嵐の予感
「ミカさんのおかげで体調も良くなったみたいです。ありがとう。」
「いいえ、どういたしまして。よくなって本当に良かったね。」
数日が経過した頃、タカヒトは起き上がれるくらいまで回復していた。この日はタカヒトのリハビリも兼ねてミカと屋敷付近を散歩していた。するとそこに同じようにリハビリをしていたヨシカがいた。タカヒトに肩を貸しながら歩いているミカの姿を見てなんとなく距離をとっていたヨシカだったがその姿に気づいたのはタカヒトのほうだった。
「ヨシカちゃん!」
ミカに支えられながらタカヒトはヨシカのいるところまで歩いていった。それからタカヒトはヨシカの容態が良くなった事を喜んでいたがミカとヨシカの間では不穏な空気が流れている。
タカヒトに肩を貸すミカに嫉妬するヨシカ、タカヒトと恋人のように会話をするヨシカに嫉妬するミカ。火花散るふたりに全く気づかないタカヒト。他愛のない会話が続き、話疲れたタカヒトはミカに促されて屋敷に戻る事にした。
「随分・・・仲がいいんだね・・・。」
「ヨシカちゃんの事?うん、ヨシカちゃんとはいつも一緒だったからね。話してても落ち着くっていうか・・・安らぐんだよね。」
「・・・そうなんだ・・・」
ミカはタカヒトを布団に寝かせるとそのまま部屋を出て行った。それから眠ろうにもなかなか寝付けないタカヒトは天井を見つめていると部屋にてんとが入ってきた。
「随分と酷い事をいうのだな。」
「えっ・・・君は・・・たしか・・・てんとさん?」
「てんとでいい。」
てんとがタカヒトの枕もとに座るとタカヒトも身体を起こした。しかし二人に会話はなく沈黙の時間が流れていった。
「あのてんとさん・・・じゃなかった。
てんと、さっき言った酷い事ってどういう事?」
「ミカに対しての態度の事だ。」
てんとはこれまで起きた出来事を細かく説明していった。記憶のないタカヒトにとってそれは物語のような話であり自分には関係のないように聞こえた。
「ちょっと信じられない話だね。」
「その業の水筒が証拠だ。実際、徳の水筒も使ったのだろ?」
タカヒトは業の水筒を見つめた。この地に来てからいくつもの災難を乗り越えてこられたのも徳の水筒があったからである。てんとの話が本当ならタカヒトが生きてこれたのはたくさんの仲間がいたからである。
「・・・僕はミカさんに酷い事を言ってしまったんだね。」
「記憶はいずれ回復するだろうが問題がひとつだけある。それは徳の水筒を奪われた事だ!」
徳の水筒はジェイドに奪われた。タカヒトはあまり気にしていない様子だが事は深刻である。生まれたすべての者は業を消費しなくてはならない。天道以外の者は生きているだけで罪人なのである。業を消費して死ぬ事ことで天道へ近づけるのだ。
すべては苦しむ為に生きている
しかし物を考え行動を出来る者にだけ創造神は徳を与えた。苦しむ為に生きているのには変わりはないが徳を与えられたことで希望や生まれた意味を知る事ができる。これにより六道では独自の文化を生み出すことが出来るようになっていった。
「徳を失うとどうなるの?」
「残りの命は苦しみを消費するだけになるだろうな。おまえの場合、この地でひっそりと生きていく・・・希望もなく恐怖に脅えながらだ。」
タカヒトは肩をガクッとおとした。希望も何もなく生きていけるのかと思うと自信がなかった。てんとはいなくなり、誰もいない部屋で独り布団の中、涙を流すタカヒトはてんとの言葉を思い出した。
「すべてを失ったと考えて自らの死を選ぶ者もいるがそれこそが愚者と言える。自ら死を選ぶことは更なる苦しみへの扉を開ける手段と心得よ。タカヒト、お前がこの逆境から這いあがれると信じて私達は待つことにしょう。」
「待つ・・・ってどういう意味だろう」
涙を拭き眠れないタカヒトは起き上がると部屋を出て屋敷近くの川に歩いていく。川には水車小屋がある。その水車の動力で布糸を作るなど様々な使い方をしている。タカヒトもなんとなくこの水車の一定の音が作り出すリズムが好きでよく独りで来ていた。
「あれ・・・ミカさん?」
そこにはミカは独り座っていた。誰にも教えていないタカヒトのお気に入りの場所にミカがいたことにタカヒトは驚いた。
「ミカさんも水車が好きなの?」
「・・・・・。」
無言のミカにオドオドしたタカヒトは隣に座った。ミカの顔を見つめると少し哀しい表情をしている。誰もが寝静まり、水車の回転する音だけが響いている。しばらく沈黙が流れるとミカが口を開いた。
「昔、水車が好きな男の子がいてね・・・その子とずっと水車を見ていたことがあるの。私が帰ろうって言ってもその子はずっと水車を眺めていたわ。だから私も水車を眺めていたらその子の気持ちが分かるのかなって思ってここに来たの。」
「気持ち・・・分かったの?」
「分からない・・・その子の気持ちを私は理解出来ないのかな・・・」
顔を覆い隠しているミカの声は詰まり涙声になった。タカヒトはその子が自分だとすぐに気づいたがどうする事も出来なかった。水車だけが回りミカのすすり泣く声を打ち消している。沈黙の時間が流れ、それを打ち消すようにタカヒトは言った。
「あのね・・・実は僕にも悩んでいる事があるんだ。聞いてくれる?」
タカヒトはミカにてんとに言われた事をすべて話した。ミカはそれを黙って聞いていた。話が終わるとタカヒトはなんとなくホッとした気持ちになった。ただ話を聞いてもらっただけでこんなにも気持ちが楽になるものかと安堵の表情を浮かべる。するとミカが昔話をした。それはミカがまだ、小さい頃の話だ。ミカのところに泣きながら男の子がやってきたらしい。その子はミカに貰った鉛筆をいじめっ子に取られたと言った。大切にしていた鉛筆を取り返したいと言った男の子とミカはいじめっ子の家に乗り込んだらしい。いじめっ子の母親がいじめっ子を叱りタカヒトの鉛筆を取り返すことが出来た。そんな話をミカはタカヒトに聞かせた。
「そうなんだ・・・その子喜んだだろうなぁ~。」
「うん、喜んだよ。」
「あのね・・・僕が徳の水筒を取り戻したいって言ったら手伝ってくれる?」
ミカは笑顔でうなずいた。それからタカヒトは記憶を取り戻すかのようにミカにいろいろな話を聞いていた。ふたりの会話を水車だけがやさしい水音をたてながら聞いていた。
「そうか、この部落を出ていくか・・・」
村長はキセルを手にすると煙草に火をつけた。村長の前にはタカヒトとてんと、ミカにリナにルサンカ、スオウにサンギガトンそしてヨシカが部屋にいる。ヨシカはずっとうつむいたまま黙っていた。てんとはタカヒトの徳の水筒を見つける為にジェイド達の跡を追う事にすると言ったのだが何処へ向かったのかは皆目検討がつかなかった。その事を村長に相談するとキセルを手に口から煙を吐いた。
「おそらくは闇夜の岬へ向かったはずじゃな。」
「闇夜の岬?」
闇夜の岬とはこの地より遥か東方にある幻の岬の事である。何故幻なのか、それは闇夜の岬が七十五日に一度の周期で現れる月太陽に照らされないと出現しないからである。そして闇夜の岬には旧支配者達と呼ばれる旧神で最も高貴で高い知能を誇るスカルマスターがいる。
「スカルマスター・・・あの伝説は本当だったのか!」
てんとは驚愕した。学舎時代に教わった伝説のひとつ。本能のみで生き、破壊と殺戮だけを生き甲斐とする旧支配者達の中で唯一、統制と慈愛を重んじる者。それがスカルマスターだ。しかしそれは創造神が現れる以前の旧支配者時代の話だと思っていた。
「まあ、少なくともこの地には旧支配者達もスカルマスターも存在しておる。」
旧支配者達はスカルマスターの分布割によりお互いの領地を荒らす事もなく生存している。もし旧支配者同士の争いともなればそれはこの世界の破滅を呼ぶのだ。スカルマスターの姿を見た者はいない。ただスカルマスターはヨグ・ソトホートを所有しているとのうわさがある。
「ヨグ・ソトホートを所有?」
「そうじゃ、スカルマスターは神出鬼没。
故にそういったうわさも流れるのであろう。」
「うわさであっても今は可能性に賭けるしかない。」
てんとはそう決断した。準備する為にあと二日は必要になると村長に説明すると心良く快諾してくれた。その日は出発準備に追われタカヒトは慌しく動いていた。その姿を見てヨシカは寂しい想いが次第に強くなっていった。闇夜の岬へのルートを確認しているてんとの前にギガイーターとスオウがやってきた。
「ギガイーターか・・・お前達はどうするつもりなのだ?」
「そうね・・・
私の美貌を世界に広めるって言う野望もあるけど今はまだいいわ。」
「どういう事だ?」
「美貌を広めるよりここに残り
必要とされる生き方をするのも悪くないと思ってね!」
「かけがえのない場所が見つかったということだな。」
少し照れながらもギガイーターは笑った。だが、その笑顔からは強い決意と幸福感が満ち溢れていた。イタ太郎もイタロスもこの地にもちろん残る。
「スオウはどうするのだ?」
「もちろん、ここに残る。ここで初めて仲間というものを得たような気がする。仲間を失わないようにギガイーター達と共にここで生き、ここを守るつもりだ。」
スオウもサンギガトンも生きる意味と場所をこの地で手に入れた。それは美貌を世界に広める為でも侵略して土地を奪う事でもない。ただ部落の者達と生き、生活を守っていくだけだ。だが彼らのとってそれはかけがえのない幸せなのだろう。こうしてタカヒトとスオウ、サンギガトンとは決別する事になる。そしてもう一つの決別が迫っていた・・・。