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第二章-1

第二章


 うっすらとしたバラの香りがする。

 ピンク色のバラの花びらは、砂糖と蜂蜜で甘く煮詰められ、ジャムとして仕上げられている。そして、綺麗に磨き上げられた、小さなガラス瓶に詰められて、伯爵の城に届けられた。

「お父様ったら……」

 伯爵が気を利かせて、舞い散るバラを使用人に集めさせ、父の元へ送ったらしい。そのお礼と、「伯爵に迷惑をかけている」ことへの謝罪を兼ねて、父は伯爵に、数個の瓶詰めジャムを送ってきた。

 伯爵は、ジャム一瓶と手紙を、リシェルに渡す。使用人を経由し、リシェルが朝起きたときにお盆に載って枕元に置いてあった。リシェルは最初、それが誰の贈り物なのか全く分からなかった。

「もしかして、私に取り憑いて化けて出る人かしら」

 と思ったが、手紙は両親からのものだ。

 娘の「体質」を治してもらえるかもしれない、と伯爵の怒りに便乗して娘を城へ送った手前、後ろめたさもあって、リシェルの両親は直接城に訪ねてこない。

 心配してはいるようで、きちんと封をした手紙がたびたび来る。伯爵に申し訳ないとか、迷惑をかけていないかとか、リシェルは元気か、体調は悪くないか、そういう話に終始していた。

「大丈夫ですお父様」

 伯爵は、とてもよくしてくださっています。寝間着も寝床も、毎日清潔なものだし、食事もいいものをいただいています。――この「取り憑かれ体質」に変化はないようだけれど、方法を探すと言っていただいています。

 リシェルは、近くにあったペンを取り、書き損じの書類の裏紙(伯爵が「勝手に使っていい」と言って書斎に積んでいたもの)に下書きをした。

「あぁそれから、忘れないように書いておかないと」

 バラのジャムをありがとう。家の庭木も元気ですか? ここは思ったより花が少ないので、ちょっとですが、さみしいです。

「このジャムおいしい! けど薄味だな」

「大味な人には理解できない繊細さですからね」

 ルーベンスに言い返しながら、メアリアンは支度する。リシェルが来ていないのに、この自称騎士は彼女を差し置いて、勝手にクッキーをつまみ、ジャムを塗り、頬張っている。しかもテーブルに腰掛けて。

「でかい図体で子どもみたいに乗らないでください」

「大丈夫。俺。繊細だから」

「意味が分かりません」

 書斎を占領された伯爵、アルフリートは、片隅で書類をめくり、ため息をついた。

 リシェルが書斎に現れると、小さなお茶会が始まった。

「あの、伯爵。お願いがあるのですが……」 リシェルはお茶の席で聞いてみた。

「ここはお花が少ないようです。私の家の近くにあった、伯爵の別邸には、たくさんのバラが咲いていました。けれど、ここには常緑の葉、落葉樹の葉、小さな植え込み、そういったものしかありません。私……何もしないで暮らしているのは心苦しいので、何かお役に立ちたいのです、小さなお花を植えてはだめですか」

「庭師に相談しろ。庭の管理は彼らに任せてある」

「はい、もちろん、してもよいのであればそうします」

「そうじゃなくてさ、庭師だってほんとは、花も植えてきらびやかにしたいだろうところを、何で緑ばっかにしてんのか、ってことを聞きたいんじゃないの」

 ルーベンスがスプーンを振って指摘した。

(いえ、そういうことじゃなくて)

 リシェルは言いかけたが、アルフリートの返答の方が早かった。

「――庭は全て、術に関連した「意味」を持って植えてある。計画は私よりも前の代から続いている。ただ、部分的に、自由にできる余地はある。勝手に植えずに、庭の管理をする庭師に聞けと言った」

「あぁなるほど! 俺思うんだけど、伯爵親切だよな。何だかんだいってやっさしー。やらせてあげるんだ?」

 アルフリートは眉間に皺を寄せたまま、口を開けてルーベンスを見やった。そして、うるさいとも何とも言わず、口を閉じた。


「庭自体には、小さすぎる花は植えられません。かといって花をつける木を植えるのも、全体のバランスが崩れてしまう」

 庭師の老爺は、帽子を手で持ち上げ、そう答えた。最初、帽子を脱ごうとしたのだが、リシェルがかぶっていてくださいとお願いしたのでそのままだ。直射日光が眩しくて暑いので、リシェル自身も借りてきた白いツバ広の帽子をかぶっている。

「そうですか……」

 がっかりしたリシェルに、老爺は幾分か誇らしげに微笑みかけた。

「ですから、森の端を開墾しましょう」

「え?」

「東の森に、嵐で木が倒れてしまった場所があります。切り株をどけたら、奥様一人には余るくらいの広場になる。そこは作庭計画書には入っていない場所ですから、奥様のお好きなものを植えられますよ」

 眉間に皺を寄せて走り回っている伯爵や、きちんと仕事をする使用人達が、ちらっと見て心を和ませる、小さな花壇を作りたい。リシェルはそう考えていたので、遠すぎて見えないなとは思った。だが、折角なのでやってみることにした。

「球根や種は、市場で仕入れます。カタログをお貸ししますから、選んでみてください。時期と、初心者向けかどうかを考えるので、全部は仕入れられないと思いますが」

「ありがとうございます! よろしくお願いします」

 リシェルは飛び跳ね、庭師に大きな声で礼を言った。

 市場は活況だった。庭師の弟子は、小走りに駆けていく。賑やかな露店の前を通り、石造りの建物の前も通過する。住宅街にさしかかる頃、苗や球根、土、肥料を積んだ店に着いた。先立って連絡しておいた通り、小型の球根をよりどりで袋詰めしたものが、用意されていた。

「よかった! これで奥様もお喜びになるよ」

「いつの間にロス伯爵は奥様と暮らすようになったんだい?」

 店主が、もっさりしたヒゲを動かして聞く。少年は胸を張って、つい最近さ、と教えてやった。

「いろいろあって、まだ正式に奥様になったわけじゃなくて、居候しているだけなんですって、奥様は言ってたけど」

「へえ。あのどんよりした伯爵が奥様と暮らすなんてねえ」

 一応この辺りも伯爵領ではあるのだが、今回の伯爵は、政治については議会や地区の委員に委譲しており、滅多に人前に出てこない。店主はおぼろげな記憶を引き出した。

「伯爵の、眉間の皺は元気かい」

「それがさ。たまにニヤっ、てするようになって」

「……、奥様のおかげで?」

「分かんないけど。魔法使いが化けて出るとかで、お忙しくて、それが楽しいらしいよ」

「大変だなジャック」

「大変だよ」

 かたん、と音がした。

 店内で他の客が如雨露を手に取り、また棚に戻している。若い男で、珍しいくらいの灰色の髪だ。身なりもいいので、庭師の弟子は首を傾げた。最近は、小さな家でもプランターを並べて飾るところもある。彼はそうした客なのだろう。

 ごろん、と二人の背後で球根が転がった。山積みになった球根達が、テーブルから溢れている。

「球根、えらくたくさんあるね」

「まぁこの時期に植えるもんじゃないからなぁ。基本的には乾かして暗いところで寝かせておくんだよ。今はその作業中」

「そっか。じゃ奥様の園芸も、しばらく先までできないね」

「だから種を用意しておいた。この陽気ならすぐ芽が出て、初夏中咲いてくれるべっぴんさんさ」

 店主はウィンクした。その勢いに驚いたように、球根が再び、ごろんごろんと転がった。

 球根を入れた小さな袋にも、それらがぼとぼと落ちていく。

「じゃ、また来週!」

 庭師の弟子は、支払いをすませると、袋を抱えて、来た道を急いで戻っていった。

 受けとった球根を、リシェルは日陰にしまっておいた。もうちょっと涼しくなる頃に植える方がいい種類だという。

 そこで、金継ぎしたティーカップ(アズライルが先日破壊した)を貰って、水を入れ、種をつけた。その後、借りた植木鉢に土と肥料を入れて種まきした。

 リシェルに、指導できるのが嬉しいらしく、庭師の弟子は飛び跳ねるようにして庭を案内した。植木鉢が完成すると、水やりを忘れるな云々と細かく指示し、去っていった。

「ふふ。早く芽が出ないかしら」

 鉢を部屋に持ち込んで、窓際に置く。どんな色の花が咲くだろう。小さな種のことを思い、リシェルはますます楽しみになってきた。

 その後ろで、置き方が悪かったらしく、球根達がごろごろと転がった。

「その球根、おかしくないか」

「何がですか?」

 折角なので、自分の部屋から持ち出してアルフリートにも見せると、そのような反応が返ってきた。

「どこか、おかしいんですか?」

「いや……何となく」

「何言ってんの」

 ルーベンスが笑う。

「タマネギに似てるけど、食えないだろこれ。多分」

「そういうことじゃない」

「魔法使いがタマネギに化けて来たとか?」

「それはない」

「お二人とも、何をふざけてるんです?」

 メアリアンがお茶をいれながら言うので、皆そちらの方を向いた。

「さぁ奥様、どうぞ」

「あぁああああの、伯爵に先にお渡ししてください」

「いいえ、奥様。伯爵のは後でも構いません」

「構うだろソレ。やけに肩持つなぁ」

 ルーベンスがカップを奪いながら文句を言う。メアリアンは微笑んで、彼の指をつねった。

「あち! お前器用だな! わざわざ肉の薄いところを! つねるか普通」

 アルフリートは、構うような構わないような、という顔をして二人を見ていた。そして、おろおろしているリシェルに、気にするな、とだけ声をかけた。

 そのとき、伯爵の机の上で、球根が瞬きをした。アルフリートが振り向くと、何も起きていない。

「ん? どうかしたのか?」

 球根を睨むアルフリートに、ルーベンスもメアリアンも首を傾げた。

「……何か、バカにされている気がする」

「ものすごい被害妄想だなあ。大丈夫か? 疲れてないか?」

「憑かれているのは他の人間だが」

「疲れてるんだな」

 ルーベンスがしみじみと結論づけた。

 まぁ。リシェルは瞬きして起き上がり、しばらくの間、辺りを見回していた。

 室内に、色とりどりの花々が転がっている。種や球根から、茎と葉っぱと花弁が伸びて、ベッドや床に、点々と散らばっていた。どれも根は出ていない。

 最初は、球根を置いた場所で爆発でも起きたのかと思ったが、それにしては妙だ。一晩で花が咲くだなんて。

「綺麗な花」

 リシェルは呟いて、花を踏まないようにしてベッドを下りた。

 わさわさと群れ咲く花。生い茂る葉。それらの隙間を、芽吹かなかったらしい球根が、ごとごとと音を立てて転がっていく。

「……これは、魔法なのかしら?」

 一体、誰の魔法だろう?

 伯爵であるはずもない。城には彼の他に、生きた魔法使いは存在しない。ということは――リシェルは、頬に手を当てて、考え込んだ。

「どうして、こんなことを?」


 そのしばらく前のこと。

 室内は静かだったが、とても青臭かった。草いきれでむせかえりそうだ。

「何だこれは」

 目覚めた伯爵は、開口一番にそう言った。

 久しぶりにまともに、自室のベッドで眠っていたのだが、起きればこのざまである。

「ふあはは! 驚いたか」

 金色の髪に青い瞳の少女が、アルフリート伯爵の、ベッドの足下近くに腰掛けていた。足を組んだまま、高笑いする。

「言っておくが、私の発案ではないからな! すぐに芽吹いたらいいのに、とリシェルが言うから」

 偉そうなわりには、その人物は言い訳をした。アルフリートは、着替えの服を掴んだまま、眉をひそめる。

「リシェルと会話ができるのか?」

 一瞬、少女は――少女に取り憑いた伯爵の従兄弟、アズライルは顔をしかめた。ごまかせばいいのに、迷ったあげく、説明した。

「直接は無理だ。鏡でも使えばできるのかもしれないが、今のところ実行できていない。そうじゃなくて……リシェルは手紙を、帳面に書いて、テーブルに置いているんだ」

「日記か? 先日日記帳がほしいと言っていたので、余っていたものを渡したが」

「日記というか。宛先が私で、内容が手紙になっていてテーブルに広げたままにしてある」

 勿論返事なんて書くものか、とアズライルは胸を張った。

「それにしても、本当に、あいつは変な奴だな」

「それには同意するが――リシェルも考えたものだな。対話できれば、得体の知れなさが減ると考えたのだろう。私にも、お前との対話を勧めてきたしな」

 咲き乱れる花々を押し退けて、アルフリートはようやく着替え終えた。

「さて。話が逸れたが、この花についてはお前がやったということで間違いはないな?」

「そうだな、最終的には。数倍に増やして、ちょっと時間をいじって咲かせてやった」

「随分と優しいことだ。リシェルの願いを叶えてやるとは」

「そんなわけがあるか」

 ふん、とアズライルは鼻で笑った。その仕草は、銀髪にロイヤルブルーの瞳を持つ美青年であった頃なら、様になったであろう。今の、少女の身では、いちいち大仰で滑稽に見えた。

「これで、貴様は苦しみ、あいつは「バカなことをした」と叱られる。悪の一石二鳥だ」

 いまいち意味の分からない亡霊だった。

 伯爵は眉間に皺を寄せて、うっすらと口の端に嘲笑を浮かべた。

「バカは死んでも直らないんだな」


 朝食の席で、リシェルは怖い顔をした伯爵に叱られていた。ほとんど食べ終わった頃だったので、それまでこの花が、伯爵の目には見えていないのではないか、それにしては不機嫌だなと、リシェルもびくびくしてはいたのだ。

「種や球根に、悪いとは思わないのか!」

 土で芽吹くべきなのに、水もなく魔力だけで維持させられて花を咲かせたのだ。城中で。

「不要になれば廃棄すればいいと、思っているのか!」

「そんなこと、思いません……」

「ではどうするんだ、これほどの花を」

「考えなしに、日記に書いてしまって……アズライル様にお願いしたようなものでした……申し訳ありません」

 その上、折角球根や種を集めてくれた庭師と弟子にも申し訳ない。根も出ていないし、この有様では植え直せないだろう。枯れて腐る前に、捨てなければならない。手間もいいところだ。

 しょげたリシェルに、ちょっと怒りすぎたか、と伯爵は瞬きして考えたが、結局咳払いして、リシェルを下がらせた。


 球根が廊下を転がっていく。花は、リシェルが思ってもみなかったほど城中に転がっていた。ついでに、芽吹かなかった種や球根も転がっている。

 リシェルは歩きながら、それを拾う。スカートの裾をからげて、球根を乗せていったが、すぐにいっぱいになってしまった。

「ぎゃっ」

 廊下で遭遇した使用人が、リシェルの格好を見て変な悲鳴を上げた。足音が遠ざかり、またすぐに近づいてきた。バケツを持って戻ってきたらしい。使用人が急いで、球根の山をバケツへ移す。

「本当にもう! びっくりしましたよ! そんな格好しないでくださいまし!」

「あら、マリーベルだったの」

 球根を積みすぎて前が見えなかったので、横から球根を奪い取られてやっと、相手の顔が分かった。

「下着が丸見えでしたよ! もう!」

「ごめんなさいね、マリーベル。取り憑かれているときには部屋を荒らして、……今度は花だらけにしてしまった」

「まぁ仕方ないですけれどね、それはもう。この花は、切って活けてもいいのかと思ったんですけれど、活きがよすぎて捕まらないですし」

「活きがいい?」

「走って逃げるんですよ、ころりころりと」

 リシェルは首を傾げた。緑の目に、大小の球根達が映る。

「確かに、やけに転がりますね……」

「ええもう。おかしいくらいに」

「大丈夫ですか、奥様!」

 メアリアンが駆けてきた。「貴方廊下を走らない!」とマリーベルが目をつり上げる。だが、メアリアンの手に食卓用のナイフが数本握られていて、それが投げられるに至って、言葉を失った。

 逃げ出そうとした球根が、立て続けに、メアリアンの投じたナイフで串刺しにされる。綺麗に並んで、床や壁に縫い止められた。

「そんなに切れ味よかったか? それ」

 呟きながら、リシェルの背後からルーベンスが出てきた。剣の先で球根を、すぱんと二つに切り分ける。メアリアンが肩をすくめた。

「ナイフの切れ味が悪くても、投げれば刺さるものです」

「俺は騎士として、小国の城に仕えたこともあるんだけど、小さい的に的確にナイフ投げして当てられる奴は滅多に見ない」

「なまくらだからじゃないですか?」

 ふふ、といっそ爽やかな笑みを浮かべて、メアリアンはナイフを回収し、逃げていく球根をどんどんしとめる。

「全く……何なんです、この球根達は。走るなんて。動物ですか?」

「魔法で芽吹かせたのは、あのアホぼんだろ? こんなものを走り回らせて、ほんと魔法の無駄遣いだよな」

 聞きながら、リシェルはふと違和感を覚えた。

「伯爵は……魔法で球根を、芽吹かせたことを怒っておられたけれど……走り回っているとは、言わなかった……?」

「は?」

 ルーベンスは、銀色の刃をひらめかせる。軽やかに、姫君と踊るように、球根達を切り捨てていった。

「あいつが、気づいてなかったって言いたいの?」

「アズライル様がしたのは、花の数を増やして、芽吹かせたことだけだとしたら、」

「だとしたら、一体コレは、何なんです?」

 マリーベルの声に呼応したように、突如、球根達の動きが止まった。

 一個だけ、青みを帯びた球根が、ころころ、と近づいてくる。

「何あれ不穏すぎる。奥様、下がっててくださいまし」

 メアリアンがナイフを構える。

 くるくると回転したその球根は、「ぼん!」と煙を上げて、中空に飛び上がった。

 悲鳴を上げたマリーベルが、ふくよかな体でリシェルに激突した。はじきとばされかけたリシェルは、マリーベルの立派な両腕に抱きしめられて、もみくちゃにされた。

「あははははははは」

 石壁に、わんわんと声が反響する。普通なら消えていく筈の声が、徐々に巨大化して、城を覆い尽くすかのようだった。

「うるせっ」

 ルーベンスが剣を振りおろすが、球根は軽々と避けて、中空からこちらを見下ろした。

「はははははははは」

 メアリアンが舌打ちした。

「笑うしか能力がないんですかね」

「なんかむかつくけどな」

「あははははははは」

「あっ、マリーベル!」

 リシェルは、くずおれたマリーベルの手を握った。

「大丈夫?」

「あぁ……お……うおえっ……」

「吐きそうなの?」

 周りを見てみる。使用人達が、球根の野太い笑い声に鼓膜から脳を直撃されて、よろよろと青ざめて倒れていく。

「実害がないかと思ったら、すごい船酔い効果……」

 ルーベンスが呟く。元気なのかと思ったが、彼は白い顔で、剣を提げて踏ん張って立っていた。リシェルは、気絶したマリーベルを壁際に引きずっていって休ませた。メアリアンもしゃがんでいたので、「休んでいて」と声をかける。

「そうもいきません、奥様!」

「奥様じゃないんだけど……メアリアン、私、伯爵を呼んでくるから」

「さすがに気づいてると思うけどな。知ってて来ないなら、どうかと思うけど」

 ルーベンスが毒づく。

「でも、一体何なんだこれは?」

 球根の、高笑いがやまない。リシェルも心中で途方に暮れた。

「球根に異物が紛れていた。庭師の弟子によれば、仕入先はいつものところ。仕入れの際に不審な事件は起きていない。ただ、妙な出来事はあった。その日、店で球根がやたらと転がっていた、と。その時点で、既に球根の中に魔物が紛れていた。……ふむ」

 調査報告書を読み上げて、アルフリートは考え込む。

 リシェルが書斎にたどり着いた頃には、球根は場所を移動していた。城のあちこちで悲鳴が上がる。伯爵は城の者に耳当てを渡し、今回の事情を調べさせた。

 球根は、おそらく、魔物の一種だろう。

「アズライルのせいか? それとも」

 アルフリートは静かに窓の外を見やった。日は暮れて、外はすっかり、鼻先も見えないくらいの闇で染められていた。


「一体、どんな魔物なのかしら」

 夢の中、リシェルはリュウに呼びかけた。相変わらず寝そべっているリュウは、今日はなんだか眠たそうだ。

「それって、魔物なの?」

「笑い声を上げる球根なんて、普通の植物ではないでしょう?」

「そうなんだろうけど」

「城の人が、すっかり参ってしまっているの。伯爵は、腕試しだと言って、直接の球根退治をアズライル様に任せて……」

「逃げたの? ひどいね」

 憤慨したように、リュウは片足でとん、と地面を叩いた。リシェルは慌てて首を振った。

「逃げてはいないの。球根がどこから来たものなのか、調べると言っていたから。悪意のある魔法は、城に入れないようにしてあるから、何か仕掛けや理由があるかもしれない、とも」

「ふうん。人間は大変だね。ややこしくって」

 夢の中はのんびりしていていいや。リュウは再び、猫のように丸く寝そべる。

「アズライル様は、球根を壊してしまうのかしら……球根の目的は分からないけれど、もし、ただ笑うだけの球根で、原産地に持っていけば害がなくて、ただの植物として暮らせるのであれば、壊すのはかわいそうな気がする」

「うーん。かわいそうなのかどうかは、分からないけど。何にでも優しいと、リシェルは身が持たないと思うよ」

「?」

 リシェルは意味を把握できなかった。

「だってさぁ。僕だって、他のやつに優しくする君のこと、どうしたら僕のになるのかなって、思うんだもの。いつか八つ裂きにされても数が足りなくなっちゃうんじゃないの?」

「怖いたとえ話をするのね」

「そういうものじゃあないの? 誰かのことを思うのって」

「どうなのかしら」

 リシェルはつい、寝そべっているリュウの頭を撫でた。リュウは、飼われている動物のように、気持ちよさそうな顔をした。

「……そういえばさ。魔物についての、昔話があるよね。そこに球根って出てこないの?」

「どうかしら……調べてみる、ありがとうリュウ」

「どういたしまして」

 日向の匂いのする空間で、リュウは幸せそうに微笑んだ。

「名前を当てると、逃げ去るっていいますねえ」

 耳当てで耳を隠したマリーベルが、大きな声でそう言った。

「昔話に出てくる魔物、と言えば。ええ。そういうものだと思いますね」

 一日に数回、球根は威嚇の雄叫びを上げる。それさえしのげば、他に害は特にない。――と言いたいところだが、時々、他の苗やタマネギも、雄叫びの際に逃げていくので、問題があると言えばあった。

「調べてみるわ」

 リシェルは決意し、念のため伯爵にそれを伝えておくことにした。


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