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たまには風邪もいいもんだ

 はじめまして。という挨拶と同様に、私の処女作です。のっけから苦手な『女子高生による一人称視点』に挑んだのは、当時の私の勢い以外に他ありません。

 当時のまま上げておりますので、拙い箇所だらけだと思います。それは今も変わりませんが、初心を忘れないという自戒も込めて、思い切って投稿しました。

 よろしくお願いします。


 朝起きたら、体がダルい。ついでに頭もグラグラしてる感じ。ヤバい。これってもしかして、最近話題になってるアレなんじゃ?

「……インフルかな?」

 うわー。だとしたら最悪だ。せっかく期末も終わって、これからのんびりモードに入れると思ってたのに。いや、それだけならまだしも、バイトも休まなくちゃいけなくなる。今のうちに稼いどかないと、年末年始をどう過ごせばいいのよ、アタシ。

「う~……頭イタい。気持ち悪い。ヤバい、死ぬかも……」

 ベッドでうごめきながら、目覚ましをひっつかんで見てみる。時間を見てびっくり。まだ六時だってさ。いつもだったら絶対に目を覚ますことのない時間。だって、これから一時間半後に目覚まし鳴っても、アタシ起きられないもん。

「うぅ……。マズい。どうするよ、コレ」

 しばし沈思黙考。でもその間も頭痛や気持ち悪いのは続くわけで。どうにも我慢できなくなったので、助けを求めようと部屋を出た。むう。ちょっと動いただけなのに、さらに状態が悪くなった気がするぞ。

「おかーさ~ん。あれ? いないの……?」

 一階に下りて、真っ先に台所に行ったけど、そこはもうすでにもぬけのカラ。ちなみにアタシの両親は共働き。家を取り巻く経済状況は、あまり芳しくないみたい。だから、家計にやさしいアタシは、自分のお小遣いをバイトで稼いでいるのだ。えっへん。すごいでしょ。

「そういえば、言ってたっけな。お父さんもお母さんも、今日は朝がめちゃくちゃ早いって」

 どうしよう。病院に行きたくても、こんな状態じゃ出かけられない。絶対に途中で行き倒れる。女子高生、天下の往来で死すなんて、そんな伝説は作りたくないよ。

 なんて馬鹿なことをぼんやりと考えつつも、とりあえず薬を飲まなきゃと思った。とりあえず、バターロールを一個、強引に口に押し込んだ。もごもごと口を動かしながら、薬箱から風邪薬を発掘。問答無用でそれを投下した。

「……でもまあ、実際インフルだったら、こんなことしてもムダなんだけど」

 タミフルほしー。コンビニとかで売ってたら便利なのに、なんで売ってくれないんだろ。それでしか治せないんだから、大量生産してその辺にバラまいちゃえばいいのに。朦朧とする意識の中で勝手に憤慨したアタシは、さながらゾンビのごとく自分の部屋に戻ってきた。

「ただいまー。そしておやすみー……」

 そこで力尽きて、盛大にベッドの上にダイブ。そのまま眠りそうになったけど、すんでのところで思いとどまった。そうだ、まだ他にやらなきゃイケナイことがある。アタシはごそごそとケータイを取り出した。

「……あ、もしもし。2-Bの有里ですけど……」

 電話したのは学校。出てくれた先生に、今日休みます連絡を入れた。少し言葉を交わして電話終了。アタシの不機嫌さが増した。体調不良をおして、わざわざ電話してあげてるんだから、不審をあからさまにした対応はやめてほしい。なにもコッチだって、好き好んで学校なんかに連絡してるんじゃないんだから。

 ぷんすか怒って熱くなった顔をなでながら、今度はメールタイム。いや~、やっぱりメールって便利だね。しんどくて喋りたくない時でも、立派にコミュニケーションがとれるんだから。アタシは現在の状況を、あらゆる表現技法を用いてメールの文面にしたためた。これを見た人は、かわいそうなアタシに心打たれるに違いない。

「うし……あとは寝るだけ……って、返信もうかよ。早いな」

 パタンと携帯を閉じて、枕に顔を突っ伏させたら、もう着メロが鳴った。うん、女子高生のメール対応能力、恐るべし。そのまま携帯を開けてみると、真っ先に返事をくれたのは親友のユッコだった。

『うっそ、マジでー? アンタ、治ってもこっちに近寄んないでね。あと、這ってでもいいから病院行きな。インフルナメてたら、アンタ死ぬよ、マジで。じゃ、お大事にー』

 心配しているのか、えんがちょしてるのか、微妙な内容だ。平気な時だったらなんてことないけど、死ぬ寸前の今だとかなりヘコむ。その後も立て続けに返信が返ってきたけど、そのどれもが似たような内容。くっそー。なんだってアタシのトモダチ連中は薄情なヤツらばっかなんだ。

 でもその中で一件だけ、気になったメールがあった。それは、小学生から一緒の腐れ縁、タニシン(谷西って名字から)からきたやつ。気になる箇所以外は他と一緒だから省略。抜粋するとこんな感じ。

『カンタに頼めば、病院連れてってくれるんじゃない?』

「カンタ、か……」

 アタシは悩んだ。カンタっていうのはアタシの幼なじみの男の子。コイツとは生まれた時から中学まで、ずっと一緒だった超腐れ縁。男女関係なくよく一緒に遊んでて、それなりに仲が良かった。でも高校行かないで、家のお仕事を手伝うようになってからは、それまでのような付き合いがなうなってしまった。

「そんなだから、頼みにくいよなぁ……。それに、アイツだって忙しいだろうし」

 アタシはケータイを枕元に落とすと、そのまま布団の中にもぞもぞとくるまった。正直、もう限界っす。眠い、眠りたい、眠らなければならない。

 寝る前にアイツのことを考えたからかな。アタシは久しぶりにアイツの夢を見た。



『カンタはさ、なんでいつもアタシにたいしてえらそうなの?』

『きまってんだろ。それはお前がチビだからだ』

 小学生の頃によくしていた喧嘩。カンタの言う通り、アタシはチビでアイツはデカい。クラスどころか、学校を見渡しても一番大きかったんじゃないだろうか。目立つカンタはいろんな人達から標的にされた。それ以上に救いようがなかったのは、アイツは口も悪ければ態度もよくなかったということなんだ。

『あっ、カンタまたケンカしたでしょ? しっかし、男ってなぐりあいが好きなんだねー。そんなことしてて楽しいの?』

『……知らねーよ。アイツらが勝手にケンカ売ってくんだから、しょうがねえだろ』

 ふてくされたカンタがそっぽを向くので、アタシは手を伸ばして、ぬれたハンカチで口元を拭ってやった。ハンカチに血が滲んで、じんわりと赤くなる。ケンカをしては生傷をこさえてくるカンタに付き合っていたアタシは、いつの間にか応急処置のプロになっていた。

 アタシはケンカばかりするカンタのことを小馬鹿にしたけど、本当は少し悲しかった。見た目は怖いけど、実はコイツはすごく優しいヤツだって知ってたから。傷の手当てをしながらそう思ったアタシは、カンタに言っていた。

『シン君達だったら知ってるからさ、アタシが言ってあげようか? 仲良くしなきゃダメだよ、って』

 そしたら、なぜかカンタはすごく怖い顔をしてきた。名案だと思っていたアタシは、その迫力にびっくりしてしまった。しばらくアタシを見つめたあと、大きなため息をついたカンタが、怒ったように言った。

『誰のおかげでこんな目に……って、別にいいや。もういいから、お前は普段通り、お気楽脳天気にしてろ。あと絶対に余計なことすんなよな』

『ひっどーい! なにそれ? そんなら手当ても自分でやんなさい! 』

『いってえ? くそ、やめろバカやろう!』

 小馬鹿にされてムカついたアタシは、ハンカチをカンタの顔に押しつけてやった。大げさに痛がるカンタは、どうもやせ我慢してたみたい。男ってどうしてこう、変なところで見栄っ張りなんだろ。

『カンタ、高校はどこ受けるの?』

『俺は高校行かねえよ。つか、行かせてくんねー』

 中三の夏頃かな。周りが進路のことについてざわついてきた頃、アタシはカンタに聞いてみた。そしたらそんな答えが返ってきてびっくり。

『へっ? マジで言ってるのそれ? そりゃあ、カンタの成績はとてつもなくヒドいレベルにまで達してるけど、それでもどっかしらに受け皿はあるでしょ』

『お前、ヒデーな。……親父がさ、勉強は中学まででいいから、早く家を手伝えってうるせーんだよ』

 カンタのお父さんは大工の棟梁らしい。すごく腕のいい大工さんなんだって。カンタと同じくらい大きい、とても豪快なお父さん。カンタの家に遊びに行くと、仕事の最中でもアタシにすごく優しくしてくれるので、アタシも大好きなおじさんだ。

『うわ……。それはちょっとどうなの? カンタだってさ、いくらお父さんの言うことでも、素直に聞かなくてもいいんじゃないの?』

 言いながらアタシの中にあったのは、同情。人と同じ事ができなくてかわいそう。そんな風に思ってた。あとついでに、一緒に高校生になれなかったのが、幼なじみとして寂しかったのかもしれない。

 けど、カンタは違った。カンタの大人びた顔に、アタシは思わずどきりとした。そんなアタシには気づかないで、カンタは淡々と語った。

『いや。別に、高校行って何かしてーとか思ってないし。あとさ、みんな勘違いしてるかもしんないけど、俺、親父の仕事が好きなんだよ。そりゃ、叱られたり怒鳴られたりで、泣きベソかいたりムカついたりしてるけど。尊敬してんのさ、親父達を』

 その時、アタシは不覚にもカンタを格好いいと思ってしまった。これまで一緒に過ごしてきて、コイツはアタシと同じだとばかり思っていたのに。全然そんなことない。カンタは大人だった。

 その後、アタシは無事に第一志望の高校に通っていて、カンタは宣言通り高校は行かずに家業を手伝っている。アタシの忙しいとカンタの忙しいはイコールではないけど、そんな感じで接点はなくなっていった。最近は全然会ってない。というかむしろ、今の今まで忘れていたというのが本当だった。



 夢から覚めると、ぼやけた視界に映る天井の片隅に、何か引っかかっている物があるのに気がついた。それのせいでおでこが少し重いのかな。あとね、ほどよい冷たさが気持ちいい。

「濡れタオルかぁ。……なんだろ。おかーさん帰ってきてくれたのかな?」

 そんなことをぶつぶつと呟きながらタオルに手をやると、何かうごめく音がした。誰か人がいる。ああ、お母さんか、アタシは呑気に考えて、早速お礼を言うことにした。たとえ身内であろうとも、自分のために仕事を放棄して来てくれたんだからね。感謝の心をしっかり表さないと、バチがあたっちゃう。

「ありがとう、おかーさん。お仕事途中なのに……」

 来てくれてゴメンね。アタシはそう言おうとしたんだ。でも、言うことができなかった。それは、アタシがその姿を目の当たりにしたから。お母さんはほっそりした人で、モノトーン系の服を好む。だから、目の前にいた大柄で無精髭を生やした青のツナギを着た人物は、おかーさんじゃない。そもそもソイツは女じゃなく、男だ。

「おかーさん? 何を寝ぼけてんだお前。アタマ、大丈夫か?」

 二の句も告げられずにいるアタシを不憫に思ったのか、ソイツは憐れみたっぷりの顔と声でアタシに近づいてきた。コイツ誰? なんでアタシの部屋にいるの? そもそもなんでこんな知りもしないヤツにバカにされないといけないの?

 アタシの中で感情が渦巻く。それは体調不良と相まって、驚異的なスピードで加速していく。目の前の現実を認識、再確認。

 女の部屋。怪しい容貌の男。家に誰もいない、二人きり。風邪だかインフルで動けないアタシ。迫りくる男イコール変質者。導き出される答えはただ一つ。このまま襲われて、乱暴狼藉の嵐。

 そう思った瞬間、アタシの口から、自分自身これまで聞いたことのない音量の叫び声がほとばしった。そして手近にあった目覚ましを鷲掴みにして、それを構える。いや、人間ってヤツはスゴいね。脅威が迫ると、体が勝手に反応してしまうんだもの。

「イヤーーー! 変質者! ケダモノ!  あっちへ行け! 出てけー!!」

 アタシがぶん投げた目覚ましが、半ば無防備だった男の顔面にヒット。ヤツはたまらず昏倒する。その前のアタシの叫び声で硬直してたから、無理もないな。その後も枕や雑誌なんかを適当に投げつけて、即時退散を願い続ける。その時アタシが考えていたのは、このまま手持ちの武器が無くなったらどうしよう、だった。

「……ちょっ、お前いい加減にしろ! 落ちつけって!?」

 変質者のくせに、命乞いをしてきた。アタシはもちろん抵抗の手を緩めない。

「なにフザけたこと言ってんのよ! このままアタシに殺られたくなかったら、とっとと出てけ!!」

「……バカ野郎!! フザけてんのはお前だろうが!」

 なんてこと。ソイツはアタシの弾幕をかいくぐって、あろうことかアタシの腕をがっしと捕まえた。ものすごい力。どんなにがんばってもビクともしないから、空いてるもう一方の手でって思ったら、先行入力されてそっちも封じられてしまった。

 ああ。アタシは観念した。まさかこんな形で貞操を失うことになるなんて。アタシの今後を思うと絶望的な気分だけど、せめてタダではヤられない。そう覚悟を決めざるをえなかった時だった。

「……まったく。ほれ、こっち見ろって」

 聞こえてきた変質者の声は、ことのほか優しいものだった。そしてこの声質。どこかで聞いたことがある。でも記憶の中のそれはもっと細くて、いまいち頼りがいがなかった。 アタシは恐る恐る、俯かせていた顔を上げていった。布団からツナギの腹、たくましい胸、太い首、引き締まった顎のラインと無精髭、そして精悍な顔つきに浮かぶ、愛想不足無愛想過剰な、それでいて優しい表情。

 アタシの壊れたコンピューターが高速処理を開始した。そして試行錯誤の結果、その人物の面影が過去にあったデータベースのそれと一致した。

「……もしかして、カンタ?」

 アタシは引きつった笑みをしてたかもしれない。そうしたら、彼は憮然としたまま大きく頷いたのだ。

「もしかしなくてもな」

 なんで? なんで? アタシはワケがわからくなって、また混乱した。そしたらまた眠たくなって、眠ってしまった。意識が遠のく瞬間、カンタが何かを言ったような気がしたけど、別になんでもよかった。ただカンタが来てくれたということで、アタシは妙に安心したんだ。



 ピピッピピッ、と電子体温計が作業の終了を告げた。アタシが口にくわえていたそれを、カンタがあっさりと奪い取る。その際、先っちょが歯に少し引っかかって、痛かった。

「カンタさあ、乱暴はいくないよ?」

「三十八度二分。立派な風邪っぴきだな」

 アタシの抗弁に、カンタの強い調子が乗っかってくる。現実を突きつけられて、アタシの意気もすっかり消沈。ますますもって、体調が風邪っぽくなっていく感じ。人間って弱い生き物だ。

「このままこうしててもラチ明かないからな。とっとと医者行くか」

 カンタがぺちっ、と絞りたての濡れタオルをアタシの額に打ちつける。冷たくて気持ちいい。正直このまま寝てたかったけど、もしかしたらインフルかもしれないし、そんなわけにもいかない。

「……うん。ところでさ」

「なんだ?」

 病院に行くことは認める。けど腑に落ちない点が、アタシにはあった。それを解明しないことには、どうにも寝覚めがよくない。アタシの疑問、それは。

「カンタはどうやってアタシの部屋に入ってきたの?」

 そう。家には鍵が掛けられてたし、絶対に入ってこられないはず。それなのにアタシの前には、目をぱちくりとさせている大男がいるのだ。事と次第によっては、110番通報しなければならない。さあ、カンタ。

「ああ、それなら簡単だよ。お前んちを壁伝いに上って、直接お前の部屋に入った。あんまり苦労はしなかったな」

 非常に残念なことに、通報しなければならなくなってしまった。ああ、まさかこんな形で幼なじみを失ってしまうなんて。アタシってなんてかわいそうなんだろう。1・1……とダイヤルしたところで、カンタが慌てたように止めに入った。

「って、おい! 遠い目をしながらどこにダイヤルしてんだ?」

「決まってるでしょ。警察」

「はあ? お前、フザけんのも顔だけにしとけよ!?」

 無礼千万。逆ギレカンタにアタシはキレた。

「フザけてんのはアンタでしょーが! どこの世界に、人ん家よじ登って侵入するのを許すヤツがいるの? しかも女の子の部屋にさ」

 その光景を想像して、アタシは少し引いてしまった。気持ち悪いモノを見るような視線に、カンタが少したじろぐ。あ、もしかしたら自分が悪いことをしたっていう自覚があったせいかも。いくらコイツがバカでも、それぐらいの常識はわきまえているはず。

「しょうがねーだろ! 玄関は鍵が閉まってたし、他に手段がなかったんだから。大丈夫だよ、人に見られないようにやったから。それに見られたとしてもこんなナリだろ? なんかの作業をしてるように思われるだけさ」

 かと思いきや、やっぱりカンタはバカだった。

「……それって、用意周到に計画した犯罪者の思考じゃない?」

 アタシがひと睨みして言うと、さすがに反撃の場を失ったみたい。カンタはバツが悪そうな顔をしてたけど、ついには開き直ったのか、あっけらかんとして言ってのけた。

「まあ、細かいことは気にすんなよ! 方法はどうあれさ、結果的にこうやってお前は助けられてんだから」

「……まあ、確かにそうだけどさ」

 今度はアタシが歯切れが悪い。ぶっちゃけ、カンタが来てくれてなかったら、一人孤独に過ごしてないといけなかったし。過程はどうあれ、結果的には助かっているのだから。

「それにアルミ。窓の鍵開けっ放しにしてたのも悪いんだぜ。お前がズボラなのは昔から知ってたけどよ、いいかげん直せよな」

 ちなみにアタシの名前はアルミっていう。歩くに美しいでアルミ。あんまりない名前だと思うけど、結構気に入ってるんだ。まあ、あだ名は『アルミ缶』とかありきたりな感じに付けられたけどね。缶って、生き物ですらないじゃない。

 それはそうと、鍵の件は確かにアタシに非がある。一応防犯用に、窓には強化シールを貼ってあるんだけど、肝心の鍵がかかってないんじゃね。宝のもちぐされもいいところ。けど、カンタに小馬鹿にされるのは、全然いい気がしない。なんかムカついた。

「フン、だ。そんなことカンタに言われる筋合いないもん。ほらっ、さっさと出てってよ」 そう言ってアタシはカンタを押しのけるようにしてベッドから起きあがる。うわっとと。立ち上がったら少しフラフラした。カンタがすぐに支えてくれたから平気だったけど、にしてもコイツはデカいな。

「なんだよ出てけって。医者に行くんじゃねーのか?」

「……あのね、カンタ。アタシ、まだパジャマなんだけど」

 そう言っておいて、アタシは急に恥ずかしくなってしまった。パジャマ姿なんて、これまで親とか女友達にしか見せたことない。おまけにアタシ、ブラしてない。必然的に胸元を隠すようになってしまって、余計にそれが恥ずかしい。顔が熱いのは、熱のせいだけじゃないね、これは。顔から火が出るっていうのは、こんな感じなんだろうな。

 でも鈍感カンタはそんなことに全然気がつかないのだ。

「別に寝間着でもいいだろ、医者に行くだけなんだし。まさかアルミ、お前着飾っていくとか言わないよな?」

 露骨に嫌そうな顔をして、カンタが口を尖らせる。女の身支度は時間がかかりすぎるという、世間の風評を鵜呑みにしているみたい。偏見もいいところだ。女は男と違って、色々と気を遣わなければならないだけなのに。

「着飾るって、んなわけないでしょ。とにかく着替えたいから、出てってください」

「寒いからヤだよ。うしろ向いててやるからさっさとしろ。今さらアルミの着替えシーンなんて想像したって、欲情したりしねーから」

 カンタは意地の悪い笑い方をして、後ろを向いた。だからアタシが怒りで体をぷるぷるさせてたのに気がつかない。なんだってコイツは人の神経を逆なでするのが得意なんだろう。気がつくと、アタシはカンタのデカい尻に思いっきり前蹴りをかましていた。

「いてえッ!?」

 上がる悲鳴。う~ん、快感。そして思い切り叫ぶ。

「いいからとっとと出てけーッ!!」

 ちょっと頭が痛くなったけど、気にしない。さらにマシンガンキックを浴びせて、可及的すみやかにカンタにはご退場願う。さすがにたまりかねたのか、カンタは逃げるようにして部屋を飛び出していった。その情けない姿がドアの向こうに消える間際、ヤツは捨てゼリフを残していく。

「ちくしょー! 覚えてやがれ!」

 アンタは街のチンピラか。それにしても失礼なヤツ。仮にも女子高生を前にして、女を感じない発言なんて。と、アタシはそこまでぷんすか怒っていたけど、ふと我に返って思った。

「……アタシって、そんなに魅力ないのかな?」

 なんでだろう。カンタにああ言われたことが、まるでしこりになってしまったかのように、アタシの心を締めつけていた。胸の奥が苦しくなるような感覚は、風邪とかの類とは別物のような気がする。

 カンタに女としてのアタシを否定されたような気がして、落ち込んだのかもしれない。でもなんで落ち込む必要があるんだろう。だってアイツは口が悪くて生意気な、ただの幼なじみの男の子なのに。

 いかん。どうやら完全に熱にやられているらしい。こんな思考のデフレスパイラルは、体によくない。気を取り直すために、アタシはドアの向こうにいるはずのカンタを睨みながら呟いた。

「……そんなワケ、ないんだから!」

 いまいち、立て直すのにしっぱいしたかもしれない。どうしよう、イライラしてきちゃった。このイライラ感、どうしてくれようか。      



「おまたせ」

 バタンッ、と強くドアを閉めたのは、さっきのしこりがまだ残っていたからだ。それでもかなり薄くなっていたけどね。アタシは元々切り替えが早いタイプ。いつまでもうじうじぐじぐじしたりはしないのだ。

「……お前、スウェット族かよ」

 カンタが心底残念そうに呟いた。アタシのいでたちが気にくわないらしく、ため息ついて頭を掻きむしったりもした。カンタの言う通り、上も下もネズミ色のスウェット姿のアタシ。でもはっきり言っておきたいのは、好きでコレを着たワケじゃないということだ。「族じゃないし。簡単に着替えられて楽でいられる格好っていったら、これがベストだと思っただけ。なによ、着飾るなって言ったくせに」

「単純に俺が嫌いなだけだよ。なんかだらしねーじゃん、それ」

「……ツナギで辺りをウロつくヤツに言われたくない」

「俺のは仕事着だからいーんだよ」

 なんてメンドくさいヤツなんだろう。このまま服装談義をしていても仕方がないので、まだ文句を言いたそうなカンタを置いて、アタシはさっさと階段を下りる。

「ちょっと待ってて。保険証取ってくるから」

 途中リビングに寄って、母さんが管理してる貴重品棚から、自分の保険証を抜き出す。「おー。アルミん家も久しぶりだなあ。ガキの頃はやたらと広く見えたけど、今となっては小さく感じるな」

 待っててって言ったのに、いつの間にかカンタはリビングに入り込んで、勝手な感想を漏らしていた。後半の言葉はなんですか、嫌味ですか。

「一応こんなでも、お父さんの生涯の宝なんですからね。軽々しくバカにしないでよね」 ムッとしたように言ってやったら、カンタが突然慌てふためく。これまではふてぶてしい無精髭野郎だったのが、急に年相応の少年みたくなったのがおもしろい。

「な、何もそんなつもりで言ったわけじゃねーよ。仕事柄いろんな家を見てるから、そう思っただけだって」 

「ふ~ん。じゃあ、そういうことにしておいてあげる」

 カンタがチッ、て舌打ちした。小さく「かわいくねえヤツ……」って言ったのも聞こえた。どうやら今回はアタシが勝ったみたい。勝利の余韻にニンマリしながらカンタの脇を通り過ぎたら、ムスッとしてるカンタの横顔が見えた。

「そういえばさ、病院までどうやって行くの?」

 玄関にしゃがみこんで靴を履きながら、アタシは聞いた。外はかなり寒い。冬なんだから当たり前だけど、最近特に冷え込んできたからなあ。あったかいコートを着てても冷気が伝わってきていた。

「それなら心配ない」

 そう言うカンタの顔は、妙に自信満々だ。車でも乗ってきたのだろうか。いや、カンタとアタシは同い年。高二で十六歳のアタシでは、車を運転するどころか試験を受ける資格すらない。けれど、カンタは胸を張って言いのけた。

「俺の愛車でひとっ飛びさ」

 外に出ると寒さひとしお。身も心も縮み上がってしまうほどだ。そして、そんなアタシの気分に拍車をかけるものが、目の前に堂々と佇んでいた。

「愛車って……コレ?」

 アタシが指さす先には、一台の大型バイクが停まっていた。車種やらなんかはさっぱりわからないけど、これがバイクだということはわかる。恐る恐る隣りにいるカンタを見上げてみると、ヤツは得意げに頷いてしまった。マジか。

「そう。格好いいだろ? 俺が生まれて初めてローンを組んで買った、記念すべき第一号の愛車さ」

「これバイクだよねえ……」

「そりゃそうだろ。アルミはこれが車にでも見えんのか?」

 お前アタマ大丈夫? みたいな顔で人のことのぞきこむな。ムカつく。

「心配すんなって。ちゃんとつかまってりゃ落ちやしねーよ。それに医者もここから五分くらいなんだから」

 アタシの記憶だと、家から最寄りの病院は車で五分じゃ着かない。コイツはどんだけのスピードを出す気なんだろう。そんなことを考えたら、頭がどんどん痛くなってきた。そして気がついた時にはもう、カンタは車上の人になっていた。

「ほれ、メット。早くしろよ。こんな寒空の下でボヤボヤしてたら、具合なんてすぐに悪くなるんだからな」

「バイクに跨って、むきだしの体に冬の空っ風をくらったら、風邪をこじらせるだけじゃすまない気がするんだけど」

 頭に無造作に被らされたヘルメットは、工事現場のおじさんがほっかむるダサいやつだった。アタシは不満たらたらだったけど、どうにもこうにも覚悟を決めなくてはならないようなので、仕方なくそれをきちんと被り直す。カンタは、と思って見たら、コイツはフルフェイス型のいかにも格好いいやつを颯爽と被っていた。

「お前みたいなヤツは脇くすぐりの刑だ!」

「うはは!? 何すんだ、やめろって! ところでお前、ちゃんとつかまっとけよ。フザけたりしたら命はないものだと思え」

 だったらそんな危ないモノに乗せるなよ。アタシは腹が立った。だから後部座席に跨って、後からおもいきりカンタの腰を引き締めてやった。そしたら空気がひしゃげたみたいな声が聞こえてきた。

「ぐえっ! アルミ、投げっぱなしジャーマンをかけるんじゃないんだから、もっとこう優しくだな……」

 注文の多いヤツだ。アタシは渋々カンタにぴったり密着して、太くて逞しい腰に腕を回した。

「ほら、これでいいの?」

「お、お、おうっ。問題ないこともないけど、むしろアリ、だな!? いいか、そのまま手を離すなよ」

 なんでか知らないけど、答えるカンタの様子が気持ち悪い。アタシは、こっちを向こうともしないカンタに不審を抱いたけど、それ以上に早く病院に行きたくなっていた。体調が、うんもう最悪。この際なんでもいいから、早く楽にさせてほしい。

「よしっ! 出発!」

 言うが早いか、カンタがバイクのエンジンをかけた。エンジンの駆動音が響くと同時、確かな震動が体に伝わってくる。バイクとか好きな人は、こういう感覚が好きなんだろうか。アタシは別にどうでもよかったけど、後ろ姿のカンタはどうもそれだけでも嬉しいみたい。口に出して言うワケじゃないけど、なんていうのかな、背中がそれを物語っている感じ。

 ああ男の子ってこうなんだ、アタシはぼんやりした頭で感じてた。自然、腰に回していた腕に力が入る。締めつけるんじゃなくて、想いをこめるみたいに。

 バイクが走り出す。それまでは少女チックな想いに浸っていたけど、その瞬間にそんな甘ったるい感傷は吹っ飛んだ。加速が尋常じゃない。体が思い切り振られる。凍てついた風がアタシの体を容赦なく切り裂いていく。

「……マズい。死ぬかも、アタシ」

 アタシは引きつった笑みを顔に張りつかせて、弱々しく呟いたのだった。



 結果から言うと、アタシは死なずにすんだ。なんだかんだでカンタの言った通り、病院には五分くらいで着いた。でもアタシの体感時間はずっと長かった気がする。そして死なずにはすんだけど、死にそうな思いにはさせられたよ。アイツの運転は強引すぎる。

「いやー、急いでたからな。普段は安全運転をモットーにしてるんだぜ? アルミを早く医者に診せてやらないと、って少し気が焦ったかな」

 アタシに気を遣うフリをして、体のいい言い訳をしている。しかし今のアタシには、カンタに突っ込んでやる気力がなかった。フラフラとバイクを降りて、ふらふらと病院に歩いていくのが精いっぱい。

「おいおい大丈夫かよ。ほら、俺につかまれって」

 慌ててカンタがアタシの横に並んで、肩を貸してくれた。アタシとの身長差が四十センチ以上もあるから、カンタはものすごく腰を屈めてアタシに合わせてくれた。顔と顔とがものすごく近い距離になって、アタシが少し照れたのは内緒だよ。

「ありがと……。でもね、こうなったのはカンタが原因だから、やっぱり前言撤回する」

「なんだそりゃ。はーあ、そんな憎まれ口が叩けるんだったら、平気だろ」

 カンタに付き添われて、アタシは病院の中に入った。独特の匂いが鼻をつき、自分が病人なんだということをいやがおうにも認めさせられる。靴を脱いでスリッパを履いて、院内に上がる。カンタのデカ足に合うスリッパがなくて、パンパンに膨れてもなお入りきらないのがおもしろい。

「足デカすぎじゃない?」

「そうだなあ。できることなら、違うトコロがデカくなってくれたらいいんだが」

 そう言って下腹部を気にするようにしたので、アタシは思い切り足を踏みつけてやった。無言で痛がるカンタを睨みながら、アタシは顔が紅潮していることに少しイラついてしまった。

「こんなところで……! バッカじゃないの?」

 保険証と診察券を受付のボックスに入れて、アタシ達は待合いロビーに入った。そこには診察を今か今かと待ちかまえている人で賑わっていた。その大半が子供を連れた主婦で、アタシ達にチラチラ視線を向けながらも平静を保っているように見えた。

「座れそうな所……っと、ちょうどココなら二人座れそうだぞ」

 そんな奇異の視線にも全く気づかない鈍感男が、目ざとく二人分のスペースが空いたソファーを見つけて、確保した。ありがたい。もう少し行動が遅れていたら、待ちきれずに遊びまくっている子供に占領されるところだった。

「ふぅー。なんだか人心地ついたなあ」

「カンタはね。アタシは、ちょっとダルい……」

 ソファに沈み込むようにして座りこんだアタシは、ぐったりとしてソファの背中に体を預けた。そして目を瞑って、沸き上がってくる不快感と嘔吐感に耐える。孤独な戦いだ。「アルミ、そんなにもたれたら床に落ちちまうぞ」

 カンタの慌てた声が聞こえる。アタシを心配してくれてるみたい。だけど今のアタシには、そんな気遣いすら煩わしかった。聞こえないフリをして、そのまま寝ようとした。

「しょうがねえヤツだなあ。……ほら、あんま世話焼かせんなよ」

「……? ち、ちょっとカンタ!」

 アタシは突然のことにビックリして、目を開けてしまった。そしたら飛び込んできたのは、青いツナギのごわついた生地。顔にはカンタの厚い胸板の感触がほんのりあった。アタシの体はカンタに抱き寄せられて、そのままがっちりと固定されていた。

「こ、こんなの、スーパーセクハラじゃない!」

 ものすごく恥ずかしくなったアタシは、なんとかしてそこから逃れようとしたけど、全然無理だった。男の力ってすごい。というか、周囲のアタシ達を見る目が、痛い。子供達はぽかんとして見ているし、その親にいたってはあからさまに迷惑そうな視線をくれている。でも超気まずいアタシとは対照的に、カンタは堂々としたものだった。

「どうだ。これだったら安心して寝られるだろ? ズリ落ちたりしたらみっともないもんな」

「……バカ。コッチの方がずっと恥ずかしいよ」

「そうか? 別にいいだろ、知らない仲じゃないんだし」

 知らない仲じゃない、か。アタシは気になってしまった。カンタはアタシのことをどう想っているんだろう、と。小さい頃からの友達、幼なじみという関係。ただそれだけなんだろうか。それだけで、いくら風邪を引いて一人だからって、仕事を休んでまでアタシと一緒にいてくれるのだろうか。

 そんなことを熱でぼうっとした頭で考えていたら、うとうとと眠ってしまった。カンタが隣にいるというだけで、アタシは妙に安心できたんだ。自分から身を預けて、アタシは静かに眠った。時おりカンタが頭を撫でてくれているみたいで、それがとても心地よかった。

『有里さん。有里歩美さん、診察室へどうぞ』

「おい、アルミ。呼ばれたぞ」

 カンタがアタシを揺り起こす。でもアタシは起きない。だって、こんなに気持ちがいいのに、わざわざ起きる必要はないでしょ。アタシは狸寝入りを決め込んだカンタが慌てふためく姿が目に浮かんだ。アタシは小さくほくそ笑む。知ってる? お姫様は王子様のキスでないと、眠りから目が覚めないんだよ。

「おいって! アルミ、お前実は寝てないんだろ? 早く! 早くしろって! 受付のオバサンが俺のこと睨んでんだからさ!?」

 と、カンタが悲壮感を漂わせたところで、アタシは起きた。そしてそのまま診察室へと入る。カンタは何か言いたそうにしてたけど、無視。だって振り返ったら、アタシの頬が桜色に染まってるのがバレちゃうもの。

「ん~……これはただの風邪だね。薬出しとくから、それ呑んで安静にね。お大事に」

 とまあ、そんな感じに診察はあっさり完了。結局インフルじゃなかったみたい。本当によかった。もしインフルだったら、カンタなんかとっくのとうに感染しちゃってるもんね。そうならなくて、本当によかった。

「バカ。そんなこと気にすんなよ。とにかく、タダの風邪でよかったな」

 そう言ってカンタは我が事のように、ほっと安堵の息をもらした。処方箋を出してもらって、すぐ近くの薬局で待っている時も、カンタはアタシに肩を貸してくれてた。

「そっか。カンタにうつることはないか。だって、ナントカは風邪引かないっていうもんね」

「そう、そうなんだよ 俺みたいなバカ野郎は風邪なんて……って、おい!?」

「あははっ。ウソウソ、冗談だって」

 なんてやってたら、受付のオバサンに軽く睨まれちゃった。でもそんなの気にしない。アタシがカンタを見上げると、どうした? って顔をしてきた。そんな自然な表情が、とても懐かしく感じられた。



 家に帰ってきて、アタシとカンタはアタシの部屋でのんびり過ごしていた。といっても、アタシは風邪人だからベッドでおとなしくしてたけど。カンタはかなり遅めのお昼ご飯を食べてる。よくよく聞いたら、朝から何も食べてなかったみたい。

「だって、朝起き抜けのところにタニシからメールが来たんだぜ。アルミが死にそうだ、なんてったら、着る物もとりあえず急行するだろ」

 聞いたら、カンタはクソ真面目な顔で答えた。口元にご飯粒が付いているのが、カワイイ。でも、それ以上にアタシは気にかかっていることがあった。

 タニシンとカンタの関係だ。アタシとは中学卒業以来途切れてしまっていたのに、タニシンとは関係が続いていた。お互い連絡先も知っているみたいだし、なんだろう、胸の奥がすごくモヤモヤしている。風邪の症状なんかより、ずっとずっと苦しい。

 だからアタシは、思いきって聞いてみた。

「そういえばさ……カンタとタニシンって、仲いいんだね。ひょっとして、デキてたり、する?」

 何気ないフリを装ったけど、アタシはすごく緊張していた。声が微かに震えてた。どうしよう。こんな事を聞いた自分がすごくみじめになってきた。泣きそうだ。

「……は?」

 なのに、カンタの反応はやたらと淡泊。コイツめ、アタシがどんな思いでこんなことを聞いたと思ってるんだ。

「だからッ! アンタとタニシンは付き合ってるのかって、聞いてんのよ!」

 あまりにもイライラが募って、思わず怒鳴ってしまった。ものすごくみっともないことをしている。興奮している自分を、遠くから冷静に見ているアタシがいる。ソイツはアタシのことを冷笑しているんだ。

 カンタはしばらく何も答えなかった。言うのを躊躇ってるというよりも、何が起こったのかいまいち理解できていないようだった。それもそうだろう。それまで和やかに楽しく会話していたのに、急にアタシがキレたんだから。これがアタシだったら、まず間違いなく逆ギレしてるもん。

「えっと……。アルミが何を怒ってるのか、まずはそれを知りたいんだけど……」

 言いながら、カンタは食べかけのおにぎりを口の中に放り込んだ。よく咀嚼して、ペットボトルのお茶でグイッとそれを飲み干す。その間時間にして十秒くらい。だけどアタシにはそれが何十分のことのように感じられた。

「……その前に、タニシのことだな」

 いきなり核心がきた。アタシはギュッとシーツの端を握りしめる。一番聞きたいことだけど、一番聞きたくないことでもある。もしそうだったとしたら、アタシはどうするんだろう。そもそもアタシがカンタに抱いているのは、どんな感情なんだろう。そんなとりとめもないことを考えていた時だった。カンタが口を開いた。

「アルミは知らなかったっけ? 俺ん家、タニシん家の近所なんだよ。おまけに親同士が友達。そんなこんなであいつとはガキの頃からの腐れ縁だよ」

 あれ? そうだったっけ。アタシは全身に変な汗をかき始めていた。これはもしや、大恥をかくルートなんじゃ。アタシはにわかに挙動不審になる。そのことを知ってか知らずか、カンタの表情が意地悪そのものになっていくのが、ムカついた。

「アルミが何をどう勘違いしたのか知らねーけど、タニシとは何でもないよ。それにさ……」

 カンタはうんざりした顔で大きなため息をついた。なんだか妙に真に迫っている感じだった。

「俺はゴメンだよ。あんな気が強い女は。たとえ付き合ってくれ、ってお願いされてもイヤだ」

 言われて、アタシはなんとなく思い出していた。子供の頃、小学校低学年くらいかな。自分よりも頭一つ分大きいカンタを、タニシンがよく泣かせてたことを。カンタが泣きついてきて、アイツ嫌いってさんざん言ってたような気がする。それでも二人は今現在においても友達関係が続いているんだから、相性自体はいいんじゃないだろうか。

「ふうん。そうか……そうなんだ」

 アタシはホッとした。すごく、すごくホッとした。カンタがフリーだから? 親友のタニシンを裏切るようなことにならずにすんだから? でもなんでホッとするんだろう。これじゃまるで、アタシがカンタのことを好きみたいじゃないか。

 みたい、じゃなくて、きっとそうなんだろうな。風邪のせいで変なテンションになって、自分でも予期しない方に進んでしまっているのかもしれない。カンタのことを男として好きなのか、ただ単に友達としてスキなのか、すぐには判断できない。

 だからアタシは、カンタとの関係を取り戻すことに決めた。

「携帯。番号教えて」

「ん? あ、ああ、いいよ。ちょっと待ってな……よし、いくぞ」

 赤外線通信で番号を交換。携帯と携帯が向き合って、自然アタシとカンタもそうなる。

「ねえ、カンタ」

「なに?」

「またバイク乗せてもらってもいい?」

「ちゃんとメットしてくれるんなら、いつでもいいぜ」

「何かあったら助けてくれる?」

「俺にできる範囲だったらな」

「毎日メールしてもいい?」

「……返信に期待するなよ」

「じゃあさ、あと……」

「もう、メンドくせえな」

 シビレを切らしたカンタの顔が一気にアップになった。そしてアタシの口が塞がれる。柔らかくてあったかい感触。ほうっ、と幸せな気分に満ちていく感覚。アタシはゆっくり目を閉じた。初めての、キスだった。



「……風邪、うつっちゃうね」

 唇が離れても、二人の距離は離れない。あまりにも突然のことで、アタシの胸はどきどきしっぱなしだ。それはカンタも同じなんじゃないかなって思った。

「うつらねーよ。ナントカは風邪引かないって、お前が言ったんだろ」

「……そっか。そうだったね」

 そしてアタシ達はもう一度キス。今度は思う存分、お互いを求め合った。カンタの腕がアタシに回る。アタシも腕をカンタに回す。いちおう病人なんだけどな、アタシ。なんか、場の勢いに乗せられてる感があったけど、これも若さがなせる業ってね。

 でも、カンタがどさくさまぎれに胸を触ろうとしたのには、容赦なく鉄拳制裁。鋭い平手打ちがカンタの手に炸裂する。

「こらっ、調子にのるな!」

「……ってえ~。お前、本気でやるなよな」

 まったくもう。油断も隙もあったもんじゃない。男ってやつは、なんでこうも直情的なんだろう。打たれた箇所が赤くなって、カンタはそれをひたすらさすっていた。ケモノ化したヤツには、いい薬になっただろう。

「ところでさ、仕事はいいの?」

 これ以上傍にいたら何をされるかわかったものじゃない。アタシはあえて距離をとって、話題もまったく無難なものに強制変更した。カンタもアタシの意図を悟って、渋々答える。ごめんね。

「早く済めば戻ろうと思ってたけど、今からじゃな。今日はこのまま休むよ」

「ゴメン。……迷惑かけちゃったね」

「気にすんな。別に俺なんかいなくたって、ウチの組になんの影響もないから。なんせ俺は、駆け出し以前のペーペーだからな」

 アタシに気を遣わせまいと、カンタは明るく振る舞っていた。そんなわけないのに。アタシと同い年のコドモとは思えないくらい、この時のカンタは大人っぽく見えた。

「それにさ、こんな感じになっちゃったら、戻れっていう方が酷だと思わないか?」

 前言撤回。コイツはただのエロ野郎だ。

「これ以上近づいたら『究極召喚・警察』を発動するからね……!」

 しかしこの色情狂は、アタシの脅しに屈することなく、むしろものすごい勢いで距離を詰めてくるのだった。アタシの貞操が危うい。いくらなんでも、その日の内に全てを喪失するのは早すぎるんじゃないか。

 その時だ。家の外から聞こえてきた車の音。よく聞き慣れたそれは、家の車だ。

「あっ。お母さん帰ってきた」

 時計を見ると、ちょうどお母さんが帰ってくる時間だった。カンタがその場に飛び上がる勢いでギョッとした。

「ウソっ! マジで? ヤバいじゃねーか!?」

「うん、そうだね。こんな所にいるのを見つかったら……」

 アタシが喋ってる最中にも関わらず、カンタは大急ぎで部屋を飛び出していった。そして階段を飛ばし降りする大きな音が続く。アタシはおかしくなって笑ってしまった。さっきまであんなだったのに、意味合いは違うけど、母は強しなのかな。

 そのまま出ていくのかと思ったら、カンタはまた戻ってきた。青い顔をしながら、その手にはカンタの靴が握られている。そしてそのままベランダに出ていった。

「ちょっと、どうする気?」

「決まってんだろ。逃げる」

 何がどう決まって逃げるんだろう。幼なじみが風邪を心配して見舞いに来てくれた、とか言えばそれで穏便にすみそうなのに、ってアタシは思ったけど、なんだか展開がおもしろかったから言わなかった。

「それじゃあな アルミ、薬ちゃんと飲めよ。医者に言われた通りに安静にな。あとは、そうだな……それから」

 この期に及んで言葉を濁すカンタ。アタシは何も言わずに、ただじっと見つめてた。はたしてコイツは、今アタシが望んでいる言葉を発してくれるのだろうか、って。

「……夜、電話する! それまで寝てろ。いいな」

 点数としては五十点というところ。アタシは一瞬だけムスッと「バカ」って言ったけど、テンパってるカンタにはわからなかったみたい。だから、満面の笑みで彼を送り出してあげた。

「わかった。待ってる」

「……じゃあな 」

 最後にカンタは笑って、ベランダの手摺を乗り越えて、姿を消した。おそらく、誰かに見られたらとても危険な絵面になっていたに違いない。でも、じきにバイクのエンジン音が聞こえて、あっという間に遠ざかっていったから、無事に脱出できたみたい。

「……本当に、もう」

 アタシは笑いながら呟いて、携帯を開いた。交換したばかりのアドレスにメールを送る。文面は、こうだ。

『バカ……。でも、カンタのそういうところが好きだよ』



 冬が過ぎて、春がやってきた。ほのかに暖かくなってきて、もうそろそろコートもいらなくなるかもしれない。アタシは伸びをして、来る春の吐息を胸いっぱいに吸い込んだ。学校も終わり、あとはもう家に帰るばかりというところ。校門に向かって歩いていく最中だった。

「アルミー! これからさ、どっか寄ってかない? ジュンとサチがさ、憂さ晴らししたいって言ってんのよ」

 とつぜん背後からどつかれ、思わず息が詰まりそうになった。なにごと? アタシが恨みがましい目を向けると、そこにはにひひと笑っているタニシンがいた。タニシンは相変わらずきれいだ。でも性格が超強気のせいで、男が寄りつけない。同性からしたら、すごくイイ子なんだけどね。

「ちょっとタニシン、痛いよ。少しは加減してよね」

「何言ってんの。十分加減してあげてるっしょ。それよりもさ、どう? 行こうよ 」

 タニシンが熱烈に誘ってくれるけど、残念、今日のアタシには先約があるのだ。

「ん~。今日はやめとく。ジュンとサチの悲恋話は、タニシンが優しく聞いて慰めてあげてね」

 アタシは時計を見る。もうちょっとで約束の時間だ。

「えー? ヤだよ、そんなの。ウチだけであの二人の面倒なんてマジカンベン」

「大丈夫、大丈夫。タニシンは体も心も強いから、存分に耐えられるって。……あっ!」 遠くから聞こえてきた音に敏感に反応したアタシは、タニシンをそのままにして駆け出した。ごめん、タニシン。今のアタシに悲恋話は一番の論外なんだ。

「もうっ! 今日の分は貸しだから! 次は絶対につきあってもらうからねーっ!」 

 脱兎のごとく逃げ出したアタシの背中に、タニシンのやけっぱちな大声がぶつかった。そのせいじゃないとは思うけど、足がもつれて少し前につんのめってしまった。あぶないあぶない。

 アタシが校門にたどり着くと同時、道の向こうから軽快な音を立ててバイクが滑り込んできた。フルフェイスのヘルメット。バイクに比してデカい図体。そして、いつもの青いツナギ。

 バイクはアタシの前でぴたりと格好良く停まった。周りにいた生徒達が、何事かと彼の登場を驚いている。そんなことアタシはお構いなし。弾ける笑顔を浮かべて、後部座席に飛び乗る。

「ほれ、メット」

 ぽんと渡されたのは、ぴかぴかのヘルメット。あの時みたいなくたびれたやつじゃない。アタシのために用意された、ぴかぴかのヘルメット。

「ありがと! さっ、行こ!」

「おうっ!」

 アタシがカンタの腰にしがみつくと、カンタは親指をグッと立てて頷いた。アクセル全開、緊急発進。驚き呆気にとられている周囲を置き去りにして、バイクは走る。流れ行く景色とカンタの大きな背中とを交互に見渡して、アタシの心は幸せいっぱいになる。

 春が近い。いや、もう春は来てるかな。少なくとも、アタシとカンタの二人には。

 前書きで言いたいことはほとんどすべて言ってしまったのですが、これのおかげで今もちょびちょびと書けているので、思い入れのある作品です。

 お読みいただきありがとうございました。今後も精進していきたいと思います。

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