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7・蒼い空に消えた(前編)

 ディック・エマードは一人、娘の帰りを待っていた。要塞の中の個室で男は、煙草なんぞを吸って時々遠くを眺めた。窓の無い窮屈な部屋は四メートル四方くらいしかなく、ベッドと机とパソコンがその殆どを占めている。男は机の椅子から立ち上がり、ベッドの上に寝転んだ。天井を見つめたまま、男は動かなかった。

「星……」

 男は呟いて煙草の火を消した。何故だろう、涙が零れ出て、男は何年振りに泣いたかなと一人笑いし、掛けていた眼鏡を外して涙を拭った。

 娘はただ現地の人に連れていかれただけだ、きっと戻ってくる。ハロルド・スカーレットも一緒なことだし、安心していいはずだろう。なのに、俺にはあの時の光景と重なって見えてならない。離れていると不安になる。

 エスターは、エスターだけは……。

 男の記憶は速い日に戻っていた。

 ディック・エマードの脳裏に先ず浮かんだのは、美しい一人の女性だった。流れるような金髪に、豊かな胸元。男なら誰でも魅了される女だった。白い肌にほんのりとした桜色が浮かび上がった頼がまた可愛らしかった。

 暗闇に光の如く、彼女の姿は浮かび上がり、ディックの心に一時の安らぎを与える。彼女はにっこりとディックに微笑みかけて、手を差し伸べた。ディックはゆっくりと近寄り、そっと手を延べた。刹那、彼女は張り裂けんばかりの悲鳴をあげ、表情は一変して悲槍の色になった。彼女の体は八方から引かれるように八つに裂け、当たり一面は血の色になった。(ほとばし)る血飛沫に、ディックは狂ったように女の名を叫び続ける。

「エレノア──!!」

 彼女の名は「エレノア・オーリン」。愛する女を忘れられぬ悲しい男は、彼女の忘れ形見である自分の娘・エスタ一に同じ名を語らせたのだった。美しい妻に瓜二つのエスターは、時々ディックに悪夢を見せる。闇に沈んだ遠い黒い記憶を──。


「面白いものを発明したそうだな」

 そう話し掛けてきたのは同僚のティン・リーという中国人だ。

「ああ。自分で言うのも何だが、あれは画期的な発明だ。地球の科学の歴史は大きく変わるぞ」

 ディック・エマード三十歳、全く女っ気の無い、正直な青年だった。何の疑いもなくEPTの科学研究所で働いていた彼は、「若き天才」と呼ばれ(あが)められてた。多くの人はつけあがるのだろうが、彼は精進して全く気にも止めなかった。

 研究所の長い廊下をリーと共に歩いた。リーが何者なのか、ディックは知らなかったが、彼はとても良い男だと確信している。研究に際して正直に指摘してくれる数少ない仲間の中でも、リーは格別な存在だった。

 ディックはリーを自分の研究室に通した。そこにあったのは巨大な何かの装置だ。その装置の天井と床には、厚さ二十センチ、直径一メートル程の円柱の機械が取り付けられている。円柱と円柱の間には空間があって、そこに時折電磁波が流れていた。

「空間転移装置だ。これを使えば、物ばかりでなく人も動物も目的地に転送できる。月や火星の開拓地にだって一瞬で行けるんだ」

「……成程。ではこれを応用して……」

 そうやって意見を交換し合った。リーに技術を盗まれているとも知らずに……。

 その頃、ディックはエレノアに出逢った。二人は恋に落ち、二年後にエスターが生まれた。幸せな生活の中でディックは出世し、政府の巨大プロジェクトヘの参加を許された。

 リーはいつの頃からか姿を見せなくなっていた。

 プロジェクト……FILE.A〜FILE.Zという通称で呼ばれるそれは、全二六種の機密プロジェクトである。それぞれ異なったテーマで、大気に関するもの、火に関するもの、水に関するもの……、様々だ。

 ディックはFILE.Dの研究室に招かれた。FILE.Dは別称「閉ざされた計画」。研究の内容も研究員にしか明かされない。政府本部ビルの地下十階から地下通路を抜けた場所、まさに「閉ざされた計画」に相応しい研究室に、ディックを含む二十名の研究員が集合した。そこで初めて内容が明かされる。

「人体と機械の融合により、人間は何処まで進化できるのか」

 聞いた途端、ディックは異様な感じを覚えた。何を考えているんだ。融合だと?! 進化だと?! SF小説でもあるまいし……、可能だとは思えん。それに、何の必要があるというんだ。政府は本気でこれを実行させようとしているのか? 我々人類が、このドームの中で平和に暮らしていく限りでは、どう考えても不必要だ。

 政府の役人が数人、薄暗い研究室に入ってきた。そのうちの一人が赤子を抱えている。

「実験体として、政府はこの乳児を提供します。生後間もない乳児です。健闘を祈ります」

 役人は無造作に裸の赤子をテーブルの上に置いた。薄い布切れ一枚で包まれているだけの赤子は、何も知らずに泣くぼかりだ。母親を求めるようでもあり、ミルクを求めるようでもある。泣き声に覚えがあった。顔を見た……、この子は!!

「私の……、私の娘だ!! 教えてくれ、何故娘が……。この子は私の娘なんだ!!」

 研究員達は青ざめた顔をして、役人の方を振り返った。役人は振り返ってこちらを見た。何かに心を捕われてしまった人形だ。その中に光は見えない。

「それがどうしたのだ。これは命令だ、総司令ドクター・T様直々のな。従ってもらおう」

 役人は去った。

 殴りかかろうとするディックを研究員達が押さえ付けた。声にならない声で叫んだ、叫んでも叫んでもどうすることも出来なかった。

 分かってる、総司令の命令は絶対だ、逆らうことは出来ない。しかし……、それでは、私の……、私の娘は……、エスターは一体どうなってしまうのだ?! 私はこれからどうすれば良いのだ?! 誰も答えてはくれまい。幼いエスターは研究員達の手によって、透明なガラスケースの中に入れられた。鼠やハムスターと同じ扱いだ。人は去り、研究室には親子だけが残った。

 夜が更けて、ビルの中から人の気配が消えた。だが、ディックはまだ地下の研究室にいた。叫び疲れたのか、壁に寄り掛かって眠り込んでしまっている。赤子もまた、ガラスケースの中で安らかな寝息をたてている。

 コツッ、コツッ、と足音が次第に地下の研究室に忍びよる。ギィとゆっくリドアが開いて、男が一人入ってきた。ドアを閉め、部屋の中にディックの存在を認めると、透かさず銃を抜いた。

「何の真似だ」

 寝ていたはずのディックの声に男はよろめき、銃の目標を乱した。男はそのまま去ろうとする。ディックは立ち上がり、男の首を後から腕で締め付けた。

「お前は……、リーじゃないか!」

 男はティン・リーだった。ディックは腕を弛めてリーを放した。リーは苦しそうに二、三度咳払いをしてディックを見た。その目は何処か(よど)んでいる。久しぶりだと喜びながらも、ディックはリーに以前とは違う妖しいものを感じていた。

「いいざまだ。貴様が堕ちていく様を見るのは気分がいい」

 突然のリーの言葉に、ディックの心は砕けた。

「貴様の娘を実験体にしろと言ったのは私だ。私の権力があって初めて為せる(わざ)だ。どうだ、気分は。堕ちていく気分は」

「どういう意味だ……?」

「私は政府の最高権力者ティン・リー様だ。貴様が私に与えた屈辱に対する制裁をしてやろうというのだ」

「?」

「貴様は天才として騒がれ、しかもそれを当然のことのように思っているのか何の反論もしない。天才はここにもいるというのに、人は貴様だけを見る。気に入らん……、気に入らんのだよ。私より幾分でも賢い人間がいることが。それが貴様だ……。私を超えることは許されない。話によると貴様は街のスラムから来たというではないか。そんな奴に私が負けるわけがない。私は神によって創られた……、私は神だ。この地球を支配する。私を超えるものは、私の怒りに触れるものは、堕ちるべきなのだ!!」

 ズギューンズギューン。二発の銃声。弾は見当違いの方向に飛んで辺りの物を壊した。

「正気か?! 何が神だ。超えるとはどういうことだ。お前は狂っているだけだ。どうしたんだ、リー!!」

 ディックはリーの肩を掴んで強く揺さ振った。だが、何の反応もない。狂乱の叫び声をあげるだけだ。

「私はこの世で最高の人間だ! 私は神だ、私は全てだ。全ては私の思うように動く。だが何故だ、何故お前は思うように動いてくれない?! 何故お前は私を超えようとするのだ?!」

 背筋が凍った。

 こいつはもはや、リーではない、満たされぬ欲望に狂った悪魔だ。こいつが政府のアタマだと? 総司令はドクター・Tという男だとは聞いていたが、こいつとは。冗談じゃない。このままでは世界は滅んでしまう。

「だから私は貴様を堕とそうというのだ、ディック・エマードォ!! 貴様が大切にしているものは全て壊した。堕ちろ、堕ちろ、奈落の底に堕ちるがいい!!」

 ディックは勢いをつけてリーに体当たりした。リーは突き飛ばされ、だがその途中、青い光を帯びて消えた。青い光はディックが作った空間転移装置の効果と全く同じ物なのだ。

 あいつは俺の発明を盗んでいたのか……。なんてことだ。最大の敵となったのが自分の友人だった奴とは……。それにしても気になる。奴は全てを俺から盗んだらしいことを言ったが、まさか……。

 ディックは家路を急いだ。

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