リッパー・イン・ザ・ダーク
「ふぅ~・・・この紅茶、香りがいいわ。ふふふ・・・。」
「そんなに笑顔で何か喜ばしいことでもあったのですか?」
「あの絶望に歪んだ表情はなんとも言えなかったわ。サーズのあの顔・・・リッパ―も残酷な生物よね。」
「ピサロ様、リッパ―と、あの三大神獣の・・・いいえ、まさか・・・。」
「そうよ、アリシアさん。三大神獣のリッパー・イン・ザ・ダークよ。こんなこと知ったらセシルさんもビックリよね!」
アリシアは手にしたティーカップを床に落とした。ハッと我に返ると急いで床を拭き始めるが床を拭くその手は震えていた。それはムリもなかった。リッパー・イン・ザ・ダークは天道の世界で最も恐れられている三匹の神獣の一角である。三大神獣はセシルと共にいる神獣である。リッパーだけがその所在と姿が知られているが他の神獣は誰も姿を見たことがない。
「いいのよ、アリシアさん。そんなことをして指を怪我したらいけないわ。」
ピサロはそっと手を差し出すとアリシアの身体がフワリと浮きあがりピサロの足元におろされ、汚れた床は消滅して新たな床が新調された。上目づかいで心配そうにアリシアが見つめた。
「ピサロ様、危険すぎますわ。セシルは四天王に甘んじてはいますがその力は・・・恐れながらピサロ様にも匹敵すると・・・噂もあります。しかも三大神獣と戦闘を仕掛けられたら・・・自信がありません。」
「心配することはありません。所詮は噂・・・それに私はリッパーになにかをしたわけじゃなくてよ。ただ、ちょっと住まいを変えただけよ。」
微笑ながら紅茶の香りを楽しむピサロを黙ってアリシアは寄り添っている。この管理者サーズを処刑したことがピサロにとって思いもよらない展開に陥ろうとはこの時、想像もしていなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ここに入る前に聞きたいことがあるんだけど。」
マイコは小声でドレイクに言った。マイコの知りたかったことはドレイクがリナと仲直りすることができたかどうかだった。ドレイクは笑顔で親指を立てるとリナと一緒に新たな世界へと足を進めて入った。安心したマイコはロードギアの外に出ると足元のスイッチを押した。すると素早くしかもコンパクトな形になったロードギアはマイコひとりを乗せる小型バイクに変形した。それに乗るとマイコもてんとの後を追っていく。残されたミカとタカヒトは手を繋ぐと愉しそうに新たな世界へと足を踏み入れた。これから初めて目の当たりにする恐怖はすぐそこにまで近づいていた。
「白一色って不思議なところだね。」
「うん・・・・でも、ちょっと怖いよ。」
ミカはタカヒトに寄り添う。これまで沢山の世界を見てきたタカヒトでも見たことがない世界だった。しかし白一色の世界は経験がない。眩しい感じがして、しかも妙に寒気がする。寒気は気温のせいではない。心に冷たさが迫ってくる感じだ。この世界に入ってどれ位時間が経ったのだろうか?入口もすでに見えないところまで歩いてきたのだが、住民らしき者はおろか、魔物すら存在しない。変わっているのはそれだけではない。重力があいまいなのだ。今、ドレイクが立っているところはタカヒトからみると真横を向いている。タカヒトとミカもドレイクのいる場所に立つと今まで立っていた場所が壁のように見えた。よくよく見るとビルのような建物があるがそのどれもが同じ地面から建てられてはいない。地面に立つタカヒトから見てビルの屋上が真横を向いているものや真下を向いているものすらある。ここにきて分かったことは重力が変わる瞬間、異常に強い引力が働くということだ。
「地面と地面の距離が離れすぎている場所への移動は十分に気をつけろ。一歩間違えればビルの屋上から飛び降りることになるぜ。」
「そのようだな。急激に変化する飛行高度にさすがについていけそうもない。飛行能力を使わないほうがよさそうだな。」
てんとはマテリアルフォースにより人型亜人種に姿を変えた。歩いて周囲を調査することに決めたが依然、涼やかな気配は現れたり、消えたりしている。しかしそれはかなり遠くにいるようですぐに警戒することもなかった。それに動きがないことを確認しながらゆっくり歩を進めていく。
「本当に不思議なところだね。冷たく硬いイメージがあるんだけど歩いてみるとフニャフニャしてるし、重力を無視した建物が上から横から斜めから本当に不思議。」
「うん、なんかトランポリンみたいだね。」
「タカヒト、トランポリンとは何だ?」
「えっと、トランポリンっていうのはね・・・」
説明に戸惑うタカヒトに変わってミカがてんとに説明していく。ミカの説明を聞きながらてんとは納得したようにフニャフニャ感を確認していた。しかし、行けども行けども変わらない景色にドレイクはウンザリしている。
「何もなさそうだ・・・!・・・何だ、アレは?」
ドレイクが指差した先もここと同じような白一色の建物が並んでいる。しかし、その一角に浮かび上がるように黒いなにかがいた。白一色の世界で初めて見たそれに誰もが目を奪われた。アレがなんなのか、まったくわからないが以前から感じていた涼やかな気配・・・現れたり、消えたりする気配がそれと一致した。
「変わったものはアレだけだな。
どうする?まだ、俺達には気づいていないようだ。」
「危険すぎないかしら?」
「リナの言う通りだ。アレはいままでの相手とは違うなにかを感じる。危険だ!」
リナとてんとに促され、ドレイクはそれに近づくことをやめた。このまま、他の建物を調査しようと歩を進めた瞬間、ありえない光景に誰もが動きを止めた。タカヒトが建物を見上げるとそこには黒い物体がいたからだ。視線を移したドレイクは先ほどまで黒い物体がいた場所を見た。だが、そこには黒い物体は居らず、瞬時に移動したと解釈した。
「気をつけろ・・・移動速度が半端じゃないぜ。」
蛇に睨まれた蛙のように固まっていたタカヒト達に小さな声で伝えるとドレイクは斬神刀を取り出した。我に返ったタカヒトも羅刹を両手に装備すると誰もが戦闘体勢に移っていく。それに気づいたのか、黒い物体はゆっくりと動き出していく。細長く蛇のような姿をしているが手足のようなものが五対ある。その手足も薄っぺらいヒレのようなものがついている。それ以外に気になるところといえば細長い身体と同じ長さの鋭い刃が背ビレのように三枚連なっている点だ。
「あの刃に高速移動か・・・斬られたこともわからないうちに死にそうだな。」
「てんと、冷静に不吉なこと分析しないで。」
ミカは理力を高めるとレインボーウォールを目前に造りあげた。どのような攻撃を仕掛けてくるのか検討がつかないミカが取った最初の防御体勢だ。しかし黒い物体はふと視線を移すと白い建物を滑るように下り、そのままどこかへと消えた。斬神刀を鞘に入れたドレイクにリナが言った。
「アレはなんだったのかしらね?」
「さあな・・・ここの唯一の住民かもしれん。いや、ほかにもいるかもな。」
その後もあの黒い物体から放たれる涼しげな気配は至る所に現れたり、消えたりした。殺意は感じられないことから警戒しながらも先を進むが依然、進展はなかった。
「ふぅ~・・・歩き疲れたぜ。今日はここで休むことにしよう。」
ドレイクはある建物を指差した。ほかの建物に比べて窓が少なく見通しの悪い建物だった。しかし、この白一色の世界で暗い場所は身体を休めるにはもってこいである。建物の中に入ると真っ暗とまではいかないが、睡眠をとるにはほどよい暗さである。監視役を交代で行うことにしてまず、ドレイクとリナが最上階を、マイコとてんとが一階から周囲を監視することにした。残されたタカヒトとミカはなんとなく落ち着かなかったが、歩き疲れたのだろう、そのうち、スヤスヤと眠っていった。
「タカちゃん・・・タカちゃん、起きてよ・・・。」
耳元でミカの囁く声が聞こえた。薄っすらと目を開けて、監視役の番が来たのかと目をこすりながら起き上がるがどうもミカの様子が変だった。顔を近づけてさらに囁くとタカヒトは声をあげそうになった。すかさずミカがタカヒトの口を両手でおさえると大声をあげずにすんだ。
「ミカちゃん・・・あれって・・・」
タカヒトの問い掛けにミカは頷いた。そこには先ほどの黒い物体がいたのだ。窓も少なくそれもかなり小さい窓から入ってこられるわけなどないはず・・・。もちろん最上階と一階ではドレイク達が監視にあたっている。まさか、ドレイク達の身になにかが・・・。黒い物体に気づかれないようにタカヒトとミカは立ち上がると二手に分かれて最上階と一階へと向かった。
「なんだと?アレがいるのか!」
ドレイクは顔をひきつらせるとタカヒトと共に階段を降りていく。タカヒト達が休んでいたフロアを階段から覗き込むとたしかにそこには黒い物体がいた。細長い身体はとぐろを巻き、どうやら睡眠中のようだ。そこにミカがてんと達を連れてやってきた。
「どういうことだ・・・気配はおろか、姿すら確認できなかった。」
「監視の手段を変更する。タカヒト達になにも仕掛けないところを見ると敵対する意思はないようだが、油断は出来ん。ほかの建物へ移動し、奴の監視だけを行う。」
隣の建物に移動したタカヒト達は白一色の明るい部屋に入った。丁度、黒い物体のいる建物を見下ろす位置にあり、監視にはもってこいの場所ではあるが、白色がやけに眩しく眠るには正直厳しい場所でもあった。監視を交代で行いながら身体を休めているが、なかなか休めない環境にタカヒトは少し寝不足気味だった。そして依然、黒い物体が建物から移動する気配はなく、痺れを切らせたドレイクがタカヒトと共に確認に向かうことになった。