59.前魔王様の元へ
「……っう…」
目を開ける。
体を起こそうとして、手を床についたら何かぬるっとしたものが付いた。何だろう、と手を見てみると、手には赤い血がべったりと付いていて目を見張る。
私の周りには血だまり。
誰の血だ。私の血だ。
体を起こす。
床だけじゃなく、体にも血がべったり付いていてちょっとしたホラーだ。さっき床に付いた手にも、勿論血がべったり。
「…………」
当たり前か。
私は自分の体を剣で突き刺したのだから。血が出ていたのも至極当然のことだ。
すっ、と手が胸に動いていた。そこには剣もなければ、穴とか傷とかがあるわけでもなかった。
服の中覗いてみる。
やはり傷はない。心臓も動いている。
「…生きてる」
生きていた。
前魔王様は本当にコンティニューしてくれたのだろうか。
立ち上がる。服が血だらけ。
「…これ、凄いな」
これが自分の血だけに、驚きは隠せない。
そうこうしているうちに、目の前に一人の魔物が現れた。ブカだ。
「ブカ…」
「…………」
ブカは一度口を開いて閉じ、また開いて、そして声を発した。
「…戻りましょう」
何処に?
「何処に?」
「あいつらの所です」
ブカの言う、あいつらが誰なのかは直ぐに分かった。アルファルド君達の所だ。彼は大丈夫だろうか。彼は救われただろうか。彼は生きているだろうか。
まだ少し、頭がぼんやりしていた。
ブカが腕を横に振る。景色が変わり、空間移動したそこは、あの地下通路だった。わたしが空間移動する前にいた場所。そこには変わらずネイルと何故か勇者さん、そして横になっているアルファルド君。
「…アルファルド君」
私はアルファルド君に近付く。アルファルド君は静かな寝息をたてていた。良かった。生きてた。ほっ、と胸を撫で下ろす。
アルファルド君の体にあった、あの『呪い』も消えていた。あるのはアルファルド君の肌だけ。
彼は救われていた。
彼は解放されていた。
彼は生きてる。
良かった。
「レイト、お前…その血…」
ネイルが言う。
顔が少しひきつっている。
「あ、大丈夫大丈夫。これ、私の血。まぁ、ちょっと色々あって」
私はネイルに苦笑い。
返り血じゃないよ。ああ、でももしかしたら、あの女の人は死んでしまっているかもしれない。
確認、しなかったな。
「…………」
「結乃様」
ブカが呼ぶ。
魔王様、じゃなく、結乃様、と。
「結乃様。何があったのですか?」
じっ、と私を見るブカ。その表情に私は疑問を抱く。
何だろう。私はさっきまで君が殺そうとしていた相手ではないか。もしやそこまで心配させたか、私は。一応、ブカの上司だったのだし。
それとも、何か気がかりなことでもあるのだろうか。
ブカのその顔は真剣だった。無な表情でも怒ってる表情でもましてや悲しんでるような表情でもない。
真剣。
まだいまいち頭が回らない中、私はブカやネイル、そして勇者さんに説明した。
それにしても、何故勇者さんまでがこっちの通路側にいるのだろう。
「で、まぁ前魔王様が私をコンティニューさせてくれたんだけど」
そこまで言ってから、私はブカを見る。やはり真剣そうな顔。そんな顔もカッコいいが、今まで見た事なかったかもしれない。勇者さん達と一緒にいて、彼にも何か変化があったのだろうか。
「ブカ?」
「…結乃様。結乃様は魔王じゃなくなりました」
ブカが私を見る。
魔王じゃなくなった。
「前魔王様は魔王が死んで、結乃様が生きる、とそう仰られたのですよね」
「うん」
「言葉通りの意味です。魔王である結乃様は死に、そして人間である結乃様が生きている」
「…うん」
つまり?
「結乃様。今貴方はただの人間だ、と言う意味です」
魔王が死んだ。だけど私は生きている。
魔王であった私は死に、人間である私が生き返った。
今はただの人間。
「………」
私は手を叩き腕を振って見る。何も出ない。想像したものが何も出ない。多分、魔王の力が私の中から無くなったのだ。
ただの人間であった私。魔王の力を持っていないただの異世界人である私に戻った、ということか。
わきわきと手を開いたり閉じたりしていると、やはりブカが口を開く。
「結乃様」
彼は私を魔王様、ではなく結乃様と呼ぶ。
それは私が魔王じゃなくなったからだろう。
「結乃様。元の世界に帰りたい、とそう仰られてましたよね」
「うん」
良く覚えてたな、と感心した。
そして、その方法は魔王の片腕であったこのブカが知っている。ブカはいつの間にか、あのいつもの無表情に戻っていた。
「元の世界に帰る方法は私が知っていました。ですが、それは結乃様が魔王であった時に叶う方法だったのです。魔王様でなくなってしまわれた結乃様だと…、不可能です」
「…………」
不可能。
「…帰るには、魔王の力が必要だった、ってこと?」
「はい」
ただの人間になり下がった私だと無理。そういうこと。
そういうことだ。
「……そう」
何だか崖下にでも蹴落とされたような気持ちになった。多分私は甘く考えていた。帰れるだろう、と。アルファルド君と帰る方法を探していた時だって、内心どこかで最終的にはブカがいるんだ。ブカに聞けば帰れる、と軽く考えていたんだろう。
だから今、そのブカに『不可能』と言われて愕然としている。
もしかしたら私は、本当に帰れないんじゃないか、って。
「レイト…」
ネイルが私を呼ぶ。その顔は悲愴感漂っている。そんな可哀想なものでも見るような顔で見ないでほしい。そんなに絶望感出していただろうか、私。
「…レイト、信者も、いなかった」
信者。願いを叶えてくれる者。
やはり出まかせだったのか。
「結乃様。前魔王様の所へ行きましょう」
口を開かず沈黙した私にブカが言う。ブカは前魔王様の居場所を知っているらしい。そしてそこに行く事も可能らしいのだ。だけど。
「ブカ」
そうブカを呼んだのは勇者さん。じっとこちらを睨みつけるようにして見ている。ブカを見ている。
「…ちゃんと、戻る」
ブカはそう言った。勇者さんはため息を吐いた。
そして、私とブカはブカの空間移動で前魔王様の所へと向かったのだった。




