック・エマードという博士がいたが、まさか彼が助勢を……、でなければこんなことは出来ないだろう。まさか、まさかな……。
何時間にも及んで対策を練ったが、結局何も浮かばなかった。今ESを倒したところでどうにかなるというものでもない、我々EPTが面目を失うだけだ。
爆発がおさまった頃、今度はテレビというテレビで奇妙な映像が流れだした。地球のどこかから壊れたドームを映している。現在の映像だ。そこは雪で覆われた北の地のようだ。
「地球上に住む全ての人間に告ぐ。我々はESの者だ。これからEPTの虚妄についてお教えしよう」
声はディック・エマードのものだ。人工衛星を経由して世界各地に放送している。その声に誘われて、人々はテレビに見入った。
「EPTは現在の地球の状態を死としている。しかし、それについては完全に嘘であったことが証明されたわけだ。我々ESはドーム外の調査で、この星がまだ死していないことを確認した。大気は地球規模で正常である。放射能の残存量も然程ではない。旧熱帯地域では再び植物が繁殖し、酸素を大量に放出している。──それに何よりも我々を驚かせたのは彼らの存在だ」
画面が変わった。そこに見えたのはシベリアの大地に暮らす人々の姿だった。彼らの住処である地下の様子がありありと映しだされた。ドームの人々は目を真ん丸くして、テレビに齧り付いた。何だ、我々は今まで嘘を信じていたのか、EPTは我々に何を伝えていたのだ?! 衝撃は世界を包み、EPTへの不信感となって現れた。
このことを黙って見ていられる程、ティン・リーは強い男ではない。怒りが頂点に達しているのか顔を赤らめ、何度もワインのグラスを握り潰している。ディック・エマード、またしても奴にやられたかと思うと、憤り、悔しさが募る。
そうだ、EPTはドーム内の人間に対して嘘の情報を流した。異論を唱える奴らは皆殺しにしたはずだった。それもこれも、人間共を一ケ所に集めて統治し易くするためだ、EPTが絶対的な存在として地球に君臨するためだ。
地球は死んでいる、シェルターに入らなければ、ドームに入らなければ皆死ぬとさえ言ってておけば、馬鹿な奴らはそれを信じてついてまわる。人間の心理を利用した、完壁な作戦だった筈なのに、あのディック・エマードの所為で何もかも崩れた。
再生は不可能だろう。これでは何のために先人が宗教や民族的な概念の弾圧をしたか分からない。全ては私のためだ、私が全てを完全に支配するためだけに歴史は動いてきたというのに!!
リーは怒って自分の部屋を飛び出した。
あの男の考えは分かっている、あの男がどうやってドームを壊したか、見当も付いている。奴に一言、言っておく必要があるな……。
携帯用小型空間転移装置を取り出し、行き先をインプットする。「メイン・コンピュータルームヘ」。ピッという音と共に、リーの姿は光の泡になった。
「成功だ──!!」
シベリアのES要塞内部は歓喜の声で溢れていた。予想通りの展開に一段と沸く。誰かれ構わずに抱き合って跳ねて踊って、まるで何かのお祭りのよう。特にシベリアの人達の喜びは絶大で、奇声を上げながらあちこちで騒いでいる。
アンリ・ゲルニコフはどさくさに紛れてエスターにしがみ付いた。
「エスター、お前のお陰だ。俺等、テレビに映っただけだけどよぅ、何か、こう、でっかいことやってんだなあって思うとすんげー嬉しくなってさ。なあ、今夜はお祝いだ、一緒に寝ようぜ」
「何言ってるのよ、馬鹿じゃないの、あんた。寝ることと喰うことしか頭に無いんでしょう」
エスターはアンリの弁慶を思い切り強く蹴ってその場を離れた。本能だけで生きてるのかしら、この人は。
自分に好意を持ってくれるのを嬉しく思いながらも、アンリの恋人マリア・イェコンスキーに悪い、と胸が痛かった。が、美人の彼女はESの男達にちやほやされているし、アンリはアンリであっちこっちで女を引っ掛けている。
変なの、二人はお互いが異性と一緒にいても、嫉妬やいてないじゃない。
エスターは感服して部屋をあとにした。
司令室でディックとジュンヤは、床に胡坐を掻いて日本酒を飲んでいた。そのうちそこにエスターが加わって、三人でワイワイやった。三人は何故か酔えなかった。何だか足りない気がする、こんな簡単に終わってしまっていいのだろうか。まだ何かあるような気がしてならない。
そしてその予感は見事に適中してしまったのだ。