第16話 王都からの風の便り
冬の足音が近づくにつれ、温かいシチューやスープを求めて『陽だまり亭』を訪れる客足は増える一方だった。
厨房でじゃがいもの皮をむきながら、私は平和な日常を噛み締めていた。
(ああ、幸せ。ドレスの締め付けもないし、お妃教育の古文書も読まなくていいなんて)
そんなある日のランチタイム。
王都から定期便で物資を運んでくる行商人の一団が店内で何やら面白い話を広げていた。
「おい、聞いたか? 王都の王城が最近大変らしいぞ」
「大変って、魔物でも出たのか?」
「いや、もっと情けない話さ。食い物が不味くなって、王太子殿下がガリガリに痩せちまったんだと」
――ピクリ。
野菜を刻む私の包丁が止まった。
カウンターの向こうで冒険者たちが興味津々で聞き耳を立てている。
「なんでも、以前は『聖女の加護』のおかげで、城の飯は美味いし、皆元気だったらしいんだが……ある日を境にその加護が消えちまったんだと」
「ある日って、いつだよ?」
「ちょうど、フレデリック殿下が婚約破棄騒動を起こした直後らしいぜ」
店内の空気がざわつく。
私は冷や汗をかいた。
(……え? まさか、それって私のこと?)
思い当たる節はある。
公爵令嬢時代、私はフレデリック殿下のために、こっそりと差し入れのお菓子を焼いたり、厨房のシェフたちに「美味しくなるおまじない」を教えたりしていた。
さらに言えば、私の溢れ出る魔力は、無意識のうちに城内の空気を浄化し、食材の鮮度を保つ結界のような役割を果たしていた……のかもしれない。
「新しい婚約者の男爵令嬢――ミナ様だっけか? 彼女が『聖女』だって触れ込みだったが、祈っても泣いても飯は不味いまま。城の使用人たちも体調不良でバタバタ倒れてるらしい」
「へぇー、ざまぁないな。本物の『福の神』を追い出しちまったってわけか」
「逃がした魚は大きかったな!」
冒険者たちがガハハと笑う。
私は複雑な心境だった。
まさかそこまで影響があったとは。
でも、今さら戻ってあげようなんて微塵も思わない。あの人たちは、私を「無能」だと罵って捨てたのだから自業自得だ。
「……くだらん」
冷ややかな声が笑い声を断ち切った。
いつもの席でコーヒーを飲んでいたジークフリート様だ。彼は紙を片手に不愉快そうに鼻を鳴らした。
「真の価値を見抜けず、見かけの愛らしさに惑わされた愚か者の末路だ。同情の余地もない」
「ジ、ジーク様……」
「だが、その愚王太子のおかげで、私は最高の料理人と出会えたわけだがな」
彼は紙越しにチラリと私を見た。
その瞳は、いつになく真剣で熱っぽい。
「王都がどうなろうと知ったことではない。……だが、レティシア。貴様はここを動くなよ」
低い声で釘を刺される。
それはまるで、「お前を王都には返さない」という独占欲のようにも聞こえた。
「も、もちろんですよ。私はここでの生活が気に入っていますから」
「ならいい」
彼は満足そうに頷き、飲み干したカップを置いた。
「王都の連中が気づいた頃には、もう遅い。……ここは私の領地だ。手出しはさせん」
ボソリと呟かれたその言葉は、私を守ってくれる最強の盾のように頼もしく響いた。
王都では評価されなかった私の力が、ここでは必要とされている。それが何より嬉しかった。
――しかし、噂というのは足が速いものだ。
「辺境に、奇跡の料理を作る元公爵令嬢がいる」という話が、王都のフレデリック殿下の耳に届くのも、そう遠い未来ではないのかもしれない。




