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第一章

第一章


「どこの小娘かと思ったら」

 紙面をめくり、男は口の端に笑みをのぼらせた。わずかに開いたカーテンの隙間から、真昼の日差しが差し込んでいる。その明るさは、重厚な造りの机にぶつかって止まってしまい、 男にまでは届かない。

「……もしや、知っているのではあるまいな」

 笑いを含んだ声で言う。

「竜と血と呪いの交わりについて。この小娘が知っていたところで、まるきり、お話にもなるまいが」

 さて、と男は首を傾げる。

 古い呪いに触れたであろう小娘を、検分するには――どうやら、自ら足を運ばねばならないようだった。

 その日、両親は、ちょっとした喧嘩をしていた。

 大した理由でもなかったため、リシェルは全く心配していなかった。

 むくれた母に、父は出がけに「何をしたら許してくれるんだい?」と困った顔で問いかけた。母は散々ごねたあげく、

「とっても綺麗なお花でも持ってくればいいです。うちにあるようなものでも、その辺りの農家から分けてもらうのでもだめよ。とっても珍しい花。足を棒のようにして探し回ればいい わ」

 そっぽを向いて、そう答えた。

 やれやれ、と父は肩をすくめて外出した。母はしばらく憤慨していたが、リシェルは気にはしなかった。お昼までには、仲直りしていることだろう。

「お母様。パンを買ってきますね」

 もつれ気味の金髪を梳かし、外出の準備を整えて、リシェルは母に声をかけた。

「あぁリシェル。そうね、昨日買い忘れちゃって。貴方のお父様ったら、商工会議所に寄った後で買って帰るから、お前は家で休んでいなさいだなんて言って、忘れて帰ってくるんだも の」

「今朝のスープ、おいしかったからいいと思うわ?」

「青い菜物とお芋のスープだけよ? パンと一緒に食べたかったのに! 穀物を育てていないから、こういうときに困るわ」

 母は真剣に、麦などを育てることを考え始めた。

 それを邪魔しないよう、リシェルは緑色の目を細め、足音を忍ばせて外へ出た。

 大きめのパン籠を手に、リシェルは舗装のない道を歩いていく。街外れに住んでいるため、辺りはそこそこ緑が多い。新芽がのびのびと開き、大きな花もほころんでいる。

 ただ、花を見てばかりもいられない。

 乗り合い馬車や、荷物を載せた馬車が、土煙を立てて、猛スピードで通り過ぎる。

(最近馬車が増えたし、気をつけなきゃ)

 歩道がないので、リシェルは用心しながら、近くのパン店に向かっていく。

 下り坂のカーブにさしかかる。馬車が傾きながら曲がるため、いっそう危ない。

 パン籠を抱きしめて歩いていると、突然、何かが視界に入った。黒い塊が、道の真ん中に落ちている。さっきまでは見当たらなかった。一台の馬車がそれを引かないように駆け抜けた 。

 塊は、もぞもぞと動き出した。

(! トカゲかしら?)

 リシェルは馬車が来ないのをいいことに、その塊に近づいた。

 丸い目と、小さな比翼、は虫類らしいしっぽ。小型の犬や猫くらいの大きさである。

(お話に出てくる、竜に似てる)

 そのとき、猛スピードで馬車が突っ込んできた。慌ててリシェルは身を引きかける。だが、

(あの子!)

 竜に似た生き物は、ちょうど馬の蹄と荷車の車輪がぶつかる位置にいた。

 リシェルはとっさに、前に飛び出した。怒鳴り声と、嘶きと、悲鳴。馬車はどうにかリシェルを回避し、長い坂道を駆けていった。また次の馬車が来る前に、リシェルは急いで、小さ な生き物を抱きかかえる。

「かみつかないでね、貴方どこからこんなところに出てきちゃったの?」

 近くの茂みは、大きな森に通じている。きっとこの辺りの森に住んでいるのだろう。

 木と下草をかき分けて、リシェルは生き物を森に放した。

「ちゃんとお家に帰るのよ? この道の、向こう側に渡りたいなら、馬車の少ない夜更けのほうが安全だから、今はやめてね」

 声をかけると、その生き物は首を傾げる。

「そうね、いきなりこんなこと言われても、人間の言葉は分からないわね」

 リシェルは少し苦笑した。

 生き物は、首を傾げつつも、森の奥に向かって四つ足でてくてくと歩き、姿を消した。

 両手に余るほどのパンを籠に詰めて、リシェルは家に戻ってきた。

 扉を開けると、両親が真剣に顔をつきあわせて話し合っていた。

(お父様、午後までかかるって言っていたのに、もう帰ったの?)

 父親は、予定より数刻以上早い帰宅である。

「ただいま戻りました」

 リシェルは声をかけてみたが、返事はない。

「だが、これはチャンスかもしれないな」

「このままだと……どれほどお願いしても、城に行くことはおろか、目に触れることさえ考えられない……」

 両親は熱心に、こそこそと何事か確認している。パン籠をテーブルに置き、リシェルは息を吸い込んだ。

「どうかしたの?」

「リシェル! あぁ! 帰ってたのか!」

「何かあったの?」

 リシェルが首を傾げると、両親はぴたりと口をつぐんだ。ややあって、お互いの顔を見つめると、深く深く頷き合う。

「……お前を、嫁もしくは養女にほしい人がいる」

「私は反対したんですよ」

「お前っ、ちょっと、それはないんじゃあ……」

 父親は、自分だけいい顔をしようとする妻に文句を言いかけた。だが、仕方がなさそうに口をすぼめた。

「ちょっとな、父さん今朝、母さんと喧嘩しただろう。で、寄り合い所に着く前に、ある大きなお屋敷の前を通るんだが、そのとき、バラがものすごく綺麗に咲いていてなぁ」

「あのう……声が聞き取りにくいんですが」

 突き出していた唇を戻して、父親は咳払いした。

「バラがな。あって。落ちたばかりの花びらが、幾重にも折り重なって、曙の空の鮮やかなピンク色をしていたんだ」

「はぁ」

「ジャムにどうかと思って」

 話の筋が読めない。娘の困惑をよそに、父親は言った。

「道路に落ちてたまっていた、バラの花びらを拾ったんだ」

「……、そうですか」

「それで、家の人に怒られたんだ。家の外に落ちていて、どうせ掃き寄せて捨てるんだろうからと、簡単に思ってしまった父さんも悪かったんだが……もちろん、最初は一言断ってから にしようと思ったんだよ。でも、何しろ大きなお屋敷でな。花びらをちょっと貰っていきたいんですが、と言うのも恥ずかしくて……はしょったんだ。あっ、人の家に咲いてるのを勝手 に取ったワケじゃないからな。ゴミとして落ちてたのを拾ったんだ」

「はい……それで?」

 リシェルが平静に相槌を打つと、父親はそのまま話を続けた。

「父さんはしこたま叱られた。使用人が目をつり上げて怒鳴ってきたよ。屋敷にたまたま、主人が居たらしくて、使用人は伝言を持ってやってきた……いろいろな言葉を言われたが、最 後の捨て台詞はこうだ。「お前の娘でも嫁によこせ」と」

 前後が相当省略されているような気がしたが、リシェルがそれについて追求する前に、母親が鼻水をすすり上げた。

「こき使ってやる、と言われたそうなの……運の悪いことに、ロス伯爵に怒られて、そんなことを言われるだなんて!」

「ロス伯爵……? 魔法伯爵とも呼ばれる方のことですか?」

 リシェルは驚き、確認した。母は泣きながら、それを無視した。

「あぁだけど。悲しいことだけれど。でも。あの城なら、何とかなるかもしれないの」

「何とか、って何がですか?」

「支度金や家財道具についてはおいおい揃えていきましょうね、式もはしょって、とにかく相手の気の変わらないうちに、夕刻に間に合うように行きなさい」

「それは、ひどく急なお話ですね? 先方は、そんなことおっしゃってないのでは――」

「いいから! 行ってきなさい!」

「馬車も来ますからね!」

 乗合馬車の停留所が家の近くにある。そこまで、よく分からないままとぼとぼと歩いて連れて行かれた。

 こうしてリシェルは、街の反対側の外れにある、大きなお城に出かけることになった。城主である伯爵が、街の中にも屋敷を構えて、地元の用事をこなすことがある。そこで父が叱ら れたせいであるらしい――分かっているのはそれだけだった。


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