畜生道の者と対抗すべき力
「畜生道?でも、ここって・・・」
そこは森林のようで木々は生い茂りどうみてもタカヒトが人道で見ていた世界と変わらなかった。タカヒトは自分のいた世界に戻ったのではないかと錯覚するほどであった。その事をてんとに確認してみた。
「ここは紛れもなく畜生道だ。」
「でも・・・。」
「信じる信じないはおまえの勝手だがあれを見てもそう言えるか?」
畜生道であることを信じないタカヒトにてんとはある方向を見つめた。その方向には地を這うバッタのような生物がいたがバッタと呼ぶにはあまりに大きい。全長は一メートルほどで眼は恐ろしいほど赤く光っていた。どうやら食事中のようだが何を食べているのかは見えなかった。タカヒトがジッと見つめて観察するとその大バッタが食べているものは大バッタそのものだった。
「バッ、バッタがバッタを食べてる!!」
大バッタの共食いを目撃したタカヒトは大声をあげて驚いた。大バッタはタカヒト達の存在に気づいたらしく食べるのを止めた。眼を光らせて昆虫とは思えないほど鋭い牙からは共食いしたバッタの体液だろうか・・・滴り落ちていた。
「えさ・・・う・・まそ・・・うだ。」
共食いをしていた大バッタがタカヒトのほうにゆっくりと向かってくる。てんとはタカヒトに小声でこの場から逃げるように促す。だが現実にはありえない生物が言葉を発していることにパニックを起こしたタカヒトは動く事が出来なかった。まさに蛇に睨まれた蛙ように動けなくなったタカヒトはその場に腰を抜かしてしりもちをついていた。
「おい、何をしている?早く逃げるぞ!」
混乱しているタカヒトはてんとの必死の呼び掛けにも全く反応を示さない。動く事も出来ずに涙をためながら大バッタが近づいてくるのをただ見ていることしか出来ない。鋭い眼光をした大バッタはジリジリと間合いを詰めた次の瞬間、タカヒトに飛び掛った。大バッタは消化液を垂らしながら鋭い牙でタカヒトの肩に噛み付いた。牙はタカヒトの肩に食い込んで肩の骨まで達していく。
「あっ・・・わあぁぁぁあ~~ 痛い!痛い! わぁああぁぁぁぁぁ~~~!」
いままで経験したことのない激痛と恐怖にタカヒトは発狂にも近い声で泣き叫ぶ。大バッタは六本の足でタカヒトの手足を押さえ込むと身動きが出来ないようにする。大バッタはタカヒトの肩を砕き始めるとタカヒトの叫び声は更に増した。あまりにも騒々しい叫び声に大バッタは噛み付くのを止めた。
「う・るさ・・い。ゆっ、ゆっく・・りた・・べ・れな・・い」
大バッタは肩から牙を外して叫び声をあげるタカヒトの頭に噛みつこうとした。この瞬間、タカヒトの目には大バッタの牙が少しずつ近づいてくるのをまるでスローモーションを見るかのように見えた。自分はこのまま大バッタに頭を噛み砕かれ死んでいく・・・とそんな思いが頭の中を駆巡っていった。
「うわぁあぁぁぁ~、いやだぁぁぁぁ~~。やめてぇ~~助けて!お母さん!
死にたくないよ!嫌だぁぁあああ~~~~!!!」
恐怖にタカヒトは混乱している。冷静に考えてみればタカヒトはすでに死んでいるような存在である。だがタカヒトはそんなことは忘れていた。ただ死にたくなかった。大バッタがタカヒトの頭を噛み砕こうとしたその瞬間、てんとが大バッタに体当たりした。
巨大な体格の大バッタは体当たりしてきたてんとを跳ね返したが大バッタも体勢を崩して押さえていたタカヒトの手足を離した。タカヒトの身体はほんの少し自由になった事を確認したてんとはすかさず叫んだ。
「タカヒト!徳の水筒を、赤い液体を飲め!」
突然のてんとの叫び声はタカヒトの耳にも届いた。だが依然混乱しているタカヒトはオロオロしているだけだった。てんとはタカヒトに飛んで近づくと腰に吊るしてある徳の水筒を示した。
「はやく飲むんだ!」
訳も分からず言われた通りに徳の水筒を取り出すとそれを一口飲んだ。次の瞬間、タカヒトの身体は急激に金色に輝きだしていく。
「なっ、何これ?」
金色に輝く自らの身体にタカヒト自身が驚いていると体勢を整えた大バッタは再び捕獲態勢になった。大バッタは金色に輝くタカヒトを異常に警戒しているが食欲に勝てるわけもなく再び飛び掛り金色タカヒトに覆いかぶさると肩に噛み付いた。
「おっ?・・・かめ・な・・い?オイ・・喰い・・たいのに・・・」
悪夢を思い出したかのように金色タカヒトは肩を噛み付かれ泣き叫ぶが驚くことに痛みはまったく感じていない。それは大バッタにも同じ事が言えた。タカヒトの肩を喰い千切る事が出来ない現状に大バッタは戸惑っていた。
「よし、効果が現れている。タカヒト、イーターを押し退けるのだ!」
てんとの言ったイーターとはこの大バッタのことで彼らはこの畜生道で生息している肉食系昆虫種である。
「そんなこと出来る訳ないよ。」
「早くしろ、時間がないんだ!」
「そんなこといったって・・・・」
金色タカヒトは困惑しながらもイーターを押し退けようと両手で押すと先ほどまでどんなにもがいても身動きすら取れなかったイーターの身体が羽毛の布団を持ちあげたかのような感覚で押し退ける事が出来た。金色タカヒトに押し退けられたイーターの身体はフワリと浮きあがるとふっ飛んで大木の方に激突した。
「バガッ・・・ゲフッ!お・・・きが・・・ちかく・・・ゲゴバッ!」
次の瞬間、その大木が折れてイーターは下敷きになった。すぐに大木を押し退けるがさすがのイーターも無傷ではなく手足はガクガクして立ち上がることが困難な状況だった。その間にもタカヒトの身体の金色は少しずつ薄らいでいく。
「おい、逃げるぞ。走れ!!」
タカヒトを包む金色の変化を見落とす事も無くてんとは逃走を促すとその場から飛び去っていく。タカヒトも慌てて後を追っていった。金色が完全に消えたタカヒトは走りながら後ろを振り返るがイーターが追撃してくる気配はなかった。
「はぁはぁはぁ、何なのあれ?いきなり襲い掛かってくるし、身体は光るし、わけがわからないよ。肩、噛み付かれるし、痛くて、痛くて・・・・あれ、痛くない?ん?肩がなんともない・・・なんで?」
タカヒトの肩は血も止まり噛まれた痕も無くなっていた。不思議がるタカヒトにてんとは飛ぶのを止めると近くの岩にとまった。そして何故タカヒトの身体が金色に輝き出して巨大なイーターを押し退ける事が出来たのか?というタカヒトの疑問に答えた。
「それが徳の水筒の能力だ!」
徳の水筒とは【徳】つまり幸運そのものであり徳を取り込めば一時的に運気があがる。身体は金色に輝き運気以外に傷ついた身体も体力も元に戻る。力はみなぎり、何よりすべての事がうまく良く様になる。しかし徳の効力は長くは続かずに金色の輝きを失った時、元に戻り力や運気も元に戻るとてんとは説明した。
「一瞬かぁ~・・・じゃあ、もっと飲んだらどうなるの?」
「運は持続するが反動も大きい。長い旅だ。徳の使いすぎはきついぞ!」
てんとに言われてタカヒトは水筒を眺めた。徳の水筒はほんの少しだけ量が減っていてそれを見たタカヒトは言われた通り大切に使おうと思った。この畜生道にはイーターのような魔物が沢山存在している。もちろん人の心などなく何処から襲い掛かるか分からないので十分気をつけるようにとてんとはタカヒトに伝えた。
「うん、分かった。助けてくれありがとう
・・・でもあのまま戦っていたら勝てたんじゃない?」
「おまえ・・・ゲームか何かと勘違いしてないか?徳の水筒は無限ではない。それにここで死んだらおまえには後がないんだぞ!」
「後がないって・・・どういうこと?」
実はタカヒトは人道で死んだ存在だがこの世界でも生きている存在ではない。つまり狭間に堕ちた時点でそれぞれの世界のどこにも存在していないということになる。どこの世界にも存在していないと言う事はもし六道の世界のどこかで死んだ場合、六道よりも更に遠い場所【無空間】へ飛ばされ戻る事も許されない彷徨う存在となる。
「彷徨う?そこからは出られないの?永遠に?」
「そうだ。そしておまえが元の世界、つまり人道に戻るにはおまえの持つ業の水筒をすべて消費するしか方法がない。」
歩きながらタカヒトはいろいろな事を質問して、てんともそれを解かり易く説明してくれた。狭間の事や畜生道の事が少しずつ分かる様になったタカヒトはてんとにお礼を言った。てんとはタカヒトの顔を見ると喜びもせずに無表情のまま言った。
「気にするな。わたしはきみの案内役だ!」