魔女と来訪者 2
――あれから数日。眠り姫、マーガレットの容態は安定している。
けれど、予断を許さない状況であることは変わりないらしく、時間を置いて彼女の容態を確かめなければならない。
寝台で横たわるマーガレットの金髪を優しくなで、イヴァンは眉尻を下げて笑んだ。
「…また、来ます。――姫」
*** *** ***
ここにきて、フローとイヴァンはロザの驚くべき生活を目の当たりにする。
ちなみに”ロザ”というのは、魔女の名前だ。愛称であるのだが、本名を訊ねても彼女は頑として語らなかった。「名を悪用しようなんて考えていない」と伝えても、ロザは首がもげるほど横にふり、顔を真っ赤にして口ごもらせた。
「恥ずかしすぎる名前なのだよ」
成人男子として、淑女にこれ以上言及はできまいと、結局愛称で呼ぶことで、その場はおさまった。
さて、話は戻る。
魔女のイメージ、というものがフローとイヴァンを含めた一般人にはある。
魔女の集会があるとか、魔法を使うとか、そういったものである。うち一つに、『魔女は夜行性である』というものもあるだろう。
しかし、彼女に至ってはあたっているような、あたっていないような――つまり、判断に困るのだ。
とりあえず、フローとイヴァンは、これだけは断言できる。
魔女は夜行性説。
これは彼女においては適合しない、と。
ロザのその生態を知ったのは、青年らが彼女のもとを訪れた翌朝のことだった。
*** *** ***
フローとイヴァンは居間に布を敷いて眠っていた。
ロザの家は小さいため、寝室、庖廚、居間の三部屋と『関係者以外立ち入り禁止』札のかかる謎の部屋、そして厠・浴室しかない。一人では十分だが、突然の泊り客三人が加わるとなると、いささか狭く感じる。
まだ鶏も鳴いていない時刻。 騎士であるため、早起きに慣れているイヴァンがなにやら頭上に気配を感じた。眠たい眼をうっすらあけると…そこには、魔女がフライパンと麺棒を持って立っていた。
「っっ!? うわぁ!」
イヴァンは叫びながら飛び起きた。
「なななっ。ロザ!?」
焦るあまり、言葉にならない。
深呼吸して、もう一度発したかった言葉を口にする。
「な、なにやってるんですか!?」
するとロザはフライパンと麺棒を持った手を腰にあて、溜息をついた。
「イヴァン、敬語はやめてくれ」
「え、あ、はい…じゃなくて、すまない」
「謝ることはないよ」
そう言ってロザは苦笑した。本当に真面目な青年だ。
「で、ロザ、その両手のものは…?」
蒼い顔でイヴァンは重ねて訊ねてみる。――魔女はカンニバリズムだと耳にしたことがあるが…自分たちは食べられてしまうのかもしれないと、思った。
冷や汗が背筋を伝う。
(姫、助かった命ももうお終いのようです)
そうか、粋のいい人間を求めていたのか、と一人合点するイヴァンに、ロザは眉を顰めた。
「…なにを考えているんだ、君は。そんな情けない顔しなくても、誰もとって食べようなんて思ってないよ。ほら、そんなことよりもさっさとフローも起こして」
イヴァンはロザには失礼だが、死ぬほど――本気で安堵した。
そして隣で眠るフローを揺さぶる。
ぐっすり眠っている顔は天使のようだった。
「フロー、起きろ。おい、フロー」
けれど、彼は起きない。
早くも痺れをきらしたロザが、フローの隣に腰を下ろした。だが――おろしたのは腰だけではなかった。
ゴンッ、という鈍い音が部屋に響く。
「っっ! いっ痛――」
麺棒で殴られ、飛び起きたフローは患部をおさえて呻く。
涙目で視線をあげた。
「なにをするんだ! 私のこれまで培ってきた知識が耳の穴から抜けたらどうしてくれる!」
怒る姿も麗しい。が。
「…俺に言ってどうする。やったのはロザだよ」
イヴァンが呆れたように首をふると、フローは視線を彼から魔女に移す。
ロザは悪びれもせずにふん、と鼻をならした。
「なかなか起きない君が悪い…かもしれない」
中途半端な自己弁護だった。
フローは憮然と反駁する。
「私は褒められてのびるんだ」
…的が見事に外れた言葉だった。さすがのロザも理解に苦しんだらしく、瞑目して眉間に人差し指をおいた。
彼女の反応に、患部が若干盛りあがっている青年は、無表情で前言につけたした。
「早起きしない私に、愛の鞭というのを見舞ったんだろう?」
「………」
魔女は口をあんぐりあけた。彼女は、彼の思考回路を理解できるはずもないことを理解した。
「おめでたいな、君は。ある意味うらやましい」
「ありがとう」
嘆息したロザにフローは礼を言ったが、会話が成り立っているようで成り立っていない気がする。唯一の傍観者だったイヴァンだけが顔を引き攣らせていた。
眠気眼で顔を洗い、着替えた青年二人は、ロザと共に菜園に出た。
ロザは仁王立ちで彼らを待ち構えていた。
無言で鎌を二人に渡す。フローとイヴァンは眠気がまだ残っており、うっかり鎌を受け取ってしまったが…なんとなく、この先の展開が想像できた。
つまり。この魔女は超がつくほどの朝型だったのだ。理由は簡単だ。家を取り囲む菜園の野菜の収穫は、朝が最適だということらしい。そして、その収穫に二人を手伝わせようということだ。
早起きの理由については、合理的ではあるが、魔女のイメージはこれで半壊したことはいうまでもない。
いまだ眠気ゆえに舟を漕ぐ青年らに、ロザは一喝した。
「君たち! ほら起きなさい! わたしの理念は『働かざるもの食うべからず』。このままだとご飯抜きだよ」
ぷんすか怒る彼女に、二人はおもむろに視線をやる。
――瞬時に彼らの意識は覚醒した。なんで、気づかなかったのだろう。
そう思ってしまうくらいの威力ある、彼女の農作業姿。
(…なぜ、彼女は黒いスカーフでほっかむりをしているんだ)
二人は遠い目をした。
とりあえず、魔女に問うてみよう。
そして得られたのは、「わたしは肌が強くないんだ。日焼け防止と……あと、人間にあまり姿を見られたくない」との回答。
フローはあえて無言を貫き、魔女を無表情で観察することにした。
彼女は黒茶のまっすぐな髪に、赤茶色の瞳をしている。目はクリッと大きく、肌は真珠のように白い。赤く色づく唇には愛嬌を感じる。誰がみても「かわいい」と評価するだろう。美人というには色気が少しばかり足りない気もするが、客観的にみれば十分だ。
そんなことを思うフロー自身は、誰もがうらやむ神々しく美しい顔と、琥珀の髪、青磁色の瞳を持っているわけだが、自分のことにはあまり関心がないらしい。
フローはほっかむりをするロザに言った。
「それ、東の国の大泥棒みたいだな」
彼は褒めたつもりだった。なんといっても、その大泥棒はなかなか捕縛できないという。なんてすばらしい腕なのだろうか。
しかし、魔女は頬を膨らませ、その日一日、必要事項以外は口をきかなくなる。
イヴァンは共に過ごしてついに気づいてしまった。(…フローも変わった人間の部類か)と。
この後、二人は収穫を毎朝手伝わされることになる。
ちなみに、毎朝、近隣住民が菜園の魔女に視線をやり、「今日も早起きだねぇ。いいことだ」とあたたかい目で見守っていることをフローもイヴァンも気づいているが、魔女には言わない。




