第6話 とろける角煮丼の魔法
「へっ、店の中は意外とまともじゃねえか」
大柄な冒険者の男は、ドカッと椅子に腰を下ろすと値踏みするように店内を見回した。
名前はガルドというらしい。背中の巨大な戦斧を床に置くと、ズシンと重い音が響く。
「注文は、さっきの匂いのやつだ。不味かったら金は払わねえからな」
「ええ、構いませんわ。お口に合わなければ、お代は結構です」
私は自信たっぷりに頷き、厨房へ戻った。
丼ぶりに炊きたての熱々ご飯をよそい、その上に鍋から取り出した『角煮』を乗せる。
煮汁をたっぷりと回しかけ、最後に彩りの刻みネギと半熟の煮卵を添えれば完成だ。
「お待たせいたしました。『特製とろとろ角煮丼』です」
ドォン、とガルドの目の前に丼を置く。
その瞬間、彼の喉がゴクリと鳴った。
茶色く輝く大きな肉の塊。煮汁を纏って艶めくその姿は、照明の光を反射して宝石よりも魅惑的だ。湯気とともに立ち上る甘辛い香りが暴力的に鼻腔を刺激する。
「こ、これが……飯……?」
ガルドは恐る恐るスプーンを手に取った。
そして角煮にスプーンを突き立てる――いや、その必要はなかった。スプーンの重みだけで肉がホロリと崩れたのだ。
「なっ……!?」
驚愕するガルド。そのまま肉とタレの染みたご飯を一緒に掬い上げ、大きな口へと放り込む。
ハフッ、ムグッ……。
咀嚼した瞬間、ガルドの動きが止まった。
カハン、とスプーンが手から滑り落ちる。
「…………なんだ、これ」
震える声で彼が呟く。
「脂身は甘くて……口の中で瞬時に溶けちまう。なのに赤身は肉の旨味がぎっしりで……噛むたびにジュワッて……」
彼は再びスプーンを握りしめ、猛然と食べ始めた。もう言葉はない。ガツガツと野生動物のような勢いだ。
濃厚な醤油ダレと脂の甘みを受け止める白米。時折混じるネギのシャキシャキ感。そして黄身がトロリと溢れる煮卵。その全てが疲労した冒険者の五臓六腑に染み渡っていく。
「う、うめぇ……! なんだこれ、うめぇぇぇッ!!」
最後の一粒まで掻き込むと、ガルドは天を仰いで叫んだ。そして次の瞬間、彼の目からポロポロと大粒の涙が溢れ出したのだ。
「えっ!? あ、あの、辛すぎましたか!?」
慌てる私にガルドは首を横に振った。
「ちげぇ……力が、湧いてくるんだ」
「力?」
「ああ。昨日のダンジョン探索で、魔力を使い果たしてヘトヘトだったんだ。肩も腰も鉛みてぇに重くて……なのに」
ガルドは立ち上がり、軽く腕を回した。
その顔色は入店時の土気色が嘘のように血色が良く、瞳には精気が漲っている。
「すげぇ。全盛期みてぇに体が軽い! 魔力欠乏の頭痛も消えてやがる!」
ガルドの驚きように、私も目を丸くした。
確かに栄養満点の料理だけど、即効性がありすぎないだろうか?
……そういえば生前の祖母が言っていた。
「作り手の魔力は、料理に乗る」と。
もしかして私の「美味しくなあれ」という念が本当に回復魔法のような効果を発揮してしまった……?
(ま、まあ、元気になったならいっか!)
深く考えるのはやめた。
「嬢ちゃん……いや、店主様! すまねえ、俺が悪かった!」
ガルドは深々と頭を下げた。
「こんな美味いモン食ったのは生まれて初めてだ! 『おままごと』なんて言って悪かった! 俺は今日からこの店のファンだ!」
彼はカウンターに定価の倍の銀貨を叩きつけた。
「釣りはいらねえ! 明日も来るからな!」
嵐のように去っていくガルド。
そして、その様子を店の外から覗き見ていた他の冒険者や町の人々が堰を切ったように雪崩れ込んできた。
「おい、あのガルドが泣いてたぞ!」
「そんなに美味いのか!?」
「俺にもその肉丼くれ!」
一気に満席になる店内。
嬉しい悲鳴を上げながら、私はフライパンを握り直した。
こうして『陽だまり亭』は、初日から「食べると奇跡のように元気になる店」として辺境の町で伝説の一歩を踏み出したのだった。




