6・残された戦士たち(後編)
調査に出ようと団員達がそれぞれの方向に歩き始めたとき、遠方から何かが走ってきた。この豪雪の中をアスファルトの上を走るかのような勢いだ。姿が見え始めた。人間だ、肩に大きな物を担いでいる。そいつは団員の手前三十メートルぐらいの距離まで近付いて、突然持っていた猟銃をこちらに向けた。百九十センチもある大男だ。団員達は圧倒されて、両腕を挙げた。
「貴様等! 何者だ!! あんなでかい船で空を飛ぶなんて……。大方宇宙人か何かだろう! 昔よく地球に来てたらしいからな……。目的は何だ!! 地球征服か?! どうなんだ! 答えろ!! ブッ殺すぞ!!」
熊を背負ったその男はまだ若いと見える。右の頼に獣から受けたらしい三本の爪の跡がある。風で乱れた銀髪の奥の冷たく鋭い目が、団員達を威圧する。
「我々は正真正銘の地球人だ。君はこの地の人間か?」
スカーレット団長は彼の気を静める気持ちで言ったが、何故か男は逆上して、
「地球人だって証拠が何処にある。俺は知ってんだぞ。宇宙人は何にだって化けられるんだ。そうして地球人の中に潜んで暮らしてたってことをな!!」
全く見当違いの答えに当惑した。何という疑い深い奴なんだ、これじやあ会話も何もあったもんじやない。外界から長い間何の干渉も受けずにいると疑い深くなるとか聞いたことがあるが、こいつは極端だ。迷うスカーレットを余所に、男は叫んだ。
「証拠が無いんなら認めてると思っていいんだな?! てめえらが宇宙人だってよぅ!!」
引き金に手を掛ける。──その時、エスターが叫んだ。
「証拠って何? どうすれば信じてもらえるの?!」
少し黙って男は言った。
「女か……。そうだな。俺と一晩寝てくれよ。もし宇宙人だったら、犯った瞬間に気が弛んで元の姿に戻るんだとよ。どうだ」
「えぇ、いいわ」
即答だった。その場に居合わせた者は自分の耳を疑った。──エスター……、お前という奴は……。尋ねた男も男で、仰天して思わず引き金から指を外してしまった。腹を抱えて大笑いし、そのまま銃をしまって団員達を眺めた。視線がエスターで止まった。
「気丈な女だ。気に入った。顔も俺好みだしな。てめえらが地球人だってのはこの女に免じて認めてやる。俺はアンリ・ゲルニコフ。ずっとこの地に暮らしてる。女、名は何だ」
「エスターよ。エスター・エマード」
「エスターか。お前はいい目をしているな。なあ、俺ん家に来いよ。今日は熊があるから、旨いもん作って歓迎するぜ」
アンリはそう言ってエスターをまじまじと見た。
「嫌だと言っても連れて行くつもりなんでしょう。分かるわ」
「フン。なら、話は早い。行こうぜ」
エスターの手を強く引っ張って、アンリは前進し始めた。
スカーレットははっと思って、
「エスターを一人で行かせるわけにはいかん。彼女は俺の友の娘だ。ここで手放して貴様何ぞに犯されたら、友と合わせる顔が無い」
言って二人の後を追い始めた。残された団員達は、虚しく吹雪く中、要塞に戻るしかなかった。
三十分程直線に歩くと、雪の盛り上がっているのが見えた。そこが、シベリアで暮らす者達が棲む家の入り口らしい。三人は中に入った。そこにはぽっかりと地下に向かって掘られた穴があった。
梯子を伝って下に降りると、幾つもの道に分かれた洞窟に出る。道の奥はいずれも、地中にもかかわらず明るく光っている。
アンリは二人をその内の一つに案内した。暫く歩くと、明かりの下に着いた。そこは一つの部屋のようだ。土に囲まれた大きな丸い部屋には、熊やら鹿やらの獣が山のように積まれていたり、獣の皮の敷物が幾つも置いてあったりと、驚かされるものばかりだ。そこら辺に座れよとアンリに言われて、しぶしぶ二人は熊の敷物に座った。
土の匂いも獣も、ネオ・シャンハイのドームの中には無かった。なのに何故、懐かしいと思うのだろう。この北の地に降りた時もそうだった。自分達は、アポロ11が月面に初めて着陸した時のように異世界への第一歩を踏み込んだつもりでいたのに、心の中に暖かいものが流れこみ、そこが恰も自分の郷里であるかのような錯覚をした。自分は今、地球にいるのだと改めて思うのだった。
アンリは背負ってきた熊を地面に下ろし、それを引き摺って更に奥の部屋に入っていった。誰かと話す声が聞こえ、暫くして会話が途切れると、今度は毛皮のコートに身を包んだ美しい女が現れた。
コートの下から覗いた細い足はすらっと長く、また、コートの上からも豊満な胸が窺えた。アンリと似た、やはり銀色に近い色の髪をしており、腰に届くような長さなのに、束ねることもなく揺らいでいた。
あまりの美人の登場に、スカーレットは思わず生唾をのんだ。
女は二人の側に近寄り腰を屈めた。
「あなた達が空から来たっていう人間なの? 信じられないわ。魔術でも使ったのかしら」
「……せめて科学と言ってくれないか。我々は持てるだけの科学力を駆使してあの船を造ったんだから」
スカーレットの嘆きに女は、
「そういう話を聞くとますます信じられなくなるのよ。私達の一族は冬が始まる前からずっとこの地に棲んでいたわ。それからもう何世紀も経って……。今までこの地に訪れた者はなかった。ずっとずっと昔、まだ地球が少し暖かかった頃、村の男衆が数人、地球に残存する人類の影を追って旅に出たけど、結局見つからなかったらしいわ。以来、私達の祖先は、地球に残っているのは自分たちだけだと思うようになった。今もそう信じているの。でも、それが間違いで、今も地球の何処かに人類が生きているのだとしたら。──ねえ、教えて。本当にあなた達は地球人なの? 何処から来たの?」
スカーレットの胸ぐらを掴み、悲しみに満ちた顔で訴えた。
切実であった。彼女は今にも泣きだしそうだ。スカーレットは堪え切れずに女をそっと抱き寄せた。
「地球にはまだ沢山の人間が残っている。……多分、旅に出た男達が人と会うことが出来なかったのは、皆地下・核シェルターの中で暮らしていたからだろう。今は地上で平和に……そう、平和に暮らしている。ただ、こんなに自然に囲まれた場所に住んでいるわけじゃないから、こっちの方が戸惑っているくらいだがな。──それに、我々だって、こうやって今も自然と一体化して生きる者がいるとは思わなかった。お互い様さ」
二人の会話が終わった頃、奥の部屋の方を見た。エスターはそこに怒りに震えるアンリを見付けた。
「マリア、お前はこんなオヤジが趣味だったのか。見損な ったぜ」
アンリはスカーレットに抱かれた女に向かって冷たい視線を投げた。確かにスカーレットは今年四十になる中年男だ。アンリが怒るのも無理ない。
「別に……、そんなんじやないわよ」
マリアは立ち上がって部屋を去った。アンリはその始終を目で追って彼女が去ったのを確かめると、二人の前に腰をおろした。
「あいつは俺の女だ。手え出すんじやねえぞ、このクソじじいが」
「……!」
クソじじいとは聞き捨てならない。しかしここは彼の家だ。余計なことは言うまい。
「ところで、エスターとそこのじじい。お前等に聞きたいことがある。本当はそれを聞くためにここに呼んだんだ。なあ、地球にはまだ人がいるって、さっきマリアに言ってたのは本当か?!」
アンリもまた、マリアと同じことを尋ねた。そうか、彼らは不安なんだ。この後、自分達が今までと同じようにこの場にとり残されて、そのまま存在を消していくのが。エスターとスカーレットは互いに合意して、今の地球の姿を彼に話すことにした。
話を始めると、別の穴からも次々に人が話に誘い寄せられて集まってきた。思ったより沢山の人がいるらしく、広い部屋は人で一杯になった。年寄から子供まで、優に五十人は超している。皆、珍しがって話に聞き入っていた。
異郷の話は面白いか、私達の話は彼らの耳にはどう聞こえるのか──。エスターは不安に駆られながらも話を続けた。五百年の昔、科学者に乗っ取られた地球。その中で人が体験した地獄と、嘘のように続く平和。造られた世界に疑問を感じ、旅に出たこと、今自分達は地球を変えようと思っていることを。
話し終えると、今度は民衆から歓喜の声が寄せられ、拍手された。何処かの昔話でも聞いたつもりなんだろうか? だがそれは違った。
「よし、俺達も協力するぜ。何をどうしたらいいのかわかんねぇけどよ」
男が一人、立ち上がった。次々と人々は賛同して拳をあげた。一丸となってESに協力しようというのだ。
「地球は今でも地球さ。地球があるから俺達はこうやって生きていける。それを知らせてやんねーとな」
アンリもそう言ってエスターの肩を叩いてくれた。
目的なんて、最初はなかった。流されるままに生きようだなんて甘い考えの下で暮らしてた。やっと、私は目的を見付けたのよ。だって、まだ居るかもしれないじゃない。無くしたはずの希望を温めてて大切にしている人が。今はまだこんなに少数だわ。でもいつか、出来る気がする。この星を蒼く染め直すことが──。
知らず知らずのうちにエスターは、ジュンヤと同じ夢を唱えていた。夢は一つになり、星は輝きを取り戻すのだろう。
だが、そのためにはもう一つの夢の欠片が必要だったのだ。