魔女と来訪者 7(前編)
太陽が昇りきっていない早朝。日課の野菜収穫をする人影が三人。例によって例のごとく、ロザ、フロー、イヴァンだった。
「泥がついてるよ」
そう言って、イヴァンは収穫の手をとめ、そっと親指の腹でロザの頬を拭う。
思わぬ行動に、ロザは目を丸くした。しばらく彼女が固まっていると、イヴァンはようやく自分のしたことに気づき、慌ててロザの頬から手を離す。
「す、すまないっ」
頬を赤らめて謝罪するイヴァンに、ロザは苦笑して首をふる。
「いや、むしろ礼をいわなければ。――ありがとう」
彼女が優しく笑うと、イヴァンはわずかに目を大きく開き、切なさを含んだ笑みを浮かべた。
「……失敗したな」
ひそかに二人の様子を窺っていたフローは呟く。そして、冷たい秘色の瞳を細めた。
*** *** ***
「惚れ薬を作ってほしい」
イヴァンの発言の直後、ロザは茶を噴出した。
(…よかった。今日の茶に砂糖いれてなくて)
そこではない、とツッコミたくなる彼女の心中。
濡れた卓を拭くフローは視線をあげた。
「誰に使うんだ?」
静かな問いに、イヴァンは目を伏せた。
ようやく答えようとした時。
「無理だ」
ロザが問答無用でたたっ斬った。
そして、卓に大人しく座っている二人に命令する。
「そこに直れ」
「…もう座ってる」
フローのツッコミをロザが気にすることはなかった。
彼女は足を組むと、人差し指で卓をコツンとたたく。
「よく、この手の依頼を受けるんだが…無理なんだ」
ロザは目の前に座る青年らを見据えた。
「君たちは、恋をどこでする?」
フローとイヴァンは目を瞬く。
「えー…心?」
首を傾げながら答えたイヴァンの回答だったが、ロザは続けて問うた。
「では、心はどこにある?」
そこで青年らは眉を寄せた。
ロザは溜息をつく。
「つまり、そういうことだ。恋を心ですると多くの者は思っている。惚れ薬を作るならば、その心に作用しなければならない。じゃあ、心はどこにある? 魔女の間では胸ではなく、頭からの信号によって動悸や興奮作用が得られると考えられているが…それを操作すれば、持続的な恋に落ちると思うか?」
「…無理だろうな」
フローが呟いた。それにロザも頷く。
「どんな病の薬も、癒えるまでは服用に継続性が必要になる。ゆえに、一度で持続性のある惚れ薬は作れない。もし一時的なものを望むというのなら、それは興奮剤や媚薬だ。心は得られない。…それでも、イヴァン、君は望むか?」
イヴァンは苦渋の表情を浮かべた。
一時的では意味がなかった。本当に、好きにならなければ、幸せにはなれないだろう。
ロザは優しく訊ねた。
「誰に使おうと思ったんだ?」
今度こそイヴァンは答える。その声は、とても落ち着いていた。
「…俺に」
フローは目を細めた。
イヴァンにとって、マーガレットは大切な人だった。けれど、それは女性としてではない。それだけのことが、事を荒立ててしまうきっかけになった。
銀鼠色の髪が顔にかかる。瑠璃色の瞳を翳らせた。躊躇うように、決心をした彼は、重い口を開く。
「俺の名前はイヴァン・ラフェーエル・ティリャード。隣領地の近隣にある男爵家の次男なんだ…」
イヴァンは視線をフローにうつした。
「フロー、君は知っていたよね?」
「…ああ」
二人の会話に、ロザだけが驚いた。彼らがここに来た時、顔見知りという風ではなかった。それにイヴァンはフローのことを詳しく知らないようにも見える。思わず首を捻る。
フローは至って無表情だった。もちろん表情は読めない。仕方なく、ロザは会話を促した。
「では、隣領地の主に騎士になるために仕えていた、ということでいいかな?」
イヴァンは頷く。
「先日、騎士叙任式を無事終えたんだ。…だから、実家に帰ろうと思った」
目を閉じた。――ずっと自分は騎士として兄の補佐をしながら仕えると信じていた。だが、皆が願ったのは、そうではなかった。
「父や兄は、姫と俺を結婚させたがっていたらしい」
苦笑したその顔に、ロザは歯をくいしばる。あまりにも痛々しかった。
自分の思惑とは別に、信じていた未来を捻じ曲げられた。ゆえに、素直に従えなかったのだろうと、ロザは考える。
「…マーガレットはなにか言っていたか?」
控えめにロザが尋ねると、イヴァンは困った顔をした。
「…彼女も家の決定に従うつもりだった」
…イヴァンは気づかないフリをしていたのだ。幼い頃に出逢った少女。太陽の守護を得たかのような美しい金の髪、碧の瞳は宝石のようだった。とても愛らしいと、思った。ずっと自分を追いかけてくる少女。気づいていたけれど、どうしても妹にしか思えなかった。
「だから、俺は逃げたんだ…。騎士として家に帰って、もし追い出されても、どこかの貴族に雇ってもらおうと、そう、思った」
ずっと一緒にいた少女に、幸せになってほしかった。それでも、妹としてしか見れない自分に、恋人として愛することができる筈もなく。彼女がそれを求めていることに気づいてからは、距離を置くことでしか接することができなくなった。
家族も、仕える義父も皆、マーガレットとの縁談を望んでいたのを知っている。
そうして突如実家へ帰省すると決めた日。
マーガレットは先回りし、彼をとめようと森で待ち構えた。
結果は知っての通り。
イヴァンの馬をとめようと、道を塞いだ少女は事故に遭ってしまった。
卓に置いた組まれた手を、力いっぱい握り締める。ロザはその手に自分のものを重ねた。
顔をあげる青年に、ゆっくりと首をふる。
「君が傷つく」
囁いて、手の力をやわらげさせた。
「君は、マーガレットに恋をして、皆の望みを叶えようとしているのだね」
ロザの優しい声音に、むしろイヴァンは居たたまれなくなる。
「…助けてほしい時は、正直にそういったらどうだ?」
それまで黙って話を聞いていたフローが、溜息をつく。
「本当は、嫌なんだろう?」
頬杖をつく。彼も気づいていた。イヴァンはロザに恋をしてしまったのだ。そうなった今、別の誰かと結婚することは、自分にも、そして相手にも幸せなことではない。
青磁色の瞳で射抜くようにイヴァンを見据える。
どうしようもなく、足掻く姿が、まるで昔の自分に重なった。そんな時、自分には救いがあったことを思い出す。だから、仕方がない。
「私がなんとかする」
フローは大きな溜息をついた。
あと二話でこの章が終わります。
普段、愛憎的な物語を妄想する傾向にあるため、ほのぼのの難しさを知りました…。
なぜかサバサバした話になってくれない、と嘆いていたりしますが、完結を目指してがんばります。(独りごとな豊富で申し訳ありませんっ)