魔女と来訪者 6(後編)
「…そっちは街だよ?」
イヴァンは雨を遮る外衣を翻した。
「………。君、まさか水辺へ行くつもりじゃないだろうな?」
雨に濡れることも厭わず、フローは濡れる前髪を後ろへ撫でつけた。
いつも通りの無表情。それでも、イヴァンを小馬鹿にしていることだけはわかった。
「フローこそ、薬草を採るなら水辺だと…」
そこで、フローが大きな溜息をつきながら首を横にふる。
イヴァンは眉間に皺をよせた。
「なにがいいたいんだ?」
自分で気づくことに期待しているのか、フローが口を開くことはない。ただ見つめるだけだった。そんな彼にイヴァンが目を瞬いた。
しばし考える間にも、雨は絶え間なく降り注ぐ。フローは諦めたように口を開いた。
「普通、薬草は買うものだ」
「………あ」
イヴァンは呆気にとられた。…いわれてみれば、その通りだ。ロザと生活するようになり、自給自足が当たり前のようになっていたが、医者は薬草を専門店に買いに行く。ロザが自分で薬草を採りに行くのは、人間に極力関わらないために他ならないのだ。
「別に、命をかけて水辺に採取に行きたいならとめないが」
冷ややかに嘆息され、イヴァンは首を静かにふった。
*** *** ***
街へ行くと、その薬草はすぐに見つかった。
どうやら、一般の家庭でもちょっとした風邪の時によく使うらしく、小さな薬草専門店にも置いてあったのだ。
「さて、じゃあ帰ろうか」
イヴァンが振り返ると、そこにいるべき人物はいなかった。
「フロー!?」
一体どこに行ったのか。身なりからしていいとこのお坊ちゃんに見えたし、もしかしたら誘拐でもされたのかもしれない。
「…いや、それはないか」
イヴァンの脳裏のフローは間違っても簡単に誘拐される輩ではない。むしろ誘拐犯が裸足で逃げ出したくなるかもしれない。
そう思いいたり、一応辺りを見回してから、店を一軒一軒訪ねることにした。
――花屋、武具家、八百屋を訪ね…しばらく捜し歩いた時、代筆屋で探し人をやっと見つけた。なんだか無償に腹立たしい。
「こんなところでなにをしている」
恨めしそうに背後から声をかける。
するとフローは振り向くことなく答えた。
「ちょっと実家に手紙を。…君は出さなくていいのか?」
流し目を送られ、(男に流し目を送られても…)とうなだれつつも溜息をつく。
「…そうだね。そろそろ姫も目が覚めるだろうし、頼もうかな」
軽く言ってみたものの、心に冷たい風が吹いた気がした。少し寂しそうに目を伏せ、そう思う自分に苦笑する。
店の主に羊皮紙を用意させ、そこに文字を走らせた。
――馬の用意と、マーガレットを必ず連れて帰る旨を記す。
手紙が仕上がると、飛脚に丸めたそれを渡した。
「それはオールドリッジ家に頼む」
言ったのは、フローだった。
驚愕に見開かれた目で彼を見つめる。
「フロー…なんで姫の姓を知っている?」
フローは涼しい顔で口端を上げた。
「君たちのことは知っている。イヴァン・ラフェーエル・ティリャード殿。連れの姫君はマーガレット・シャノン・オールドリッジ嬢だろう?」
イヴァンは息を呑む。なぜ、彼はそこまで知っているのだろう。
(…不味い)
イヴァンとマーガレットのことが貴族界に知られれば、悪い噂がたつだろう。そうなれば、これまで仕えてきた主に恩を仇で返すことになる。そして、マーガレットの名にも傷がつく。
息を、呑んだ。
「誰なんだ…君は」
イヴァンの硬い声が店内に響く。彼らしくない鋭い目で、フローを見据えた。けれど、視線を受けた青年は興味なさそうに肩を竦めた。
「まだ言うつもりはない。…安心するといい。私は君たちのことを誰かにしゃべるつもりはない」
そうしてフローは飛脚に「じゃあ頼んだよ」といって金貨を渡した。
*** *** ***
ロザは部屋の中をぐるぐる歩いていた。円を描いて歩き続ける。
結局、青年らのことが気になって研究に没頭できなかった。いっそ諦めて、素直に待つことにする。
マーガレットを見下ろすも、彼女はやはりまだ目を覚まさない。
「暇だ」
一人ごち、次いで下唇を噛んだ。
(違う。そうでは、ない)
ロザは玄関扉の前へと向かい、そこで膝を抱えて座った。
目を閉じると、雨の音が弱くなっていることに気づいた。
(迎えにいこうか?)
思いついた考えを否定するように、首をふる。なんでそんなことを自分がするのか。…でも。
(彼らは客人だ)
客人を迎えに行ってなにが悪いのだろう。
だが、それも、本当の心の言い訳だと気づく。
抱えた膝に顔を埋める。
…気づいてしまった。
彼らが客人だというのならば、なぜ彼らに頼みごとをしてしまったのだ。自分は、引き受けることはあっても、頼むことはしてはならなかったのだ。――境界線を、崩壊させてしまった。
だから、彼らが戻ってこないことが不安でたまらない。もしなにかに巻き込まれていたら、どうしたらいい?
――近づかないつもりだった。人間に近づいて狂っていった仲間をたくさん見てきた。あの人も、そうして狂ってしまった。わかっていたのに。
「早く、戻ってきてくれ」
小さな声で願った。
刹那、扉を叩く音がした。
ロザは素早く顔をあげ、立ち上がる。
勢いよく扉を開けた。
「ただいま」
淡く笑んだイヴァンと、その後ろに立つフローが見えた。
イヴァンが「この薬草でよかったよね?」と外衣から包装紙を差し出すと、ロザは唇をわななかせ、俯いた。
目の前の魔女の様子にイヴァンは首を傾げる。フローが彼女に近寄ると、がばっと顔を上げ、彼らを睨めつけた。
「帰るのが遅いっ! 別に心配なんてしてなかったが…あまりに遅いから…その…。そうだ! もしマーガレットになにかあったらどうしてくれるんだっっ」
眉尻を吊り上げるロザは踵を返し、マーガレットの部屋へと向かう。
理不尽に怒られたイヴァンとフローは唖然と佇み、次いで小さく笑った。
確かに怒っていたロザ。けれど、その瞳は潤んでいた。彼女が感情的になったのは初めてだった。
二人は濡れた外衣を脱ぐと、ロザのあとに続く。
遅くなった事を詫びようとすると、ロザが先に言葉を紡いだ。
「…イヴァン、フロー」
彼らの気配に気づいた魔女は、ゆっくりと振り返る。そして。
「ありがとう。おかえり」
それは、やわらかい微笑みだった。心があたたまる、春のような、本当の笑み。
瞠目し、イヴァンとフローは手にしていた荷物を落とした。
再びロザがマーガレットの方をむいてしまうまで、青年ふたりは目を見開いたまま動けずにいた。
やがて意識が覚醒した時――二人は耳まで赤くなる。
青年らの異変に、ロザが気づくことはなかった。