◇05 交差する思惑
◇05 交差する思惑
すわ油断したところを斬殺か、人生終了か?
目にも止まらぬ早業である。痛みも出血もない。
コレはアレか、斬られた相手に痛みすら感じさせないという匠の仕事。
きっと少し遅れて血がドバッと噴出して倒れたりするんだ。
グワーッ! やられたー!
……などと頭の中で考えながらも、不思議と一切の危機感を感じなかった。
身体のどこかを切られたという感触が無いとここまで冷静になれるのか。
いや、そういうことではないのかもしれない。
よく考えて、自分の身体を確認してみる。
やはり特に変わった所は無かった。
むしろ、どこも斬られていない。
猫耳の人を確認してみる。
視線を頭上に向け、猫耳の人は剣を握って構えている模様。
残心とかそういう武人の作法だとか心構え的なものかもしれない。
真上に近い方向へ備えた構え方って斬新なスタイルだよね。
剣で斬るだけに。キルだけに。あと構えだけに。
攻めているのかな?
いやまあ攻めているんだろうけど。上手くは無いな。例えのほうが。
猫耳の人の意識の向いている先は視線の方向。
つまり状況から見て、上方に向けて剣を振りぬいていたと考えるのが妥当だ。
自分とは全然関係なかったのかと考えると損した気分だ。
いや別に何も損はしていないのだけれども。気分だけね。
もうなんか驚きすぎてリアクションが間に合わなかったじゃない。
人に向けて武器を振ったらダメって誰にも教わらなかったのだろうか。
いや確かに上には人はいないだろうけど、正面にはいるわけで。
ちなみに自分は人から教わった記憶にございませんが。
むしろ自分の記憶もございませんが。
え、待って、じゃあ、何?
ていうか猫耳の人は今、いったい何を斬ったんだ?
「フフン、アイビスなら飛役種でも無空剣で余裕ニャ」
だからその語尾のニャって何なのさ。余裕の表現かな?
口に出していない質問への回答は無い。
思わせぶりで自慢げな台詞への反応を待っているのだろうか。
いやでも正直そういうの反応に困るんだけど。
わずかに間が空く。
自分も上を見ようとした途端、バラバラと何かが降ってきた。
毛だか鱗だかが生えた脚部のようなもの。
捻れた鰭やら鰓にも近い指のようなもの。
どことなく野生動物のパーツにも似ているが、似ているだけだ。
間接どころか身体の内外も曖昧で、骨格らしきものさえ見当たらない。
おおよそ名状しがたい何かの細切れ片である。
つなぎ合わせたところで物理的に空を飛べる感じの形状ではない。
色々と足りてないというか、整合性が取れていない。
翼膜や羽根に相当するもの、あるいは跳躍するための強靭な脚部も無いのだ。
空気も掴めないような翼では飛ぶどころか滑空すら無理だろう。
もしこれで無理やり空を飛んでいたら、それこそバケモノだ。
ん?
つまり、無理を通して空を飛んでいたという事になるよね。
要するに得体の知れないコレは、あの理不尽なバケモノと同類なのか。
同類というにはあまりに形状が違い過ぎるようにも見えるけど。
いや、まあそういった考察はひとまず置いておくか。
アイビスという単語も気にならないでもない。
地域性のある独特な一人称、というには些か不自然な響きではある。
おそらく個人名なのではないだろうか。
でもこれは話の繋がりから察するに一人称として用いたと思われるのだけど。
つまり個人名を代名詞の代わりに用いたということだ。
これは一般的な言語の用法とは若干異なる気がする。
名前が長かったら会話が色々と大変になるからね。
もしかすると出身地の風習だったりするのかもしれないけど。
特に同名の人が多かったりすると困るんじゃないかな。
会話中に出てくる単語が何人称なのか、聞き手側が判断に困ると思う。
あと大仰な単語も興味深い。
ファクタマラとか、無空剣?
なんかすごそう。強そう。
いや、むしろ猫耳の人の台詞が間接的に示した事実のほうが凄いのか。
ファクタマラとかいう名前のバケモノが飛んでいたから斬った。
そういった事柄を自己確認しているのだと類推できる。
一連の言葉は、時節の挨拶にしてはあまりに物騒だ。
でも、まさかこの状況で他の意味ということも無いだろう。
なにしろ現実に、本人が斬ったと言っている物が落ちてきている。
話だけ聞いたら正気を疑うが、目の前で起きた事は否定できない。
長い間ただ逃げ回るばかりだった自分の立場が無いよ……。
飛んでいたバケモノが落ちてくるまでにかかった時間を思い出す。
こんなバケモノは、こちらの視界の中にはいなかったはずだ。
そう思って空を見上げてみたものの、やはり近くには何も見当たらない。
バラバラになったバケモノは、どれほど高くにいたというのだろうか。
いまひとつ理解ができない。
落ちてくるまでの時間を考えても、普通に考えて剣が届く距離ではない。
何かを投げたのだとしても、その投げたものは何処へ行ったという話になる。
というよりも何かを投げて届くような距離なら、もっと早く落ちてきたはずだ。
原理がまるで理解できない。目の前で起きたのは常識的な現象ではない。
物理的にはありえない。ならばおそらく超能力みたいなものか。
まさかそういう超常現象を起こす技術が実在するとは思わなかった。
だがそれよりも先程から得意気にうねうね揺れる尻尾が気になって仕方が無い。
あの繊細な動きは贋物に真似できる芸当では無い。
ヘアバンドとか服の装飾ではなかったのだ。
血肉の通う付属品……つまり本物の猫耳である。
まさかそういう身体特徴を有する人類が存在するとは思わなかった。
そう、この猫耳の人は何の誤魔化しも無く、正真正銘の本物なのである。
本物の猫耳であり、本物の尻尾であり、その強さもまた本物という意味だ。
能力的にも身体部位の形状的にも常人の範疇に収まるものではない。
剣も見た目格好だけのものではなく、戦うことに関する習熟が見て取れる。
間の抜けた一人称やちょっと変わった語尾など些事なのだろう。
周囲の人間に我を通してしまえるくらいの力があるということだ。
ここは畏敬の念を持って、敬称を付けて呼んだほうが良いのかもしれない。
猫耳……さん?
ふむ、何か違和感がある気がする。慣れの問題だろうか。
これは間違えないよう積極的に使っていく必要があるな。
猫耳さんが名前だと思っておけば間違えることもないだろう。このとき一人称扱いされた名詞は考慮しないものとする。仮になにか問題があっても、口に出して呼ばなければ済む話だし。それこそ些事だよね。
得意気にピンと立った猫耳とフリフリの尻尾の動きでご機嫌な態度を表現していた猫耳さんは、落ちてきたバケモノのバラバラ死体を漁って石みたいなものを取り出し、背負い袋に詰め込むという作業を始めていた。結石だろうか。あるいは胆石の類か。石みたいなものをえぐり出された死体というか残骸は、ぐずぐずと溶けるように形を崩していく。よく見ていなかったけど、薬品かなにかで溶解したのかもしれない。検疫処理でもしたのかな。とすると、あの飛役種とかいうバケモノは何らかの病原体を持っていたんじゃないだろうか。この周辺に人がいないのも納得である。いやそれにしても変か。猫耳さんは防護服を着ているようには見えないし、作業も素手で行っていたように見える。疑問が片付かない。
何をするでもなくその様子を眺めていると、猫耳さんはこちらを向いて怪訝な顔をして問いかけてきた。
「ん、どうしたニャ? 核を入れる物も持たずにここへ来たのニャ?」
猫耳さん、実は入れる物どころか持ち物が無いんですよ。
口を開くと敬称で呼んでしまいそうなので、肩を竦めて答えに代替する。
あ、ベルトに差した剣モドキはもう自分の持ち物に含めたほうがいいのかな。
それにしても、核とか呼んでる石みたいなコレ、集めるのか。
びっくりするほど扱いが雑だから、食料資源ではないだろうけど。
「こんな危険地帯まで来て手ぶらとか、頭が沸いてるニャ?」
たしかに自分は剣モドキ以外の手荷物を持っていなかった。
だが、その質問の意味がよくわからない。
袋を持っていて当たり前ということは、遠くまで持ち運ぶのか。
もしどこかで加工するなら、重要なのは数量や大きさということだろうか。
猫耳さんに改めて問いかけようとして、はたと気が付いた。
もし自分の持ち物を見つければ、失われた記憶の手がかりになるかもしれない。
「あんなことできるのに、立ったまま寝てるニャ? 頭が悪いニャ?」
どう答えて何を聞こうか考えているだけなのに酷い言われようである。
べつに立ったまま寝ているわけではない。
あと頭が悪いわけでもない……はずだ。たぶん。きっと。
まあ断言はできないのが辛いところではあるかな。
頭の良し悪しは主に機転や発想の事を指すから、記憶能力とは別だと思う。
むしろ『あんなこと』って何を示しているんだ。
もしかして記憶に無いだけで、何かやらかしてしまっているのだろうか。
でも気になった事を逐一聞いていたら話は進まないしなあ。
うまい具合に記憶がないのだという事だけが伝わる説明ができると良いけど。
「ふむ、つまり痴呆……その見た目で、避難民集落の長よりも年寄りニャ?」
いやいや、健忘症扱いは酷いのではないだろうか。
こちらの説明が不足しているという事実は否めないけれども。
どういう事を覚えていないと具体的な説明をするほうが誤解が無いのかな。
そもそも記憶喪失とは原因も症状も違うような気がしないでもない。
むしろ猫耳さんが言う避難民集落の長とかいう人の事が分からない。
その村長とは誰もが面識があるはずで、記憶がないだけという可能性も。
「ご愁傷様ニャ」
いやだから待って欲しい。否定が遅れただけで勝手に認定しないで。
よく考えたらこれ、面識の有無だって関係ない話じゃないか。
それまでの会話の中でそれらしい単語が無かった。初登場の単語である。
特定集団の特定個人をいきなり共通認識として扱うほうがおかしい。
少なくとも初対面の人間同士の会話としては全く成立していない。
それも割と反応に困ることばかり言われているような気もするし。
この猫耳さんは配慮というものが備わっていないのだろうか。
何かしらの意図を持って迂遠な言い回しで喋っているという様子でもないけど。え、つまりは天然でこの会話内容なのか。
「まあいいニャ。袋ならたくさん持ってるからとりあえず一枚くれてやるニャ」
色々と考えているうちに、猫耳さんは背負い紐が付いた袋を放って寄越した。
まあいいや。袋をたくさん持ってるならとりあえず一枚もらってやるニャ。
などと心の中で微妙に改変した物真似をしながら、その意味も理解しないままに袋を受け取る。口紐が付いた麻のような生地の袋で、もちろん中身は空っぽだ。
猫耳さんって意外と面倒見が良い人だったりするのだろうか。さすがは猫耳さんだ。敬称を付けて呼ばれるだけのことはある。まあ敬称を付けて呼んでいるのは自分の心の中だけだけど。
長いものには巻かれろとか、郷に入れば郷に従えとか、そんな感じの言葉が自分の知識の中にある。格言っぽい言葉なのでここは大人しく従っておくべきだろう。
誰彼構わずに口に出して突っ掛かるほど自分は子供ではない。
いや、まあ、自分の年齢どころか子供かどうかすら分からないんだけど。
持ち物は鈍器と袋。これって職務質問されたらアウトじゃないだろうか。
ここでもし袋を被っていたら、そのまま署までご同行願われること請け合いだ。
もっとも、近くに警察組織があるのかどうかも分からないけど。
この街の様子では、そういった機構が正常に機能していないかもしれない。
「おまえ何で袋を被ろうとしてるニャ? 本当に頭どうかしてるのニャ?」
え、あれ、自分は言葉に出してなかったよね? もしかして顔に出てた、とか?
いや、別に、まだ被ろうともしていなかったはずだけど。
何で分かったんだこの猫耳さん。いや違う。被るつもりはなかったんだ。
頭の片隅で、そういう事を考えなかったわけでもないというだけであって。
もちろん思考しただけで実行はしていない。自分はやってない。潔白だ。
「ふん。母体種と決着を付けに来たのに、結局は這竜種の掃除だけか……まあいいニャ。帝都の魔物狩りも終わりニャ」
なにやら猫耳さんは遠い目をした後、声に出して呟いた。
何か新単語が多くて気になるけど、猫耳さんは既に立ち去ろうとしていた。
頭の中で並べ立てた弁明の言葉が斟酌されることは無い。
もはや、こちらには一切お構い無しの様子である。心ここにあらず。
立ち去る猫耳さんをそのまま見送って……
見送ろうとして、考え直して、決めた。
せめて安全な場所に着くまでは後を追わせてもらおう。
強くない者が生きるためには、強い者に守られる必要があるのだ。
よく考えたら、荒事は猫耳さんに任せてしまえばいいのだ。強そうだし。
猫耳さんが言動は荒く攻撃的な性格のようだが、危害を加えてこなかった。
また何かしら他のバケモノが出てきても、猫耳さんがいれば安心だろう。
砕け散ったバケモノだと思わしき残骸を見る。
こちらの破片に対して猫耳さんは一切手を付けなかった。
取り分は自分で倒したものだけ、みたいな暗黙の了解みたいなものがあるのだろう。
自分で散らかしたものは自分で片付けろ、という意味かもしれないけど。
散らばっている黒い破片は、結晶のようにも金属のようにも見える。
単に黒すぎて判別が付かないとも言う。
作業感のせいか、元のバケモノより体積大きいような気がしてくる。
全部集めると動いていた時の倍くらいになりそうだけど、気のせいだろうか。
ちなみに猫耳さんが引っこ抜いていたバケモノの核とやらより光沢が少ない。
こっちはなぜか溶けたりする部分も無いし、全体が硬質化している。
どこが必要でどこが不要なのか分からないし、もはや元の部位の見分けも付かない。
あれ、薬品とか使わないのか。これ検疫処理じゃなかったんだな。
やばいな、説明してくれないから分からない事だらけなんだけど。
だけどまあ、何より今は時間が無い。考えているだけじゃ終わらないのだ。
不要物の見分け方とか処理とかは後で考えよう。幸いにも袋は十分に大きい。
大まかに集めて、袋の中に手早く掻き込む。
ちなみに猫耳さんはのんびり歩いていたため、すぐに追いついた。
尻尾を揺らし、耳をピクピクさせながら歩いている。
物思いに耽っているのか、こちらを振り向きもしない。
軽く見回すような素振りさえも見せない。
そんな調子にも関わらず、周囲の様子を鋭敏に察知しているのだろう。
自分が追いついてすぐに歩調を速めた。
もしかして、待っていてくれたとか?
こうして改めて猫耳さんが歩く姿を見ても、特別に筋肉質という訳ではない。
外観だけだと戦いを生業とする類の人には見えない。
体格とかそういう見た目では、むしろ頼りなさそうですらある。
……本当についていって大丈夫なのかな、この挙動不審な猫耳さん。
【母体種】
微小な魔素結晶を核とした超小型の魔物の群体。
定義上、正しくは単一の魔物ではない。
現出時の特性で個々は小さくとも、魔素の構造密度は高い。
核の数も多いために複数の特性を有し、総合的に強い。
魔素結晶を分離することによって魔物を生成することもある。
母体種の特性上、母体種によって生成される魔物は母体種にはならない。
旧帝都における魔物災害を発生させた元凶と推測される。
【魔物】
非生物魔性背理核クラスターの略称。
魔素の性質によって現出したもの全般を指す。
運用上の問題で、動的存在のみを魔物として取り扱うのが通例。
動的存在は魔素クラスターを中核として発生し、強い破壊偏向性がある。
自己複製機能や自己保存傾向を持たない。
有核生物に対する強い攻性反応を示す。
生物と似た形状の部位を有する例も多数確認されている。
ただし生物と全く同じ形状であっても性質や機能は全く異なる。
生物を察知する能力および性質も、感覚器官や神経組織によるものではない。
活動能力を中核である魔素に依存している。
中核となる魔素の種類や大きさなどによって形状や能力が大きく変わる。
このため、魔素を損傷すると身体構造が変容する。
身体構造が一定以上破損すると魔素を消費して身体の再構成を実行する。
再構成を実行するための魔素が不足している場合、身体構造を維持する能力を失う。
参照→魔素、■■■■。
【魔素】
外世界領域を出自とし、一定以上の規模と構造強度を有する物質。
■■■■による除外効果を透過できる規模のものしか存在を維持できない。
特定条件下で魔物を発生させる。
参照→■■■■、魔物。
【■■■■】
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