5・残された戦士たち(前編)
夜。ドームの天井に据え付けられた人工太陽は一日の役目を終え、静かに光を緩めていき、青から橙へ、橙から紺色へと空の色を変えていく。約十時間の充電をした後に、また同じように空に色を戻していくのだ。辺りはビルから漏れる光で淡く照らされているが、それでも郊外の辺りは闇に包まれる。
「出航三十分前」
アナウンスがビル中に響いた。ネオ・シャンハイのES本部ビル、建ち並ぶビル群から少し外れたところにある五階建ての古めかしいそれではあるが、中は最新鋭の機器で埋め尽くされている。
ES創設者シロウ・ウメモトの死後、その息子ジュンヤと元EPT幹部ディック・エマードが中心となり、ESはある画期的な計画を企てていた。今日はその計画、いや、作戦とでも言っておこうか、それの実行日である。
ジュンヤとエスターは五階の司令室にいた。巨大なスクリーンが部屋の三方を囲む室内で、彼らは出航を待った。
その部屋は、例えるなら宇宙船の司令室だ。何十人もの人達がそれぞれモニターを確認しながら各パート毎に準備を進めていた。エスターは広いスクリーンをゆっくり見渡してジュンヤに話し掛けた。
「本当に行くことになるとは思わなかったわ。……幾らおじ様が空に出るのを夢見てたからといっても、何もここまで……」
少し間をあけてジュンヤが答える。
「エスター、それは違うよ。俺は俺で考えた結果なんだ。今、この星に必要なのは希望だ。EPTに支配され続けることが必ずしも人類の存続に繋がるとは限らない。人間は人間として生きるためにやらなければならないことがあるだろ? 俺達は地球に生きているんだ、この星を守らなきゃならない、でもそれはEPTと同じではいけないんだ。その昔、この星は蒼いと聞いたことがある。それならば今一度、灰色を蒼に変えてやろうと思うんだ。それが可能かどうかは……可能かどうか、やってみないことには分からないしな」
「そう……」
エスターにはジュンヤの気持ちは分からなかった。自分は自分のために動くものだと思っているからだ。地球のために……、何をしようとしているのだろう。自分から使命を背負おうとする気持ちがよく分からないでいた。
「エスターとディックが居るから出来ることなんだ」
「え?」
「……でなきゃ、俺も所詮、只の人間だ」
人々の動きが一段と慌ただしくなる。デイック・エマードは二人の居る司令室に現れ、マイクを握った。汗だくのディックに、エスターはタオルを差し出す。ありがとうとタオルを受け取り、言った。
「出航十分前だ。これより空間転移装置を作動させる。メイン・エンジン始動、転移位置の最終確認をせよ。目標はシベリア上空。ドームについても同じ、全てのシステムを作動させよ」
ディックのアナウンスを合図に、人々は動き始めた。
地下でワープシステムが動きだす。ビルを含んだESの住宅地を丸く包むように半球状の透明なドームが両側から迫り出して天辺で隙間なく重なる。円の内側の四隅の地面の一部が割れて、地上に空気清浄機が四台現れた。
夜の街、ネオ・シャンハイに機械の動く音が響き渡る。感付いたのかEPTのネオ・シャンハイ支部の奴らがヘリコプターや車を飛ばして集まって来た。そいつらは口々に罵言を放つ。ESの阿呆共はこんな所に潜んでいたのか、何をしようとしているんだ、何をやっても無駄だというのに、EPTの偉大さが分からないのか、無駄だ、無駄!!
スクリーンを通してEPTの動きを見るディック。かつてEPTの者だった彼のロから零れたのは、「負け犬めが」という冷淡な言葉だけだった。
EPT──その意味するものは何なのだろう……、何が彼らを駆り立てるのか、そして、自分は何故、ESと共にあるのか……。エスターは今、旅立つ船の中にいる自分の意味を問うた。しかし、考えても何も始まらない。答えはいつか見つかるだろう、時がそれを知らせるように。
「一分前」
全員椅子に座って時間を待った。
「……十、九、八、七、六、五、四、三、二、 一、……」
「GO」
ズオ──ン……。けたたましい音がいっぱいに立ち、ドーム全体が少し持ち上がった。半球は青色の光を帯び始め、全体が青白く光ったかと思うと、弾けて光の粒になった。光が消えて、目が慣れた頃にはもう、目の前には何もなくなっていた。クレーターのような大きな穴だけがそこに残った。
EPTの連中は目を丸くして互いに顔を見合わせた。
初春の夜は眠れないまま明けようとしていた。
場所は移って、シベリア──。一面真っ白な銀世界。夜の闇の世界に吹き荒れる嵐。吹雪が絶え間なく続き、大地を覆う。この地はEPTの地球大改造計画にもかかわらず、そのままの地面が残された、数少ない地の一つである。氷河期と同じように地球は冷えきってしまったらしいが、この地には未だ動物の気配がする。
のそり、のそり、雪を踏みしめて今、一頭の熊がやってきた。雪原の中で迷ってしまったのか右往左往している。
突然二発の銃声がして、熊はその場に倒れた。ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、何かが走ってくる。吹雪の陰に、人が見える。その人物は倒れた熊の傍に寄り、子供のように喜んでいる。その後、熊を背負って再び来た方向へと歩きだした。空の方に気配を感じて見上げると、見たこともない巨大な物体が浮かんでいる。地面を丸く切り取って浮かべたような半球が空にいたのだ。その人物は熊を背負ったまま、立ち疎んでしまった。
ESの移動要塞はシベリア上空に到着した。吹雪の中の人物が見たのはこの要塞である。要塞はゆっくりと高度を下げ、地上に降りた。雪の中に球が少し埋もれた。下の半球から足のようなものが何本も突き出して地面に刺さり、球を支える。
内部ではこの地の調査を始めていた。コンピュータで弾きだされるデータにたじろいだ。その驚くべきデータとは……。
「ディック!!! これはどういうことなんだ!! シベリアの大気は五百年以上前と変わらない、自然のままだ。こんな草木の無いところでどうしてこんなことが……」
息を切らして司令室に駆け込んできたのは、特別調査団団長のハロルド・スカーレットだった。椅子に腰掛け、コーヒーを飲みながらディックは、答えた。
「そこがEPTの狙いというわけだ。地球はまだ完全に死んではいない。だが、一部の枯れた大地を見たことで人は地球が死んだと勘違いしてしまう。地球の大気が全て毒され、それが今もそのままであるとは限らない。地球には意外に何の影響もうけて無い場所が山程あるんだ。特にこの地は昔から緯度の関係で寒冷な地だったからな、何処かに何かいるかもしれないぞ」
特別調査団の中から十数人が選ばれ、三、四人ずつグループに分かれてシベリアの調査に出ることになった。エスターもスカーレット団長も、共にシベリアの地に降り立つメンバーに選ばれた。
慣れない防寒着に身を包む。防寒着といっても、毛皮みたいな動物の毛を使ったものは勿論無いから、宇宙服に似たような素材で作ってあるスーツを着込んだ。
ビルの地下に降り、要塞の下部ハッチを開ける。
ゴウと吹き荒れる風を初めて体験した。
顔に雪が当たる。冷たい、この白いのは何て冷たいんだ、しかも歩きにくい。足が膝まで埋もれてしまう。こんな中、調査するのか……。先が思い遣られるな。
ハッチが閉じた。
こんな所に人が住んでいるだなんて思えないが……。スカーレット団長は不安を抱きながらも、ディックの言葉を信じてみようかと思うのだった。