さゆり
俊は久しぶりに海へ来た。かつて夢中になっていたサーフィンを、もう一度始めてみようと思ったのだ。恋人に突然別れを告げられ、何かを始めなければ、心が持たなかった。
サーフィンをやめた理由は、ある出来事にある。
3年前、海で溺れていた少女を見つけた。必死にパドルを漕ぎ、彼女のもとへ向かったが、間に合わなかった。
今思えば、もっと早く動いていれば助けられたかもしれない。だが、当時の自分には、それが精一杯だった。
車を飯岡海岸キャンプ場の脇道に停め、静かな海へと歩く。
この界隈はローカルの空気が強く、外から来た者には閉鎖的だが、この海岸は比較的穏やかだった。
海は空いていて、数人のサーファーが波を待っていた。
久しぶりのサーフィンだったが、体は感覚を覚えていた。
とはいえ、技術はそれほどでもない。波に乗って横に滑るのがやっとのレベルだ。
今日の飯岡海岸は、珍しく水が澄んでいた。波も悪くない。
三角形の綺麗な波が近づいてくる。周囲を見ると、誰も乗っていない。
俺は全力でパドルを漕ぎ、波に乗った。テイクオフはうまくいった。
だが、横を見ると、そこには一人の少女がいた。どうやら、彼女の波に前乗りしてしまったらしい。
「すいません」
とっさに謝ると、少女は笑顔で答えた。
「大丈夫ですよ。私もちゃんと乗れてましたから」
怒られるかと思ったが、彼女は穏やかだった。
「どちらから来たんですか?」と、気さくに話しかけてくれる。
「埼玉です。浦和の方で」
「海なし県ですね」
「そうです、あ、自分は俊って言います」
少女は17歳で、名前はさゆり。地元の高校に通っているらしい。
活発で、どこか透明感のある雰囲気を持っていた。
しばらく海の上で話をしていたが、やがて彼女は「そろそろ上がりますね。楽しかったです。またお話ししましょう」と言って、波打ち際へと戻っていった。
海で他人と、しかも女性と話すことなど滅多にない。
今までで一番楽しいサーフィン だったかもしれない。
ふと、彼女が言っていた言葉を思い出す。
「この海、たまに足引っ張られるんで。一人じゃ入らない方がいいですよ」
冗談のようにも聞こえたが、どこか引っかかる言い方だった。
時計を見ると、午前10時。波も落ち着いてきた。
そろそろ帰ろう。だが、さゆりの言葉は、波の音に混じって、いつまでも耳に残っていた。