第三話 大学の祝賀会、巨大スクリーンに映し出された元カノと間男の情事
絶望の夜が明けた後、俺、黒崎奏斗は復讐の鬼と化していた。莉緒奈に対する愛情は、一片たりとも残っていない。残っているのは、裏切られたことに対する焼け付くような憎悪と、彼女とあの男を社会的に抹殺するという冷たい決意だけだった。
俺の部屋には、協力者となった柊詩織が持ち込んだハイスペックなノートパソコンが鎮座していた。彼女はまるで熟練の探偵のように、淡々と、しかし確実に情報を集めていく。
「まず、天羽玲からね。この男、思った以上にクズよ」
詩織はそう言うと、ディスプレイにいくつかのSNSアカウントの画面を映し出した。玲が複数の偽名を使い分け、様々な大学の女子学生に手を出している証拠がそこにはあった。
「手口はいつも同じ。裕福な実家をちらつかせてブランド品を買い与え、飽きたらポイ捨て。何人かは、彼から貰ったプレゼントの代金を後から請求されて、金銭トラブルになってるわ」
詩織が指し示した画面には、玲に騙されたという女子学生たちの悲痛な叫びが並んでいた。さらに彼女は、大学の内部データベースにまで不正アクセスを試み、驚くべき情報を引きずり出した。
「やっぱりね。彼の父親、天羽ホールディングスの代表取締役だけど、玲が入学する直前に、大学に多額の寄付をしている。しかも、玲のセンター試験のスコア、うちの大学のボーダーラインに到底届いていない。これはもう、不正入学と言って差し支えないわね」
次々と暴かれていく玲の悪行。詩織の情報収集能力は、俺の想像を遥かに超えていた。彼女はまるで、この復讐劇のシナリオライターのように、完璧な脚本を組み立てていく。
一方の莉緒奈も、無傷ではいられない。彼女が使っていたSNSの裏アカウントを、詩織はあっさりと特定していた。そこには、俺への愚痴や不満が、これでもかと書き連ねられていた。
『就活ばっかりでマジつまんない。こっちの気も知らないで』
『玲くんといると、自分が女の子だって思い出せる♡』
『早く別れたいけど、なんか面倒くさいことになりそうだからなー』
玲とのホテルでの情事を匂わせる投稿もあった。俺が撮ってやった写真をプロフィール画像に使いながら、その裏で俺を嘲笑っていたのだ。ボイスレコーダーの音声と、これらの投稿。証拠は、着々と集まっていく。
「復讐の舞台は、ここしかないわね」
詩織が指差したのは、大学の公式サイトに掲載されていた、一ヶ月後に開催される『大学創立記念祝賀会』の告知だった。
「この祝賀会には、学生や教授だけじゃなく、大学の有力なOB、地域の名士、それに玲の父親のような寄付者も来賓として招待される。ここ以上に、彼らの罪を白日の下に晒すのに相応しい場所はないわ」
詩織の瞳が、冷たく、そして楽しげに輝いているように見えた。
「写真サークルは、毎年この祝賀会で年間活動報告の映像を上映するでしょ? あなたは元部長。映像編集を買って出るのは、不自然じゃない」
「……なるほどな」
計画の全貌が見えてきた。俺は静かに頷く。俺が愛した写真で、あいつらを地獄に突き落とす。これ以上の復讐はないだろう。
俺は早速、現部長に連絡を取り、「就活も落ち着いたし、最後の思い出に俺が映像を作るよ」と申し出た。後輩たちは、伝説の元部長の登板を諸手を挙げて歓迎してくれた。何も知らずに。
それからの日々、俺は二つの顔を使い分けていた。莉緒奈の前では、就活が順調に進み、彼女との未来を夢見る心優しい彼氏を演じ続けた。
「奏斗、内定もらえそうなんだって? すごい!」
「ああ。全部、莉緒奈が支えてくれたおかげだよ」
俺がそう言って微笑むと、莉緒奈は満足そうに微笑み返す。その笑顔が、今はただただ醜悪に見えた。彼女は俺が何も知らないと思っている。俺という安全な居場所を確保したまま、玲との火遊びを楽しんでいる。その傲慢さが、俺の憎悪をさらに燃え上がらせた。
そして夜、莉緒奈が眠りにつくと、俺は詩織と共に地獄の映像制作に没頭した。美しい風景写真、サークル員たちの笑顔。その合間に、俺たちは集めた証拠を巧みに織り交ぜていく。
玲と莉緒奈がラブホテルに出入りする、探偵さながらに詩織が撮影した決定的な写真。
二人の生々しいLINEのやり取りのスクリーンショット。
そして、あのボイスレコーダーから抜き出した、俺を嘲笑う莉緒奈の声と、玲を褒めそやす彼女の嬌声。音声にはテロップを付け、誰が聞いても内容が分かるように編集した。
映像の後半は、玲の不正入学疑惑と金銭トラブルの証拠で固めた。彼の父親の会社の名前も、寄付金の額も、全てを赤裸々に映し出す。これはもう、ただの暴露ではない。社会的な死刑宣告だ。
「完璧ね」
完成した映像を前に、詩織は静かに呟いた。その横顔は、復讐の女神のように美しく、そして恐ろしかった。
◇
大学創立記念祝賀会当日。会場である大学の大講堂は、着飾った学生や教授、そしてスーツ姿の来賓たちで埋め尽くされていた。俺は、他のサークル員たちと共に、後方の席に座っていた。
莉緒奈は、今日のために新調したという華やかなドレスに身を包み、玲と腕を組んで談笑している。まるで、このパーティーの主役は自分たちだとでも言いたげな様子だ。玲の父親らしき、恰幅のいい紳士の姿も来賓席に見える。何も知らず、息子の晴れ姿を誇らしげに見つめているのだろう。
やがて、司会者の声が響き渡り、各サークルの活動報告映像の上映が始まった。吹奏楽部の演奏、演劇部の舞台。会場は和やかな拍手に包まれる。莉緒奈と玲は、周囲の注目を浴びて得意満面だ。
「続きましては、写真サークルの皆さんです。どうぞ!」
司会者の紹介と共に、会場が暗転する。俺は息を呑み、ステージ上の巨大スクリーンを睨みつけた。いよいよ、審判の時が来た。
スクリーンに映し出されたのは、俺が撮り溜めた美しい風景写真の数々。桜並木、夏の海、燃えるような紅葉。そして、サークル員たちの屈託のない笑顔。会場からは、「おぉ」という感嘆の声が漏れる。莉緒奈も、「綺麗……」と小さく呟いているのが聞こえた。
映像は続く。新入生歓迎会の写真、夏合宿の集合写真。全てが輝かしい青春の一ページだ。会場全体が、温かい空気に包まれている。莉緒奈と玲も、自分たちの楽しそうな姿が映し出されるたびに、くすくすと笑い合っている。
映像が始まって、三分が経過した頃。サークルの仲間たちが焚き火を囲む、感動的なシーンが流れる。BGMも、静かで心温まるピアノの旋律に変わった。誰もが、このまま美しいエンディングを迎えるのだと思った、その瞬間。
ブツン。
ピアノの音が、ノイズと共に途切れた。スクリーンは一瞬、真っ暗になる。
「あれ? 機材トラブルかな?」
誰かがそう呟いた。会場がざわめき始める。莉緒奈と玲も、訝しげな顔でスクリーンを見つめている。
次の瞬間、スクリーンに再び光が灯った。だが、そこに映し出されたのは、美しい風景ではなかった。
――見慣れたラブホテルの看板。そして、その入り口に仲睦まじく入っていく、莉緒奈と玲の後ろ姿。
「え……?」
誰かの声が、静まり返った会場に響いた。莉緒奈の顔から、さっと血の気が引いていくのが分かった。玲も、信じられないという表情でスクリーンを凝視している。
だが、地獄はまだ始まったばかりだ。映像は、二人のLINEのやり取りのスクリーンショットへと切り替わる。
【今夜も会いたいな】【奏斗にはサークルの飲み会って言ってあるから大丈夫♡】
卑猥なスタンプと共に交わされる、生々しい会話。会場のあちこちから、ひそひそと話す声や、軽蔑の混じった笑い声が聞こえ始めた。
そして、とどめの一撃。スクリーンは再び暗転し、ヘッドフォン越しに俺の精神を破壊した、あの音声が、大講堂のスピーカーから響き渡った。
『奏斗ばっかで、つまんない男だよ、あの人』
『先輩としてしか、もう見てないかも』
テロップ付きで流れる莉緒奈の声。自分の声だと気づいた彼女は、「あ……」と小さな悲鳴を上げた。
『あの人より、俺の方がいいでしょ?』
『うん。玲くんの方が、全然……気持ちいい』
決定的なセリフと共に、会場は騒然となった。怒号、悲鳴、嘲笑。あらゆる音が渦を巻き、地獄のような空間を作り出す。
「いやぁあああああああっ!」
莉緒奈が、ついに耳を塞いで絶叫した。玲は顔を真っ赤にして、「誰だ! こんなもん流したの誰だ!」と獣のように吠えている。来賓席にいた玲の父親は、顔面蒼白で立ち上がっていた。
だが、俺の復讐は終わらない。スクリーンは無慈悲にも、玲の金銭トラブルの証拠、そして不正入学を裏付ける寄付金の記録を映し出す。彼の父親の会社の名前が、赤い文字で大写しにされた。
全ての罪が、数百人の観衆の前で、完膚なきまでに暴かれた。
莉緒奈は、その場にへたり込み、ただ泣きじゃくっている。友人だったはずの女子学生たちが、汚物でも見るかのような冷たい視線を彼女に突き刺していた。玲は、激昂してステージに駆け上がろうとしたが、大学職員に取り押さえられた。
俺は、その後方の席から、全てを見下ろしていた。隣に座る詩織が、俺の手にそっと自分の手を重ねる。その手は、少しだけ冷たかった。
スクリーンには最後に、一枚の写真が映し出された。
――満開の桜の下で、はにかみながら微笑む莉緒奈の写真。俺が、彼女をまだ愛していた頃に撮った、最高の笑顔。
だが、その写真はゆっくりと燃え上がり、灰になって消えていった。
そして、黒い画面に、白い文字が浮かび上がる。
【さようなら、俺の愛した人】
会場の喧騒を遠くに聞きながら、俺は静かに席を立った。詩織と共に、誰にも気づかれることなく、地獄と化したその場所を後にする。
外に出ると、冷たい夜風が火照った頬を撫でた。見上げた空には、星一つない。だが、俺の心は、不思議なほど晴れやかだった。
復讐は、終わった。いや、まだだ。彼らの本当の地獄は、これから始まるのだから。




