02
大陸一の大国、リスキア王国。国は中心部にある王都を含め大きく五つの都市に分かれ、東西南北それぞれの都市の管理は四公爵と呼ばれる家門にそれぞれ任されている。政治力の東、貿易力の西、軍事力の北、そして
「エミリ、お前が倒れたという噂を聞いた領民の皆さんから新鮮なお野菜をいただいたぞ〜。たくさん栄養をとって早くよくなろうな」
私、エミリア・フォンテーヌの生家、フォンテーヌ公爵家が治める南部都市…通称、農林の南。
政治力、貿易力、軍事力ときて農林の南という不揃いさはいかがなものかと思うものの、巷では田舎公爵だの都市(笑)だのと散々揶揄されているようなのでこれでもかなりマシな言い方なのだろう。
「ありがとうパパ、エミリたくさんたべてげんきになるね!」
麦わら帽子にツナギというおよそ公爵とは思えない出で立ちでわざわざ私の部屋にかごいっぱいの野菜を持ったまま現れた父に内心で苦笑しながら、表面上は満面の笑顔を浮かべる。そんな私を見て安心したのか、父はベッドに横になる私の頭を優しく撫でて「ゆっくり寝てろよ〜」気遣いの言葉を残してから部屋を後にした。…そもそも私は倒れたというか階段から落ちたわけなので領民の皆様方にはやや誤解を与えているような気がするが、せっかくのご厚意に対してそんな指摘をするのも野暮だ。
そう、一週間前のあの日。階段から落ちて頭を強く打った私には、俗に言う前世の記憶というものが蘇った。とはいえ小さな島国の平々凡々な女子大生の平々凡々な記憶だけれど、それでも21年分だ。蝶よ花よと育てられた穢れを知らない4歳の公爵令嬢が無駄に早熟なこまっしゃくれたガキになってしまったのは仕方のないことだろう。
相場ではこういう中世貴族モノの世界に転生した場合前世で読んだ小説だのプレイしていた乙女ゲームだのの記憶もセットで思い出すものだと思っていたけど、今のところリスキア王国にもエミリア・フォンテーヌという名前にも特に心当たりがない。私が知らないだけで原作に当たる何かが存在するのかもしれないけど、そんなことをかんがえたところで何にもならないので深掘りはせず、この一週間は今世での記憶の整理と自分の置かれている環境の情報収集(侍女に聞いただけ)に勤しんだ。
その結果分かったのは公爵家とかいう極太の家に生まれたこと、その極太の実家は世間から嘲笑されがちということ…それから、そんな田舎貴族家に生まれ落ちた才女様のおかげで近年フォンテーヌ公爵家が社交界からの注目を一身に浴びているということ。
もちろんその才女様とは前世の記憶を持つこの私…ではなく。
「エミリ、入ってもよろしくて?」
「ねえね?はいってはいって!」
コンコン、上品なノック音と扉越しに聞こえた綺麗な声に、私は跳ね起きるように上体を起こして弾んだ声で入室を促す。我ながら先程の父への対応とは大違いだが、そもそもあの日焼けおじさんはノックもせずにずかずかと入ってきたのだから不可抗力だ。
好きな異性に会うときのようにいじらしく前髪を整えていると、扉の向こうからお人形のように美しく宝石のように輝く女の子が姿を見せた。
「ねえね!」
「あらあら。わたくしのかわいいエミリ、具合はいかが?」
一応怪我人という扱いなので大人しくベッドで待とうと思っていたけど無理だった。ベッドを飛び出して闘牛のような勢いで突撃した私を女の子は優しく抱きとめ、私の右頬にそっと手を当てて問いかけてきた。
「げんき! ねえねに会えたからさっきよりももっとげんき!」
リリアナ・フォンテーヌ。前世の記憶を持つ無駄に早熟なこまっしゃくれたガキをもメロメロにする彼女は、たった5歳にして歴代一の才女と囁かれ存在だけで田舎貴族家の評判を押し上げる、私の実の姉である。
…今更だけど、私の喋り方がキッズすぎるのは幼さゆえの舌足らずもあるが最大の要因はこの国の公用語の難しさにある。なんていうかマジでムズいのよ、特に発音が。幼少期から充分な教育を受けた貴族でも澱みなく話せるようになるのは早くて10歳頃からだそうだ。そんな前提条件の中、前世の記憶というアドバンテージを持つ私がこの幼児喋りなのにも関わらずたった1歳しかかわらない…なんなら通算年齢では20歳下の姉がスラスラと大人よりも綺麗な言葉遣いで話すのだから、世間での評判は大袈裟ではないのだろう。
元より寝る前に必ず私の部屋を訪ねてくれていた姉は、階段落下事件があってからは日中も顔を出してくれるようになった。相当な高さから落ちたにも関わらず怪我一つなくピンピンしている私がまだ自室に引きこもっているのは状況を整理する時間が欲しかったのもあるけれど、7割ぐらいは姉の訪問が嬉しいからだ。とはいえずっと部屋にいるのも飽きてきたし、そろそろ潮時だろうか。
「ねえね、エミリもうだいじょうぶだよ! いたいところもなくなったから、ねえねといっしょにあそびたい!」
「あら、そうなの? ちょうど今日は午後からセシルフォード王子殿下がいらっしゃるの。エミリが元気になったのなら、一緒におもてなししましょうか」
「ほんと!? エミリおうじさまだいすき!」
姉の言葉に、私は子供らしく両手を上げて喜んだ。セシルフォード・リスキア。姉と同い年のリスキア王国の第一王子で、次期王として最も有力視されている少年はこれまた姉と同じく大人顔負けの完璧人間で、私の大好きな人だ。とはいえ恋愛的に好きというよりは憧れや崇拝に近い。姉と並んでいる姿が童話に出てくる王子様とお姫様そのもので、そんな二人が自分を甘やかしてくれるのが嬉しくて仕方なかった。前世の記憶を思い出す前からカプ厨だったんだな〜、私。
「じゃあハンナを呼んでくるから、あなたはここで待っていてね。大好きよ、わたくしのかわいいエミリ」
そう言って私の額にキスを落とした姉は、私付きの侍女を呼びに部屋を出て行った。
我が家の人間はみな付いて回られるのを嫌うので、専属侍女も主人から声がかかるまでは一般の侍女と同じ仕事をしている。公爵令嬢が使用人をわざわざ呼びに行くなんてよそのご令嬢が見たら目を剥きそうだが、私にとっては大変ありがたい話だ。本当は着替えも一人でやりたいけど、お貴族様が着るドレスって一人じゃ着られないようにできてるからね。
「エミリアお嬢様、失礼致します」
少しして部屋にやってきたハンナは、こちらが指示する間もなく手際よく私の髪をツインテールにまとめ、あれよあれよというまに私はリボンとフリルをたっぷりあしらったピンクのドレスに身を包まれた。
うーん、なるほど。ずっと寝巻き姿のままだったからあまり意識していなかったけど、私ってばやっぱり可愛いな。桃色のウェーブがかった髪に少女漫画のヒロインのようなぱっちりおめめとうさぎの舌のようなピンク色のぷるぷる唇。キラキラと輝くような銀髪に切れ長吊り目、蠱惑的な赤い唇を持つ姉とはまるで正反対だけど、母譲りの紫色の瞳だけはお揃いだ。俺だけ仲間はずれだとぶーたれる赤目の父には申し訳ないけれど、私にとってこの瞳は宝物だし、自慢なのである。
「お待たせ致しました。お召替えが済みましたよ」
「ありがとうハンナ! エミリかわいい? かわいい?」
「ええ、この国…いいえ、大陸で一番愛らしいです」
「ハンナ、めがこわいよお…」
ハンナは常に無表情でニコリともしないが、とても愛情深い人だと母が言っていた。4歳の私にはまだよく分かっていなかったけれど、今なら分かる。要するに平たく言うと…
「エミリアお嬢様の愛らしさを何かに例えようにもこの世界の全てが役不足でございます。ゆえにいつも月並みな表現しかできず、ハンナはとても口惜しいのです」
彼女は超強火の私オタクなのだ。聞けば彼女は私が階段から落ちた話を耳にするや否やナイフで自身の首をかき切ろうとしたらしい。この厄介オタクぶりを愛情深いとかいう言葉で片付けるのはどうなん、母。
私の存在そのものを全肯定するハンナの意見はアテにならないところがあるけれど、鏡に映る私は確かに猛烈プリティーだ。すぐにでも姉に見せに行こうと私は部屋を飛び出して姉の私室へと向かった。
「あ、エミリアお嬢様、今は――」
背後でハンナが何かを言おうとしていたけれど、今はとにかく1秒でも早く姉にかわいいと言ってもらうのが最優先だ。ぱたぱたと駆け足で姉の部屋の前までやってきた私は、中に姉がいるか確認しようと扉に耳を当てた。
もしこの時、ハンナの声に耳を傾けていたら。
「セシルフォード王子殿下がエミリアを選んだらどうするか、ですって?」
もしこの時、中の様子なんて確認せずすぐさま扉を開けていたら。
「ふふ、わたくし身の程知らずは嫌いなのよ。もしそんなことになったら、そうね――」
もしこの時、姉と侍女の会話を耳にしなかったら。そうしたら私は、何も知らずに幸せでいられただろうか?
「殺してしまうわね、きっと」
『きゃあああああああああ! エミリ、エミリが階段からっ!!!』
『大丈夫!? 足を滑らせて階段から落ちるだなんて! 頭は打ってない!?』
私はそっと、音を立てないように扉から耳を離した。
大好きで尊敬する自慢の姉。私が姉を想う分だけ姉もきっと私のことを愛してくれているだろうと、どうしてそんな思い違いをしていたのか。目に薄い膜が張り、視界がじわりと滲む。
絶対に泣かない。泣いてたまるものか。私は絶対に殺されない。何があっても、どんな手を使っても。
こんな排出率0.01%以下の超絶SSR環境に生まれたのだ。何としてでも生き延びて悠々自適のお貴族様ライフを満喫してやる!