2・地球大改造計画
それはまだ、西暦という言葉がこの世にあった頃の話である。
西暦二十一世紀という時代を迎えた時、地球は危機に瀕した。各地での内戦、そしてそれに乗ずる世界大戦。二度と使うべからず──そんな願いも虚しく、それは核戦争へと発展する。二度三度使われた核はその噴霧で地球を覆い、地表は死の世界となる。核の冬の訪れである。
人類はそこで死に絶えたかのように見えた──。
世界大戦の最中、ほんの一握りの科学者たちがこんな計画を立てて国際連合に提出していた。「地球大改造計面」。それは全く無謀な計面だった。
国連の者は皆眉を顰めた。
これは禁断の方法だ、あってはならない。我々の手で地球をどうこうしようなどと、思い上がるにも程がある。我々は神によって与えられたこの地に清一杯生きなければならない。決して汚してはならない。なぜなら我々は、この母なる太地と共に……。
「我々が神になれば良いのです」
一人の科学者が言った。会議室はどよめきを見せた。
神に? それは考えてはならないことだ。駄目だ。やってはならない。
沸き起こる欲望。いや、抑えろ。それこそ、我々は自ら死の大地を築くこととなる。
国連は彼等の計画を全面的に却下した。人間とは……何と恐ろしい動物なのか。彼等は地球を物体としか捕らえていない。
「生を選ぶならば、我々の計画にご協力願いたい」
言い残して男達は去ってゆく。彼等がまだ諦めたわけではないというのは周知の事実であった。
それから二年過ぎ、三年過ぎ、次第に戦火は弱まっていった。しかし、人類には地上の、生活はなくなっていた。核シェルター、それだけが彼等を生かしていた。無論、全ての人が入れたわけではない。一部の権力者たち、上級市民。貧しいものは次々に消えた。シェルターの中で一体どれだけ保つのか。そんなのは高が知れている。外に出たい。人々の我慢は頂点に達していた。
それから何年経っただろう。かつてニューヨークと呼ばれた地で一人の男が行動を起こす。
男が誰なのか、全く分からない。男はボサボサの金色の短髪で、もう随分長い間剃っていない髭が妙に目立つ痩せこけた頬をしていた。着ている物といえば、ブルージーンズのパンツに白いTシャツ。どちらもボロボロであちこち汚れたり破けたりしている。激しい飢えのために筋肉らしい筋肉もついていない。細い腕と足で、辛うじて身体を支えている。
フラフラした足取りで、だが確実に、彼は一点を目指した。
ニューヨークの地下・核シェルターは世界最大規模で、一般人も多く収容できた。アメリカの各シェルターとも地下で繋がっている。
男は何処からともなく現れ、薄暗い地下のトンネルを歩いていた。青に近いグレーの瞳を上目遣いにして、荒く息をする。疲れては少し止まり、壁伝いに歩き、また止まる。
こんな時代、男を運んでくれる車やなんかがある筈もない。足元には異臭を放つ水溜まりが散らばっていて、歩く度にぴちぴち音をたてる。照明は百メートル毎に片側に一個ずつ有るだけだから大分暗い。例の、オレンジ色の灯りだ。
クラッと、男の体が大きく左右に揺れた。限界か……? 男がそう思ったとき、遠方にニューヨーク・シェルターの入り口が見えていた。
数日後のことである。ニューヨーク・シェルターは突如大きな地震に襲われた。正午を少し過ぎた頃だ。
人々は怯えた。地下なのに、この揺れは何だ。避難するにしても逃げ場もない。広い真っ平らな地下室にバラックが密集しているだけのこんな場所で、一体何処に逃げろというんだ!!
だが驚いたことに、その地震はたった一回きりの、ズズーンという大きな揺れだけで済んでしまった。拍子抜けして暫くは動けなかったが、ある程度時間が経つと大抵の人は普段通りに動きだした。
マシュー・ヴィクトは、その揺れに不安を抱いた。
彼はもう、齢七十の年寄である。頭の天辺はすっかりつるつるに禿げてしまっている。マシューはかつて国連の主要幹部だった。自分がいた頃の国連が地球をこんな世界にしてしまった……。悔やんでも悔やみきれなかった。
以前の威厳は消え失せてしまっていた。今はよぼよぼの、只の爺である。
そして、その爺の脳裏にある画面が過った。それは国連に訪れた、科学者たちの姿であった。正気を失ったように恐るべき計画について語る、あの目。すぐにでも何か仕出かしそうな男達を見ていると、何だか得体の知れない恐怖とも似付かない、妙な気分になったものだ。
今もまた、同じような感情が渦巻いている。何かが起ころうとしている……。そう思うと彼は自分のバラックから飛び出して走っていた。
年甲斐もなく走ったために、目的地に着いたマシューはへとへとだった。目的地──それは、このニューヨーク・シェルターのメイン・コンピュータである。シェルター内の空気清浄、気温管理、食物の製造、他シェルターとの通信等、あらゆる機能の中枢なのだ。更にこのコンピュータは、世界の各シェルターとも繋がっている、いわゆる世界の中枢でもある。
そう、もし彼等が動くとしたら、このニューヨークで、このコンピュータに何か遣らかすに決まっている。コンピュータルームには暗号ロックがなされていて、 民間人は立ち入れないことになっているが、彼等のことだ、暗号は知っているに違いない。
マシューはコンピュータルームの前に立ちはだかるその扉の前に立つと、カードキーを取り出し、第一ロックを解除、続いて暗号をインプットして第二ロックを解除、扉を開けた。
重々しい扉の向こうに、マシューは見てはいけないものを見てしまった気がした。床に、一人の男が倒れていた。うつ伏せになって、大の字のまま息を引き取ったようだ。マシューは死体の側によると、顔を見ようと、少し死体を傾けてみた。
「こ……この男は……」
痩せこけてはいたが、見聞違う筈もなかった。この金髪、ボサボサで短くなつているが、前は少し長めでリーゼントに固めていた。倣慢な鼻、それに、この目だ。忘れもしない、あの科学者達のリーダー格の男だ。「神になればいい」と豪語した男だ。
なんて奴だ。ここに入り込んで何をしようとしたんだ。……そういえばこの男、何だか変な匂いがする。下水のような匂いだ。──地下道路を通って、わざわざこのニューヨークに来たのか? 一番近いシェルターからだって、車で丸一日はかかる。それをまさか歩いてか? 何という執念……。
マシューはふと、寒気がした。
男が何をどうしたのか詳しいことは分からない。だかメイン・コンピュータのプログラムに手を加えたのは確かだ。これからどうなるのだろう。計画は実行されるしかないのか? マシューは己の無力さを恨んだ。彼は国連で男が言った言葉を思い出していた。
「我々人類が地球という惑星を滅亡に追いやってしまうのは時間の問題です」
二十代そこそこだったその男は、そうだ、縁なしの眼鏡なんかをかけて、自信たっぷりにそう言っていた。
「滅亡してしまってからでは遅いのです。人類は地球なしでは生きることは出来ません。──今現在、月と火星の開発が進んでいるわけですが、人類がそこに定住するまでになるには、まだ多少なりとも時間が必要です。しかし、月も、火星も、地球ではありません。我々に適した生活を送るには、地球に生きるしかないのです。今はこの星が永遠に続くよう守らなければなりません。人類がいつまでも地上で生活を営むためにも、この星を機械で包んでしまうのが一番良いというのですよ。そして核兵器の使用により放射能で汚染された大気を遮断するドームを造る。ドーム内で人類は永久に栄えるのです。それが一番良いでしょう。放射能のしみ込んだ土の上を歩いて汚染されるよりも、窮屈な核シェルターの中で死に絶えるよりも」
それからにんまりと勝利の笑みを漏らした。左手の中指でずれた眼鏡をくいと上げる仕草がまた憎たらしかった。
男は自分の前でくたばってしまったが、彼の計画は生きている。阻止しようにもコンピュータヘの介入の仕方が分からない。壊そうにも壊せない。ガシャンガシャンという機械音が部屋中に鳴り響いた。入リロの扉は完全に閉まっていた。
マシューは慌てて内側からドアのロックを外そうとした。だがどうだ。開かない。「エラー、エラー」電子音が応えるだけだ。閉じこめられたのか? この空間に死体と共に。畜生、畜生。力無く鉄の扉を何度も叩いた。老いた拳はすぐに痛さを訴えた。もう、どうすることも出来ない。
気付くと、後ろから機械の動く音がする。誰も居ない筈なのに、ひとりでに? 振り向いた、そして驚愕した。メインコンピュータに据え付けられた巨大なスクリーンに浮かんでいる文字に。
「AI(人工知能)始動
コレヨリ 計画ヲ 実行スル」
マシューの記憶はそこで途切れた。今更どう足掻いても無駄なんだろう。
昔見た緑色の大地を思い出した。何処までも続く草原。青々と繁る木々。木は林となり森となって地球を温かく包んでいた。
今、この地球には人間以外の動物は殆どいない。偶に見る衛星からの映像には、死の大地が広がるばかりである。木は枯れ、動物たちの骸が山を成している。我々が死を齎してしまった、それが彼等に好機を与えた。
皮肉だ、あまりにも皮肉だ。頬を涙が伝った。
マシューはそのままドアの付近に倒れた。
その後、メイン・コンピュータに近付く者はなかった。
コンピュータは確実に任務を遂行していた。瞬く間に、地球は変わっていった。
何十年と経たないうちに、あの男の言葉は現実となった。
地表は殆ど機械で覆われ、主要都市はドームで守られた。空気清浄がドーム内で行われ、暗い空には人工太陽が打ち上げられた。シェルターの中から人々は次々と這い出し、地上での生活に感動を覚えた。都市はかつてと同じように活発に機能し始めた。ビルが建ち並び、道路には車が走り、人々は満足そうに街を闊歩する。
そうこうしている間に、月と火星の開発も佳境に入り、食物はそこで栽培、飼育できるようになる。地球は豊かな星へと戻った。
……果たしてそうだろうか? 今の地球の色はどんなだろう。蒼いか? ──いや、違う。灰色だ。こんな灰色の星を好きになれるだろうか。澱んだ灰色の何処が幸せなのだろう。
さて、幸せには不幸がつきものである。人々の幸せは消し飛ばされる。突如現れた集団によって。彼等は地球計画班(the Earth Project Team──EPT)と名乗った。ニューヨークに本拠地を置き、封じられたメイン・コンピュータに手を出した。彼等はそれを使って全世界を征服しようと企んでいたのである。更に皮肉なことに、彼等は例の科学者達の残党であったのだ。
人は彼等をマッド・サイエンティスト(狂科学者)と呼んだ。
「地獄の一世紀」と呼ばれた時代がある。それは、人類の存在の理由を全て覆してしまうような、悲しい時代だった。
狂科学者たちは、著しく民族・宗教を否定した。理由は分からない。人々は言葉を強制され、公用語の英語を話せぬ者には罰が与えられた。ほんの少しの罪も許されず、死刑にされた。
地球は機械によって守られ、管理され拘束され、監視されている。従うしかなかった。ずっと従って、自己を忘れ、木偶の坊となって死んでゆく。そんなのが一世紀も続いたのだ。果たして、果たして、だ、肉体的苦痛と身体的苦痛、どちらが苦しいのだろう。人々の涙はいつしか枯れてしまっていた。阿鼻叫喚すら感じ取れない。
秩序ある世界の完成。人々は希望という言葉を忘れかけていた。