2.王都ルアウムと冒険者ギルド
二人は馬車を降り、王都ルアウム正門に続く街道を歩いていた。カラムの腰には、村の鍛冶屋で作った「普通の鉄剣」が差してある。
「いいかクロ、王都に着いたら普通の犬のフリをするんだぞ。絶対に人前では喋るなよ」
カラムが真面目な顔で諭すと、肩に乗ったクロはふんぞり返って答えた。
「フン。ワシの言葉は真理だ。隠す必要など微塵もない」
「あはは、クロは本当に演技派だなあ。でもその『厨二病』な設定も王都の人には内緒だぞ?」
「ちゅ……!? 貴様、ワシの真実を『設定』と呼ぶか! 万死に値するぞ!」
クロは怒鳴っているが、カラムが耳の後ろを優しく掻くと、本能には勝てず「くうんっ」と情けない声を漏らし、しっぽをパタパタと振ってしまう。
「……っ!? これは物理的な反応だ! ワシの意志ではない!」
「はいはい、わかってますよ」
カラムはクロがどれほど「自分は神だ」と主張しても、結局は「撫でられれば喜び、お腹が空けば鳴く」愛おしい存在であることを確信していた。
王都ルアウムの正門。門番の衛兵たちは、クロが「ワシを通さぬなら地獄の門を開くぞ」と凄んでも、「最近の喋る魔道具はすごいな」「設定の凝った子犬だ」と笑って通してくれた。
たどり着いたのは、冒険者ギルドのルアウム支部。
受付カウンターには、知的な眼鏡の奥に鋭い眼光を隠しきれない美女、リリア・ローダーが凛として座っていた。
「お待たせしました、次の方どうぞ。新規冒険者登録ですか?」
「はい。カラム・アルブラスターと言います」
リリアの鋭い視線がクロを捉えた。
「……で、その肩に乗ってるのはあなたのペットかしら?」
「ああ、こっちはクロ」
「……貴様、ワシをペット呼ばわりするとはいい度胸だ」
「え? 今……その子が喋りましたか?」
「えっと、コイツ人間の言葉が話せるんです。俺の相棒です」
「なるほど……喋る犬ですか」クロを一瞥してから右手で眼鏡の位置を直す。
「ケルベロスだ」
不意にクロが言い放つ。
「……はい?」リリアは驚きを隠せない様子でクロに向き直った。
「ワシはただの犬ではない、地獄の番犬ケルベロスだ」
「おい! クロ! 人を怖がらすようなこと言うな!」
「その子……ケルベロス……なんですか?」
「そうだ。この仮の姿でもS級を軽く凌駕する。貴様はワシを敬うがよい。分かったな? さもなくば──」
「きゃあああああ!」叫び声を上げるリリア。
「あ、ちょ、ちょっと! 落ち着いて下さい! クロは自分がケルベロスっていう──」
「可愛いいいいい!」
「……へ?」カラムから気の抜けた声が漏れる。
そして彼女のプロ意識は霧散した。
「ケルベロス、仮の姿、S級を凌駕する! キメ顔でキリッ! なんて完璧な厨二病設定! 素敵! 可愛いいい!」
「き、貴様! ワシを愚弄するか!」
「クロ、落ち着けって……リリアさんも──あっ!」
リリアはクロを奪い取るように抱き上げ、頬ずりをした。
「あぁ、なんて完璧な演技なの! 『地獄の番犬』だなんて、設定が凝ってますね! 最近の喋る従魔用マジックアイテムの効果かしら? それとも、そういう特技がある魔獣なの?」
リリアはクロの言葉を、「可愛いペットの芸」として受け取った。
「……あぁ、 可愛い……この長毛のモサモサ感も堪りませんねぇ……うへへへへ」
「……くっ!? き、貴様! な、なにを……!? やめろ、ワシの威厳が……!」
「きゃー! 照れてるー! 可愛いぃ! うへ、うへへへへ」
「あ、あのー、リリア、さん?」
「はっ、す、すみません、取り乱してしまいました……はぁ、はぁ」
リリアはスーッと深呼吸をして姿勢を正してから冒険者登録手続きを再開する。
「それでは、改めまして、カラムさん。冒険者登録の手続きをさせていただきます。カラムさんは新規登録なので【E級(初心者)】登録になります。それから、えーっと、クーちゃんの種別は……見た目は『ブラックスパニエル系』の仔犬に見えますけど、喋れるので『希少種・珍獣』枠ですね。ランクは……もちろん【E級(愛玩・補助枠)】で登録しておきますね!」
「ク、クーちゃん? E級……? ワシが……?」
「そう、可愛いし、危険もなさそうなので。ねぇ、クーちゃん」
「聞け! ワシはS級だと言っている! 災害種だ! ワシの炎は太陽よりも熱く──」
「よしよし、カッコいいわよーケルベロスちゃん」
クロは愕然としたが、リリアがクロの頭を優しく撫で、指が弱点の喉元を完璧に捉えると、白目を剥いて「くうぅん……」と蕩けた声を漏らした。
「ありがとうございます! リリアさん!」
深くお辞儀をするカラム。
「いいのよ。だってこんなにキュートな子が災害種でもあるケルベロスなわけないじゃない。私が責任を持って『ただの可愛い子犬』として処理しておくわ」
リリアはにっこりと笑って書類を書き進めた。
「はい、登録完了です! 本来なら、喋る魔獣は詳しく検査しなきゃいけないんですけど……この子はカラムさんによく懐いていますし、何よりこんなに可愛いですもの。上層部には『喋るだけの珍しい仔犬』として報告しておきます。その方が、カラムさんも活動しやすいでしょう? ……そのかわり、最低でも三日に一度はクーちゃんをもふもふさせて下さいぃぃ、うへへへへ」
「わ、わかりました……色々とありがとうございます」
こうして、リリアの職務放棄に近い独断により、世界を滅ぼす番犬は正式に「E級ペット」として登録された。
ギルドカードを受け取ったカラムは、掲示板の前で真剣に悩んでいた。
「クロ、今はまだ平凡な冒険者だけど、コツコツ頑張って信頼を築いていくんだ。まずはこれ、『南の森の薬草採取:報酬金貨一枚』。これにしよう」
「……まだ言うか。ワシがその辺の山を一つ消せば、一気にS級まで上がれるのだろう?」
「ダメに決まってるだろ。人に迷惑をかけない、危ないことはしない。それから、俺がクロをしっかり守るからな」
カラムは強くもないのに、クロを抱きしめる力を強めた。
ふと、隣で大きな斧を担いだ冒険者が、不注意に壁に斧を立てかけると、それがクロの方へと倒れそうになった。
「危ない!」
カラムは反射的にクロを庇い、自分の背中で斧の柄を受け止めた。
「……貴様、余計なことを。ワシが避けられぬとでも? というより、あのような貧弱な武器ではワシの皮膚に傷一つつけることなどできん」
そういいながら、クロの脳内には複雑な感情が渦巻く。自分を「弱者」として守ろうとするこの男の無謀さが、不思議と誇り高き番犬の心を熱くさせていた。
「そのもさもさがクッションになるってことか? まぁ、いいんだ。クロに怪我があったら大変だろ?」
カラムは平然と笑って、ギルドの扉を開けた。
「行くぞ、クロ! 初めての依頼だ!」
「フン……。せいぜいワシを退屈させるなよ、カラム」
誰一人、その肩に乗る愛らしい子犬が、世界を滅ぼしうる「地獄の番犬」であることを、まだ知らない。




