第40話 辺境伯邸への招待状
ジークフリート様が公衆の面前で「こいつは俺の妻になる」と宣言してから、数日が経った。
『陽だまり亭』は今日も変わらず営業しているけれど、店内の空気は少しだけ変わっていた。
「いらっしゃいませ!」
「あ、ああ……おはようございます、レティシア様」
「本日のランチは……その、レティシア様のお手を煩わせるわけには……」
常連の冒険者や町の人たちが、なんだか余所余所しいのだ。言葉遣いが丁寧すぎるし、私が水を運ぼうとすると「滅相もございません! 自分で汲みます!」と奪い取られてしまう。
「もう……みんな、気にしすぎよ。私はまだ『店主』なんだから」
『クゥ~ン』
ルルが足元で同情するように鳴いた。
将来の領主夫人となれば、平民たちが恐縮するのも無理はない。でも、このままでは私の大好きな「気軽な定食屋」の空気がなくなってしまう。
はぁ、とため息をついてカウンターを拭いていると、カランとベルが鳴った。
「……眉間のシワが深いぞ、レティシア」
現れたのは元凶であるジークフリート様だ。
今日も執務の合間なのか、ピシッとした軍服姿が眩しい。
「ジーク様……。誰のせいだと思ってるんですか。みんなが私を腫れ物みたいに扱うんです」
「ふむ。……まあ、無理もない。辺境伯の婚約者といえば、この地では王妃にも等しい存在だからな」
彼は悪びれもせず、いつもの席に座った。
「だが、慣れてもらうしかない。……お前はいずれ、このノルドを私と共に背負うことになるのだから」
「うぅ……責任重大です」
私が肩を落とすと、彼は少し意地悪く、けれど愛おしそうに笑った。
「安心しろ。店を辞めろとは言わん。……だが、『公爵令嬢』としての教養や振る舞いが必要な場面も出てくるだろう」
彼は懐から一通の封筒を取り出した。
上質な紙に辺境伯家の紋章が蝋封されている。
「これは?」
「招待状だ。……今夜、我が屋敷に来てほしい」
ドキリ、と心臓が跳ねた。
屋敷には何度か行ったことはあるけれど、正式な招待状をもらうのは初めてだ。
「屋敷の使用人たちに、改めてお前を紹介したい。……それに、いつまでも店に寝泊まりさせておくわけにもいかんだろう? これからの生活の拠点についても話し合いたい」
「は、はい。喜んでお受けします」
私は封筒を両手で受け取った。
ずしりと重い。それは紙の重さではなく、彼と共に歩む未来の重さだ。
「迎えの馬車を寄越す。……ドレスアップしてこいよ」
「えっ、ドレスですか? こっちに来る時にほとんど売っちゃって……」
「案ずるな。お前のサイズに合わせて、すでに仕立てさせてある」
用意周到だ。
ジーク様はコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
「楽しみにしている。……料理人としてではなく、私の『一番大切な賓客』として迎えるからな」
彼は私の頭をポンと撫でて颯爽と出て行った。
残された私は、招待状を胸に抱きしめ、熱くなる頬を押さえた。
「一番大切な賓客、かぁ……」
厨房でエプロンをつけている時の自分は自信満々だけれど、ドレスを着て貴族社会に戻るのは、少しだけ怖い。
でも、あの人が待ってくれているなら。
「よし、ルル! 今夜は気合を入れてオシャレするわよ!」
『ワンッ!』
私は店を少し早じまいにして、久しぶりに鏡の前で化粧水を念入りにパッティングし始めた。
今夜は、料理の腕ではなく、一人の女性としての魅力をアピールしなくちゃいけないから。




