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地獄の番犬は黙れない  作者: 斜ー


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3.沈黙した森

 王都ルアウムの南門を抜け、カラムとクロは南の森の入り口に立っていた。


 ここは新米冒険者の登竜門。カラムは真剣な表情で、ギルドで借りた薬草図鑑を広げている。


「いいか、クロ。今回の目的は『癒やしの葉』だ。赤い斑点があって、湿り気のある岩陰に生える。これを十株、丁寧に根を傷つけないように採るんだ。コツコツやるのが一番の近道だからな」


 カラムは自分が力も知識も平凡な冒険者としての自覚があるため、簡単な依頼でも一切手を抜かない。腰の鉄剣を鳴らし、一歩一歩踏みしめるように森へ入っていく。


 対して、彼の肩に乗ったクロは、退屈そうにあくびを漏らした。


「フム……。貴様は相変わらず非効率な男だな、カラム。ワシの鼻を使えば、この森にある薬草の座標など一瞬で特定できるし、なんならワシが空から炎を吹けば、薬草以外の雑草だけを焼き払って収穫を容易にしてやれるのだが?」


「ははは、クロはそんなこともできるのか。凄いなぁ」クロの頬をスリスリする。


「貴様、まだワシがケルベロスということを信じておらぬな?」


「まぁ、でも、もしもそんなことが出来るとしても森を燃やしたら大事件だろ。そんなことしたら駄目だぞ」カラムのスリスリが、なお一層激しくなる。


 尻尾を振りながら「くっ、や、やめろ」と悶えるクロ。


「それに、自分の足で探してこそ、冒険者の基礎が身につくんだ」


「ふん、冥界の番犬に基礎など不要。存在そのものが完成形なのだ」


 クロはそう言いながらも、カラムの「真面目にやりたい」という空気を読み、渋々鼻を鳴らして沈黙した。だが、尻尾は「散歩が楽しい」「スリスリ嬉しい」とばかりにパタパタとカラムの背中を叩いている。


 森の奥へ進むこと一時間。カラムはついに岩陰に広がる「癒やしの葉」を発見した。


「あったぞ! 斑点もはっきりしてる。よし、丁寧に掘り起こそう」


 カラムが膝をつき、小さなナイフで土を削り始めたその時だった。


 森の空気が一変した。鳥たちが一斉に飛び立ち、周囲が異様な静寂に包まれる。


「……む。カラム、手を止めよ。不浄な気配だ」


 クロの赤い瞳がスッと細くなった。茂みの奥から姿を現したのは、体長四メートルを超える巨大な毒蜘蛛、アビス・タランチュラ。本来は深層のダンジョンに生息する魔物だが、何らかの理由で地上に迷い出た「災害種」の変異体である。


「うわぁぁっ!? な、なんだあいつ! 図鑑に載ってないぞ!」


 カラムは震える手で剣を抜いた。平凡な彼にとって、目の前の化け物は死神そのものだ。


 タランチュラが鋭い脚を振り上げ、まずは目障りな「小さな黒い塊」──クロを串刺しにしようと突き出した。


「クロ、危ないっ!!」


 カラムは反射的に動いた。自分の身を守ることなど二の次だった。彼は剣を投げ捨て、クロを抱きかかえるようにしてその前に飛び込んだ。


「──っ!?」


 クロは驚愕した。自分は神話級の魔獣だ。あんな脚、鼻息一つで粉砕できる。それなのに、この弱々しい人間は、再び自分の命を盾にしてワシを守ろうとしたのか。


(……この虫ケラめが。誰がワシの家族に触れてよいと言った……!)


 クロはカラムの腕の中から、一瞬だけ、その身に宿る「冥界の王」の威圧を解放した。


「クロ、逃げ──」


 カラムが叫び終えるより早く、クロは小さな口を大きく開けた。


 放たれたのは、三つの頭が同時に咆哮する真髄を、一点に凝縮し、音の壁として叩きつける衝撃波だ。


「──ガ、ァッ!!!」


 それは「吠える」という概念を物理的に超越していた。


 クロの周囲だけ真空状態になり、目に見えるほどの透明な波紋がタランチュラに向かって走った。


 タランチュラは、叫ぶ暇すらなかった。


 強力すぎる音圧を浴びた瞬間、巨大な体はバラバラに砕け散ることすら許されず、細胞は震動・崩壊し、一瞬でただの黒い粉末へと変わった。


 さらに咆哮の余波は、タランチュラの背後の森を一直線に駆け抜けた。


 その線上にある木々は、見た目こそ変わらないが内部の細胞はすべて粉砕。森に住む何百匹という魔物たちは一斉に失神した。


 ……だが。


 その衝撃の中心地にいたはずのカラムは、無傷だった。クロが器用に、カラムの周りだけ音波が避けるよう調整していたからだ。


 カラムの耳に届いたのは、少し大きめの「ワン!」という鳴き声と、猛烈な突風だけだった。


「……え? あれ? 蜘蛛は?」


 カラムが恐る恐る目を開けると、そこには先ほどまでいた巨大な蜘蛛の姿はなく、ただ黒い粉のようなものが地面にうっすらと積もっているだけだった。


「ク、クロ……? あの蜘蛛、どこに行ったんだ?」


「フム。ワシの気迫に恐れをなして、塵となって消え去ったのだ。脅威は去ったぞ」


 クロは満足げに尻尾を振り、カラムの足元に擦り寄った。


「そ、そうか……。すごい風が吹いたけど、何だったんだ?」


 カラムは呆然としながらも、すぐにクロを抱き上げ、そのフワフワの頭を撫でた。あの一瞬、感じた命の危機──肌が焼けるような熱気と空気が震える恐怖を、彼は「クロへの愛情」というフィルターで強引に押し殺した。


 その後、二人は一匹の魔物にも邪魔されることなく(すべての魔物が気絶、あるいは逃走していたため)、悠々と森を後にした。


「よし、薬草十株、完璧だ! コツコツ頑張れば、やっぱりいいことがあるな!」


「貴様の言う「コツコツ」の中に、ワシの咆哮が含まれていることを忘れるなよ」


「あはは、分かってるって。クロが吠えてくれたおかげで、集中して作業できたよ。ありがとう」


 カラムは知らない。


 この瞬間、南の森から「危険な魔物」がすべて消失し、静まり返った異常な「沈黙の森」へと変貌してしまったことを。


「クロ。報酬を受け取ったら、今日は奮発していい肉を買いに行こうな!」


「フム! 良い心がけだ、カラム。ワシの疲れを癒やすには、最低でも五キロの牛肉が必要だぞ」


「五キロ!? そんなに買ったら、今日の報酬が全部消えちゃうよ!」


 二人はいつものように言い合いながら、王都への帰路についた。


 真面目な青年は、背後の森が「死の静寂」に包まれていることなど露ほども疑わず、肩の上で世界最強の仔犬は、撫でられた場所の心地よさに密かに目を細めるのであった。

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