魔女と来訪者 5
フローは琥珀の髪をかき上げ、書物を閉じた。
現在、魔女はお茶の準備中であり、イヴァンは眠り姫の看病をしている。
いまだ目覚めない姫君。それに、なぜか不安と安堵の色を見せるイヴァンの姿に、フローは違和感を感じることがある。だが、口には出さない。――彼らのあれこれに、興味がないからだ。
フローはおもむろにごちる。
「やはり、所詮書物は書物ということか…」
イヴァンとロザの魔女らしいところ談義をしたことをきっかけに、魔女について調べてみることにしたわけだが…。
その本には、魔女の生態について書かれている。魔女の定義として夜中に集会を開くだの、カンニバリズムだのあるが、今のところ、彼らの知る魔女にははずれっぱなしである。
鼻腔に届く、心地いい茶の香りに誘われて足を運ぶと、たどり着いたのは眠り姫の部屋。
茶と菓子がすでに用意されていた。
ロザは笑みをにじませる。
「ちょうど呼びに行こうと思っていたんだ」
フローは無表情で問うた。
「今日は姫君の部屋で茶をするのか?」
彼の疑問に、ロザはもったいぶったように答えを焦らす。
時間の経過とともに冷める茶。さすがに痺れを切らした頃――魔女は人差し指をたてた。
「わたしは、マーガレット姫の目を覚まさせるべく、すばらしい考えが浮かんだのだよ」
「へぇ」
フローのそっけない返答に、マーガレットの傍にたたずんでいたイヴァンが苦い笑みをこぼす。どうやら、イヴァンは内容を知っているらしく、しかもその”すばらしい考え”は、すばらしいとは言いがたいらしい。
決して促したわけではないフローだったが、ロザは気にすることなく続けた。
「名づけて、『天岩戸大作戦』!」
「別に名づける必要もない気がするが」
「…細かいな、君は。まぁいい。この作戦は、某東の国の神話をもとにしているのだよ」
「…つまり?」
ついその場の空気で、フローは話の流れを促してしまったが、しっかり眉間には皺が刻まれている。
ロザはそんな彼をやはり気にとめることなく、仁王立ちをして答えた。
「その神話では、岩戸に引きこもった日の神を岩戸から出すために、そこの前でどんちゃん騒ぎをしたそうだ」
「で、その神様は戸をあけたのか」
「ご名答! というわけで、フロー、イヴァン! 今日の茶会は姫君の前で行う!」
一応厚意ということがわかるため、イヴァンは曖昧に頷いたが…フローはこめかみを揉んだ。なにかがずれている気がするが、どこがなのかわからない。それが彼女なのだ。ゆえに、おかしい点を指摘することもできない。
二人はとりあえず居間からわざわざ運んだ卓の席につく。
フローは湯気ののぼらなくなった茶を啜りつつ、魔女を眺めた。そして、先ほど読んだ本の魔女の定義とやらと比較してみることにした。
(夜行性と…カンニバリズム、か。………まったくもって的外れも甚だしいな)
まず、目の前のこの魔女は、超のつく朝型だと身を持って体験したし、今の卓の上を見てほしい。
甘い栗の糖菓とミルクの入った、さっきまであたたかかった筈の茶だ。一体これのどこがカンニバリズムだというのか。ぜひとも、先ほどの本の著者にツッコミをいれたい。
苦い気持ちを静めるため、口の中に糖菓を含むと、砂糖の甘さが口内に広がる。顎の関節が痛くなるほどの甘さから逃れるため、今度は茶を飲んだ。
「本当に甘党だな…」
つい、魔女に呆れを含んだ視線を送ってしまう。
この茶菓子うんぬんは、ロザの嗜好なのだ。
「文句があるなら食べるな」
子どもの様に頬を膨らませて怒る姿に、フローとイヴァンは思わず笑ってしまった。
普段笑わないフローと、いつもは苦笑ばかりのイヴァンに笑われ、ロザは赤面しながら狼狽した。
「ななななにがおかしいのだ! 甘党でなにが悪いっ」
「いや、別に悪くない」
口元を手を隠しても、笑っているのがわかる彼らに、ロザは眉根を寄せる。
すると、フローは頬杖をついて語りかけた。
「多くの人は、魔女は深い森の中に住むものと思っているんだろうな」
突然の言葉に、ロザは目を丸くして「うん? まぁ、そうだろうな」と答えてみる。脈絡のなさに彼を見つめてみるが、フローは目尻の力を緩めただけだった。
めったに見る事のない、彼らの表情。ロザにとって、稀な事態に慌てふためく自分が恨めしかった。
そんな彼女を眺めて、フローは目を細める。
それは、ついこの間の話。
彼女はやはりほっかむり姿で、町へ買出しに行った。自給自足をするための菜園があるにも関わらず、帰ってきた彼女の両手には、山盛りの砂糖と小麦粉、米粉。
(…甘党なのか)
そう気づいた。
よくよく考えてみれば、彼女は毎食後、手作りデザートを楽しんでいる。今は米粉を使ったお菓子に凝っているらしい。
いっそのこと、わずかな米粉くらいは自給自足してみたらどうだろう、と案をだしてみた。これに対する彼女の答えは「…やってみようと思ったのだよ。でも、田んぼに悪ガキどもがドジョウを放ってね。網で毎日すくったが、毎日悪ガキどもがドジョウを放ちにくるんだ」。
なんとも不憫な魔女である。子供に恐れられるはずが、遊ばれてどうする。そして、どうしても気になっていたことを訊いた。
「格好はやっぱり、ほっかむりなのか?」
ロザは、「当然」と言わんばかりに見つめ返してきた。
フローとイヴァンは、東の国の某ドジョウをすくう踊りを思い出し、爆笑をこらえるのに必死だった。本気で腹筋が筋肉痛になるかと危機感を抱くほどに。
「…ん? まだなにか文句があるのか?」
少しばかりむっと眉を寄せる魔女に、フローは普段のように無表情を装った。
「いや、別に」
ロザはなにか言いたげだったが、どうやら糖菓の誘惑を優先させることにしたらしい。
ティーポットが空になる頃。
魔女は、眠ったままの姫君を見つめ、ぽつりと呟いた。
「…いい作戦だと思ったのだが」
フローとイヴァンは(本気だったのか)と心中で思ったが、やはり口には出さなかった。
予想通り目覚めなかったマーガレット。なんといっても、彼女は天岩戸の神のように、自分で閉じこもったわけではない。怪我が原因で意識がいまだ戻らないのだ。茶会で眠りがさめてたまるか、と医者ならばいうだろう。
それでも、ついこの不思議な魔女に付き合ってしまうのは――心地がいいからなのかもしれない。
ロザと出逢うまでの日々は、自分の心を押し殺さなければならないことばかりだった。
けれど、今はどうだろう。振り回されているのは確かなのに、とても毎日が穏やかに、愉しく過ぎてゆく。
――いつか、マーガレットの目がさめたら、イヴァンもフローも、マーガレットも、この家から出て行かねばならない。彼らには帰る場所があるのだから。
ここは彼らにとって、限られた幸福なのだ。
「ロザ、片付け手伝うよ」
「じゃあ、フローと卓を居間に戻してくれ」
イヴァンに、フローは「余計なことを」と言わんばかりの視線を送った。
食器を持って庖廚へと姿を消す魔女を見送り、イヴァンはぽつりと呟いた。
「こんなやりとりも、そのうち思い出になるんだろうな…」
フローは目を細めた。
「…思い出にするかしないかは、君次第だ」
思わぬ言葉に、イヴァンは顔をあげる。彼の言葉の意味が、よくわからなかった。
しかし、フローはイヴァンを見据えただけだった。
その意味深な行動に目を瞠るイヴァンの横を、フローは通り抜けた。
そして、一人取り残されたイヴァンは、しばらくして気づく。
(………あの男、片付けから逃げたな)
やはり彼は掴みどころのない男だと、再認識する。
*** *** ***
フローは庖廚に立つ魔女を、背後から見つめる。視線に気づくことのない彼女に、無表情とは違う、真摯な顔をつくる。
――彼女の家に来てから、ロザの様々な姿を見るようになった。そのすべてが、思わず笑わすにはいられないことばかりだ。
――きっと、彼女は善意で三人の来訪者を泊めているのだろう。
それを知ってなお、フローは彼女の善意を利用する。
ロザが人間と壁をつくっていることに気づいたのは、いつだっただろうか。
彼女はイヴァンとマーガレットの関係も訊かないし、フローの身の上についても詳しく訊ねない。そのかわりに、自分のことも必要以上は話さない。
彼女は、求められれば相手の領域に踏み込むけれど、求められなければ踏み込まないし、決して彼女の領域に踏み込ませることはない。そういうことなのだ。フローは、それに、気づいた。
――壁を壊すには、こうするしか方法がないと思った。
だから、息絶えそうなマーガレットを抱えたイヴァンに声をかけたのだ。――善意では、ないのだ。
…フローは、今回はじめて彼女に逢ったわけではなかった。
(ロザは、私のことをおぼえているだろうか?)
口には決して出さない問いに、フローは目を伏せた。




