序章
少女を抱きかかえる腕には、真っ赤な血が滴っていた。
そこは、深い森の中だった。夜の帳はまだ下りていない筈だが、日は射し込んでこない。
「…姫、姫っ、目をあけてください」
銀鼠色の髪の青年の懇願もむなしく、腕の中の少女はぐったりと目を閉じている。
青年は髪を揺らし、血にまみれる美しい少女を抱きしめた。
歯をくいしばる。どう考えても、こんな森の中に医者などいるはずがない。しかし、腕の中の少女は、もと来た道を辿って、自分の知る医者を訪ねている間に死んでしまうだろう。それがわかっているけれど、青年は今、それ以外の術を持ち合わせてはいなかった。
血が、絶え間なく流れ続ける。
青年は必死に頭を働かせた。
確か、町の中心街では医者が居を構えているときいたことがある。だが、そこまでの道のりを彼女が耐えてくれるだろうか。――自分の愛馬は少女と衝突し、倒れたままだというのに。
「俺の、せいだ――」
少女の金色の髪に、顔をうずめた。
その時。
「彼女が助かるところへ、連れていってあげようか?」
同情するでもない、淡々とした調子の声。
青年は勢いのままに、声の主を振り返った。
視線の先にいたのは、琥珀色の髪に青磁色の瞳の、美しいけれど無表情な青年。年のころはもうすぐ二〇といったところだろう。
見ず知らずの青年。けれど、 眠る少女を抱えた青年は、彼が天からの使いではないかと思った。神は、まだ自分を見放してはいなかったのだと。
「お願い、します…っ」
藁にでも縋る思いで深く頭をさげる。彼女が助かるというのなら。自分がしてしまった罪で、傷を負った彼女が癒えるならば。なにを引き換えにしてもかまわないと、この時は思っていた。




