第11話 カウンター越しの攻防戦
ジークフリート様が来店した翌日から『陽だまり亭』は一種の観光名所と化していた。
「おい、ここが『氷の騎士』様が完食したっていう店か?」
「あの堅物が笑ったって本当か!?」
「いや、笑ってはいないらしいぞ。でも、店を出た時の顔が仏のようだったとか……」
噂に尾ひれがついている気がするけれど、おかげで客足は途絶えない。
私は嬉しい悲鳴を上げながら、ひたすら唐揚げを揚げ、角煮を煮込み、オムライスを巻き続けた。
そして、その日の夕暮れ時。
客足が少し落ち着いた頃を見計らったように、チリン、とドアベルが鳴った。入ってきたのは、フードを目深に被った長身の男性。
けれど、その隙間から覗くプラチナシルバーの髪と店内の温度を一気に下げる冷気は隠せていない。
「い、いらっしゃいませ。ジークフリート様」
「……お忍びだ。名前を呼ぶな」
彼はぶっきらぼうに言うと、テーブル席ではなく、私の目の前のカウンター席にドカッと座った。
昨日よりも距離が近い。
至近距離で見ると、その顔立ちは本当に整っている。長い睫毛にスッと通った鼻筋。ただ、眉間のシワだけが残念だ。
「……昨日のアレを頼む」
「唐揚げ定食ですね。かしこまりました」
まるで秘密の取引のように小声で注文する彼に、私は苦笑しつつ準備を始めた。
ジュワワッという揚げ音が響くと、ジークフリート様――お忍び中は「ジーク様」と呼ぶことにしよう。彼はじっと手元を見つめてくる。
監視されているようで緊張するけれど、その瞳は獲物を狙う鷹のように真剣だ。
「……お待たせしました」
揚げたての唐揚げを出すと、彼は「うむ」と短く頷き、早速フォークを手に取った。
一口食べた瞬間、またしても彼の眉間のシワがスゥッと消えていく。
「……やはり、これだ」
彼は独り言のように呟いた。
「城のシェフに同じものを作らせたが、何かが違った。形も味も似ているはずなのに、頭痛が治まらんのだ」
「それはそうですよ。料理は生き物ですから」
私はカウンター越しに微笑んだ。
料理には、無自覚ながら「魔力」という名のスパイスが入っているのだから、普通のシェフに再現できるはずがない。
彼は黙々と食べ進め、あっという間に完食した。そして食後の温かいお茶を飲みながら、ふと視線を調理台の隅に向けた。
そこには、私が試作のために置いていた「卵」と「牛乳」と「砂糖」が並んでいる。
「……次は、何を作るつもりだ?」
「え? ああ、これですか? 少し甘いものでも作ろうかと思いまして」
「甘いもの……」
その単語を聞いた瞬間、ジーク様の瞳がわずかに揺れた。ピクリ、と片眉が上がる。
無表情な鉄仮面の下に、一瞬だけ「子供のような好奇心」が見えた気がした。
「ジーク様は、甘いものはお好きですか?」
「……騎士たるもの、味の好みなど戦場では無意味だ。出されたものは何でも食う」
彼はフイッと視線を逸らした。
けれど、その耳がほんのりと赤い。
そして帰り際にボソリと言ったのだ。
「……だが、疲労回復には糖分が必要だという説もある。……試食が必要なら、協力してやらんでもない」
そう言い残し、彼は足早に店を出て行った。
残された私は、きょとんとしてその背中を見送る。
「あれって……もしかしなくても、甘いものが食べたいってこと?」
『ワンッ!』
足元でルルが呆れたように鳴いた。
私はクスリと笑った。
あの強面の辺境伯様が甘党? なにそれ、可愛いじゃない。
「よし、明日はとびきり甘くて優しい『アレ』を作って、驚かせてあげましょうか」
私はウキウキしながら新鮮な卵を手に取った。
攻略難易度S級の「氷の騎士」様も、スイーツの前では形無しになるかもしれない。




