96.透明世界
何処かの世界の何処かの国の。
何処かの魔王城。
「魔王様ぁぁぁ!!」
「ブカ」
怒りの表情をその身に張り付け、執事然とした一人の魔物がザクザクと中庭を突っ切りながら、レンズの黒い丸眼鏡をかけた一人の『人間の男』に掴みかからんばかりの怒号を放ちこちらへと歩いて来る。
「やっと起きたかと思えばこんな所で何をしているんですかっ!!」
「あー、剣の練習だな」
無くしてしまった腕の代わりとして造られたばかりの義腕で剣を握り、こちらに向かって歩いて来る「ブカ」と呼ぶ魔物に男はその細みの剣をぶんぶんと振り回す。が、まだ造られたばかりで力が十分に入らないのか、その義手から剣がすっぽりと抜け去り、こちらに近付いて来ていた魔物へと飛んでいってしまう。
「あ」
よもや当たるかと思われたそれ。だが、魔物は目にもとまらぬ速さで手に一振りの剣を具現化し、それを一瞬にして弾き飛ばした。ガキィンッ!という甲高い音と共に弾き飛ばされた剣は弧を描きざくりと地面へと着地する。
「わ、悪い」
「…………」
先程とは打って変わって無表情そのものの顔で魔物は人間の男を見返す。だが、そんな無感情な顔をしていても確実に怒っているだろう事は如実に感じられた。
「魔王様」
「は、はい」
「起きたんなら私に一言申して下さい。義腕の練習をするならそれも私に一言申して下さい。魔王城からは絶対に一人で外出しないで下さい。寝るなら自身の寝室にてお休みになられて下さい」
「わ、悪かったって。だけどそういうのを伝えるためにお前を探すのも結構苦労す……」
「あとそれ、似合ってません」
「……ほっとけ」
人間の男は自身の顔にかけられた目を隠すためのその黒い道具をかちゃりと触る。それはその人間の男には必要のない装飾具で、そして破滅的に似合っていないのだがどうやら気に入ってでもいるのか外す気は無いらしい。
「……ちっ、記憶を無くしてても相変わらず鬱陶しいな」
「心の声が出てるぞ、ブカ」
ブカと呼ばれた魔物は深くて重いため息を吐いた。そうして助けを求めるかの様に一人空を仰ぎ見る。
「結乃様……」
ぽつりと知らず魔物の口から出たその言葉に「何だよ」と剣の練習を懲りずに再開し始めた人間の男がくるりと降り返る。人間の男の名もまた『ユノ』なのだ。
ブカはユノへと視線を戻す。
「お前じゃねーよ」
「ブカはたまにそういう口のきき方するよな。まぁ、そっちの方がなんかしっくり来るけど」
そう言って笑い、今度は両手でしっかりと剣の柄を握りゆっくりと上へ下へ、右へ左へと素振りを再開し始めるユノ。そんなユノを横目で見つつブカはやはり一人空を仰ぎ見る。
今日もこの世界の空は果てしなく青く澄渡っている。
―――――――――――――――
再来週には退院出来るらしい。
「うぬぅーーーーんっ、やっと退院だよぉぉー!!」
ぐいーっと伸びをして女は叫ぶ。真白な部屋に真白なベッド。ここは病院の個室だからそんな迷惑行為も許されるのだが、普通なら騒音で怒られるレベルの声の大きさだった。
「やぁーっと退院だよぉぉぉぉ!!」
「そんなに嬉しいのか?」
五月蝿さに顔を顰め両手で耳を塞ぎ、女の友人なのだろう一人の男が飽きれ混じりにそう言葉をかける。ベッドの上寝巻き姿の女は「当たり前じゃんっ!」とこれまた一人騒がしい。
「この数ヵ月間ずーと病院だったんだよっ!」
「その前の数ヵ月はずーと昏睡状態だったしな」
「そう!だからもうこの瞬間が待ち遠しくて待ち遠しくて堪らなかったの!!」
寝巻き姿の女はガッツポーズを取る。
「好きなものを好きなだけ鱈腹喰える、この時を私は待っていた!!」
「食かよ」
ベッドの上、女の名前は結乃。結乃は半年ほど前に原因不明の昏睡状態で倒れている所を発見された女性だ。その後運び込まれた病院で数ヵ月間ずっと眠り続けたままの状態だったのだが、数ヵ月前に奇跡的に目を覚ました。
原因は未だ不明。結乃本人も倒れた時の原因も状況も全く覚えていないという。
「宇宙人に拐われてたんだっていう周りの噂も馬鹿に出来ないよな」
「精密検査の結果は全身問題なし。頭にも身体にも改造の形跡は見つかってませーん」
だが原因不明は原因不明。
結乃が寝てる間もそうだったのだろうが、目を覚ましてからは検査検査また検査の日々。そして数ヵ月間眠り続けた事により起こった体の凝りや体内器官の低下によるリハビリの日々でもあった。
「起きた直後は離乳食。起きて数日も離乳食……」
「しょうがないだろ。ずっと点滴で栄養分摂取してた体にいきなり固形物食わせる病院なんてねーし。それに離乳食じゃなくて介護食っていうんじゃないのか?流動食とか」
「そう!それで思ったんだけど私ちょっと痩せてないっ?」
「その分体力も激減して老化は進んだけどな」
それでも結乃は元気だった。数ヵ月間眠り続けていた原因が不明であるにも関わらず、起きた直後も不安になる事もなくリハビリをしてきたのだから。
「楽観的で良かったな」
「うーん、まぁ寝てただけだし。……あ、もうそろそろかな」
よっ、とベッドから飛び下り窓辺に近づいた結乃はガラリと窓を全開にする。風が彼女の髪を靡かせ、彼女の行動に友人は「?」と一人首をかしげる。
「何だよ?空気の入れ換えか?」
「違う違う。えっとねー……、あ、来た来た」
楽しそうに窓の外、結乃が指差す方を見ればそこにはこちらへと向かってくる飛行物体。空の色と重なりよく分からないがきっとそれは鳥。
「……にしてはデカ、いっ!?」
「キュアーーー!」
動物の様な鳴き声と共にその非行物体は開け放たれた窓からもの凄い勢いで部屋の中へと飛び込んで来てそのまま結乃の体にぶつかる。結乃は馴れてでもいるのか、その非行物体を難なくその身でキャッチした。
「っと……!いやー危ない危ない」
「ピャッ!」
「怖っ!何だよコイツ……」
咄嗟に落としていた腰を上げ、男は結乃に近付きその腕の中の非行物体を見る。
「日本じゃ見たことないような鳥……鳥か?翼があるから鳥なんだろうけど、でも鳥にしちゃ……いやいやでもでも」
ぶつぶつと一人呟き始めた男を尻目に、結乃は腕の中の水色の毛並みを持つ小さな非行物体の頭をよしよしと優しく撫で上げる。
「今日も元気だね。疲れてない?大丈夫?水飲む?」
「ピャアーッ」
水色の非行物体は大丈夫だとでも言いたいのか、結乃にその小さな頭を擦り付け鳴いた。そんな非行物体の行動に結乃は微笑み、またその体を優しく撫でるのであった。
「……うーん、わからん。なぁ、ソイツってお前の家のペットか?」
「違うよー。たまにね、ここに遊びに来てくれるんだよこの子。いつもは口に植物の茎みたいな物を咥えてるんだけど……今日は無いのかな」
「キュゥ……」
水色の非行物体は結乃の言葉を聞き、ショボくれた様に小さく鳴いた。心なしかその顔にも元気がない様に窺える。
「もしかして落として来ちゃった?」
「ピャァー……」
「あらら」
結乃は慰める様にポンポンと優しく叩くが、水色の非行物体は落ち込んだまま結乃の体に顔を埋めた。
「なぁ、植物の茎ってここに置いてあるこれの事か?コップに入ってる」
男はベッド脇に置いてあるコップを指差す。コップの中には植物の茎だと思われるものが数本、少量の水と一緒にそこに入っていた。
「うん。それは今までこの子が持ってきた分だよ。来る度に持ってきてたんだよね」
「へー……。でも、茎だけって何がしたいんだ?ソイツ」
しげしげと男はコップの中の茎を手に取り眺め始めた。始めこそ興味無さげな様子だったが、徐々にその瞳はキラキラと煌めきを帯始め男の口角はゆっくりと上がっていく。それはまるで獲物を見付けた狩人が、その獲物の動向を楽しく探るかの如く。
「んっとねー、察するに本当はお花を持ってきたいみたいなんだよね」
茎の先には花弁もあれば、種子もあったのだろう。だがここに来るまでに花は散り果て、種は吹き飛ばされ、そして残されたのは茎だけだと言う事。と結乃は推測する。
「お前への見舞いの品か?」
「多分」
いつもありがと、と未だ落ち込んでいる水色の非行物体を結乃はぎゅっと抱き締める。水色の非行物体は少しだけ元気を取り戻したかの様に小さく鳴き翼を広げた。
「それにしても……こいつ、鳥、か……?」
「鳥……って言うかなんかあれだよね、竜、みたいな。子竜?……というか、どさくさ紛れにポケットに茎仕舞い込まないでよ」
結乃は鋭く男の行動を見逃しはしなかった。だが男はそんな結乃の言葉は耳に入っていないかの様に、今度は水色の非行物体をしげしげと監察し始める。
「んー……」
「ピャッ!?」
男はひょい、と結乃の腕の中から水色の非行物体を持ち上げ、ぶつぶつと呟き始める。
「骨格はやっぱ翼があるから鳥……でも、鳥にしては体が鳥類よりかは哺乳類寄りだし、いや、爬虫類……?竜……恐竜、か……」
「ピャァーーッ」
男の手から逃れようと小さな水色の飛行物体はもがくが、がっしりと両の手で捕まれていては逃れることは出来ない。
「口も嘴状じゃないもんなぁ……痛っ!」
「キュア!!」
水色の非行物体は口元近触る男の手に噛みつき、またその手から逃れる事にも成功した。翼をはためかせ部屋の隅へと一人逃げ出す。
「噛まれた。でもまぁとりあえずは歯形はゲット、かな……。っと、お、唾液も付いてるな」
何処に忍ばせていたのか、男は白い綿棒に怪しげな液体を付けて、それを噛まれた場所へと塗り付け始めた。その様子に怯える様に水色の非行物体は男から距離を取り続ける。
「なぁ、体毛もくれよ」
「ピャァァァー!!」
大きく高く鳴き、結乃の背中へと一目散に隠れる水色の非行物体。よほど恐ろしいのかぎゅっと結乃の服を掴みガタガタと震え始める。
「ちょっと、可哀想じゃん!やめてあげてよ」
「いいだろ別に。減るもんじゃなし。ただの研究だ」
結乃は庇うように両腕を広げる。そんな結乃の服を、何を思ったか男は唐突にパタパタと叩き始める。
「うわっ、変態!すけべ!!」
「すけべって、お前それもう死語じゃね?それに俺は女に興味はない」
男は結乃の服に付着していたのであろう水色の毛を採取し、これまた何処に隠し持っていたのか小さなジッパー付きの透明袋にしまい込む。
つまり男はセクハラ行為がしたかったわけではなく結乃の服に付いていた水色のその毛が欲しかっただけなのだ。
「女に興味がなくて男に興味があるマッドサイエンティスト。最強だね、先輩?」
「羨ましいだろ、後輩?」
「羨ましくもなんともない」
先輩、と呼ばれた男は笑う。
「お前だって研究するつもりだったろ?ソイツが持ってきたソレ、後生大事にそうやって取ってあるんだから」
「べ、別にそんなつもりじゃっ」
二人は二人ともが研究員。
焦る結乃に、後ろにいた水色の非行物体は小さく鳴きながら疑惑の目を向ける。
「腐っても研究者、だよな」
「キュアーー」
水色の非行物体が高く鳴く。
「ち、違うよっ!これはなんていうかっ……、ミズイロがどこから来たのかなって、そういうのを知りたくてだね」
「ピャァッ!」
「あぅっ」
「ミズイロって……お前ソイツに名前までつけちゃったのかよ。もしかしたら誰かのペットかもしれないのに」
しかも安直すぎ、と男は嘆息する。
「だって退院したらミズイロとももう会えないでしょ?だから今度は私がミズイロに会いに行くの」
「まぁ確かに……。退院したら花を持ってくる必要は無くなるもんな」
だがミズイロはその言葉に首を横に振る。それは退院したら会えない、会わないなんて事はないとでも言っているかのように。
結乃はそんなミズイロに首を傾げ、抱き上げ窓辺に近付く。そこから見える景色はとても澄みきった青い空。雲ひとつ無い空の色。
「ねぇミズイロ。空の色が青いねぇ」
「ピャ」
空の色は様々だ。赤であったり青であったり黒であったり白であったり。
だったら本当の空の色は何色なのだろう。
何色にでもなる、何色にでも染まる空の色。
なら本当の空の色は、もしかしたら色を持たない『透明』というそんな色なのだろうか。
結乃はミズイロが持ってくる植物の茎らしきものが入ったコップに視線を移す。何故だろう。そこには無い花の姿が見える気がするのは。
「そっか」
結乃は笑う。
きっとミズイロの住む何処かの世界には、透明色に咲き誇る綺麗な花畑があるに違いない。
きっとそうに違いない。
「ピャァ!」
水色の獣が嬉しそうに鳴く。
透明色な世界はきっと、そう遠くない処に。




