第一章-5
伯爵――アルフリートは当然と言うべきか、書斎にいた。
先日アズライルが荒らしまくったため、本は大半が持ち出され、別の部屋で陰干しされている。本棚も調度品もほとんど空だ。ただ、机と椅子、ソファーや、作りつけの棚は残されていた。
ルーベンスとリシェル、それにメアリアンが部屋に入ると、
「利き手に怪我をした、と?」
じっ、とアルフリートがルーベンスを見た。
「イヤだなそんなに。見つめられると俺どうしたらいいか」
「バカを言え。長いこと世話になったな。手が使えなければ傭兵は廃業だな」
「いや! いやいやいや、その前に俺と君とじゃ、契約以前にお友達じゃあないの」
「……?」
「あぁわかったごめん俺が悪かった!」
悪ふざけをやめて、ルーベンスは両手を挙げた。
「大した怪我じゃないし、両利きだから問題ないです。働けるから解雇すんな。冷たいこと言うな。違約金取るぞ」
「まぁ冗談は顔だけにしておいて」
「何で顔」
アルフリートは真面目に言葉を続けた。
「リシェル。手当を」
「あっ、はい、あの……勝手に出歩いてすみませんでした」
「なぜ謝る。……使用人とともに、この使えない傭兵の暴挙を止めようとしてくれたことに、こちらが礼を言わねばなるまい」
アルフリートが眉間に皺を寄せて言う。どこまで本気で言っているのかよく分からない。
アルフリートはその表情のまま、薬草と包帯などをつめた箱を取り出した。
「明日になっても頬の腫れが引かなければ、多少魔法も扱おう。おそらくこのくらいであれば、自然と治る。痛むか?」
思わず頷きかけたリシェルは、慌てて首を左右に振った。メアリアンがぎゅ、とリシェルの手を握りしめる。
「で、何。俺が取り憑かれたの? 坊ちゃんに」
「本人にソレは言うな、よけいに怒らせる……」
「本人ったって、その辺にいるのか? おーい」
ルーベンスは宙に向かって手を振ってみる。アルフリートは顔をしかめた。
「アズライルは私についてこなかった。やはりあいつを瓶詰めか箱詰めにして、顔でも書いて、話せるようにしなくては埒が明かないな。人間に入っていると、魔法ばかり使うから」
「アズライル様は、さっきは、魔法を使っていませんでした。わざと、こちらを怒らせたり、したがっているみたいで」
リシェルは声を上げる。口の中が切れていて血の味がしたし、しみて痛んだが、これは言っておかなければならないと思った。
「きっと、悪い方ではありません」
「だから、話をしなくてはと言っている。気が済めば消滅するかもしれないし、こちらの話を聞きもしないので戦ってやっていたが、いい加減うんざりだ」
アルフリートが空の本棚を見やって言う。その場の全員は深く頷いた。これ以上あちこち、壊したりしないでほしいものだ。
メアリアンはアルフリートから絆創膏を奪い取り、リシェルの頬にそっと貼った。三つも四つも重ね貼りされ、リシェルは「だ、大丈夫ですから」と困惑した。
「いいえ! 傷が残ったりしたらどうするんです……女の子をぶつなんて、最低ですよ!」
「でも」
「わざとであれ何であれ、許されないことです。奥様。私が、腰抜けだったからご迷惑をおかけしたんです……次があれば、必ず、奥様に指一本触れさせやしませんよ」
「あっ。あの? えぇと」
ぎゅう、と両手を重ねて握りしめられ、リシェルは何だか動揺した。
(この人、私に少し冷たいことを言っていたのに、どうしたのかしら)
「へー。触ったらどうなるの」
ルーベンスがリシェルの頭を撫でようとする。メアリアンがぎらりと目を光らせた。
「やめないか。お前達の仕事は仲間割れか?」
「はい伯爵」
にこ、と笑って、メアリアンはスカートのポケットに何かを戻した。ランプの明かりを受けて輝く細身の物体は、多分、ナイフだ。はーい、とルーベンスも、おどけた調子で両手を挙げた。彼の目は笑っていない。
「伯爵。瓶詰めになさるのに、時間はかかりますか?」
リシェルは気を取り直して、アルフリートに視線を戻した。
「明日もし私が元気だったら、もう一度、私に彼を取り憑かせてください」
「いつ取り憑くのかは確定していないようだが。初日と二日目はお前に憑いたが、日を置いて、今度は傭兵に取り憑いた」
「傭兵じゃないんですけど」
ルーベンスの文句を脇に、リシェルはアルフリートに近寄った。
「わざと取り憑かせる、というのは、できませんか」
「不確実だし、準備が必要になる。下手をするとお前の魂が汚染されて、混ざって戻せなくなる」
「そうですか……」
さすがにそこまで大事になると、怖い。
「なぜそんなに、アレを憑かせたい?」
アルフリートが思いのほか優しく言うので、リシェルは、自分はよっぽどひどい顔をしているのだなと思った。自分の頬の怪我が、すぐ治ればいいのだが……。
「アズライル様を瓶詰めにするには、時間がかかるのではないかと思ったんです。すぐできるのであれば、伯爵はもう、それを作ってしまっているような気がして」
「ほう?」
「伯爵は先程、アズライル様と、話をしなくては、とおっしゃいました。話をするには、私に取り憑かせるのが、一番手っとり早いと考えました」
「話して聞くような状態でもないがな……」
じ、と使用人二名およびリシェルに見つめられ、アルフリートは咳払いした。
「まぁ、もしも憑けば、そのときは何とかしてみよう」
「何とかって。曖昧だな」
「言っても分からないだろう」
「俺達が、知らないうちにぶっ壊しても知らないぞ」
ルーベンスがにやついたせいかどうか、アルフリートはさらりと作戦を口に出した。
「面倒だが部屋を箱にする」
「箱?」
「箱だ」
説明はそれだけらしい。
それと、と伯爵は辺りを見回してから、リシェルに手招きした。耳元で言う。
「お前が協力できるというのなら、やってもらいたいことがある」
「は、伯爵?」
距離の近さにリシェルはびくりとした。
「お前に取り憑いていない間のことが、ヤツに見えているのかいないのか分からないから小声で言うが――お前が以前調べていた本のことだ」
「あぁ……!」
リシェルは、書庫の本を読んだ日は、何を読んだのか、食事の席で伯爵に知らせることにしている。その中でも、それなりに効果のありそうだったもののことだろう。そのときは、伯爵はいい顔をしなかったけれど。
「好ましくはないが、試す価値はある」
「分かりました」
こうして、その作戦は、決行日を待つことになった。
*
「予想に違わぬ阿呆ぶりだな」
ぼやいて、アルフリートは起き上がる。ここ数日、書斎のソファーで仮眠を取っていた。最終的には「横になったほうがいい」と使用人に文句を言われたので(掃除の邪魔になるから追い出そうとしたらしい)床で寝ていた。
作戦を察したのか、アズライルが出てこないな、と思っていたが――突然夜中に書棚の本が落ちたり蝋燭が倒れたり、畑が荒らされたりしはじめ、ついに、現行犯はアルフリートの書斎に現れた。
「あっはっはっは! どうしたアルフリート。この腰抜けめ! 全く出てこないで城の一室に引きこもりか? つまらない奴だな。私が来てやったのにお茶も出せないのか」
「魔力を無駄遣いするな。あまり騒ぐと「奴ら」に気づかれる。引きずり込まれたいのか」
「奴ら? 城の「扉」のことか……」
急に真顔に戻り、リシェルの体を借りたアズライルは、ソファーの背もたれから飛び下りた。
「あんなもの怖くも何ともないな」
「では押し込んでやろうか」
「断る。私は亡霊だが、いずれ長い眠りにつき直すことができる筈だ。あんな、死者の古い魔術や呪い、魔力、……それ以外に、恨みのせいで開いた異界への「扉」……それらに、誰が好んで入るものか!」
「それはよかった」
アルフリートは素早く立ち上がる。急に近づかれて、慌てたアズライルは、下がろうとして、床に積まれた本に足を取られ、ひっくり返った。
「随分出てこなかったな?」
黒い瞳がやけに怖い。アズライルを見下ろしてくる男は、普段になく、口元に笑みをはいている。
「単にリシェルの眠りが浅かったからか?」
「そ、そうなのか……? 知らないな、前も言わなかったか、こっちは、たまたま目が覚めただけで、なぜこうなっているのか分からないと」
「では、お前自身の意志でこの事態を引き起こしているのではないのだな?」
答えろ、と、アルフリートは艶めいた笑みを浮かべ、ステッキの先をアズライルに向ける。喉元を押さえられ、アズライルは舌打ちした。
「魔法を封じたな……忘れていた、貴様は「封印」にかけては名手だった」
「忘れっぽい幽霊だな」
「だが――それを上回る力を、受けたことがないだろう、引きこもりめ!」
「そうでもないさ」
「どうかな!」
アズライルは片手を床に叩きつけた。瞬間、室内に無数の筋が輝いて走る。アルフリートが敷いておいた魔法陣だ。アズライルはその紋様を素早く読み取り、自分の力を封じようとする魔法を、破壊するための魔力をそこへ流し込んだ。
「これで、終わりだ!」
がらがらと棚もソファーも机も崩れる。光の粉が散々に砕けた。
アズライルは高笑いして立ち上がった。それには応じず、アルフリートは壊れた星々のような光の中で、不意に消えた。
「! どこへ逃げたっ」
「幽霊は考える力が衰えているのだろうか?」
こつん、と軽い音がして、アズライルは我に返った。
アルフリートの手には小瓶。もう一方の腕にはリシェルを抱えている。リシェルの頬は治っていて、怪我の気配も見られない。
アズライルは、どことなくほっとした息をついた。が、すぐに自分の置かれた状況に気がついて、アルフリートを、気持ちばかり睨みつけた。
「何をしたんだ、アルフリート」
「何、と言われても」
アルフリートは小瓶を振る。
小瓶の中に、金色の糸が結んで入れられており、それがほのかに輝いている。
――小瓶にリシェルの髪と血を入れてあるのだ。
「呪術を使った」
「貴様……! 部外者に呪いを扱わせるな! 最低だな!」
「部外者に取り憑いておいて何を言う」
「ぐ」
「まぁ、お前のそういう素直なところは、安全で信用に足るような気がする」
「バカにするな!」
「ともあれ、これは本人が本で見つけた。大したものでもないが――リシェルがこういう情報に触れて、それを実行するというのは、ぞっとしないな」
「……つまり、それを使って私を瓶に閉じ込めたのか」
「お前が、自分の魔力の大半を、あの部屋で解放したからだ。部屋自体は「箱」として扱い、瓶の内側の空間と繋いであった。最初から――お前は瓶の中にいたんだよ。お前の魔力を瓶の中に吸引したせいで、魔力のないリシェルと魔力のあるお前が分離した、と私は見ている」
「簡単な話だな。それで、「幽霊は考える力が衰えたのか」ということか」
きちんと場を読み解けば、このくらい気づくことなど造作もなかったはず。
アズライルは自嘲する。アルフリートが眉をひそめた。
「……お前は最初から、捕まるつもりでいたのか」
「さぁどうだろう。何しろ私は、死んでいるので、捕まるも捕まらないもないな」
芝居がかった口調で笑い、アズライルはすぐに静かになった。
「……、黙っていても埒が明かない。さぁ早く解放しろ」
「そう簡単にはいかない。何しろ「協力者」には、お前と会話するように指示されている」
「協力者? 指示?」
「リシェルだ」
「……、その、小娘か」
瓶の中にいるため、アズライルが黙ると、いるのかいないのか分からなかった。
「ふん、今更何が会話だ」
アズライルは、アルフリートの沈黙に耐えかねたのか喋りだした。
「こんなざまをさらして、わが兄上はどう思っておられるか!」
「何も思ってないと思うが。知らせてもないし」
「大体貴様は昔っから気にくわなかった。貴様より兄上の方が、頭がよくて見た目もよくて社交界でも人気があって、そつなく魔法をこなせるというのに。城と爵位を取りおって。ロス・エルス本家も爵位持ちだが、まだ他の者がいるしな」
「引きこもりの根暗で悪かったな」
「自分で言うな。フォローなんかしてやらないぞ」
再び、沈黙が室内を塗りつぶした。アルフリートはため息をついた。
「化けて出たはいいが、何をしたらいいか分からない、といったていだな」
「黙れ! 貴様のような能天気に私の苦労が分かってたまるか」
「分からないな。だから話せばいい。――お前を幾分恐れてはいるようだが、それはお前が「得体が知れない」からだろう。期間と時間を定めれば、」
「ずっと取り憑きっぱなしになっても知らないぞ」
「お前は、ずっと取り憑こうとは思っていない。そうした律儀さは信じている」
「信じても無駄だ。私はもう死んでいる。いつ気が変わって、暴走するかも分からない」
「だから払いのけて、無に返せと?」
「死んだ者は、天の花園へ行く、と言われているが、私達は無理だろう。どうせ「扉の向こう」のような場所にわだかまって、竜の呪いを鎮め続けるんだ」
「城で死ななければよかったのにな。基本的には「扉」に捕まる前に、死者をすぐさま埋葬し城から出す。お前は少し遅れたのかもしれないな……しかし、城で死んだわりに、「ソレをしたことがないような言いぐさだな」?」
はたとアズライル自身も気がついた。
「……そうだな」
「お前は死んだ後、完全に眠りについていたのだろう。死者の永久の眠りを妨げたものは何だ?」
アズライルは集中しすぎて、息まで殺した。
「やはり、この娘に、うっかり吸い寄せられて目が覚めてからのことしか分からない。自分が死んでいることは知っているが、こうしてみると、人に取り憑いている間は意識があって魔法も使えるが、離れている間はほとんど、瓶詰めの水みたいな感じしかしない」
「……分かりやすいたとえをしないか」
「いるのかいないのかも、はっきりしない。まどろむようなものだ」
アズライルがくしゃみをした。
ぽん、と軽い音がして、瓶が割れる。アズライルは再びリシェルに取り憑いた。
「私は、さっさと解放されたい」
「そのためにも、リシェルの「体質」を治すことが必要だ。研究に力を貸せ」
「貴様な……まぁ、協力してやってもいい。ただ、協力するとなると、貴様よりも私を推してくださった兄上に、申し訳が立たない。一発くらい、こちらが憂さを晴らしてもいいじゃないか」
だから一発殴らせろ。
眉間の皺を増やしたり減らしたりしたアルフリートは、やがてため息をついて身を屈めた。
「仕方ない。お前が死なずに済むよう、早い段階で諫めることのできなかった私の、責任もある。これで気が済むなら、いくらでも。ただ、謝っても、お前はもう、」
「知ってるから! だからだ。だから一発殴らせろ! いつ消えるかも分からない身なんだ、心残りなく、正気のうちに殴らせろ」
振りかぶって、アズライルは思いきり強く、アルフリートをぶん殴った。
「あら?」
伯爵が倒れている。顔が片側だけ腫れているのは、何かにぶつかったせいだろうか。
リシェルは、拳をほどいて、首を傾げた。
*
結局、リシェルに取り憑いていたアズライルという者は、伯爵と和解したようだ。
ようだ、というのも、リシェルは真っ直中にいたとはいえ、肝心なときにほとんど寝ていたため、よく分からないのだ。
(なぜ私が取り憑かれるのか、分からないままだし……)
そもそも城に来る前から、たまに取り憑かれることがあったようなので、アズライルの件が落ち着いたとしても、リシェルの体質は変わらなくて当然だった。
「どうしよう」
アルフリートは、アズライルが取り憑いて猛威をふるうから、リシェルを城に置いて監視していたのだ。もう和解したのなら、リシェルを早々に追い出してもおかしくはない。
しょぼくれながら、荷物をまとめていると、
「何なさってるんです?」
メアリアンが駆け込んできた。
「何、って」
リシェルは辺りを見回した。
小さな鞄一つで城に来たリシェルも、使用人がくれた花束とか(生花で楽しんだ後はドライフラワーにした)伯爵が市場で見つけたという絵本とか、貰ったものが増えて、うまく鞄のおさまりがつかない。
たった、一週間ほどの出来事だというのに。
じわ、と涙ぐんだリシェルに、メアリアンが慌てて近づいた。
「どうなさったんです? まさか出ていくつもりではないでしょうね? 奥様?」
「奥様なんかじゃありません。もともと、勘違いで来たんですから」
「あの分からず屋の幽霊のせいですか?」
「どうして私に取り憑いていた人のせいなんですか」
「夜な夜な、貴方の体に取り憑いては伯爵と密談しているからですよ」
「夜な夜なといっても、昨日和解したばかりでしょう?」
「でもそんな雰囲気ですよ。奥様を人間扱いしないやつは全員私が始末して差し上げます」
「ちょっと待って、始末はだめよ」
何をする気か分からないが、メアリアンはどうやら物騒なことを考えている。抱きしめてくるメアリアンを引きはがして、リシェルは鼻をすすり上げた。
「仕方ないのよ、メアリアン。私、うちに帰らないと」
「……分かりました奥様。それでしたら。せめて朝食を食べてからお帰り下さいまし」
メアリアンは、とても分かっていない顔をして、そしてにやりと笑った。
「帰るだと?」
「はい」
「それはできかねる」
眉間に皺を寄せて、伯爵、アルフリートは卵と青菜をまとめて得物で刺した。
「当初の、取り憑かれ体質は治ったのか?」
「いえ……全く、だと思います。この城で、伯爵の従兄弟様以外に取り憑かれていないから、分からないんですけれど」
「……乗りかかった船だ。何とかなるまで、ここにいろ。他の、何らかの危険なものが取り憑いて、国に災いを及ぼしてみろ、目も当てられない」
「はぁ」
「お前のことだ。他人事のような返事をするな」
「はい」
「だからさ、プロポーズなんだよ。これは。つまり」
ちゃっかりと席の端で果物をつまんでいるルーベンスが、したり顔で発言した。そして前髪が燃えた。
「ぎゃあ!」
「行儀が悪いからだ」
「いや! 今のおかしいだろ! 燃える要素ないだろ! ここ窓にカーテンなくてものすごい明るいから燭台つけてないし!」
騎士に肩をすくめてみせ、伯爵はリシェルのほうを向いた。
「騒がしい者が邪魔をしたな」
「無視するなよもう!」
「その体質について解決されるまで、滞在を許可する。することもなく退屈だろうが、何か問題があればこれまで通り、マリーベル達に伝えよ。不自由のないように、手配させる」
「はい……あの、伯爵」
「何だ」
「ありがとうございます。どうか、よろしくお願いいたします」
「あぁ……そういえば」
ふと、アルフリートの表情が緩んだ。
この人でも微笑むのだと思い、リシェルはぼんやり、それを見つめる。
「すまないが、しばらく、従兄弟がお前を借りることがあるかと思う。許してほしい」
「……はい?」
「申し訳ない。実にすまない。ただ――アズライルいわく、お前には「穴」があって、そこに入れるものと入れないものがある、ということで、何かヒントが見つかりそうなのだ。きっと、手助けになると思われる」
リシェルは、メアリアンの発言を思い出した。――夜な夜な、リシェルの体を借りたアズライルと伯爵が密談する――あながち、でたらめでもなかったようだ。
「……伯爵、一つ、いいですか」
「何だ?」
リシェルはそろそろと立ち上がった。
「伯爵。「これは楽しいことになったな」という顔をなさっておいでですけれど。私は、怒ってもいいでしょうか?」
アルフリートが、真顔に戻って頷いた。
「構わないが、これ以上殴るのは勘弁してもらいたい」
*
とりあえずリシェルは城に残された。
「知らない人だから、余計に恐ろしく思えるのよ」
リシェルは伯爵に頼んで、紙面の広々とした日記帳を貰い受けた。テーブルに広げる。
毎日ここに、手紙を書く。
「貴方からの返事があれば、私も少しは、貴方が取り憑くのを、恐ろしく思わなくなるかもしれないから」
どんな返事があるだろう。夜、書いたばかりのページを開いたまま、リシェルは寝床に潜り込む。
明日の朝、たとえ返事が書いてなくても、リシェルに取り憑いた人は、リシェルの手紙を見ていることだろう。話しかけることができるのだ、と思うと、リシェルは何だかわくわくしてきた。いい考えでしょう、と、リュウに教えたくてたまらなくなった。